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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第二部 ラージャスタン・アグラ宮殿編
81/105

第9話 脅迫(3)

 少年たちは、元いた《赤の庭》に下ろされた。

「シフル! オースティン」

「《オースティンさま! ご無事で》」

 いつもより多く灯されたランプのなか、セージと女官たちが駆けてくる。

 彼女たちの背後には、衛兵がものものしく居並び、すでに事態が大事になっていることがわかった。

「大丈夫だった? オースティンに横暴なことされなかった? あ、それはもうされたか……もっとひどいことは?」

 やはり、彼女の声は、あの声とはまったくちがう。

 あの暗闇のなかで響く女の声は魅惑的でありながら恐ろしく、一方、セージが自分を案じてくれる声はどこまでも懐かしかった。

「《ムストフ・ビラーディ(婿殿)、いったい何が!》」

「《オースティンさまがシフルさまの妖精に躍りかかったとセージさまはおっしゃっていますけど、本当なんですか?》」

「《なぜそんな危険なことを!》」

 むこうでは、ファンルーをはじめとする《五星》の女官たちが、皇女婿に詰め寄っている。

「《聞け》」

 少年公子の一声は、その場にいる女たちを黙らせるのに十分だった。

「《今回のことは、僕がシフルを巻きこんだものだ》」

 皇女婿ははっきりと宣言する。「《皇女マーリの名において、留学生メルシフル・ダナンへの責任追及を禁ずる》」

(さっきの話、ちゃんと覚えてたのか)

 意外と律儀なところもあるらしい。

「《ですがムストフ・ビラーディ(婿殿)、現にあの妖精はメルシフルさまの……》」

「《ファンルー・イーリ、おまえに皇女の名に抗う気概があるのか?》」

「《いえ、そのような……》」

 言いよどんだファンルーに代わり、前に出たのはメアニーだ。

「《だめです》」

 少女女官は言う。「《皇女殿下のお名前があろうとなかろうと、宮殿にとってこれほど重大な問題を、なかったことにはできません。それじゃ、姫さまのお名前ひとつでラージャスタンは滅びることになるじゃないですか?》」

「《メアニー! 口を慎みなさい》」

「《本当のことです、ファンルーさま。そんなこと、あってはならないんですよ。シフルさまをこれ以上野放しにするわけにはいきません》」

(野放し……)

 メアニーの中では、シフルはすっかり重罪人らしい。

 事実からいえばそのとおりとはいえ、少年は肩を落とした。ルッツとドロテーアが汽車でケンカを始めたときに恐れていた事態。自分の不注意で陥ってみると、もうどうにでもなれという気分だった。

 これだけの騒ぎになった以上、どういいわけしたところで墓穴を掘るだけだ。

「《さあ早く、シフルさまを捕らえて》」

「《——待って頂戴》」

 制したのは、シータのような少女——皇女マーリ。

 以前セージがラージャスタンに迷いこんだときに見かけたそのままの姿で、兵士たちのうしろから近づいてきた。

「《メアニー、これだけは言わせて》」

 そう言って、皇女はシフルのほうを向く。そして微笑み、

「《うれしいわ、メルシフル。旦那さまと仲よくしてくださって》」

「へっ?」

 思わず、シフルはプリエスカ語でつぶやく。場の空気に反したひと言に、その場にいる全員が固まった。

「《姫さまッ?》」

「《旦那さまがすっかり元気になられて、お友達をかばうのにわたくしの名をお使いになったのよ。何もかもメルシフルのおかげね。ありがとう。ところで、わたくしもシフルとお呼びしてもいいかしら? わたくしのことはマーリと呼んでくださいな》」

「《いや、あの》」

 予想外の言葉に、シフルはしどろもどろになる。

「《姫さま!》」

「《わかっています》」

 声を荒げるメアニーに、皇女は笑みを消した。「《けれどシフルは学生で、旦那さまとわたくしのお友達。お友達として、ここにお呼びしたかた》」

 次期皇太女たる少女は言う。

「《わたくしは、シフルを信じます》」

 と。

「《それから、セージのことも。シフルをかばうオースティンさまのことも。メアニーも、わかってくれるとうれしいのだけれど》」

 少女が言葉を切ると、沈黙がその場を支配した。

 この場で比較的自由でいられるのは、生まれながらの権力者たる皇女と婿の二人だけだ。

 そして、その二人の自由に誰よりも縛られるのは、今この場をとりしきっている女官たちなのである。しばしの沈黙ののち、ファンルーは《わかりました》と答えた。

「《今後、メルシフルさまはご自重くださいませ。むろんムストフ・ビラーディもです。妖精の件については、いずれ改めて処断させていただきます。それでよろしいですか、皇女殿下》」

《いいわ》と彼女は軽やかに答えた。ファンルーは安堵の息をつく。その場にいるほとんどの者が、同じ気分を共有していた。相変わらず敵意をみなぎらせているメアニーを除いて。

「《シフル、これに懲りずに、これからも旦那さまと仲よくしてさしあげてくださいな》」

 マーリはもはやメアニーを意に介さなかった。「《今度、わたくしともゆっくりお話ししましょうね》」

 そうして皇女夫妻と女官たち、数多の衛兵たちは引き揚げていった。《赤の庭》はわずかな灯火だけを残し、もとの静寂に包まれた。

「ねえ、シフル」

 セージが言いかけたとたん、少年は崩れ落ちた。「……シフル!」

 少年はその場で丸くなり、長い息を吐く。

 時姫ときのひめの過去と英雄の死の謎、オースティンの問い。それに、アグラ宮殿での自分の生活のこと。いろいろなことが頭の中を駆けめぐり、破裂しそうだ。

「シフル、大丈夫?」

 うん、と答えようとしたとき、頭の奥が痛みを訴えてきた。

「……頭、痛い……治ったと思ったんだけど」

「まだ本調子じゃないんだよ。まったくオースティンときたら……立てる? シ——」

 心配げな声は、ふいに途切れた。

 引きこまれるような眠りとうつつの狭間で、熱風のごとく渦巻く言葉。

 そして、目の奥でちらちらと光る、白い手。……



  *  *  *



「すみません、みなさん、今日も自習です! 解散してください」

 授業の開始時間が過ぎてしばらく、Aクラス教室内に倦怠感が漂いはじめたころ、ヤスル教授の助手が教室に飛びこんできた。

 ユリスもまた、あくびを噛みしめていたところだった。もはや「またかよ」とぼやく気にもなれない。ただ黙って立ちあがり、ほかの生徒たちとともに教室を出ていく。

(最近、ほんッと自習ばっかだよなあ、ヤスル教授)

 ユリスは廊下で肩を鳴らした。(召喚学部Aクラスのメイン授業がこんなじゃ、そろそろ親どもが騒ぎだすんじゃ? いくら王立で授業料安いっていっても、いろいろ入れたらばかにならない金がかかってるんだし……)

 何より、もともと早く帰れとしつこかった自分の親が恐ろしく、ユリスは苦々しく頬を歪める。Aクラスに安定して在籍できるようになって以降は、文句をいわれる頻度は落ちていたものの、ごく一般の中級役人の家庭であるペレドゥイ家にとってユリスは金食い虫も同然であり、状況は常に逼迫していた。

「やっぱり今日も、だな」

 うしろからカウニッツが追いついてきた。彼も、学院生の平均年齢をはるかに上まわる二十二歳で理学院に居座っているため、家庭内の風当たりは厳しいらしい。

「まったく、何しに寮でまで暮らしてるのかわかんねーよな」

「本当に。ヤスル教授が忙しいなら、代理の教授が出てくれればいいんだけどね」

「ま、言ってもしょうがない」

 ユリスはカウニッツを見る。「今日も図書館行こうぜ。他のやつらもどうせ図書館だし」

「ああ、そうだな」

「おーい、カウニッツさん! ペレドゥイ!」

 同じAクラスの男子学生が、廊下のむこうで手を振っている。「図書館行く?」

「おお」

「じゃ、何人か声かけてくる。先行って、談話室とっといてよ」

「了ー解」

 ユリスとカウニッツは答えて、図書館へ歩いていった。声をかけてきた男子学生は、一緒に自習したいやつ集まれー、と声を張りあげている。

 このところ、ヤスル教授の「精霊召喚学における理論と実践」のあまりの自習の多さに業を煮やした学生たちは、自主的に集まって勉強会をひらくようになった。中心になっているのは、もちろん年長者で人望のあるカウニッツであり、その日その日で「今日はアイン」「今日は四大精霊」などとテーマを決めて各々調査し、議論したり情報交換したり、はたまた広場に出て実践を試みたりする。

 ヤスル教授の授業が自習率百パーセントになった当初こそ、怠け心から喜びもした学生たちだったが、《王さまの学校》ともいわれる理学院召喚学部の最高峰であるだけに、それなりの意欲と自主性は持ちあわせているのだった。

(むしろ、こうなってからのほうが、勉強の範囲がひろがった)

 と、ユリスは考える。(ヤスル教授、いつも同じ講義くりかえすだけだし、実践も同じコツくりかえして放っとくだけだもんな。その点、自分たちでテーマを決めて調べてけば、やること制限されることもない。ただ、正しいこと勉強してるって確信がないのは怖いけど)

 だが、正しさとは、最終的には自分の判断なのだろう。これまでは放っておいても与えられたから深く考えないでよかったが、今後は誰も手とり足とり教えてはくれない。ばかになるも、気ちがいになるも、研究者になるも勉強家になるも、自分の責任ということだ。

(でも、おもしろさも、やりがいも、ある)

 実をいえばユリスは、理学院召喚学部に入ってから、今がいちばん楽しく充実していた。そのためにいっそう、ヤスル教授の義務放棄を親が騒いで、退学させられるのはいやだった。

(今度、一回カウニッツ誘って直談判してみっか? 少しは授業するか、せめて代理をよこしてくださいヤスル教授、って。でもムダだろうなー、どう考えても。あのヤスル教授だしなー)

 二人は図書館棟に入った。カウンターで女性司書が顔をあげる。

「また自習?」

 談話室の使用状況表を出してくれる。このところしょっちゅうなので、顔を覚えられていた。

「はい」

「がんばってね。あまり大声でやりあわないようにね」

「はい」

 うなずいて、談話室へ足をむけると、

「おや」

 カウニッツが立ち止まった。

「何だよ」

「あの子、ユリスの友達の」

「!」

 ユリスは思わず自分の口を両手でふさいだ。

 司書のいるカウンターの隅、貸出カードの収納棚の前に、遠目に見ても大変かわいい女の子がいる。ふわふわの金髪は、前はよく頭の上でふたつに結んでいたのだが、最近みかけるとまずおろしていた。

 ——アマンダ。

「彼女、Bクラスだろう? あっちはカリーナ助教授だから、あまり自習にはならないよな。助教授はまじめな教育者だから」

 つまり、本来、アマンダは授業中であるはずだった。

「サボリかな?」

「さあ」

「彼女、頭痛がするっていってたわよ」

 声をひそめて話していると、司書が口を挿んできた。「Bクラスは召喚実習らしいんだけどね。頭痛いとやりにくいから、休むって。サボリかもしれないけど、私がとやかくいうことじゃないし」

 ユリスとカウニッツは、ついついアマンダを観察した。ユリスとしては久々にみかける彼女だったし、カウニッツも気になるらしい。

 アマンダは貸出カードを探しているようだった。カードはクラスごとに引き出しに収納されているので、そのなかから自分のカードをみつけ、書名などを記入して本を借りるのである。

「彼女が見てるの、Bクラスの引き出しじゃないな」

 と、カウニッツが言った。

「え?」

「Bクラスは上段の左から二番めと三番め。あれは……」

 アマンダが一枚一枚カードをめくっているのは、最下段のいちばん右の引き出しだ。召喚学部の棚で、いちばん最後に位置づけられた引き出しというと、初級エレメンタリークラスか、それとも——

「籍は残ってるけど、いま在学していない学生の引き出しだと思う」

「というと?」

「退学者で、まだ手続きが終わっていない学生とか、停学者とか。一時的にあそこに入れておくんだ」

 留学生なんかもあそこじゃないか? と、友人はつぶやく。ユリスはようやくカウニッツの言わんとしていることを理解した。

 そのとき、アマンダの顔が少しうごいて、明るい水色の瞳が、ほんの一瞬ユリスにとまった。ユリスがあッと思ったとき、彼女は静かに踵を返して、足早にどこかへ行ってしまう。

 アマンダの姿が完全に見えなくなってから、ユリスは彼女の見ていたと思われる引き出しをひっぱりだした。一枚一枚、貸出カードをめくって名前を確認すると、いちばん奥のほうに想像していたとおりの人物——つまり、ルッツ・ドロテーア、ニカ・メイシュナー、セージ・ロズウェル、それにメルシフル・ダナンのカードがあった。

「シフルかセージのを見てたってこと……か? なんで?」

「さあ」

 シフルかセージ、といいながら、ユリスはシフルのものしか見ていなかった。彼女が見るのならそれしかない気がした。

 シフルは在学期間が短かったのもあり、貸出カードはまだ一枚めだった。多少は本を借りているが、読書家というほどの量でもない。

「ん?」

「どうした? 何かおもしろい本でもあったかい」

 何冊か借りられているうちの四冊が、ユリスの目に入った。

 タイトルは『精霊王に関する考察』。全四巻である。

(精霊……王? 精霊の王?)

「何だこれ?」

 ユリスは首を傾げた。「知ってるか? カウニッツ。『精霊王』っての」

「『精霊王』? ……いや」

「シフルのやつ、なんでこんな本。カウニッツが聞いたことないってことは、……異端じゃ?」

「うーん、どうだろう」

 カウニッツは考えこんだが、思いあたるふしはないようだった。「それなら、実物を見てみようか? みんなが来るまで」

 二人はシフルの貸出カードにあった請求番号を覚え、受付で請求した。司書は閉架式書庫を探しにいく。しばらくして戻ってきたが、その手に本はなかった。

「変なのよ」

 と、司書。「貸出手続きした覚えはないんだけど、本がないの。四冊とも」

「四冊とも……ですか?」

 ユリスとカウニッツは顔を見合わせる。もちろん、先ほどアマンダを目撃したぐらいでは、その本に何があったかを決めつけることはできない。けれど、先ほどまで彼女がシフルの貸出カードを見ていて、そこに載っていた怪しげな本の行方が知れないというのは、いったいどういうことなのか。

 ちょうどそのとき、Aクラスの仲間たちが続々と図書館に入ってきた。

「カウニッツさん! ペレドゥイ! みんな集めたぞ」

「おー、じゃあ始めるか」

 ユリスは仲間たちに合流する。「今日のテーマは?」

「俺が提案しようか」

 と、カウニッツ。「今日のテーマは、精霊の階級について、ってどうかな?」

 学生たちはみな、なるほどな、そりゃ重要なテーマだよな、と口々にいう。カウニッツを見ると、彼ははっきりと目配せしてきた。仲間を使って問題の本を探させようというのだ。また、本じたいは発見できなくても、その《精霊王》なるものにつらなる何かがみつかるかもしれない。

(アマンダ、大丈夫なのか? ……いったい、どうしたんだ?)

 そう思うことも、思いあがりなのだろうか——と思いながら、ユリスはカウニッツとともに書架の森へ分け入っていった。

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