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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
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第2話 好敵手(1)

「メルシフル・ダナン、ユリシーズ・ペレドゥイ、アマンダ・レパンズ。立って」

 教壇からの呼びかけだった。昨日までBクラス生だった三人は、あわてて立ちあがる。

「この三名が新しくAクラスに入った。いろいろ教えてやってくれ」

 教師は手で着席を促すと、おもむろに自己紹介を始めた。彼はAクラス担当教諭、アルフォンソ・ヤスル——若くして総合精霊学の博士号を獲得し、そのさい運よく募集があって理学院教授陣に名をつらねるようになった、新進気鋭の学者である。研究者としては他に類をみないほど若く、多少才ばしった感のある人物だ。目尻の鋭さにそれがありありと表れている。

「まずは君たち三人のために、簡単なイントロダクションをするとしよう」

 その言葉で、Aクラスの初回授業が始まった。

 シフルは落ちつきなく教室を見まわした。Aクラスの教室は座席数四十、すり鉢状の階段教室である。人数のわりに広々とした空間がとられ、特に教壇と学生席との間隔は広い。教壇は床から一段高くなっており、円形の縁に沿って拳大の猫目石が並べられている。召喚実習のためのもので、猫目石に精霊を降ろして結界を張り、その中で精霊を召喚する。Bクラス教室にもあることはあったが、広さが段ちがいだった。

 そんな些細な差すら、シフルを改めて奮起させるには充分だった。少年は一言一句聞き逃すまいと、神経を張りつめる。

「Aクラスの学習のメインは、第一に六級以上の精霊召喚、第二に二元素精霊の同時召喚、第三に二属性以上の力の融合になる」

 ヤスル教授は平坦な口調で説明した。「口で言ったところで、新入りの諸君には実感しがたいことと思う。今から実際にお見せしよう。そうだな……」

 シフルは身を乗りだした。

「ロズウェル。前に出なさい」

「——はい」

 予想外のタイミングでその名が現れたので、シフルは瞠目する。すぐうしろ——ヤスル教授に対して冷静な声を返したほうを振り向けば、確かに彼女がいた。遠目に何度か見た、かの人物——心の好敵手、《セージ・ロズウェル》。黒い髪に黒い瞳、表情の乏しい顔。

 呼ばれて、彼女は席を立った。椅子がわずかに音をたてた。

 ——ロズウェル……!

 あまりにも近くにいるので、シフルは異和感さえ覚えた。四か月というのはそれなりの時間だ。その間、ずっと名前のみを聞いてきた、また遠くで見ていただけの人物が、今やすぐうしろにいるだなんて、不思議としかいいようのない感覚だった。

 が、彼女はそんなシフルになど気づかない。当然である。おそらく彼女はシフルの存在を知らない。そう思うと、シフルはひどく悔しい気持ちになった。そしてもちろん、そんな彼の地団駄も《セージ・ロズウェル》には知る由もないのだ。

 彼女は、教壇を目指してゆっくりと歩いていく。硬質な靴音が響いた。

 見れば、教室中が固唾を呑んで彼女を目で追っている。シフルは息を呑んだ。《セージ・ロズウェル》が学生たちの畏敬の対象であることは聞いていたけれど、実際に目撃するとまたちがう。自分が好敵手とみなそうとしている相手が、世間にはいかなる存在なのか——単に一目おくにとどまらない、畏怖に近い感情の混じった視線が、彼女に集中している。

 ロズウェルは、円形に並ぶ猫目石の中央に来た。それを見計らって、ヤスル教授が指示を出す。

「まずはアインの結界、四級」

「はい」

 声は、高くも低くもなかった。どうも意図しておさえているようだが、よく通る声だ。

アインの子らよ、力を貸して。猫目石に宿りて、汝が手でこの身を包め——何ものにも冒されぬよう」

 ロズウェルがそう言うや、それまでただそこにあっただけの五つの猫目石が、薄青い光を帯びだした。光はゆらゆらと流れでて、彼女を取り囲む。

 最初のうち実体のない光にすぎなかったそれは、やがて水らしい流れと揺らめきの様相を呈した。ドーム状の水壁をロズウェルのまわりに築きあげ、水音をたてて動きを止める。

 そのとき立てられた彼女の指は四本。つまり、四級水アイン召喚に成功したことになる。なるほど、これでは固唾を呑んで見守らざるをえない。シフルも拳に力をこめ、手に汗を握っていた。四級精霊なんて、呼んだこともなければ見たこともない。Bクラスで扱うのは七級精霊までで、それ以上は実演もしてもらえなかった。

 そして今、こうして目の当たりにした四級精霊の力は桁ちがいである。Aクラス昇級試験のおりシフルが呼びだした七級火サライなど、ほんの小さな種火で、かわいらしいほどだ。それに比べ、今ここにある四級水アインの、なんとたくましく強大なことか。アインのドームは少女ひとりをすっぽり覆い隠せるばかりか、彼女の倍もの大きさでAクラスの学生たちを見おろしている。

 ——オレより強い精霊が、やつの力になる……!

 シフルは、現時点でのロズウェルとの力量差に慄然とした。敵わない。今のままじゃ、到底勝てない。もしかしたらカリーナ助教授をはじめとする教授たちや学生たちがロズウェルを過大評価しているだけで、今のままの自分でも勝つことができるんじゃないかと高を括っていたけれど、そんなことはなかった。

 でも、

 ——オレが、ずっと今のまま変わらないわけがないんだ。いつか、きっと追いつける。

 シフルはそうして、はじめの衝撃から立ち直った。

 しかし、衝撃はそれだけでは終わらなかった。ヤスル教授は指示を出しつづけている。

「続いてサライ六級、融合させるのはシータ六級」

「はい」

 ロズウェルはうなずき、左右合わせて六本の指を立てた。

「おいでなさい、サライの子ら——」

 彼女が手をさしだすと、その前方で炎が起こった。彼女をも呑みこみかねない、巨大かつ激しい炎である。だが、召喚された精霊は召喚士を決して傷つけないという原則のもと、彼女の制服や髪は燃えることなく、むしろまったく無事なのが傍目で見ていて不気味だった。アインのドームのなかにごうごうと火炎があがり、その渦中に彼女が平然と立っているのだ。

 さらに、彼女は呼びかけた。

「そしてシータ——我がため、サライにその力を注げ」

 何らかの反応が起きる前に、学生たちのほうが歓声をあげた。いや、どちらかというと嘆声かもしれない。

 そのとき、最初に召喚された火炎が目にみえて膨張した——しかし、膨張した、と認識するよりはやく、けたたましい音をたてて爆発した。結界のなかにいる召喚士はといえば、その衝撃を単なる突風として受けている。彼女の髪や服が風になびき、やがておさまった。

 ところが、すぐそばで爆発を受けている召喚士が何ごともないというのに、結界の外には尋常でない影響があった。爆発した瞬間、地の振動は結界をやすやすと通過してシフルたちAクラス生へと伝わり、地面は揺れ、空気に震えがはしった。

 シフルは総毛立って、呼吸もできなかった。ただ、穴もあくほどに彼女を——《セージ・ロズウェル》をみつめていた。

(すごい……)

 それから、素直に彼女を讃えた。(これが融合した六級精霊の力。やつの……力か)

 敗北感も覚えることができなかった。彼女の力は絶大だった。

 周囲の学生たちも、ロズウェルの実演がすむと、堰を切ったように感嘆の声をあげる。

「スゲェ……!」

「さすがは《鏡の女》」

「ヤスル教授の技から精神まで、すべてイミテートしやがった!」

 学生たちの興奮は止まらない。讃辞、驚嘆——

「まだ今年に入って二、三度しか、五級以上の精霊召喚なんて見せてもらってないのに!」

「やっぱロズウェルは別格だよなァ」

 ——それに、明白な諦め。……

 ロズウェルがアインに礼をいうと、ドームは頂上から溶けていった。水壁を介さない彼女の姿が徐々に現れた。相変わらずの無表情で。

 が、

「今は休戦中だけど、いずれまたラージャスタンとの戦争が始まれば、やつはプリエスカの最高の兵器になるよ」

 学生の一人が何気なくそう言ったとき、ロズウェルの表情が変わった。その急激な変化に、シフルは反射的に緊張する。

 ロズウェルは、声のしたほうをまっすぐに指さした。とたんに教室の空気が張りつめ、波紋のように静寂がひろがった。

「私は、人を殺すためには精霊を呼ばない」

 静かな声だった。それで充分だった——彼女が怒りを表すには。教室は、呼吸の音さえ聞こえかねない静けさに包まれていた。

「冗談でも、私の力を戦争と結びつけるな」

 凛とした黒い瞳が、学生の一人を刺し抜く。「私は——」

「ロズウェル!」

 ヤスル教授がロズウェルの発言を遮り、彼女の腕を下ろさせた。「戯れ言だ。そう気を悪くするな」

 ロズウェルは、教授、ですが、と言いかける。

「彼らは純粋に君の力量を讃えているだけだ。さあ、よくできたな。席に着いてよろしい」

「……はい」

 教授に諭され、ロズウェルは小さく頭を下げる。こつこつと靴音をたてて、大人しく席に戻っていった。

「さて、新入り諸君」

 教授は気を取り直してイントロダクションを締めくくる。「いま見たものは、君たちにもいずれやってもらうことになる。といっても、現在のAクラス生で、融合を実践できるのはほんの若干名……、三人の力に期待している」

 それでは講義を始める、と教授は告げた。

 けれど、教室のざわめきは当分やみそうにない。

(Aクラスの連中すら相手にならない力、理知的な振るまい——やつは、やっと会えたオレの好敵手だ!)

 一部始終を眺めていたシフルは、やはり一方的にそんなことを思い、顔をにやつかせた。目標とする相手は、手が届かなければ届かないほどいい。追いつくころには、自分も強大な力を得られているはずだから。とらぬ狸の皮算用というものだが、無類の前向き思考は少年の性だった。

 すると、

「『人を殺すためには精霊を呼ばない』? よく言うよな、まったく」

 シフルの隣の机で、そんな中傷めいた言がささやかれた。少年は耳をそばだてた。

「オレの友達、あいつのアインに殺されそうになったんだぜ?」

「え、それ、本当かよ?」

 それを耳にした周囲はどよめく。「なんでだよ。怒らせたんか?」

「それが……そいつ、そのとき退学させられたから、詳しくはわかんねーんだけどよ」

 最後はそうして言葉を濁し、彼らはおさまった。『上級精霊理論』十ページを開いて、というヤスル教授の声により、教室はようやく静まった。

 シフルは教科書をめくりながら、ひとり先ほどの言葉を反芻する。

(私は人を殺すためには精霊を呼ばない)

(冗談でも、私の力を戦争と結びつけるな)

 彼女の激しい怒りと、

 ——あいつのアインに殺されそうになったんだぜ。

 彼女への中傷——。

 それが嘘か真実かは、知らないけれど。

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