090 ギヤクテンゲギ
「着いたッスよ。ここが帝都ロマネスコの宮殿まで続く大通り。その名も、帝国通りッス」
「帝国通りにただいま到着!」
装甲車の屋根の上で大きな声を上げると、カイはそのまましみじみと語り始める。
「フッ…。ここまでの道のりは実に過酷なものだった…。降り積もった雪の斜面を滑走するかのように滑り落ち、走ったそばから砕け散る凍った湖の薄氷の上をギリギリで駆け抜け、荒れ果てた砂の大地に足を取られながらも地下への入り口を探し出し、最後には地下に巣食う化け物との死闘…。そんな帝国による数々の妨害の中、一人、また一人と仲間が散っていき、とうとう俺達だけになってしまった…。それでも、俺達は決して諦めない。倒れていった仲間達の為にも必ずやこの地に王国旗を掲げるんだ!」
その時、装甲車の運転席では荒れ果てた大地を疾走してきたスリップがとても満足そうな表情を浮かべていた。それに気付いたエリサはふと考える。
あら? 仲間が倒れていった原因って…。
「それにしても、衝撃土竜が帝都の地下にこれほど立派な地下街を形成していたとはね…」
「そうなんスよ。俺も、以前にこの噂を聞いてから一度でいいから走破してみたいと思ってたんス。いや~、まさかこんな形で夢が叶うとは思ってなかったッスよ」
法螺貝を持った覆面の男の呟きにスリップが興奮気味に続いた。
「さて、それはともかく、このまま一直線に宮殿へと向かうッスよ」
「ああ。そうしてくれ、スリップ」
そうして宮殿に向かって走り始めたところでスリップが正面を見ながら何気なく口を開く。
「それにしても、あの宮殿の屋根ってアレに似てるッスよね」
正面に見える宮殿には幾つかの塔が立っており、その薄黄緑色の円錐状の屋根には螺旋状に円錐型の飾りが配されていた。
そんなスリップの発言に覆面の男が答える。
「これの事かな?」
その手には立派な法螺貝。
「違うッスね」
装甲車の屋根に掴まりながら中を覗き込んでいたカイは、そのやり取りを見てふと疑問を抱く。
「ウォルフ…? お前、やっぱり何か変だぞ?」
「ハハハ、そんなことないよ、カイ君」
「メガネを掛けてない所為でキャラがブレてるんじゃないのか?」
「ハハハ、そんなことねーよ、カイ」
「ウォルフ!? やっぱりブレてるぞ!?」
そんなカイの追求が続いていると、何かに気付いたスリップが急ハンドルを切った。直後、さっきまで装甲車が居た位置に何かが激しく衝突して大地を抉る。
土煙が晴れると、そこに立っていたのは一人の男。
「まさか、こんなところまで敵の侵入を許すとはな…」
そんなことを呟きながら悠然と立つ姿は、まさに強者の風格。
一瞬でその力量を察したカイは装甲車の屋根の上から飛び降りて邪剣を構える。
「誰だお前は!」
「私こそは帝都ロマネスコの守護者、ブロッコ・リー。神聖なる帝都を汚す者は、この私が許さない!」
その次の瞬間、カイが男の姿を見失った。
「え?」
そんな声を上げたのも束の間、右脇腹に激痛が走る。
「グハッ…」
激しい痛みを感じながらも、カイはリーめがけて邪剣を振り下ろす。しかし、既にそこにリーの姿はなく、続いて背中に激痛が走る。
カイは、その場に膝をつきそうになるのを何とかこらえると、慌てて装甲車から降りてきたエリサ達へと注意を促す。
「気を付けろ! こいつ…手練れの武道家だ…」
「……………!」
少し間を置いて何かに気付いた覆面の男が、慌てた様子で腰のバッグを探り始める。そして、何かを見つけて取り出そうとすると、幾つもの黒紫色の丸い粒が零れ落ちた。
覆面の男は地面を転がる丸い粒をワタワタとしながら追いかけると、ようやく一粒拾い上げてそれを掲げてみせる。
「何てことだ…、ウォルフにいつものキレがない…。メガネの不在はそんなにも深刻な影響を与えるのか…?」
カイが愕然としながら呟いていると、リーもまた愕然とした表情で覆面の男を見ていた。
「貴様は…、ウォルフ!」
「知り合いなのか、ウォルフ?」
突然のリーの発言にカイもまた驚いたように尋ねる。しかし、当の本人は首を傾げて不思議そうにしている。
「?」
「忘れたとは言わせないぞ、ウォルフ。嘗てお前が私に対して放った暴言を!」
「?」
「惚ける気か? ならば思い出させてやろう。あれは今から三年前、帝国王国間の軍中堅幹部交流事業でお前がこのロマネスコを訪れていた時のことだ。意見交換会が終わった後の会食の席で、お前は帝都ロマネスコの守護者たるこの私を侮辱した」
「?」
当の本人が相変わらず首を捻っていると、そこへカイが口を挟む。
「ウォルフ、お前いったい何をしたんだ?」
「?」
「お前は…、両軍の関係者達の前で『帝都はブロッコ・リーじゃ守れない』と、そう言い放ったんだ!」
「ウォルフ、お前、そんなことを言ったのか…?」
「?」
相変わらず当人が首を捻る中、エリサが咄嗟に事実を基にした訂正を試みる。
「え? 違うわよ? あの時ウォルフはロマネスコは花芽椰菜じゃないと蘊蓄を披露しただけよ?」
しかし、そんな事実はリーには届かない。
「そう…、ロマネスコにブロッコ・リーありと謳われた私のことを多くの関係者の前で全否定し、扱下ろしてしてみせたんだ!」
これ以上のツッコミは、エリサには荷が重かった。
エリサが己の無力さを痛感する中、リーが動きをみせる。一瞬で距離を詰めると、覆面の男の腹に掌底を一撃。怯んだところへさらに畳み掛ける。
「どうした! 手も足も出ないのか!」
「ウォルフ 、お前、やっぱり調子が悪いんだな。待っていろ、今助ける!」
為す術なく一方的に殴られ続ける覆面の男を援護しようとカイが動きだす。しかし、カイの動きと同時にリーも新たな動きを見せる。少しだけ距離を取って拳を構えると、そこに力が集中していく。
「もう遅い! これで終わりだ、ウォルフ!」
次の瞬間、リーの腕が覆面の男の腹を貫いた。
「ウォルーフ!」
***
「こんなところに連れてきてどうするつもりですか?」
列柱の立ち並ぶ広大な空間。その一角にある数段高くなった場所には立派な装飾が施された椅子が置かれ、背後の壁には幻影道化師のシンボルが描かれたタペストリーが掲げられている。
椅子に悠然と腰掛けるのは道化の仮面の男。その男がアレックスの問いに答える。
「言ったはずだ。お前には絶望を味わわせてやるとな。だが、吾輩も鬼ではない。跪いて許しを請うのであれば考えてやってもよいぞ」
「許しを請え、ですか…?」
「そうだ。『卑しき身分で貴き者に楯突いて申し訳ありませんでした』と、地面に額を擦り付けながら無様に謝罪してみろ」
「土下座の強要は炎上案件ですよ?」
「舐めているのか、貴様」
アレックスの態度に苛立ちつつもジョーカーは続ける。
「まだどうにかなるとでも勘違いしているのか? だが、既に王宮は完全に吾輩が支配下に置いている。そして、王都も吾輩と志を同じくする貴族連合によって直に掌握されるだろう」
その発言を聞いて、アレックスと共に連れてこられていた国王が愕然と呟く。
「貴族連合だと…? この反乱に、それほど多くの貴族が加担しているというのか?」
「その通り。ジーン侯爵家を始めとした錚々たる貴族家が吾輩の下に集っている」
「そんな…」
「陛下、どうやらあなたには人望がなかったようですな」
愉悦に浸りながら笑い声を上げるジョーカーにアレックスが問い掛ける。
「それは本当に殿下の人望なのでしょうかね?」
「何が言いたい?」
「殿下の下に集った貴族というのは、私が行った政治改革で割を食った貴族達、つまり、それまで甘い汁を吸っていた連中のことではないですか? そんな連中が何を考えているかは容易に想像ができます。所詮は殿下を担ぎ上げてもう一度甘い汁を吸おうと考えているだけ。腐ったミカンに集るコバエのような連中ですよ」
その発言に、ジョーカーがわかりやすく機嫌を損ねる。
「アレックス、貴様、口の利き方には気を付けた方がいいぞ。今、お前の命は吾輩が握っているのだからな」
そんな脅しをかけてくるジョーカーに対してアレックスは毅然とした態度で応じる。
「これでも私はこの国の政を預かる身。わが身可愛さに逆族に屈したりなどはしません!」
思い通りにならないアレックスにジョーカーが痺れを切らし始める。
「フッ…、フフフ…。そうか、どうやら命が要らないとみえる…」
わなわなと体を震わせながら銃を取り出すと、その銃口をアレックスへと向けた。
「ならば死ぬがいい、アレックス!」
そして、ジョーカーが引き金を引こうとしたまさにその時、そこへ何かが飛んできて銃が弾かれた。
「何だ!?」
驚くジョーカー。そして、周囲を警戒するトランプと幻影道化師の騎士達。
その中でアレックスがふと笑みをこぼす。
「遅かったじゃないですか」
「すまないね。でも、君に頼まれた仕事はきちんとこなしてきたよ」
そう答えながらアレックスの元へと歩み寄るのはウルフファング隊の隊服に身を包みメガネを掛けた男。
その男の登場に、ジョーカーが驚いて立ち上がる。
「何故だ…、何故貴様がここに居る!?」
***
「ウォルーフ!」
カイの悲痛な叫びが響く中、覆面の男の体が力なくその場に横たわる。
「遂にやった…。遂に積年の恨みを晴らしたぞ! フハハハハ!」
歓喜の叫びを上げるリーだったが、そこへエリサが水を差す。
「残念だけど。あなたの逆恨みは晴らされてないわよ」
「何?」
発言の真意をつかみ損ねるリーの足元で、腹を貫かれたはずの覆面の男がゆっくりと起き上がる。
それを見たリーが驚愕しつつ距離を取る。
「どういうことだ? 確かに、腹を貫いたはず…」
「残念だったね。自分は、不死身なのさ」
「そんな馬鹿な事があるわけがない。何なんだお前は!」
「知りたいかい?」
そう言うと、覆面の男が自らの覆面に手を掛ける。
「ならば答えよう。レニウム王国軍 ウルフファング隊 隊長ウォルフとは仮の姿。その正体は…」
一気に覆面を脱ぎ去ると、そこにはどこかムカつく表情を浮かべた大根。
「宇宙最強の銭湯民族ヤサイ人の戦士、その名もラディッ…」
「ここにいるのは、ウォルフの代役の大根役者、その名も法螺吹き大根よ!」
覆面の男、改め、法螺吹き大根の発言を遮ってエリサが言い放った。
※エリサは事前に作戦の説明をされており、その時点で既に思考停止しています。
ウォルフだと思っていた男が実は大根だったという事実を目の当たりにしたカイとリーは驚愕の声を上げる。
「「何だって!?」」
「どういうことなんだ、エリサ。ウォルフはいったい…?」
困惑しながら問い掛けるカイにエリサが答える。
「王国内に不穏な動きがあったことはカイ君も知っていたわよね」
「え? …………ああ、知っていた」
少し間を置いて目を逸らしながら答えたカイの反応で覚えていないのだということを察するものの、それを追及したところで意味がないのでエリサは話を進めることにする。
「まあ、別に知らなくてもいいわ。とにかく、今回の帝国の侵攻に合わせて国内の不穏分子も動きだすことが予想されたの。だから、ウルフファング隊は一芝居打つことにしたのよ。そう、今回、増援部隊と行動を共にしているウルフファング隊の中で正規のウルフファング隊員は私とスリップだけ。他は目くらましの為に用意した偽物なの。ウォルフを始めとした正規の隊員達は、王都に残って極秘任務を遂行中よ」
その発言にカイが安堵の表情を浮かべる。
「そうなのか。つまり、ウォルフもメガネも共に健在なんだな?」
カイの発言に妙な引っ掛かりを覚えるものの、今のエリサはそれに気付いて適切に対処できるほど正気ではなかった。
「ええ、ウォルフはメガネと共に王都に居るわ」
結果、彼女はその場の流れに身をゆだねることしかできなかった…。
***
目の前に現れたウォルフを見て、ジョーカーが驚愕の声を上げる。
「馬鹿な。ウルフファング隊は最前線へと向かったはず。何故貴様がここに居る!」
それに対してアレックスが何もかもをも見透かしていたような表情で応じる。
「そもそも今回の事態、私が本当に何も気付いていなかったとでも思っているのですか?」
「何?」
「私に対して不満を抱いている貴族達が妙な動きをしていることには気付いていました。帝国や大公国と密かに通じていることにもね」
そうしてアレックスは自らの策を語り始める。
「今回の事態も未然に防ぐ事が最善だったものの、さすがに全貌の把握にまで至っていない状況では動きようがなかった。ですから、いくつか次善策を講じることにしました。これもそのうちの一つ…。不穏分子を釣り出す為に、最精鋭であるウルフファング隊も増援部隊と共に前線へと送ることであえて王都を無防備にしました。ただし、実際に前線へと送ったのは、ウルフファング隊に偽装した部隊ですけどね」
「偽装した部隊だと!? では、ウルフファング隊は実際には出撃していなかったとでもいうのか!?」
「そういうことです。ウルフファング隊には、密かに今回の事態の対処に当たってもらっていました」
その時、ジョーカーが何かに気付いた。
「そうか、そういうことか…。では、増援部隊出発式での勇者の奇行も、吾輩に気付かれないような自然な形でウルフファング隊に代わる戦力を補充する為にお前が仕組んだことだったのか!」
「え?」
…………………。
つい間の抜けた声を上げて呆けていたアレックスだったが、ふと正気に戻ると勝ち誇った表情で断言する。
「その通りです!」
※違います。
自信満々に言い切ったアレックスを前にして、悔し気に唇を噛み締めるジョーカー。
「ぐぅ…。しかし、吾輩とてウルフファング隊の動向には警戒していた。その動向を把握する為に増援部隊の中に配下の者を紛れ込ませてもいた。そして、その者からは確かにウルフファング隊の、そして隊長であるウォルフの姿が増援部隊の中にあると報告を受けていた…、なのに、何故…」
悔し気に呟くジョーカーのそんな疑問にウォルフが答える。
「それは代役だよ」
「代役だと!?」
「そう。ただウルフファング隊の恰好をさせた部隊を用意しただけでは偽装を見破られる可能性があったからね。自分の代役を立てた上で信頼できる副官に偽装部隊を任せたんだ」
そう言ってジョーカーを見据えると、ウォルフはフッと笑みを浮かべる。
「こうして見事に釣り出されてくれたところを見ると、どうやら信頼できる副官は上手くやってくれたみたいだね」
※悲報。信頼できる副官は、カイと大根の所為で思考停止しています。
「ぐぅ…、おのれ…」
「落ち着いてください、ジョーカー」
わなわなと体を震わせていたジョーカーだったが、トランプに諫められると深呼吸して心を落ち着かせる。
「そうだな…。貴様等の小細工に気付かなかったことはおとなしく認めよう…。だが、それがどうしたというのだ。現にこうして王宮の占拠は達成され、王都も吾輩と志を同じくする貴族連合によって制圧されようとしている」
「それはどうかな?」
「何?」
「カミーユ防衛大臣始め、拘束されていた軍幹部は既に解放したよ。今は残存部隊を搔き集めて、王都を制圧しようとしている貴族連合と対峙しているところさ」
一度は怒りを鎮めたジョーカーだったが、ウォルフの発言に再び苛立ち始める。
「馬鹿な! いくら最精鋭とはいえ、部隊の人員はたかが知れているはず。そんな限られた人員でそんな真似ができるわけがない!」
「そこはほら、劇団『馬車馬の如く』の代わりになる舞台の人員として手配していた大根達が大いに役に立ったよ」
「おのれ、吾輩が王位に就いた暁には、大根の取引を規制してくれるわ!」
怒りを露わにしたジョーカーをトランプが再び諫める。
「ですから、落ち着いてください、ジョーカー。まだ、王都制圧部隊が敗北したわけではありません」
トランプの発言を受けてジョーカーは落ち着こうと大きく息を吐く。しかし、苛立ちを抑えられずにアレックス達を睨みつける。
その様子を見ながらトランプは続ける。
「国を相手取ろうというのです。全てが計画通りに運ばないだろうことは端から想定済み…」
そう言うと、アレックス達へと視線を向けて微かに笑みを浮かべた。
「ですが、あなた方が色々と策を巡らせているように、我々とて、不測の事態を想定し幾つも策を用意しているのですよ」
アレックスが警戒を強めると、苛立ちを隠せずにいたジョーカーがふと笑みをこぼした。
「フッ…。そうだ、その通りだ…」
そして、急に強気な態度に出る。
「貴様等がどれだけ策を弄そうとも、あらゆる事態を想定し尽くした吾輩の優位は変わらない。もともと、王都制圧後に協力した貴族共が過度に調子に乗らぬように、吾輩の力を見せつける予定だった。それが少し早まるだけのこと」
「どういうことですか?」
慌てた様子のアレックスを見て、ジョーカーがフッと笑みをこぼす。
「アレックス、お前もここに来るまでに見たはずだ。吾輩の姿を模した神々しいまでの石像の数々を」
「あの悪趣味な石像のことですか?」
「悪趣味とか言うな」
「あれがいったい何だというんですか?」
急に石像の話を始めたジョーカーの意図がわからずに、アレックスが焦りの色を見せる。
「あれはただの石像ではない。『辮髪の祈祷師』様によって命を吹き込まれたゴーレムなのだよ」
「何ですって? まさか、あれだけの数、全てがゴーレムだとでもいうんですか!?」
「そうだ。しかも、ただのゴーレムではない。石像に偽装こそしているものの、あれは伝説の鉱石アダマンタイトを使用した特別なゴーレム。吾輩自らがあれを率いれば、たとえ最精鋭のウルフファング隊とてひとたまりもないだろう」
「そんな…」
「フッフッフッ、残念だったな。劇的な逆転などそうそう起きはしないのだ」
「ッ…」
言葉を失うアレックスに対して、ジョーカーが無慈悲に言い放つ。
「では、まずは貴様等から圧殺してやろう」
直後、アレックス達の背後にある扉の向こう側から何者かが蠢く気配がし始めた。
その気配を感じ取ったアレックスとウォルフが扉へと警戒を向けると、その扉がゆっくりと開かれる。
「さあ、ゴーレムよ、こいつらを始末しろ!」




