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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
43/105

第12話 倒錯舞踏会(3)

 扉を開けると、中庭の光景が目に飛びこんできた。

《彼女》は信じたくない思いで、顔をのぞかせる。そこにいるのは、数多の人、人、人。顔見知りも多い、理学院の学生たちだ。そこに《彼女》は、今から突入しなければならない。覚えず扉をつかむ手に力をこめて、苦笑する。何かの冗談だったらどんなにいいか。いや、何かの冗談には他ならないのだが、冗談を本気で実行しようとしているのが目下の状況である。

「……やっぱイヤだな……」

「何を今さら」

 かたわらの《彼》はにやりと笑う。「さあ、行こう。ちょうど今の曲も終わったみたいだし」

「……冗談だろ?」

「そう、冗談だよ。で、祭にこの手の冗談は必須!」

《彼》が強引に《彼女》の手を引いた。うわ、と悲鳴に近い声をあげて、《彼女》は中庭へと転がり出る。《彼女》のからだが傾き、銀の長い髪がさらりと落ちた。視界の端を占めた銀色に、《彼女》はますます逃げだしたくなる。

「わ、わ、わ。ま、待てよ」

「さー、こっちこっち。さっさとしないと、曲が始まっちゃうよ」

《彼女》にかまわず《彼》が進むので、《彼女》は引っぱられるかっこうになった。《彼女》がなんとか体勢を立て直し、邪魔くさい髪を払いのけたとき、《彼女》は硬直した。そこは、モミの大木のすぐそば、伴奏を担当する楽団の真ん前。すなわち、中庭のど真ん中なのだった。彼らふたりは、場の中心に躍り出たかたちになる。

 中庭がどよめいた。

「誰だ、あれ。見ない顔だな」

「片方はセージ・ロズウェルだろ? 男役」

 みな、口々にふたりの噂をしている。「で、もう片方は?」

「なんか、すっげーかわいくない?」

《彼女》は頬をひきつらせた。

「あんな子いたっけ?」

「でも、どっかで見たような——」

《彼女》はこめかみを痙攣させた。

 横目に《彼》を見る。《彼》は《彼女》と目が合うと、ほくそ笑んだ。

「ふふっ、やっぱりね」

 おかしくてたまらないという様子の《彼》だった。「評判いいじゃない、眼鏡をとったシフルは」

「——セェェェジ」

 シフルは恨めしげにセージをにらみつけた。「眼鏡をとったとかいう問題じゃないだろー!」

「ふふ、そうだね」

「……オレにはわかんないなあ、セージ!」

 シフルは涙も流さんばかりに、歯ぎしりする。「わざわざ人を女装させて! 自分の髪までブチ切って! そこまでする必要ある祭なのかなあこれはー!」

 少年の不平に、少女はにっこりと微笑み、

「いいじゃない、減るもんでもなし」

 と、言い放った。ついさっきまでひとつに結わえられていた彼女の髪はもうなく、今は耳の少し下で大雑把に切り揃えられたおかっぱ髪が揺れている。この突発的な散髪、誰かに強いられたわけでも何でもない。彼女が自分でハサミを入れただけの話である。悪い冗談を実現する、ただそれだけのために。ついでにいえば、服は先ほどの赤いワンピースではなく、シフルの制服だった。

 それに強制的につきあわされたシフルはといえば、度のない眼鏡をはずし、セージのワンピースを着用して、さらには長い銀髪のカツラをかぶっている。認めたくない事実だが、ひと言でいえば女装だ。「仮にシフルが女の子でセージが男だったら《ワルツの夕べ》に出てもいい」という戯れ言は、こうして実現したのである。

 その準備の様子はこうだった。

 まず、眼鏡を奪われた。少年が呆気にとられている隙に、セージは手ばやくワンピースをかぶせ、制服を剥ぎとり、アクセサリーで飾りたてた。シフルの短髪にワンピースはいまいち貧相さがあったものの、それでもなんとか許容範囲の仕上がりだった。少年の容貌はたいそう少女めいていた。

 セージは一応それで満足したが、そこに第三者の助けがあった。廊下に出ようとしたとき、足もとになぜか銀髪のカツラが置いてあったのだ。おあつらえむきとしかいいようのないカツラの登場に、シフルは特定の人物の意図をひしひしと感じたが、セージはひたすら喜んだ。シフルにそれを装着させ、完全な「女の子」に仕立てあげた。

 シフルの準備が整うと、セージは自身に不足を覚えたらしい。シフルのものである男子の制服を着ていても、髪は女らしい長さなのだ。いきなりハサミをとりだした彼女は、シフルが本格的なんだし、私もやろうっと、という軽いつぶやきとともに、少年の制止も無視して、長い髪を切り落とした。これで、晴れてセージも完璧な支度をすませたわけである。

 そして今、彼らふたりは中庭にいる。

 シフルは女の子そのもののかっこうで、セージは男になろうというかっこうで。

 その場にいる学生のほとんどが、見知らぬ「少女」と、悪ふざけの過ぎるセージ・ロズウェルに視線を注いでおり、パートナー争奪合戦すら一時中断していた。

「……」

 シフルは、穴があったら入りたかった。耳を澄ますと、何人かの知りあいがシフルに気づいているのがわかった。はっきりいって、ヘタさで目立つよりよっぽど恥ずかしい。

 しかし、シフルは観念した。ここまでやったからには、いきなり逃げだせば却って不自然。この際、気づいていない学生には、見覚えのない女学生と思われたほうがいい。メルシフル・ダナンが女装している、と知られるほうが問題だ。

(あー、もう)

 シフルは背筋を伸ばし、セージと向かいあった。(——まったく……、セージってこんなやつだったっけ?)

「踊ろ!」

 セージが言うと、それに反応したかのタイミングで、指揮棒があがった。

(自分は男装して人には女装させて、思わず足を止めたみんなの前にさっそうと立って、いたずらっぽく笑って——)

 曲が始まる。——彼らの《ワルツの夕べ》のはじまり。

 シフルは、可憐な仕種で手を差しのべた。セージは少年がこの冗談に便乗しようとしているのを知り、噴きだしたあと、男性役を意識した身ぶりでひざまずく。それから、少年の手の甲にやわらかな唇の感触を落とした。多くのカップルが、ワルツの前に行う儀式だ。

(なーんちゃって、なーんちゃって!)

 自分でやっておいて、シフルはどうにもこうにも乗りきれない。思いきり赤面する。

「さて、行くよシフル」

「う……うん」

 ふたりはワルツの姿勢をとった。

「大丈夫。私がついてる」

 セージは力強い笑みを見せた。「一・二・三・一・二・三で出るからね。よし、一・二・三、一・二・三——」

 セージは踏みだした。

(ちがう。セージじゃない)

 シフルは彼女のリードに引っ張られ、正確なタイミングで足を動かす。ワルツの音楽にともなって、足がステップを踏んでいる。シフルはちらりと足もとを確認して、密かに感激した。足が曲の最中に止まらない。曲に乗っている。彼には初めてのことだった。天才とは、周囲の鈍さを補える力があるのか。

(オレの知ってるセージは、堅物の天才。いけすかない《鏡の女》。動かない表情と、孤高の精神。ぴんと伸びた背筋——)

 シフルはセージの顔をしげしげとみつめた。その頬は上気し、黒い瞳はランプの明かりを映してきらきらと輝いている。ワルツの男役を務め、巧みにシフルをリードして回転するセージは、明るい表情をしていて、こんな冗談を平然とやらかす少女だった。

(——今ここにいるセージは、オレの知ってたセージじゃない)

 と、シフルはひとりごちる。(……けど)

 ふいに、ふたりの視線が交差した。

 セージの顔が自然と笑みになった。シフルもつられて笑った。

 彼女が腕をあげたので、シフルはそこをくぐる。少年も忠実に女役をこなし、赤いワンピースのスカートを愛らしく翻した。回ってみたあとで耐えられなくなり、シフルはつい声にして笑いだす。セージも笑い声で応えた。

 見物している多くの学生には、なぜふたりが笑っているのか理解できない。一部の学生は赤いワンピースの少女の正体に気づいていて、いたるところで噴きだしていた。シフルを知る者から知らない者へと情報が伝達するにつれ、笑いが拡大していく。気づくと、シフルとセージのまわりは、おもしろがって手を叩く者、笑い転げる者——ルッツもその一人だった——、口笛を吹く者などに満たされていた。

 そのころには、シフルも祭の浮かれ気分に染まり、恥を捨てきっている。調子にのった少年がスカートをつまみ、少女らしくくるりと回るたび、男子学生の野太い声があがった。

 ——楽しい。

 シフルはときおりセージと目配せしあう。

 ——セージとこうしているのは、すごく楽しい!

 目を合わせれば、互いににっこりと笑う。

 セージの「本当のこと」が、自分の信じていたセージじゃなくても、こうして楽しければ何でもいいとシフルは思った。確かに、シフルが背中を追いかける相手としてのセージは、もういなくなってしまったかもしれない。けれど今度は、一緒にどこかをめざしたらいいのだ。セージがかつて親友だった「オコーネル」とそうしたように。

(オレならできる)

 シフルは確信していた。(オレなら、セージと一緒にどこまでも行ける)

 それはラーガのおかげであって、本来の自分の力など微々たるものだ。とはいえ、現実にシフルはその力を保持しているのだし、ほぼ思うままに力を使うことができる。シフルはセージの才を恐れているかもしれないが、それよりもセージと一緒にいたいという気持ちが強い。

「セージ」

 シフルは踊る足を休めることなく、彼女に話しかけた。「楽しいな」

「うん、私も」

 セージはからりと笑う。「そのカツラをくれた人にも、お礼いわなきゃね」

「セージが直接言えばいいよ」

「いいの?」

 彼女の問いかけに、シフルはうなずく。「へえ、楽しみだな。約束できる?」

「できる」

 それはうれしいな、と彼女は目を細めた。

 ふたりは踊りつづけ、《ワルツの夕べ》に笑いを添えた。シフルはその間、一度もセージの足を踏まなかった。ひたすらにワルツに興じ、立ち止まることも知らなかった。



 アマンダは、巻き起こる笑い声を遠くで聞いた。

「なんだろ。むこう、随分にぎやかみたい」

 ドレスをひらひらさせながら、彼女はひとり言のふうでいう。が、

「なんだっていいだろ」

 パートナーたる男はにべもない。「それよりさっきのやつ……」

 アマンダは嘆息した。この男は、基本的に自分の話をするだけで、人の話にまともに応じたことがない。つきあっていたころ、最初は好きだと感じていたはずなのに、すぐに冷めた。それは、男のあたたかみのない性格にいやけが差したことと、もうひとつ、そもそもその「好き」が錯覚だったからだ。

 もちろん、恋などある種の錯覚にすぎない。けれど、あれは錯覚中の錯覚とでもいおうか、とにかく勘ちがいと思いこみの重複だった。つまり、決して好きではなかったのだ。

「ユリシーズ・ペレドゥイ、友達よ。それが?」

 アマンダは冷ややかな声で返す。

「今おまえ、男いないのか」

「まあね」

 この流れは好ましくない、と彼女は思った。とっさに男——アレックスの腕を振り払い、からだを離す。

「惚れてる男は?」

「さあ?」

 アマンダは挑戦的に男をにらむ。「……何が言いたいの? はっきり言って」

「やりなおそうぜ、アマンダ」

「いや」

 彼女は即答した。

「——なんだと」

「死んでもいやよ。——あッ」

 アレックスがいきなり彼女の腕をつかんだ。「痛い、離して! だって私、アレックス好きじゃないもの」

「ふん、そんなこと言っていいのか」

 男は不敵に口角をあげる。「逆らうなら、おまえの友達とやらに、おまえの性癖教えてやらないとな!」

「——」

 男の声は充分に大きかった。周囲はすでにアマンダたち二人のいさかいに驚き、踊りをやめている。口論する二人を遠巻きに、好奇のまなざしを向けてきた。

《ワルツの夕べ》会場の一角で起こった騒ぎに、ダンスを楽しんでいたシフルとセージも足を止める。

「……アマンダ?」

 まずセージが、痴話げんかを繰り広げるカップルの片割れが友人であることに気づいた。

「え?」

 言われて、シフルもそちらに目をやる。確かにアマンダがいた。一緒にいるのはユリスではないが、どうせ例によって彼は争奪戦に負けたのだろう、それは何ら不思議ではない。問題は、相手の男が激しい剣幕でアマンダに詰め寄っており、彼女のほうがそれを全身で拒んでいる点である。

「——アマンダっ!」

 シフルは走りだす。

 セージはといえば、少年を冷静に見送ってから、おもむろに歩きだした。

 彼女の冷静さには理由がある。セージはその時点で、友人のルール違反を察していた。農家生まれのせいか、極めて良好な視力と聴力をもつ彼女は、多少の距離を隔てても、アマンダらのいさかう声が聞きとれた。その内容を考慮するに、アマンダには「友達に知られたくない」性癖がある。すなわち、セージたちにはいえない《秘密》があるのだ。

 彼女はあのとき、秘密がない、と告げた。それでも仲間はずれにはしないでほしい、と。

(アマンダには、口にできる秘密がなかった)

 セージは目を伏せる。(口に出せない秘密を、口に出さなかった。そのうえで、あんなふうに振るまった)

 彼女の純粋そうな仕種に、すっかり騙されていたのだ。

(ばかばかしい)

 セージは歩いてシフルの背を追いかけながら、内心毒づいた。(何が仲間だか。自分がいちばん信用してないのに)

「——おいこら!」

 そんなことは一切考えず、シフルは二人のあいだに割りこんだ。「アマンダを離せよ。いやがってんだろ? なんだか知らないが、話なら穏便にやれ。暴力はオレが許さん!」

「えっ?」

 とつぜん割って入ってきた「少女」に、アマンダは眼をまたたかせた。名前を呼ぶからには知りあいなのだろうが、いかんせん見覚えのない女の子だ、とばかりみつめてくる彼女に、シフルは頬を赤らめる。しばし彼を凝視していたアマンダは、数秒を経てようやく思いあたったらしく噴きだした。

 笑いたきゃ笑えよ、と自暴自棄のシフルだったが、対する男は「少女」の正体を理解していない模様である。アマンダを解放し、シフルのほうに愛想よく向き直ると、ねえ、と好青年風の笑みをつくった。

「君……アマンダの友達なわけ?」

 男は背が高い。小柄なシフルは、完全に見下ろされている。しかし少年は強気を保ち、

「ああ!」

 と、攻撃的に応じた。すると、男は言う。

「アマンダの秘密……知りたくない?」

「……なに?」

 シフルは男をまっすぐに見返した。そこに、アマンダが入りこむ。

「ちょっと!」

 アマンダはすでに笑いやんでおり、自ら男の腕を抱いた。「アレックス。シフルによけいなこと言わないで。私たち……やりなおすのよ」

 なんならこれから部屋に行く、とまでアマンダは告げる。

 そこで、さすがのシフルも気づいた。アマンダがいったい何のために、そうした行動を余儀なくされているのか。

 先日のアマンダの言葉と、今のアレックスの言動を照らしあわせる。あのとき、ただひとり秘密を暴露「できなかった」彼女。ところが、アレックスいわく、彼女はある《秘密》を抱えているという。

 もちろん、あれは強制ではなかった。同等になりたいと願う者が、本人の意思で告白すればよかった。よって、言わなかったことについては、アマンダを責められない。問題はアマンダが、あるものを、ない、と主張したことだ。その偽りの主張と、いつか秘密ができたら教えるという約束により、かりそめであったにせよ、彼女はシフルたち三人と仲間意識をもった。

「アマンダ、それ本気?」

 少年は毅然と彼女に向きあう。「いやなんじゃないのか」

「どうして? いやじゃないよー、全然」

 シフルとの会話になると、とたんに声色が普段の甘さを取り戻した。アレックスに対する低い声とは、まるでちがう。「……いやじゃない」

「さっき、死んでもいやとか言ってたのは?」

 追いついてきたセージが、横から口を挿む。「……それは、アマンダの《秘密》のため?」

「オレたちに知られたくないから言うこと聞くのか?」

 シフルはたたみかけた。「あのときの約束はどうするんだ? この期に及んで、まだオレたちに隠すのか?」

 強制していいことではないと、わかっている。しかし、気持ちがおさまらなかった。あのとき、あんなにもうれしかったのに。セージが同等になりたいと言ってくれて、ユリスもアマンダも歩み寄ろうとしてくれたことが、シフルにはとてもうれしかったのに。それなのに、今さら嘘だったというのか。

 シフルのなかには今、冷酷さと悲しさが同居している。誓いも約束も無碍にしようとする彼女を切り捨てたい気持ちと、それを惜しむ気持ち。友達になれる四人だと思っていた。

「アマンダ、私たちは特殊な関係なんだよ」

 と、セージが言った。「一度は反目しあい、まともに口もきかなかった私たちが、仲間になったのはなぜ? ——それは、秘密の共有によるもの。その大前提を忘れたとはいわせない」

 シフルとユリスは、弾かれたようにセージを見る。

「ルールを守らないアマンダが、私たちと一緒にいるのは——おかしい」

「ふざけるなよ、セージ!」

 ユリスが叫び、セージの肩をつかむ。「はじまりなんて、どうでもいいことだ。アマンダはもう仲間なんだ。今になって仲間からはずすなんて!」

「何度も言わせるな」

 セージは冷ややかにユリスの手を払いのけた。「大前提、といっただろう。私たちが仲間意識をもったのはなぜか? 秘密を告白しあい、同等になる、というルールがなければ、私たちは口も聞かなかったか、もしくはいつまでも互いに壁をつくったままだった。いうなれば、あれは私たちの最大の原則なんだ。今になって捨てられることなんかあるか? それに、」

 彼女はユリスを鋭くにらみつける。セージの口調は、いつのまにか《セージ・ロズウェル》の口調そのものになっていた。「——一方的に弱みを握られている仲間なんて、あるものか!」

「二人ともやめろよ」

 セージが徐々に激してきたので、シフルは却って冷静になっていた。「今からでも遅くない。アマンダが約束を守ってくれれば何の問題もないんだ」

 少年はそう言うと、アマンダをじっとみつめた。彼女はわずかにうつむいており、その表情の影は濃い。

「アマンダ……、頼むから言ってほしい」

 シフルは切々と乞う。「そうでなくちゃ、オレたち一緒にいられない」

 その発言に、あわてたのはユリスである。

「シフル、おまえもアマンダをはずす気なのか?」

「セージの言ったことの繰り返しだ。『大前提』なんだ」

 シフルは淡々と答える。

「もともと、オレたちのは無償の絆じゃなかった。『仲間』が不公平なのは、まちがってる。そりゃ、有償の絆なんてのもまちがってるかもしれないけど」

 少年は最後に付け足した。「オレはそれは信じたくないから。だから、言ってほしいんだ。アマンダ」

 言い終えて、周囲を見渡すと、《ワルツの夕べ》は完全に中断してしまっていた。曲はやみ、誰もが足を止めて、痴話げんかのなりゆきを見守っている。アマンダの大人気ぶりや男の見てくれのよさを考えれば、彼らはもしかすると、学院内では有名なカップルだったのかもしれない。

 イベントを停止させてしまったことを申しわけなく思いつつ、シフルは固唾を呑んでアマンダの出方を待った。アマンダは何を選ぶのだろう。仲間を選ぶのか、男を選ぶのか——すなわち黙秘を。

 アマンダの靴が、カツ、という音をたてた。

 彼女は彼の腕をとる。

「……行こう」

 彼の名はアレックス。背の高い、アマンダの元恋人らしい金髪の男。

 アマンダはもはやシフルたちを振り返らず、足早にその場を去ろうとした。

「それが、答えなの?」

 セージが問いかける。

 アマンダの靴音がやんだ。彼女はセージのほうを見ずにつぶやく。

「本当はセージ、全部わかってるんでしょ」

 その言葉に、セージは眉をひそめた。「私が何を知られたくなかったかなんて、何を恐れていたかなんて——」

 セージは《鏡》なんだもの、と、ぽつりと言う。

「私の心も、きっと、映す。ちがう?」

 その声はだんだんとすぼまっていき、最後には聞こえなくなった。「——ちがわないでしょう……?」



 窓の外は、元通りの喧噪だった。

「よかった。再開してる」

 セージは、窓ガラス越しにも届く中庭の騒々しさに安堵して、窓辺を離れる。年に二度しかない楽しい祭を、個人的ないざこざから中断させてしまったのは自分たちだ。もし《ワルツの夕べ》があのまま中止するようなことがあれば、《夕べ》実行委員会や、心待ちにしていた学生たちに申しわけない。

 シフルとユリスは、含むところのある顔をつきあわせて、それぞれベッドと椅子に腰かけていた。セージが二人に近寄っていくと、ユリスがうつむきがちだった顔をあげ、尋ねた。

「あのさ、セージ」

 言いにくそうに、唇を動かす。「実際のところ、セージはアマンダの《秘密》を知ってるのか?」

「全然、知らないよ。思いあたるふしもない」

 予想どおりの問いだったので、セージは即座に返した。

「本気でアマンダが、私は全部知ってるのだと思ってるとしたら、それは妄想だ。だけど、それはつまり、そんな妄想にとらわれるほどに、アマンダが私を恐れているということかもしれない」

 彼女は推測を述べる。「だから、知られたくない《秘密》は、間接的にでも私に関係のあることなのか。……いま言えるのは、このくらいだな」

 それを受けて、シフルが口を開いた。

「あとはまあ、アマンダはあの野郎がきらいで——」

「そう!」

 ユリスが力強く拳を握る。「本当は、俺たちの仲間でいたいにちがいない、ってことだ!」

「ま、そうだと思うけどさ」

 シフルは肩をすくめた。「あのさあ、ユリス」

「ん?」

「おまえ、仲間云々はおいといて、さっさと告白したら?」

 シフルの提案に、ユリスの熱っぽい表情が、みるみる静かなものになる。シフルは友人の変化に戸惑いながらも、言った。

「アマンダが好きなんだよな? ……うまくいけば、『四人』が崩れても一緒にいられるじゃん」

 シフルは下を向き、かすかに頬を紅潮させる。「それにアマンダ、今ごろ……。ユリスはそれでいいのかよ」

「……むりだよ」

 もうとっくの昔にあきらめたという風情で、ユリスは答えた。立ちあがり、シフルのいるベッドに腰を下ろすと、そのまま背中から倒れこんだ。眼を閉じて、大いに息を吐きだす。

「アマンダがそんなふうに俺を見てないってこと、知ってるから……言えない」

「そんなの……」

 わからない、と続けようとしたらしいシフルを、ユリスは遮った。

「好かれてるかどうかはわかるもんじゃないけどさ、好かれてないかどうか、てのはけっこうわかると思うぜ、俺」

 何の期待もない、淡々とした声で彼は語る。「アマンダにとって俺はただの四人の一人で。だから、あの野郎が今アマンダに手を出してるだろうからって、殴りこんだりするのはひとりよがりだ。それに、あの様子じゃあ、アマンダは前しょっちゅうあいつの部屋行ってたみたいだし」

 今さらどうこう言ったところで、アマンダは前からああだったんだろ、と言って、ユリスは手で顔を覆った。セージは友人を見やって、賢明な人だ、と思う。あきらめてしまえば、恋愛感情など一過性の熱病にすぎない。己を言い聞かせ、温度を下げつづけていれば、熱病は自然とひいていくもの。ユリスはそれを知っている。

 けれど、そうして何かが手に入ることは、きっとないだろう。セージはそう考えながらも、何の助言もしなかった。ユリスもおそらくわかっているからだ。しかし、

「やめろよ、そんな言いかた。悪口いってきらいになろうとしてんのか?」

 シフルはまっすぐにいう。「きらわれたわけじゃないんだから、あきらめるなよ!」

 こんなときなのに、セージは笑いそうになった。

(シフルって、こういう人だ)

 ——やっぱり、好きだな。

 欲しいものを欲しいと叫ぶ人。うまくいかないときも、できる限りあがきつづける人。子供っぽいといえば、そうなのかもしれない。でも、最終的に何かを手に入れるのは、彼のような人だ。セージは思いだす。そういえば彼は、まだ正体を明かしていないころの展望台で、どんなにセージが黙りこくっていても、根気よく話しかけてきたのだった。呼ばれるたびに、つられて返事をしそうになった。

 あきらめない限り、いつか応えてもらえる可能性もある。シフルはきっと、それを知っている。早々にあきらめることを知るのと、どちらがいいだろう。

「きらわれてないけど、好かれてないんだ。もちろん、特別の意味でな」

 ユリスはといえば、子供に教え諭すような物言いである。「こっちは特別に好きなのに。いっそ、きらいになりたいよ」

 シフルは腑に落ちないようで、ものいいたげに唇を引き結んだ。彼の辞書には、あきらめ、という言葉はないのだ。

「そのうえ……なんかさ。アマンダって」

「なんだよ」

 ユリスがためらいがちに言いかけたので、シフルが先を促した。

「シフルのこと、好きそうなんだ」

「は?」

 シフルは眉をしかめた。「おまえ、アレックス登場の衝撃で頭止まっただろ」

 彼は何ら動じることなく、言い返す。シフルとしては、その可能性をまったく考慮していないらしい。

「ちがう! いくらなんでも、こんなときに冗談なんかいわねーよ」

 ユリスが意見するも、

「おいおい、よく考えてみろよ。自分でいうのも悲しいが、オレは女装しても異和感ないぐらいの女顔だ。この眼鏡は、それ隠すためにわざわざ着けてんだよ」

 それから、口に出すのもおぞましいと言わんばかりの不愉快げな表情で、

「街に出れば男に声かけられる。汽車に乗っても男に声かけられる。学院では、ストレスのたまった男に言い寄られる。あーもー、思いだすだにおぞましい!」

 と、補足する。「寄ってくるのは男ばかりだよ。女の子になんか、好かれたためしなし!」

 最後には吐き捨てた。ユリスはシフルの心底いやそうな語り調子に呑まれていたが、セージは冷静に口を挿む。

「でも、私も思いあたることあるよ」

「へ」

「アマンダって、必ず最初にシフルに話を振るの。名前呼ぶときもそう」

 セージは無難な証拠をあげてみた。より確実な心あたりとして、つい最近あったことを述べることもできたが、それは自分にとって不都合である。先日、《ワルツの夕べ》の話題になり、シフルが逃げるように場をあとにした際の話だ。セージがシフルへの好意を打ち明けると、アマンダは複雑な顔をした。彼女の《秘密》が本当にセージに関係のある事柄ならば、あのときほどしっくりくる状況は他にない。

 しかし、むろんセージには、あのときの話題をするつもりは毛頭なかった。よって、覚えているほうがおかしいぐらいの、些細な証拠となる。

「そんな順番に、意味なんかないだろ?」

「シフルはそうでも、アマンダはそうとは限らない」

 セージはきっぱりと言う。「まあ、だからといって、恋愛感情にまでなるかどうかはわからないけどね。少なくとも、アマンダにとってシフルの印象は強いってことだ」

 シフルは返答に詰まり、考えあぐねいた。やがてあきらめたように両手をあげると、

「……そりゃ、筋は通ってるさ。認めるよ」

 と、ぼやく。「でも、論点がずれてると思うね」

「ずらしたのはシフルでしょ、忘れたの?」

 セージは好意をもつ相手でも容赦しない。シフルはいよいよ答えに窮し、頬を膨らませて黙りこくった。

「——まあ、アマンダの想い人の推測は、時間のムダだからいいとして。もうあとは、アマンダの出かたを見守るしかないだろうね」

 アマンダ抜きでは、どんなに議論しても詮ない。「『仲間』といったって、必要以上の干渉は好ましくない」

「俺も同感」

 ユリスは力なく賛同する。

「……オレも。だけど——」

 シフルは二人に同意したが、冴えない顔でつぶやきをもらす。「——このまま、春休みに入っちゃうんだなあ」

 春休み、アマンダもユリスも帰郷する。

 春休み、シフルとセージは学院に残るけれど、休みが終われば、二人に再会することなく、ラージャスタン行きの汽車に乗りこまなければならない。

 留学は最低でも一年だという。一年間は、何か事件がない限り、二人に会えないのだ。それなのに、けんかしたまま別れなければならないとは。

「二人とも、がんばれよな」

 と、ユリスが微笑んだ。「俺も、二人が帰ってきたときには、何か成果だしたいと思うよ」

「……アマンダのことは?」

 シフルはぽつりと訊く。

 ユリスは苦笑して、わからない、とだけ言った。



  *



 シフルたちは、わだかまりを抱えたまま春休みを迎えた。

 帰省する学生たちは、実家の遠い順に汽車に乗りこんでいく。ベルファスト出身のユリスは、初日の今日、帰っていった。ミドルスブラ出身のアマンダも、たぶん帰ったのだろう。たぶん、というのは、あれ以来アマンダの姿を見ていないからだ。《ワルツの夕べ》の夜、アマンダはセージとの相部屋には戻ってこなかったし、帰省の荷物も、どうやらセージが留守の隙に運びだしたらしい。

「ラージャスタン土産、楽しみにしてるからな。忘れるなよ?」

 汽車の窓から身を乗りだして、ユリスはちゃめっ気たっぷりに笑った。「気が向いたら、手紙書けよな。俺にも、……アマンダにもさ」

 取り残される寂しさを、ユリスは隠さなかった。なにせ、アマンダとの関係が揺らいだままだというのに、四人のうち二人が去っていき、ユリスはその彼女と二人おいていかれるのだ。シフルはユリスの心持ちを推し量ると胸が痛かった。だからといって、留学を決めたことに後悔はなかったけれど。

「——元気で!」

 ユリスは窓の中で大きく手を振った。シフルとセージも、ホームの端まで汽車を追い、友人に応える。グレナディン駅のホームの端で、煙を吐きだしながら走り去っていく汽車を見送り、シフルとセージはため息をついた。次にユリスを見るのはいつになるだろう。

 駅を出ながら、

「留学楽しみだけど、やっぱちょっと淋しいな。こういうの」

 と、シフルは言った。

「本当にね」

 セージはうなずいて、それからわずかに笑顔をみせる。「でも、私たち、一年かそこら留学するだけだよ? 死出の旅にでるわけじゃないんだから、そんなに暗くなっても仕方がない」

「そりゃそうだ」

 シフルも笑った。死出の旅、といういいまわしに内心どきりとしたものの、口にはしなかった。

 プリエスカの永遠の仮想敵国——ラージャスタンへ、シフルたちはでかけるのである。さすがのシフルも、特別カリキュラムの授業のたびに何度もすりこまれれば、かの国が怖くなってきた。しかも、それだけではない。ラーガや時姫ときのひめ、シフルの父リシュリュー・ダナンもまた、ラージャスタンを警戒している。ただ人ではない彼らがいうところに、恐ろしさがあった。

「むこうでのことが心配?」

 セージは笑いながら問う。彼女がまったく平気そうなので、シフルは決まり悪く、

「そりゃね。なんたって、ラージャスタンだし」

 と、弁解するように答えた。すると、

「大丈夫」

 セージは自信満々で自分の胸を叩いた。「シフルのことは、私が守るもの」

「はあ?」

 シフルは思わず唇を歪める。「それ、立場逆だろ。守るとかなんとかいうんなら、オレがセージを守るんだよ」

「自分より身長の低い人に守ってもらおうだなんて、考えてないよ」

 セージは何のためらいもなく言い切った。むっとした少年が、セージをにらみ返すと、確かに彼女の顔の位置が若干高い。そういえば、《ワルツの夕べ》で女装と男装をしたとき、シフルはセージのワンピースがちょうどいい大きさだったし、セージはセージでシフルの制服を問題なく着こなしていた。これまであまり考えたことがなかったけれど、その事実を突きつけられてみると、わけもなく落ちこんでくる。

 沈む少年の肩を、セージがぽんぽんと叩いた。

「まあまあ、留学中に成長期がくるかもよ」

「……もうすぐ十七になろうとしてるのに成長期かよ」

「あるある。平気平気」

 自分で加えた打撃のくせに、セージはフォローする。そのうちどうでもよくなってきて、シフルは顔をあげた。

「じゃ、行くか」

「どこに?」

 セージが首を傾げる。

「《母》に会いに行く。セージも一緒にくるよな」

 春休みは、約束のとき。シフルはようやく、記憶の中のあの女——ビーチェに再会する。

「本当にいいの? だってお母さんとの対面でしょう?」

「セージを連れていきたいと思うから」

 シフルは有無をいわさず、セージの手をとった。そのまま彼女の手を引いて駅を離れると、学院には戻らず、グレナディンの市街地に入っていく。商店街のにぎやかな通りの陰に、裏通りへと続く小路をみつけ、そこに滑りこんだ。セージは導かれるまま少年についてきた。

 建物と建物の隙間にある小路のなかは、日当たりが悪く、湿っている。目抜き通りは春を間近にして、うららかな日差しが惜しみなくあふれているというのに、小路は陰気だった。そこに一歩入ると、誰もいない。シフルはこの場所に決めた。そして、

「ラーガ」

 彼に属する妖精を、召喚する。

(クーヴェル・ラーガ)

 胸のうちでつぶやいたのは、妖精の真名だ。この名前であれば、妖精はどこにいても聞きつけて、主のもとに現れるという。

「約束の日だろ、ラーガ」

 再びその名を口にすると、目の前の影が歪み、そこから青い頭が迫りだしてきた。

「そうだ」

 青い瞳を細めて、ラーガはおもむろに手を差しのべる。「時姫ときのひめさまがお待ちかねだぞ——メルシフル」

 その手を、シフルは握った。ラーガが握り返し、三人はひとつなぎになった。ラーガが、その女も連れていくのか、と尋ねたので、シフルはうなずく。セージの顔を見ると、まだきょとんとしていたものの、普段は農家出身とは思えないほど白く見える彼女の頬が、今日は少しだけ上気していた。

「では、行こう」

 ラーガは告げて、影のなかに手足を溶けこませる。

 シフルとセージもまた、眼を閉じ、自分たちを呑みこんでいく闇に身をまかせた。

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