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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
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第1話「負けずぎらい」(2)

 ビンガム市立学院の担任に呼びだされたのは、そう昔の話ではない。

 試験のたびに優秀者として名をつらね、しばしば一位の賞を獲得していたシフルに、期末試験の直後、担任が声をかけてきた。この学院は君には低レベルすぎる、王都にある理学院の推薦入学試験を受けてみるのはどうか、と勧める老教師に、シフルは父親が許さないからと一度は辞退した。

 が、教育者はあきらめなかった。それこそシフルの顔を見るたび説得を試み、ついにシフルの心を動かす手段を発見したのである。

 ——理学院には君よりもできる子がいっぱいいるよ。

 というのがそれだった。

 よくよく考えるまでもなく、それはまったく非戦略的で明快な勧誘の言葉であり、たいそう子供じみている。シフルが本当に父親の顔を立てる少年だったなら、だからどうした、と言うだろう。しかし、シフルは親にいわれるがままの少年ではなかった。父親の母校である市立学院を離れなかったのは、父親と対立してまで学校を移る必要を感じなかっただけのことである。そしてその必要は、老教師の言葉のうちに見いだされた。

 ——理学院には全国から秀才が集まってくるんだ。その中にはきっと、君『より』も頭のいい子や、君『より』も知識と教養にあふれた子がたくさんいるにちがいない。それなのに君は、今のまま、何の成長もなくていいのか。

 それで、本当にいいのかい? 単純ながら要点を押さえた口説き文句に、シフルは知らず引きこまれていた。

 決断は、迅速に下された。

(オレは今のままじゃ井の中の蛙なんだ。そんなのイヤだ)

 ——オレはもっとみんなに認めてもらいたい。大海の鯨になるんだ。そのために、オレ『より』できるやつと戦いにいく。オレは、——誰にも負けない!

 そう決めてからはもっと早かった。ビンガムと王都グレナディンは距離があったので、受験については父親を説得し、翌々日には汽車で王都へ向かった。その日のうちに採点された試験の結果は満点、特待生の資格を獲得するとビンガムにとんぼ返りし、父への反発心から召喚学部を選択したことで両親と言い争うことになった。

 結果、三日ほど軟禁されたが、ビンガムが休戦記念祭のにぎわいに包まれた日、シフルは汽車に乗りこんでグレナディンへの逃亡に成功する。車内で会った地元の人に理学院の近くまで送ってもらったあと、からくも学院に駆けこみ、シフルは父親の手から放たれた。

 そのおり、たまたま教官室で出会ったのがカリーナ・ボルジア助教授、Bクラスの担当教諭である。

 ——聞いたわ。家出したんですって? 満点入学でビンガム市長の坊ちゃん。

 あいさつもそこそこに、ばかにしたように言い放った彼女は、休戦記念日の祝いの酒に酔っていた。

 ——どうして、そうまでして召喚学部に入りたかったの。

 彼女の問いに、シフルは困惑した。女教師が酔っていることは百も承知だったけれど、質問自体はまったく正当である。

(前の学校の先生が……、ここにはオレよりできるやつがたくさんいるって言ったから、ここに来たくて……、それから)

 シフルは賢明な返答ができずに歯噛みした。それに、どんなにいいわけしたところで、シフルに召喚学部そのものへの関心がないことに変わりはないのだ。シフルはただ担任の勧めに従っただけ、井の中の蛙で終わりたくなかっただけ、父親に反抗したかっただけなのである。

(父と似たような人生は送りたくなかった。だから、人にいばり散らす立場になる階段の法学部ではなくて、どちらかといえば補佐する立場に——召喚士になるための階段である召喚学部を選んだ……のだと思います)

 あからさまなこじつけだった。自分でも、何を言いたいのかわからない。

(……本当は、よくわかりません)

 彼は結局、素直に本音を告げた。滑らかに嘘をつけるほど、小賢しくも器用でもない。(父のようになりたくない理由も、召喚学部を選んだのも)

 ふうん、とカリーナ助教授はつぶやいた。

(とにかく君は特待生ですから、親御さんの援助は不要です。君のいう召喚士の階段に踏みだせます。だけど)

 どんなに勉強ができても、精霊というものはわがままで、気に入った人間のところにしか来てくれません。そう簡単に得られる技能ではないのよ、いえ、そもそも技能といっていいのかも疑問だわ——。カリーナ助教授は、そうひとりごちるように言う。

(才能が必要なの。何よりも)

 カリーナ助教授のいわんとするところは理解できた。これまでは故郷で市長の息子として優遇され、ぬくぬくと暮らしてきた身だ。そんな人間が、父親に反抗するためだけに選ぶ学部として、召喚学部は適当ではない。

 精霊に選ばれなかった場合には挫折が待っている。精霊に愛される才能がなかったら、どんなに努力しても詮ない。よって、それ相応の覚悟が必要なのだ。気軽に選ぶべき学部ではないのである。

 しかし、シフルはそれで考えを改めたわけではなかった。助教授の発言には例の言葉が含まれていた——必要以上にシフルを鼓舞してしまう言葉が。

 シフルは強く言った。

(『より』って言葉を使われたら、オレは引き下がれません)

 とたんに、カリーナ助教授の顔が笑みに変わった。シフルはひどく面食らう。

(なるほど、君は単に負けずぎらいなのね)

 目が覚めた気がした。いわれてみれば、その言葉ほど今の自分に一致する表現はない。カリーナ・ボルジアは、目をぱちくりさせている少年を見て、優しく微笑んだ。どこか意地悪げでもある。

(じゃあ、新学期からこの学院の一員となる君に、先生が激励の言葉を)

 カリーナ助教授は立ちあがった。シフルは、急に彼女が自分を認めてくれたことを不思議に思いつつ、自分をみつめる眼を見返した。

(君は優秀な学生よ。前の学校でもぶっちぎりだったみたいだし、試験の結果もそうだけど、君自身そうした資質があるわ。きっとここでもトップクラスになれる)

 シフルは、カリーナ助教授の眼が、またも意地悪げにきらりと光るのを見た。

(けれど、しょせんトップクラスはトップクラス。『トップ』とはちがうわ)

 助教授の挑むようなまなざしと言葉に、シフルは負けじとにらみをきかせた。

(この名前を覚えておくことね。満点入学後、最短期間四か月でAクラスにあがった学生の名前)

 その学生は、いま理学院のなかで特に天才と名高いのだと、助教授は断言した。ふつう研究者というものは、自分の研究に勤しむほうに重点をおき、学生に対しては講義はしても関心はもたない傾向にあるというのに、こうして彼女が一人の学生に注目せざるをえないあたり、その学生の並々ならぬ実力がうかがえた。

 さらにカリーナ助教授いわく、その人物は初等学校さえない辺境の出身で、独学で満点入学を達成したという。しかも、ただ勉強ができるだけの学生なら、精霊召喚の実習が始まるBクラス以降は成績が振るわなくなるというのに、その人物は変わらず好成績を残しつづけた。その人物は、古参の学生たちを押し退けて上級クラスに入った。他の学生たちも、決して世間では凡才にはとどまらない優秀な学生たちなのに——理学院の外では秀才と誉れ高かった学生たちなのに、それでもその人物は彼らの追随を許さない。

 おまけにその人物は、教養科目全般や精霊召喚の実技のみならず、剣術や舞踊などにも優れ、多才ぶりを見せつける。その人物の存在から自信を喪失して理学院を去った学生たちも少なくない、とまでいう。

(すごい子よ。たぶん——君『より』も)

 と、とどめのひと言を付け加えたあとで、カリーナ・ボルジアはその名を口にした。



 ——その子、セージ・ロズウェル君というの。

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