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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
7/105

第2話 好敵手(3)

(前言撤回だ)

 シフルは模擬剣をかまえた。(全然、普通じゃない。あいつは普通じゃない。傲岸不遜にもほどがある……!)

「はじめ!」

 剣術の教師が合図すると同時に、少年は踏みだした。

 刃のない授業用の模擬剣を持って、彼に対するはペレドゥイ。先刻の一件いらい少年の目がすわっているので、人のいい彼はすっかり怖じ気づいていた。シフルの踏みこみに、ペレドゥイはとっさに一歩退き、突きだされた剣を自分の剣で受ける。

「なあ、ダナン、悪いことは言わないから、あいつライバル視するのはやめとけよ」

 黙々と攻撃を繰りだすシフル、防戦一方で説得を試みるペレドゥイ。たかだか体育の授業だというのに、彼ら二人の周囲だけが不穏な空気を帯びている。

「俺、Aにあがったのは初めてだけど、学院生活長いからいろんな話聞いてるんだよ。これまであいつに挑戦したのはダナンだけじゃない……うあッ、手かげんしてくれよ、おい?」

 情け容赦ない一撃が、ペレドゥイの腕をかすめる。が、ペレドゥイは器用にかわし、そのまま反対の胴を狙ってきた攻撃者の剣をも跳ね返した。先ほどから頭に血がのぼっているシフルの太刀筋は非常に明快で、逃げ腰のペレドゥイでも受け流すことができた。

「あいつ負かそうとして、何人も退学してる。自信失くしちまうって話」

「知ってるよ、そんなの」

 昏い眼のシフルが答えた。「それよりも、だ。あれはまちがいなくオレへの挑戦、そうだよな? ——よし、来い、ロズウェル! 受けてたってやるッ!」

 シフルは怒鳴り、模擬剣を力いっぱい目の前のペレドゥイに振り下ろす。

「うわーッ、ちょっ待てっ、ダナン!」

 突如生じた対立の火の粉を浴びるはめになり、ペレドゥイは悲痛な声をあげた。

 が、今にも打ちすえられようとしたそのとき、カン、という音とともに、シフルの模擬剣が体育室の中央へ飛んでいった。予想外の横槍に、九死に一生を得たペレドゥイも、目を覚まされたシフルも、呆然とその人物をみつめる。

 セージ・ロズウェルの姿がそこにあった。

「見苦しいな。メルシフル・ダナン」

 ——ここで会ったが百年め!

「勝負だ! セージ・ロズウェル」

 シフルは、ペレドゥイと自分とのあいだに立った人物、他でもない元凶——ロズウェルにむかって言い放った。彼女は学院指定の体操着を身に着け、木製の模擬剣を片手にさっそうとたたずんでいる。

「それでダナンの気がすむのなら」

「すまないね!」

 シフルは即答した。「オレはあんたを追ってAクラスに入った。この数ヶ月、全部そのために費したんだ。それが、たった一回の試合で終わりだなんて、絶対許さない」

 昼休みの初対面の際、歯に衣着せることなくずけずけと言われただけに、シフルのほうも遠慮しない。

「毎日、毎時間がすべて勝負だ」

「なんとまあ、あつかましい要求だな」

 彼女は漆黒の瞳をさもおかしげに細める。「頼むから、期待を裏切らないでくれよ。満点入学、最短期間のAクラス入り、ビンガム市長のお坊ちゃんの……メルシフル・ダナン」

 ロズウェルのひと言に、それぞれ剣試合を行っていた学生たちがいっせいに振り返った。複雑な感情が、新入りの少年に注がれる。満点入学だけでも学院史上そうないというのに、それ以上に価値のある最短期間でのAクラス入りと、切れ者政治家の息子という身分まで揃っているのだ。

「親父は関係ない」

 シフルは吐き捨てた。前者ふたつの話が知れ渡るのは時間の問題だったから、かまわない。だが、その点に関しては聞き流せなかった。

「そうかな。ダナンにとってどうであれ、他はそうもいかないだろう」

 ロズウェルはそれだけつぶやくと、おもむろに模擬剣をかまえる。

 シフルもかまえの姿勢をとったが、釈然としなかった。いくら父がビンガム市の市長で、休戦協定以前の緊張時代の活躍から根強い人気があるといっても、自分にはまるっきり無関係だ。だいたい、召喚学部への進学は父の意向に反している。

「最初の勝負だ。セージ・ロズウェル」

 今の言葉、訂正させてやる——。シフルは自らが研ぎ澄まされていくのを感じた。徐々に頭が冴えていく。こういう状態で試験に臨んだとき、シフルは失敗を知らない。

「お、おい、ふたりとも」

 場から弾きだされたペレドゥイが、おろおろと制止する。が、止めようとしているのは彼ひとりだ。他の同級生たちはみな、腕を組んだり少し離れたところに座ったりと見物を決めこむつもりで、手だしする気は毛頭ないらしい。シフルは教師の所在を確認すべく体育室を見渡した。幸い、たまたま席を外している。

「ダナン君、ロズウェルさん、がんばってー!」

 レパンズが華やいだ声をあげた。シフルはびしっと親指を立てて、意気ごみを表明する。

「ペレドゥイ、悪い、合図を頼む」

「わかったよ。ロズウェルも、本当にいいんだな?」

 ペレドゥイが嘆息気味に引き受けると、彼女もうなずいた。「じゃ、これが落ちたら試合開始ってことで」

 ペレドゥイは模擬剣を片手に掲げ、両者に示す。ふたりの視線が集まるのを待って、手を離した。

 シフルには、その動きがたいそう遅く見えた——それが地に落ちる瞬間まで。その瞬間のくる前に、シフルはロズウェルに向き直り、剣を持つ手に力をこめた。

 乾いた音が体育室に響きわたる。

 シフルは踏みだした。

 ロズウェルは動かない。受け身の体勢を保ったまま、勝ちにいくつもりか。

 ——ばかにしてる。

「真剣にやれよ!」

 シフルは激しく打ちこんだ。ロズウェルはさも当然のようにその一撃を受け流す。

「真剣になるには理由が要る」

 さらにシフルは模擬剣を振るったが、ロズウェルは余裕の体でかわしてしまう。「わかるな?」

「こっちに相応の実力が要るっていうんだろ!」

「そうだ」

 言うがはやいか、彼女は剣を斜めに一閃させた。防御はすんでのところで間に合ったが、鋭く力強い一打によって、剣を握るシフルのてのひらに痺れがはしった。

 思うように柄を握れずやきもきしている隙に、ロズウェルはもう駆けだしている。

「ダナン君!」

 レパンズが観衆のなかから警告した。ロズウェルの攻撃がくる、それはいやというほどわかっていたが、受けようにも指が笑っている。そうだ、避ければいいんじゃないか——ようやくそう判断して急いで顔をあげたとき、すでに勝負はついていた。

 頭に軽く触れてくる、冷たいもの。シフルは最初、それがいったい何なのか、理解することができなかった。

「勝者ロズウェル、だな」

 同級生の一人があっさりと宣言する。とたんに学生一同は大いに息をつき、好き勝手に感想を述べはじめた。

「なんだ、真正面から勝負挑むくらいだから、自信あるのかと思ったよ。とんだ期待外れだな」

「まったく。これじゃ、恥かくためにやったとしか」

「息子がこれじゃあ、リシュリュー・ダナンも気の毒にな」

 父親の名前が挙がったのには、シフルも思わず頬を熱くした。彼とて、こんな簡単に片がついてしまうとは想像していなかったのだ。試験前のような研ぎ澄まされた緊張状態を獲得した以上、ロズウェルが剣術をも得意とするとしても、勝つことだって不可能だとは思わなかった。少なくとも、今まではそうだった。

(あいつは今までの相手とはちがうってことだ)

 シフルはうつむき、自分に向けられた嘲りをやりすごした。人前での勝負にこういう屈辱はつきものだ。しかし、満点入学と最短期間でのAクラス入りに加え、リシュリュー・ダナンの息子としても知られるシフルに対するそれは、思っていたよりもずっと厳しかった。もしもシフルがそういった条件を備えていなければ、今ごろ彼らはよってたかって敗者たる少年を励ましたろうに。

 前者ふたつは悪くないことだから、妬まれても何ということはない。けれど、

(親父の息子ってのは、そんなにえらいことか)

 と、シフルは思う。いっそこの場でリシュリュー・ダナンの家庭生活でも暴露してやろうか。あるいは華麗なる女性遍歴でも。

(そうしたら、どうなるかな。今度は、それなら息子が弱くても納得、とか言われるか)

 シフルはだんまりを決めこんだ。するとロズウェルが、特に勝利を喜ぶそぶりもせず、無表情に剣を下ろした。

「ダナンは運動が得意ではなさそうだな」

「ああ、そうだよ」

 シフルは正直に答えた。「運動はからきしだね」

「はあ? じゃ、なんで剣術なんかで勝負申しこむんだよ」

 ペレドゥイが当然の疑問を唱えた。周囲の学生たちはといえば、すでにシフルから興味を失い、各々の試合に戻りつつある。シフルはまわりを見て、顔見知りのほか、彼自身に関心を抱いているらしい様子の若干名が残ったのを確認すると、ペレドゥイにむかって肩をすくめてみせた。

 そして、

「そりゃ、勝負の機会を逃す手はないだろ? それが何であれ」

 と、あっけらかんと言う。

 これにはペレドゥイもレパンズも、残った数少ない学生も、呆気にとられるしかなかった。勝つ見込みのない勝負など、持ちかけるものではない。勝負とは、勝てる算段があるからこそ持ちかけるもの。ところが目の前の新入りは、そういった鉄則を無視している。勝者の階段をひた走ってきたエリート集団にとって、シフルのとった行動はにわかには信じがたいものだった。

「だってほら、十に一ぐらいは勝つ可能性もあるじゃんか。なあ、ペレドゥイ」

「そりゃ、まあ……」

 ペレドゥイは言葉を濁す。十に一の勝利では、十に九は敗れ去らなければならないではないか。九回負けているうちに身も心もボロ布になりかねない。そうなったら、もはや勝負どころではない。

「ま、がんばれよ」

 大人びた雰囲気の学生が、シフルの肩を軽く叩いた。「ダナンががんばって、『ロズウェル体制』に風穴を空けてくれることを願ってる」

「おまえって、おもしろいヤツだなあ」

 続いてちぢれた赤毛の少年が、シフルの頭をぐりぐりと撫でていく。先ほど審判の真似をして、シフルの負けを宣言した学生だった。「それになんかカワイイしな。小さいねー、ダナン君」

「やめろよ、誰だよあんた」

 その学生は、身長と顔を指摘されて不機嫌になったシフルににんまりと笑ってみせ、さらに彼の神経を逆撫でしようとしているのか、模擬剣で自分の首を切る真似をした。シフルがあからさまに不快げな顔になったので、大人っぽい学生のほうがその学生を小突く。それから、二人揃って歩き去った。

 最後に残った学生は、シフルと目が合うとあでやかに微笑んだ。Aクラスにはロズウェルとレパンズしか女子が在籍しておらず、むろんその学生も男子なのだが、あでやか、という形容に相応しい顔かたちをしている。

 それに、瞳が金色だ。まるで猫のような。

「あのバカと同じことを言うのはうれしくないけれど、本当、君はおもしろいね」

 人間離れした美しい顔で、地の底から響く低い声で、少年はささやく。「もっとも、おもしろくなるかどうかわかるのはこれからだけど」

「どういう意味だよ」

 シフルが聞き返すと、彼は眉ひとつ動かさずに答える。

「君が精霊に愛される人間かどうか、ということだよ。いくらおもしろいからといって、無能な人間は相手にできないな」

 言い切って、少年もシフルを離れていった。

 シフルは目をみひらく。彼の言葉を反復した。

 ——オレが、精霊に愛される人間かどうか。……

「才能ある人間は、才能ある人間を見いだせる」

 かたわらで、ロズウェルがつぶやいた。

「本当に私をうち負かすつもりなら、まず今の三人を追い抜くことだよ。三人の名前は、エルン・カウニッツ、ニカ・メイシュナー、それに」

 最後の一人を、彼女はとりわけ強調した。「——ルッツ・ドロテーア」

 さりげなく褒められたような気がしつつも、そのときのシフルの脳裏には金の瞳をもつ少年の言葉がめぐっており、聞き流してしまった。

(オレは精霊に愛される人間なのか、あるいはそうでないのか)

 すでに、セージ・ロズウェルとの最初の勝負に惨敗を喫したことも忘却の彼方である。成績が優秀であるにもかかわらず、シフルの頭はひとつの事項しか許容できない単純構造なのだった。

(もしも愛されなかったら——)

 少年は、挫折した己の姿を思い描いてみる。

 精霊召喚の才がないとわかれば、きっとビンガムへ帰らねばならなくなるだろう。精霊召喚学に携わる者は、召喚士だろうが教会の司祭だろうが、はたまた机上での研究に終始しそうな学者でさえも、精霊召喚の才能に恵まれているべきなのだ。何といっても理学院関係者には、前のプリエスカ・ラージャスタン戦争時に並々ならぬ活躍ぶりを示した功績がある。

 よって、才能がなければ召喚学部に所属する意味はない。かといって、今さら父の意向に従って法学部に転部するつもりもない。まして、父のもとには帰るのはまっぴらごめんだ。

 ——負けられないことが、たくさんある。

 シフルは拳を握りこんだ。



  *



《彼女》は待っていた。

 海辺特有の塩からい風が吹きつける。《彼女》の長い髪が、風に弄ばれてうねった。が、《彼女》は身じろぎもしなかった。濃青の髪がその視界を埋め尽くしても、《彼女》のまなざしはただ一点のみに向けられている。

 階段——、およそ七百年前の学院創設以来、学業に勤しむ学生たちの憩いの場となりつづけている広場から、海辺の展望台へと至る階段。この場所を訪れる者はみな、そこを通らねばならない。《彼》とて例外ではなかった。《彼》は週に五回ほど展望台にやってくる。今はまだ新しい一ヶ月が始まったばかりだから、今日もおそらく来るだろう。

「待ちかねましたね」

《彼女》は誰もいない空間に語りかけた。「いよいよです。見ているだけというのは、つらいことなのですね。俺もひとつ学びましたよ」

 もっとも、それは何者かに強制されたのではなく、《彼女》らが自らの意志で課した掟だったのだけれど、よもや破る日がこようとは思わなかった。彼らは必要以上に我慢強くなりすぎていたし、何よりも《彼》の安穏な生活をすすんで壊すことなど考えられなかったのだ。——《彼》が、よりにもよって理学院召喚学部への編入を決めるまでは。

「血は争えないのですね」

《彼女》はつぶやき、静かに目を閉じた。耳もとで海風がうなりをあげている。しばらくのあいだ風に身を委ねていたが、やがて、長い睫毛に縁どられたまぶたをあげた。

「メルシフル」

《彼女》は、階段を昇ってくる人物に目をやった。「メルシフル・ダナン——」

 その人物は、《彼女》を見て明らかに驚いていた。大きな瞳をさらに大きくして、《彼女》の姿に見入っている。

 銀の髪、灰青の瞳、縁なし眼鏡、理学院召喚学部Aクラス生の校冠。まちがいない。《彼》だ。

 ——いや、まちがいようがない。この顔。いつも見守ってきた少年、あの人によく似た子供。

《彼女》は《彼》につかつかと歩み寄る。《彼》がとっさに退いたのにも、頓着しなかった。

「あんた、誰?」

 少年はいぶかしげに尋ねてきた。「なんでオレの名前知ってんだよ。……あんた、まさか、親父の——? どうしてこんなとこまで入りこんでる? 学院内はいかなる外部の干渉も受けないはずだ。あんたは不法侵入になる。それでも力づくでオレをビンガムに連れ戻すっていうなら、しかるべき対応をさせてもらうぜ? 学院が相手じゃ、さしもの親父も勝ち目なんかない」

《彼》の言葉が徐々に攻撃的になっていく。しかも流れるようにしゃべるので、なかなか口をはさめない。

「さあ、どうする?」

 ようやく、《彼》は《彼女》に答えを求めてきた。

「勘ちがいするな」

《彼女》は淡々と言った。「俺はリシュリュー・ダナンとは何の関係もない」

《彼女》の返事に、《彼》はあからさまに安堵していた。むりもない。メルシフルは長いあいだ父親に束縛されてきた。はっきりそうと知ったのは理学院入学を志してからだろうが、それまでにもある程度の閉塞感は覚えていたはずだ。現に、幼い日の《彼》がそれらしいことをつぶやいていたのを、《彼女》は記憶している。

「じゃあ、誰なんだよ」

 続いてメルシフルは、同じ問いをもう一度した。

《彼女》はまっすぐに少年を見て、そして告げる。

「俺は、おまえの母親の使いとしてやってきた者」

 少年の灰青の眼がみひらかれた。「おまえが望むならば、おまえに力を貸してやる。途方もなく強大な力、誰にも負けない力を——」

 風が、二人のあいだを駆け抜けていった。しきりに揺れる《彼》の銀の髪は、夕日の朱に染まっている。

 ——あの人がここにいても、きっと同じように赤くなるだろう。

 と、《彼女》は思った。赤く輝く太陽に照らされたあの人の髪は、どんなに美しいことか。

「……もうすぐです」

《彼女》はメルシフルに聞こえないよう、ささやいた。かすかな声はうなる潮風に呑みこまれて消え、困惑に彩られた少年の耳に届くことはなかった。

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