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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
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第3話 才ある者たち(2)

 それからの日々は、戦いの連続だった。

 講義中心の授業が数少ない休戦状態で、あとは作文に文法、代数学に幾何学、化学や生物学といった一般教養においても、むろん精霊召喚学のあらゆる分野においても、シフルはロズウェルと張りあった。数学であれば問題を正解に導く早さ。作文であれば早さと文章のでき具合。体育科目では試合の勝敗。

 しかも、シフルが一方的に対抗意識をもっているだけではなかった。代数学の授業の際に、いわゆる「お帰り問題」——この問題さえ終われば授業を終わりにしていい——を一番に解いてみせたロズウェルは、

「まだ解けないのか。いっておくけど、これでも五分待ったんだよ。メルシフル・ダナン」

 と、盛大な皮肉を言い残して教室をあとにした。

 この発言には、シフルのみならずAクラス全員の闘争心に火をつけた。ロズウェルのいやみからものの数秒しか経っていないところで席を立った学生が何人もいたし、シフルも何分かして正解にたどりついた。シフルも数学はそれなりに得意だったが、やはりそこはAクラスである。頭ひとつ抜きんでるのはむずかしい。

 次の授業は作文だった。ロズウェルは前回の授業で書いたという論評を、講師によって手放しに褒められた。生物学でも謀ったようにロズウェルの提出したレポートが模範としてとりあげられたし、召喚学史においても彼女は講師に求められて豊富な知識を披露した。

(なんか、本当にしめしあわせてるとしか思えねー)

 数科目ぶっつづけでロズウェルへの讃辞に直面したシフルは、ついそんなことを頭によぎらせる。(なんで先生たち、ロズウェルばっかり……)

 これでは、彼女が学生たちに妬まれ、疎まれるのもよくわかる。シフルだって、ひいきだ、と叫びたい。が、彼女は実際すばやく数式を解いていくし、論評は丁寧かつ深い考察を展開しているし、模範として回覧されるレポートには非のうちどころがない。何でもできる人間には、確かにお近づきになりたくないだろう。それまで負けを知らなかった秀才たちが初めて出会う、決定的な負け試合なのだ。

(オレだって)

 シフルは嘆息した。次の時間は舞踊なので、学院指定の体操着に袖を通す。(これまで、本当にがんばって勝てない相手なんかなかった)

 体育科目に関してはがんばってもむだなこともあるが、その他の科目はそうにちがいなかった。(だけど、ロズウェルには勝てる気がしない)

 しかし、自分の力の及ばないところまで励まなければ、「井の中の蛙」を抜けだせない。自分の力の及ぶ距離こそが、「井の中」の「井」なのだから。「大海の鯨」のいる「大海」には、ロズウェルがいる。もし勝てる日がこなかったとしても、決定的な負けというのを乗り越えた先に、何かを見いだせるだろうか。きっと、それが問題なのだ。

「行こうぜ、ダナン」

 ペレドゥイに声をかけられ、シフルは元気よくうなずいた。

 ——まだまだ、これからだ。

 舞踊の授業が始まると、さっそく女教師が適当にペアを組むよう指示した。

 真っ先にペアが決定したのはロズウェルとレパンズ、二人きりの女子ペアである。それで男子は例外なく男同士で組むはめになり、男子学生一同は一様に渋面だった。シフルは手近なところでペレドゥイと組んだ。一同は説明をひととおり聞いたあとで、いやいやながらワルツの体勢をとる。

 理学院専属の演奏家たちによって、音楽が奏でられはじめた。宮廷音楽らしい優雅な曲だ。

 が、男子たちにとっては、雅もへったくれもない、暑苦しくかつ寒々しい男同士のワルツの開始である。男子学生ほぼ全員が、ロズウェル・レパンズペアを恨めしそうに見ている。だが、羨望の的である女子二名は、周囲の物言いたげな空気には頓着せず、ロズウェルのリードで軽やかにステップを踏んでいた。

「野郎同士でワルツなんて……!」

 ペレドゥイは涙もちょちょぎれんばかりである。シフルはといえば、他の男子学生よりは淡白に状況を受け入れていた。

「お互いさまだ」

 しかし、傍目に見ればシフルとペレドゥイのペアは男女ペアに見えなくもなかった。成長期の遅れているシフルは、身長が女子並みに低い。そのうえ、体育の授業中は危ないからと眼鏡——度は入ってない——は外してある。

 そもそも童顔で女顔なのを眼鏡で隠していただけのことはあり、それを外したときのシフルは女子に見えるのだった。そんなわけで、彼ら二人にも密かに羨望のまなざしが向けられており、ペレドゥイはだからといって相手は女子ではないのでうれしくもおかしくもないし、シフルはといえば大いに憤慨するのだった。

 おまけに、シフルはときどき、ペレドゥイの足を踏んだり蹴ったりする。

「いてっ」

「あ、ごめん」

 自分の運動神経の鈍さに問題があるので、シフルは謝る。が、

「……ッ!」

「悪い」

 しばらくしてまた、

「あたっ!」

「おお悪い悪い」

 それは何度か繰り返されて、周囲の羨望のまなざしはいつしか女子二人のみに注がれるのだった。

「わざとやってる! てめーはそういうやつだッ! 何回足まちがえてんだよ、このタコ!」

「苦手なんだよ。悪気はないって」

 二人は周囲の視線から解放され、思うぞんぶん言いあいをする。

「そんなんで《ワルツの夕べ》出るのかよ?」

「なんだそりゃ」

 シフルは聞き返す。

「秋休みの始まる前の日にやるイベント! 寮でやんだよ、ダンスパーティー」

「出ないに決まってんだろ。ただでさえ男あぶれんのにヘタクソが混じってたら見苦しいって……、なに喜んでんだおまえは」

 二人がそんなやりとりをしていると、ようやく教師が音楽を止めた。シフルは、一時間も二時間も踊らされていたように感じて早くも辟易していたが、教師は、今からもうひとつ舞を披露する、あとであなたがたにも覚えてもらうからよく見ておくように、という。

 シフルは嫌気がさしたが、彼の意思を考慮することなく音楽は始まった。今度は精霊讃歌である。どうも礼拝に使う舞らしかった。ときおり礼拝中に舞手が踊る箇所があるのは知っていたが、まさかAクラスで習わされるとは知らなんだ、とシフルは息をつく。Aクラスに与えられるのは特権だけではない。その何倍もの義務と重圧があるのだ。

 かぼそい笛の音にのって、女教師は舞った。

 回る、止まる、駆ける、止まる、跳ぶ——動と静の舞。女教師の頭の上から光の粒が降っている。シータの緑の光だ。この女教師はシータ属性なのだろう。

 シフルは授業のことも忘れて見入った。音楽の終わりとともに教師が足を止め、それで目が覚めた。白昼夢をみていたような、ぼんやりした気分だった。

「さて、誰かやってみたい者は?」

 学生たちが圧倒されているのを見てとり、女教師は戯言めいて口の端をあげる。シフルはとたんに、悪い夢でも見たかのような気分に陥った。舞は見るのがいい。実演するのは話が別だ。

 すると、

「セージ・ロズウェル? あなたならできるわね」

 女教師はいきなりロズウェルに振った。またロズウェルかよ、とシフルがひとりごちると、

「はい」

 彼女はすっと立ちあがった。

「みなさんのお手本になってちょうだいな」

「はい」

 女教師は楽隊に合図を送った。楽隊は、もう一度同じ精霊讃歌を奏でだす。

 ロズウェルのからだが動きだした。

 動と静。彼女の舞は、先ほど教師がやってみせたものとまったく同じだった。それに、今度はシータの緑の光ではなく、ロズウェルが《若人》役を務めたときのあの青い光がきらめいている。

 あの光は、おそらくは精霊の喜びの発露なのだ。動的かつ静的な舞によって表現される精霊讃美の念が、大気を浮遊する彼らを喜ばせる。

 礼拝においては、敬虔な思慕の念が彼らを喜ばせた、ということになるだろうか。愛する者の思慕を受けて歓喜せぬ者はない。つまりロズウェルは——一級水アインを使役するという彼女は、まちがいなくアインの愛を受ける者、すなわち《ルッツ・ドロテーア》のいう《精霊に愛される人間》なのだ。

 それにしても、シフルには信じがたかった。他の学生たちの新鮮な反応を見るにつけ、他にあの舞を踊れる者はいないようである。教師があの舞を見せたのは、Aクラスでもほぼ初めてだったにちがいない。それをなぜ、ロズウェルはたやすく踊れるのか。並々ならぬ運動神経があればできるものなのか、それともロズウェルの多彩な才能のひとつなのか。

 シフルが計りかねていると、周囲の学生が口々につぶやいた。

「『イミテート』だ……」

《イミテート》——物真似?

 シフルは呆気にとられて、聞き返すこともできなかった。

 どこかで聞いた言葉ではある。もちろん、単語としてなら知っている。しかし、「物真似」という言葉の意味するところは何か。

「なあ、《イミテート》って何のことなんだ?」

 そばの同級生に尋ねてみる。その学生は、学院生の常識とでもいわんばかりに、

「そりゃもちろん『物真似』だよ。アイツの得意技の」

 と、至極当然の答えを返してきた。

「『物真似』はいいけどさ、それってどういう?」

「物真似は物真似さ。アイツ、他人のやって見せたことなら何でもできるんだ」

「何でもって、例えばどんな?」

 さらにつきつめて質問する。相手の学生はみるからに迷惑そうだったが、シフルが納得しなければ引き下がりそうにないので、いやいや解説してくれた。

「例えば、ほら、今やってることとかそうだよ。あの光だって、先生ほどの踊り手が表現するからこそシータが喜んで光るんじゃないか。それなのに、ロズウェルがやっても同じようにアインが喜ぶだろ?」

 シフルには、彼がわざと抑揚なく話しているように見えた。「だから、同じなんだ。まったく、同じなんだ——振付だけじゃなくて、先生が表現したものならすべて再現できるんだよ。先生の讃美の念や崇敬の念、そういうのまで全部写しとって自分のものにする。だから《鏡の女》っていうんだよ」

「なるほど、わかった。ありがと」

 シフルは礼をいうと、彼から離れた。学生の冷淡な口調のなかに、理由はわからないが怒りを感じる。

(そうか、最初の授業のときだ)

 最初に《イミテート》という単語を耳にしたのは。シフルは思いだす。

 やはりロズウェルが、サライシータの融合を実演したときのことである。教室中がわきかえり、学生たちは口々に感嘆の声をあげた。すごい、と誰かがいう。さすがは《鏡の女》だぜ、ヤスル教授の技から精神まで、すべてイミテートしやがった、と他の誰かがいう。

(じゃあ、あのときも『物真似』の召喚だったってことか? それじゃあ、Aクラスでも何人かしかできない融合を、ロズウェルの場合、先生の『物真似』をすることで可能にした……?)

 しかし「物真似」なんてものは、特徴をつかんで再現することであり、しょせんは上っ面の模倣に過ぎないはずである。人の精神を写しとることなど——読みとることさえ、たとえ試みたところでできるものではない。

 むろん仕種には少なからず精神の反映があるが、思案のすべてが表面化するとしたら、今の社会などとっくに崩壊している。そう、仮にロズウェルが心のありようまで模倣しているとしたら、それはロズウェル自身がある意味「壊れて」いるのだ。あるいはみなのいう「天才」とは、「壊れている」という意味なのかもしれない。

 だが、よくよく考えてみれば、ロズウェルのまとう光は青く、教師の光は緑だった。彼女はアインに愛される者であり、教師を模倣してもそれは変わっていない。

 つまり、彼女は一から十まで完璧な模倣をしているわけではないのだ。教師の舞を写しとるには写しとったものの、再現する際にはすでに彼女は彼女の精神によって表現していた。すなわちロズウェルの舞は、ロズウェル自身のものなのである。数秒前まで教師のものだった舞が、その場で改変され、彼女のものになった——。

 そこまで考えて、シフルは先ほどの学生をちらと見た。彼はやはり平然と舞を見学していたが、シフルはここにきてやっと彼の憤りを汲みとることができた。あの教師は舞で、ヤスル教授は精霊召喚だったわけだが、とにかくロズウェルはその人の特殊技術を盗む。やりかたについては、シフル自身が再現できないだけに理解しがたいが、とにかく他人の技術を読みとって、自分自身の技術として塗り替えること、それが《イミテート》という技術。

 もしも自分の特技が微妙な変化とともに他人の特技になったとしたら、腹を立てない人間はいない。あの学生がそういう目に遭ったのか、あるいは教授や他の学生に同情していただけなのかは知らないが、彼が《イミテート》の解説をしながら憤っていたのはそういう理由だろう。

 そして、

(その話がすべてそのとおりだとすれば、ロズウェルはまちがってる)

 と、シフルは思った。(まちがいをわかってやってるのか、それとも実際わかってないのか)

 他人の特質を吸収して自分の能力とすることの恐ろしさ。それは、能力を盗まれる側の人間だけではない、盗む側にとってもまた致命的なのだ。

 ——やっぱり、あいつには負けられない。

 そのとき、音楽がやんだ。ロズウェルは足を止める。青い光が、余韻を楽しむようにちらちらと降っていく。呑まれていた学生たちは、魔性のごとく見る者を惹きつける彼女の舞から解放されて、一様にため息をついた。

 みな、興奮から醒めていなかった。それは、もともとその舞を披露したはずの教師さえも例外ではなく、また彼女に憤っていたはずの先刻の学生も同様だった。

 若干二名——冷静に思案をめぐらせていたシフルと、セージ・ロズウェル本人だけが恍惚の外にいた。一刹那ふたりの目が合い、離れた。

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