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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第二部 ラージャスタン・アグラ宮殿編
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第11話 やわらかな檻(4)

「《居室はお気に召されましたか。メルシフル殿》」

 シフルのために準備した部屋で、《五星》筆頭たる女はやわらかく尋ねた。

 それは、女特有の、刃を布でくるんだやわらかさだった。シフルが留学を決めた教授会でも、やわらかさや美しさ以上に、ある恐ろしさを印象づけた女である。

「《オレには過ぎた部屋だと思いますが、皇帝陛下のお気づかいには感謝しています》」

 自分の声が、これから生活していく部屋の中だというのに、妙な怖さをもって響いていた。きっとツォエルという女官は、どんな場所でも自分の場にしてしまうのだろう。

「《『過ぎた』など、とんでもないことでございます》」

「《勘ちがいなさらないでください》」

 横からメアニーが口を挿んだ。「《ブリエスカのみなさまは、王侯貴族にも匹敵する最上のお客人。これがメルシフルさまにふさわしい待遇なんです》」

「《上官の発言中に口を挿むについては感心しませぬが、メアニーのいうとおりです。メルシフル殿は、この部屋にふさわしい客人でいらっしゃる》」

《申しわけございません、僭越でした》とメアニー。「《ともかく、ご自身のお立場に自信をお持ちくださいませ。そして、思うぞんぶん学ばれることです》」

「……《そんなんじゃないでしょう》?」

 シフルは問う。「《そんなことのために、わざわざここに来たんじゃないでしょう? 早く本題に入ってください》」

(いったい、何なんだ)

 シフルとしては、圧迫感を覚えずにはいられない。「怖い」メアニー一人でも充分な圧力だというのに、「蛇のごとき」ツォエルまでいて、おまけにファンルーとキサーラまで雁首を並べている。

「《お教えしたでしょう。メルシフルさま》」

 またメアニーが口をひらいた。「《作法というものがあるんです。いきなり本題に入るのは無礼にあたります》」

「《黙れ。メアニー》」

 ツォエルの言葉に、メアニーは黙った。

 第二席のファンルーに対しても、恐れるそぶりをしながらいいかげんな態度をとるメアニーが、ツォエルには従う。やはり《五星》のなかでツォエル・イーリは別格らしい。

「《見苦しいところをお見せいたしました。お許しくださいませ。それでは》」

 ツォエルは変わらぬやわらかさで言う。「《おっしゃるとおり、本題に入りましょう》」

 本題に入れ、と要求したのは確かに自分。しかし少年は、自ら死刑宣告の瞬間を早めたような、そんな心地だった。

「《メルシフル殿はご自分ではおわかりにならないかもしれません》」

 と、ツォエルは切りだした。「《ですが、メルシフル殿がご自分でお思いになる以上に、メルシフル殿はわたくしどもにとって重要なおかたでいらっしゃいます。それも、単にブリエスカからお迎えした留学生だということ以上に、でございます》」

「《重要》……」

 話が読めない。「重要」とは、あまりにも抽象的で、多面的な言葉だった。「利用価値が高い」とか「存在そのものに意味がある」とか、逆に「致命的である」などといったことも考えられる。

 後者であれば、シフルは宮殿の「敵」にあたるということであり、それなら《五星》女官たちの敵意も理解できるのだが。

「《ですから、このお部屋も、可能な限り皇女殿下ご夫妻の御居室に近いお部屋を準備いたしました。また、お部屋の設備は、メルシフル殿にご満足いただけるよう、特別にしつらえさせております。他の留学生のかたがたの居室と比べても、その差はおわかりいただけると存じます》」

《留学生のかたがたにそれぞれ役割がある以上は、まったく平等な待遇というわけにもまいりませんので》とツォエルは補った。

「《オレの》……《役割》? 《単に夫妻の話し相手を務めるだけじゃなく》?」

「《さようでございます。すでにお察しかと存じますが、皇女殿下ご夫妻の話し相手というのは、表向きのこと。肝要なのは、アグラ宮殿の、いえ、我らがマキナ皇家の守護者としての役割のほうでございます。

 すなわち、ブリエスカのかたがたのうち、もっとも嘱目された精霊使いにして守護者、それがメルシフル・ダナン殿——あなたなのです》」

「《オレが》……」

 ——マキナ皇家の守護者。

(また、『皇宮警護』とはえらく語感がちがうな)

 シフルは心中苦笑いする。学院で留学生募集が発表された当初と、主旨としては変わっていない。ただ、一介の護衛だと思っていたのが、実は護衛隊長だったというようなちがいか。それに、精神論的な要素も加わってきた。

(これは、落としどころがあるな)

 と、シフルはとっさに思った。最終的に「落とす」ために、持ちあげている。

「《メルシフル殿の力——『禁じられた第六の元素』は、大陸において比類なき、偉大なる精霊の力》」

 ツォエルは続けた。「《我らがマキナ皇家、ひいてはラージャスタンの守護者として、これほどふさわしいかたがおられましょうか》」

「《そんなことはないです》」

 シフルは切り返す。「《確かに、空の妖精の力は大きい。でも、オレは力の扱いかたを知らないし、ラージャスタンの守護者だなんて大仰な言いかた、似つかわしくありません》」

 だいたい、プリエスカ人のシフルが《ラージャスタンの守護者》というのは、ちょっとおかしくはないか。口には出せなかったが、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。

「《メルシフル殿がどのようにお考えかは、わたくしには憶測するほかございませんが——わたくしどもにとって、精霊の力とは、ただそれだけで大いなるものです。ゆえに、メルシフル殿は『禁じられた第六の元素』をお望みのまま駆使することができる、その時点で我らがラージャスタンにとって唯一無二の守護者であられる。ご自分を卑下なさいますな》」

「《そうでしょうか》」

 ツォエルやラージャスタンに対する警戒心と、自分の「力」に対する不信。ふたつがないまぜになり、頭が混乱してきた。何の話をしていたのだったか。どうして、こうなったのだったか? 気づけば、ツォエルに付き添ってきたファンルー、キサーラ、それにメアニーまで、何やら笑みを浮かべている。見る者に安堵を与える笑み。

「《お話ししたいのは、それでございます。メルシフル殿》」

 ツォエルはようやく本題に入ったようだった。先ほど、さっさと本題に入るように要求したのは少年のほうで、ツォエルも了解したはずだったのに、結局ツォエルは自らが望むようにことを進めている。

「《わたくしどもはメルシフル殿に、ラージャスタンの守護者として、我らがアグラ宮殿を治めていただきたく存じます》」

 と、ツォエルは告げた——「《ですが、メルシフル殿は今のところ、心おきなく力を振るうことができていない、とお見受けいたします。心おきなく力をお使いにならない、ということは、ラージャスタンの守護者としての力を発揮なさらないということ。すなわち、失礼ながら、守護者として力不足であるということです。それでは、メルシフル殿を強いてお招きした甲斐もなく、皇帝陛下もさぞや失望されることでしょう。それは、わたくしどもにとって本意でない事態でございますし、ラージャスタンで何かを身につけようというメルシフル殿自身をも阻害する事態なのではありますまいか。

 ——メルシフル殿には、力を使うのに躊躇する理由がおありのことと存じます。わたくしは、その理由を除き、メルシフル殿にとっても、わたくしども宮殿にとっても本意に適うよう努めたいのです》」

「……」

「《——常に、妖精を、メルシフル殿のおそばにおいてくださいませ》」

「!」

 シフルははっとして顔をあげた。それか。

「《妖精たるもの、いくら元素精霊長とはいえ、メルシフル殿には必ずや服従することと存じます。メルシフル殿は、力を使うのに躊躇されますが、妖精にとってもっとも重要なのは、付き従う主を守護すること。そこでメルシフル殿には、常にくうの妖精を実体化しておそばにおき、メルシフル殿が躊躇されるより早く、妖精がとるべき行動をとれるようにしていただきたいのです。それは、ひいては我らがラージャスタンとアグラ宮殿を守護することにもつながるでしょう。

 それこそ、我らが皇帝陛下の本意であり、わたくしどもの本意であり、メルシフル殿が大いに力を発揮されることは、メルシフル殿が理性で自制されているよりもいっそう深層の部分にある、メルシフル殿の本意ではないかと拝察いたします》」

「《何より——》」

 と、メアニーが言葉を継いだ。「《——常に妖精がメルシフルさまのそばに侍るようになれば、皇帝陛下や皇女殿下をお守りする炎が、そのつど破られることもないのです》」

 ツォエルは視線で少女女官を牽制したが、しかしメアニーは《おわかりにならないのですから、申しあげるしかないではありませんか》と言った。

「……《すいません》……《不注意でとんでもないことを》」

 シフルはうつむき、顔を上げられなくなった。

 それは、本来ならとっくに重罪人として逮捕されていてもおかしくないほどの重大事だろう。しかし、この宮殿内の留学生の立場の大きさから特別に許され、こうして特別な措置を提示されている。

「《メルシフル殿。誰しも、知らずに過ちを犯すことはございます》」

 ツォエルはそうやさしく話しかける。

「《わたくしどもとしては、そういった実情をメルシフル殿にお知らせするつもりはなかったのですが——、メアニー》」

 その声が、急に冷えた。「《おまえは、このかたがラージャスタンにとってどれほど大切なかたなのか、わかっていないのか》」

「《ツォエル姉さま》」

 メアニーが息を呑んだのがわかった。

(あれっ?)

 シフルはようやく頭をもちあげ、少女女官と、それに《五星》筆頭たる女官を見た。

 すでに、その場にある敵意はメアニーに向けられていた。メアニーはファンルーに叱られているとき以上に縮こまり、ツォエルにファンルー、それにキサーラまでもが冷ややかな眼を据えている。

(んん……?)

 シフルは困惑した。話の軸がぶれている。それとも、最初から彼女らの軸はそこにあったのか? 彼女らとしては、結界がたびたび破られている点ではなく、シフルが実力を出しきれていない点に懸念を感じているのであって、シフルを責めることが主眼というわけではないのか? それを、メアニーが自分の仕事の都合で、話をずらしたということになるのか。

(いや、でも)

 ——悪いのは、オレだ。

「《あの、メアニーさんを責めないでください》!」

 シフルはツォエルの「蛇」の眼をさえぎるように、メアニーの前に立ちはだかる。「《メアニーさんが怒るのも当然です。ツォエルさんたちは別のことでお怒りなのかもしれないですけど、オレが彼女の邪魔をしたのは明らかなんですから》」

「《メルシフル殿はお優しい》」

 と、ツォエルは返した。「《このアグラ宮殿において奉仕申しあげる女官が、我らが皇家の大切なお客人であるメルシフル殿を、たかだか自分の仕事の都合如何で罵るなど、許されるべくもない所業でございます》」

「《それなら、オレが許します》!」

 少年は強いまなざしをツォエルに向けた。「《あなただって、この宮殿で奉仕する女官でしょう。『大切な客』であるオレが許すといっているのに、このうえ裁く権利なんて、あなたにあるんですか》?」

「《メルシフル殿》」

 責める側にいた三人の女官は、虚を突かれた顔をする。少年の背後にいるメアニーが、そっと彼の手に触れてきた。シフルはその手を握り返すと、

「《メアニーさん、オレ、これからはあなたの仕事の邪魔をしないようにします。ラーガをいつも実体化しておけば、あなたの結界を壊すことはないんですよね》」

 それから、他の女官に向き直り、

「《で、ラーガの力をちゃんと使って、宮殿の警護に全力を尽くせば、あなたがたの望みにも適う。——それで、いいんですよね?》」

「《シフルさま》」

 少年は少女女官の手を離した。

 そして、スーニャの妖精の名を呼ぶ。クーヴェル・ラーガ、と真名を念ずると、ややあってラーガが淡い光をまとって姿を見せた。夜が支配するこの部屋で、ラーガは光だった。

 シフルはラーガを見据え、

「ラーガ、これからはいつもオレの横にいてくれないか」

 と、頼んだ。「オレの力が足りないばっかりに、窮屈な思いをさせる。……ごめん」

 妖精は何もいわず、ただ四人の女官を順々に一瞥した。メアニーが結界の召喚士だと気づいたのだろう、彼女に目をとめた。メアニーの眼に、警戒の色がともった。

「ラーガ、ラージャ語は?」

 シフルは尋ねる。

「いや」

 妖精の濃青の瞳に、少年が映る。少年はわずかに目を細めた。

「《じゃあ、すみませんけど、彼とはブリエスカ語で話させてもらいます。それだけは許してもらえますか。皇家のかたがいる場所では話さないようにしますから》」

 女官たちは《承知いたしました》と腰を折る。

「《メルシフル・ダナン殿の今後のご活躍を期待申しあげております》」

 最後に、ツォエルはそう告げた。「《そして、我らが皇帝陛下におかれましても、さようにお考えであること、どうかお忘れになりませんよう》」

 そうして女官たちは去った。

 あとにメアニーだけが残り、ラーガに《寝台などご入用のものがありましたら》と訊いた。本当にラージャ語はわからないようで、シフルが通訳してやると、ラーガは「何もいらない」と答えて、さっさとメアニーを追い払った。

 メアニーが出ていき、シフルはようやく人心地ついた。

「本当にごめん、ラーガ」

 謝りながら、少年はベッドに身を投げる。シフルのために特別にしつらえられたというベッドは相変わらずとてつもない寝心地で、やわらかすぎて却ってからだに悪そうだった。「……何の相談もしないで、こんなことになって」

「ここに入るたび、結界の術者に察知されていたのは知っている。だから、いずれこうなることはわかっていた」

 だからいい、とラーガは短く答える。こうしたほうが、確実におまえを守れる、とも。

(守ってなんか、もらいたくない)

 ——自分の身は自分で守るのが、本当なんだ。

 少年は、その言葉を口にしかけて、飲みこんだ。今さら、そんな身のほど知らずなことは言えない。自分はセージと一緒に留学したいばかりに、不相応な力を駆使してカウニッツを追い落としたではないか。最初から、力不足はわかっていたのだ。

(しょうがない)

 シフルはなんとか自分を納得させようとする。(しょうがないんだ)

 ラーガが怒らないのが、いっそう自分のばかさかげんを明らかにするようで、少年には堪えた。

「ひとりでは広すぎる部屋だな」

 偉大なるスーニャの妖精は、居室を見回して言った。「感謝するんだな。俺のおかげでさみしくなくなるだろう」

 彼の軽口に、少年は少しだけ頬をゆるめた。



  *  *  *



〈——親愛なる友人 シフルとセージへ



 シフル、セージ、元気にしていますか。

 こちらもいちおう元気にやっています。さっそくこんな手紙を書いていること、笑われそうな気もするけど、カウニッツとそういう話になってしまった以上、ともかく書きます。

 少し前にまた昇級試験がありました。俺はなんとか残留できました。それはよかったけど、アマンダが脱落してしまい、彼女に代わって昇級してきたのがカウニッツでした。最近はカウニッツとつるんでいることが多いですが、なかなかいいやつです。メイシュナーが彼に懐いていたのもよくわかります。

 ああ、困った。もう書くことがありません。シフルとセージは、ラージャスタンで目新しいことがたくさんあるのでしょうが、こちらは変わり映えしない生活の続きで、しかも新学期は始まったばかりです。つい二週間前までは二人もまだプリエスカにいたんだし、相変わらずの生活を送るこちらが話題に困るのもむりはないでしょう。笑って許してください。

 変わり映えといえば、ひとつ変わったこともありました。それは、新学期が始まって以来、学院の雰囲気がなんだかあわただしくなったことです。シフルとセージ、それにアマンダもそばにおらず、俺のまわりは静かな気がするのに、俺とは関係のないところで忙しなく動いているものがあるというのは、どうも不思議な感じです。具体的には、前以上に自習が増えたとか、オフィスアワーにも教授たちがつかまらないとか、そういったところです。

 とはいっても、教授たちが忙しいのは前からのことだし、やはり変わり映えしない日常なのかもしれません。二人はこちらのことは気にせず、ラージャスタンでの勉強に集中してください。もし本当に何か変わったことがあったら、便箋を埋める種に困らなくていいんだけど。あ、そうそう、自習の時間にはクラスのみんなと自主的な研究会を開いています。これは、ただ講義に出席するよりも勉強になっている気がして、けっこうおもしろいです。

 とりあえず、今日はこのへんで。また、カウニッツが手紙を書こうとか言いだしたら、書きます。

 ちなみに、カウニッツの手紙もこの手紙と一緒にカリーナ助教授に渡します。もし、この手紙だけが届いて、カウニッツの手紙が事故にでも遭うようなことがあったら、メイシュナーにひと言いってあげてください。カウニッツが何を書くかはわからないけど、きっといいことを書いてあげるんだと思うし、メイシュナーはたぶんすごく喜ぶだろうから。

 それでは、お元気で。二人ともがんばってください。俺もがんばります。



 今はシフル以外のやつが同室になった部屋で、ユリシーズ・ペレドゥイ

 王国暦一三五年 第一のサライの月二十日——〉



 女は、折り跡のついた便箋を机の上に放った。

 便せんは一枚きり、決してきれいとはいえない、少年らしい筆跡で書かれている。とはいえ、ありのままのその少年が書き、特定の個人二名に宛てた信書であって、それを見る女は手紙の受取人ではない。封を開ける権利はおろか、中身を吟味する権利などあろうはずもないのに、彼女には少年たちのやりとりに介入する責務があった。

 さらに、女の手にはもう一通の手紙もある。女は、そちらもペーパーナイフで封を切り、文面を黙読した。こちらの差出人はエルン・カウニッツ、留学生選抜試験に不合格となったうえBクラスに脱落したものの、前回の昇級試験で再びAクラスに上がった学生である。

 少年らしくなげやりな部分も多いユリシーズ・ペレドゥイの文面とちがい、エルン・カウニッツからニカ・メイシュナーに宛てた手紙は、終始、友人を思う気持ちにあふれていた。心から友人を案じた忠告や、Aクラスにまた上がることができたという報告、ペレドゥイに同じく学院の状況報告。が、ペレドゥイよりもはるかに克明な描写であり、これを読めば学院の空気が正確に伝わることは疑いなかった。

 ——それでは、困るのだ。

 女は、ペン先を赤いインクにひたすと、無造作にカウニッツの文面に赤を入れていった。ペレドゥイの手紙も、「不要な箇所」を削除したうえで文脈を整える。ただし、あまり整えすぎないように、いかにも未熟な気配を残したままで、あたかも本人がそう書いたかのように。

 あのとき、次のラージャスタン行きの汽車で、手紙を留学中の彼らに送る、と女は言った。

「嘘はついてないわよ、嘘は」

 そして今、女は誰もいない部屋でひとりごちる。

 手紙はラージャスタンにいる受取人のもとへ運ばれるだろう。ただし、内容はこのとおり検閲済みで、修正済みというだけのこと。しかし、受取人がそれに気づくことはほぼないだろう。女によって修正された文面は、これから筆跡を模倣する職人によって、本人の書いたものらしく清書されたうえ、ラージャスタンへと発送される。

(これは仕方のないこと)

 それでも、友情を伝えるのには充分な内容だ。学生たちの目的は達成される。(許してね)

 ——いえ、そうじゃない、

(許さないでね)

 だ。

(許さないで、どうか終わらせて。……何もできない者の代わりに)

 まだ、始まってもいない自分たちの罪。その許しを乞う気分は、不毛そのものだった。

 女の名は、カリーナ・ボルジア。理学院召喚学部助教授にして、プリエスカ元素精霊教会所属の二級召喚士たる人物である。

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