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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
18/105

第5話 動きだすとき(4)

〈条件  属性不問の精霊五級以上の召喚。〉



 ——あと、五日しか——ないのか……?

 シフルは思わず、抱えていた本数冊を取り落とした。希望が絶望にみるみる変化していく、冷えた感情の動きを、痛切に味わった。

「もちろん、応募するよね?」

 音もなくそばに立って、笑いかけた学生がいる。

「ルッツ……」

「俺も、するよ」

 ルッツは金の瞳を細めた。「たぶん、ロズウェルも」

「そりゃね」

 彼女はルッツの背後から顔を出した。シフルの事情を知っているだけに、いつもの不遜な微笑は浮かべない。あくまでも真摯な表情で、こう告げた。

「せっかく学院以外の場所で勉強できるんだから、この機会を逃すわけにはいかない」

「ロズウェルに同じ、だな」

 振り向けば、ニカ・メイシュナーとエルン・カウニッツがいる。理学院召喚学部Aクラスの《四柱》が、ここに揃った。

「定員は四人だよ、シフル」

 そう言うルッツの微笑みは酷薄だった。「君が俺たちに食いこめるか、見物だね」

「おれとしちゃ、そこの猫野郎が抜けてくれるとうれしいんだけどな」

 メイシュナーがつぶやくと、

「同じ台詞をお返しするよ、『バ』カ・メイシュナー」

 ルッツは冷ややかに応酬した。

「なんだと?」

「ニカ、やめろ。ドロテーアも、頼むから退いてくれないか……」

 どうもルッツとメイシュナーは仲が悪いようだったが、今のシフルにはどうでもよかった。定員は四人——《四柱》も四人だ。より強い精霊を召喚できる順に選ばれるのだとしたら、彼らのうち一人——おそらくは四級火サライ召喚を可能とすることで《若人》役に選ばれたカウニッツ——をうち負かさなければならない。

(オレは《精霊王》の呪いがあるから、四級までしか召喚できない)

 シフルはひとりごちる。(今の段階では五級精霊も召喚できないから、応募資格すらない。たとえ四級を呼べるようになったとしても、三級を呼べなければカウニッツを越えられない)

 ——どっちにしろ、五日じゃ足りない。

 シフルの表情が曇っていく。

 目の前が、見えない。今の今まで自分の前にひろがっていたはずの道が見えない。どこに行ったらいいのか、わからない——。

「ダナン」

 ふいに、本が差しだされた。シフルが先ほど落とした本だった。拾ってくれたのは、ロズウェルだった。

「私はね、ダナン」

 シフルが手を出そうとしないので、彼女は本を押しつける。「ダナンを、待ちたいと思うよ」

 少年は震える手で本を受け取ると、駆けだした。背後で、メイシュナーとルッツがまだやりあっているらしい声と、《四柱》揃っての応募を聞きつけた学生たちの、あきらめの嘆息を聞いた。眼には、ロズウェルの少し悲しそうな顔が焼きついている。

 あの学生たちのように、ため息ひとつであきらめられたらよかった。



 シフルは駆け足で寮に戻り、借りてきた本を置くと、机の横に立てかけてあったゼッツェをつかんだ。ものすごい形相で帰ってきた彼を見て、驚いたユリスが声をかけたものの、シフルには友人の声が聴こえなかった。

 ——定員は四人だよ、シフル。

 シフルよりも一歩先んじた地点で日々勉強に勤しむ、彼ら四人——Aクラスの《四柱》。シフルは彼らとはちがう。彼らのような才能には恵まれず、精霊に愛されるどころか、世界を統べるとされる存在に呪われた。努力で克服しようにも、時間がちっとも足りない。あと五日では、彼らに食いこもうと挑む資格すら獲得できないのだ。

 ——ダナンを、待ちたいと思うよ。……

 彼女、セージ・ロズウェルのあの言葉。

 あの言葉は、うれしかった。自分を認めているのだと、彼女はいう。けれど、あれは同情ではないのか。思えば、ロズウェルがそういう態度に出たのは、キリィによる宣告の直後からではなかったか。

(認められてない)

 自分は、ロズウェルの好敵手などではない。(好敵手どころか、哀れみの対象になったんじゃないか!)

 シフルは視界が揺らぐのを感じた。涙だと気づいて、急いで拭いとる。

 泣きたくなんかない。自分を哀れんでなんかいない。ただ、悔しいのだ。ただ、自分が彼らに比べて、与えられない人間であることが、口惜しい。彼らと自分で、何がちがうのだろう。どうして彼らは恵まれ、自分は恵まれない。

(なんで、)

 シフルは内心叫びをあげた。(なんでなんだよ、親父! 母さん)

 言ってはならないことだと、わかっていた。《血》は《血》であり、呪われているのが父方であるにせよ母方であるにせよ、シフルが自ら望まずして二人の子供に生まれついたように、二人も選んでその血を引き継いだわけではないのだ。だから、両親をなじってみても始まらない。

 でも、止まらなかった。わかっていても、止められなかった。

(母さんは、知っていたんじゃないのか? 知っていたから、オレを疎むんじゃないのか? ……そうでなければ、どうして、)

「どうして、手を……離したんだよ……」

 シフルは展望台の階段のところまで来て、座りこんでしまった。かすかなつぶやきは強風に呑みこまれ、答える者とてない。シフルの脳裏に、苦い記憶がよみがえる。人ごみのなかで手を離された記憶、ひとりさまよった記憶、誰かに連れられてようやく家に帰りついたときに見た、まったく悪びれずに家事をこなす母の顔。

 母は、明らかにシフルを憎んでいた。シフルが彼女の子供ではないといわれれば、なるほどそうだとシフルはうなずくだろう。

(母さんがオレを憎むのは、オレが呪われた《血》を引き継いだことを、母さんは知っていたから。きっと、そうなんだ)

 シフルは座りこんだまま、立ちあがれなかった。(オレは《血》のせいで、一人前の人間じゃない。だから、ロズウェルと同じ場所に立てる日も、永遠に、こない——)

 シフルは膝に額をこすりつけ、外の世界を自分の世界から弾きだすようにまぶたを降ろす。

 すると、上から声が降ってきた。

「おい」

 一瞬、《彼》かもしれないと思った。でも、その声に聞き覚えがあったので、すぐにそうではないとわかった。

 気狂い妖精である。父に忠実であることだけを旨として生きるあの母の使いだと言い張るうえに、とてつもなく強大な力をシフルに貸そうという、正気とは思えない——クーヴェル・ラーガ(青い石)の瞳と髪の、美貌の妖精。そもそも、《彼女》のいう「力」とは何なのだろう。《彼女》はいったいなぜシフルにかまい、シフルに手を差しのべようとするのか。

 妖精は気が触れているにちがいない。シフルはそう確信していたが、どちらにしても奇妙だった。

「おまえも、暇だな」

 シフルは呆れがちにつぶやく。立ちあがる気力が戻らないので、展望台の上にたたずむ《彼女》を下から見上げた。

「相変わらず、なめているとしか思えん態度だな」

 妖精は答えながら、ゆっくりと階段を降りてくる。シフルのそばまで来ると、おもむろに腰を下ろした。シフルは、膝のむこうに《彼女》の青い髪が揺れているのを見た。

「俺は狂ってなどいない。俺の口から出るすべては、事実であり真実だ。精霊は確かに精神の集合体のようなもので、気が狂うというのもありえない話ではないが、俺はちがう」

《彼女》は言う。シフルは精霊召喚学、特に総合精霊学の分野の話題となるにあたり、興味を惹かれて顔をあげた。妖精の青い眼とシフルの眼がぶつかったとき、《彼女》は言葉を切る。

「……で、いいかげんわかったろう? おまえがどんなにあがいても、解決する問題ばかりではないのだと」

 シフルは目をみひらいた。少年の顔色がさらに悪くなっても、妖精は容赦なく続ける。

「いかに総合精霊学の大家と呼ばれた人の著作を読もうとも、そこに答えはない。なぜなら《精霊王》とは、人の近づける領域ではないからだ。《精霊王》は万象を統べるもの。人が万象の真理を知れば何が起こるか、おまえのかたくなな頭でも理解できよう?」

《彼女》が語ると、とたんに《精霊王》の存在が桁ちがいのスケールをもつもののように感ぜられて、シフルは軽いめまいを覚えた。いわれてみれば、そうだ。キリィの言葉にもあったことなのに、すっかり失念していた。《精霊王》は「世界の支柱」で、自分はひとりのちっぽけな人間。深く考えなくとも、遠い存在であることはわかる。

 しかし、ベアトリチェ・リーマンの『精霊王に関する考察』を読んだとき、呪いを解く手がかりはなくとも、彼女の想像する《精霊王》に近づけたような気が確かにしていた。おそらくは、彼女の論述の隙のなさからくる錯覚だったのだろうが。

「……ああ」

 シフルは小さくうなずいた。世界を根源のところで支配する存在に人間が近づけたなら、いったいどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。

「だから、おまえに呪いを解く術はない」

 妖精は断言した。「となれば、おまえは永久に召喚士としての成長を望めない。そこで、その止まった成長に代わる力をおまえに貸す——そうあのかたがおっしゃっているんだ。素直に受けておけば、教会内での栄達は思いのまま、プリエスカ元素精霊教会など手玉にとれるだろう」

 シフルは途中まで熱心に耳を傾けていたが、「あのかた」という言葉が出てきた時点で嘆息した。一見まともそうだし、意見を聞いている限りでは何ら欠陥があるとは思えないのだが、シフルの「母親」が《彼女》を使いに出したという点、「母親」の貸してくれるという力が尋常ではないという点において、この妖精は妄想の度合が激しすぎる。これはもはや、心の病というべき段階だ。

 だいたい、力とは何なのだろう。いかなる力が、教会をも操れるほどに強大だというのか。……誇大妄想としか説明のしようがない。

「そりゃ、すごいもんだ。はは」

 シフルは落ちこんでいたのも忘れて、苦笑した。《彼女》は、シフルが例によってまったく信じていないのを見てとり、いらだちにこめかみを震わせる。が、シフルは態度を改めない。それが妄想でなければ、逆立ちをしてスープを飲んでやるよ、とでも言わんばかりだ。

 妖精はそろそろ我慢ならなくなったようで、怒りを押さえた調子で言った。

「……すべてを伏せておくわけにもいかんようだな」

 頭でっかちめ、と付け足す。そして、いくぶんか声を低くし、こう続けた。

「これだけははっきりさせておく。あのかた……おまえの母親、俺の主というのは、ベルヴェット・ダナンのことではない」

「はあ?」

 思わずシフルは間の抜けた声をあげた。今、何と言った?

「通り名であり、便宜上の名でもあるそのかたの名は——時姫ときのひめさま、とおっしゃる」

「何いってんだ?」

 シフルは間髪入れずに問い返した。この妖精はあろうことか、母が母ではないと言いたいらしい。シフルは、時姫ときのひめなる、うさん臭い女の子供だと。それにしても、《時姫》とはふざけている。時間の姫君? どういう仇名だか知らないが、仇名は仇名であって名前ではない。

「それがオレの母親だって?」

「そうだ」

 妖精は真顔で肯定した。もう決定的だ。《彼女》は狂っている。

「……おまえとそいつが力を貸してくれるってのはありがたいけど、オレの母親はベルヴェット・ダナンだよ」

 シフルは努めて淡々と言った。「母さんとオレは髪と瞳の色が同じなんだ。それが何よりの証拠だろ? おまえは何か勘ちがいしてるんだよ」

「それは偶然だ。——いや、そのために選ばれた女だろう、ベルヴェット・ダナンは」

 妖精はきっぱりと告げた。「リシュリュー・ダナンは、時姫さまに託された赤子を育てるため、適当な母親を選んだ。それが、同じ髪と瞳の色のベルヴェット・ダナン——ダナン家の使用人だった女」

「嘘だ!」

 シフルは叫んだ。「母さんは、母さんだ。おまえが狂ってるんだ、全部全部、オレが生きて、見たものが、真実だ!」

 妖精は冷ややかに少年を見据えている。シフルは怒鳴ったあとで、己を冷静に顧みた。なぜ、自分は激しているのだろう。あの母に、何の期待をかけているのだろうか? 人ごみのなか、平気で手を離す母なのに。

 母が自分を愛していないことはよくわかっていて、妖精の宣告はそのかっこうの理由づけになるというのに。《精霊王》の呪いを知っていたから母は自分を厭う、などというこじつけの理屈とはちがった、完璧な理由づけなのに。腹を痛めて産んだ子供じゃないから、母は自分を愛さないのだと。

 それなのに、思う。——オレは、こいつの話を信じたくない。

「このあいだからおまえは、よくも俺を狂人扱いしてくれるな」

「おまえは狂ってる。そうじゃなければただの勘ちがい野郎だ。オレの母親は母さんしかいない! 他の女なんかじゃない」

「——では、見れば信じるのか?」

《彼女》は静かに尋ねた。

「え……?」

 シフルは意味がわからず、聞き返す。

「証拠を見れば信じるのか、と訊いている」

「それは——」

 信じざるをえない。どんなに認めたくなくとも、真実が真実たる証拠を突きつけられれば、もはや拒絶することはできないだろう。

「では、見せてやろう」

 妖精の濃青の瞳が、どことなく妖しげに光った。「幻でも何でもない、十六年前に起こった事実そのもの。そして、おまえの真実」

《彼女》はシフルの顔の前に手をかざした。男のものらしいごつごつした手であるにもかかわらず、女のそれのような不思議な白さをもつ手。

 シフルの視界を埋め尽くした白に、またたく間に闇が降りてきた。シフルは突如として現れた闇のなかで少し身じろぎし、そして、とんでもないところに来てしまったと思った。

 決して引き返せない、真実なるものの前へ。

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