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精霊呪縛  作者: 甲斐桂
第一部 プリエスカ・理学院編
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第4話 愛される者と呪われる者と(2)

 ところが、シフルにとって、五級精霊召喚の壁は予想以上に厚かった。

 今度はルッツの忠告を守ったところで、何の変化も生じない。そもそも精霊召喚実習のマニュアルといえば、その精霊のことを念じつつ力を貸してくれるよう頼み、合図に手を振る——それぐらいのもので、他にこれといった決まりもなければ、技術も必要ないのだ。だから、改善のしようがない。

 使役される精霊側からすれば改善の余地があるのかもしれないが、何しろ現れてくれないので糸口がみつからない。低い階級の精霊を呼びだして話を聞こうにも、すべての精霊が口をきいてくれるわけではない。教科書によれば、精霊が会話に応じることは、あるにはあるが稀な状況であり、そうとう気に入られるか相性がよい場合のみありうるという。つまり、シフルにとってはあのサライに限られる可能性が高いのだった。

 図書館の閲覧室で、初級エレメンタリークラスの教科書を見直してそれを知ったとき、シフルは地団駄を踏まずにはいられなかった。あのとき、授業を中断させてもいいからたくさん話をしておけばよかった。いや、それよりも昇級試験の日、部屋で呼びだしたときに。

 が、どんなに後悔してももう遅い。再び彼女——サライは一般に女性とされる——とめぐりあう確率は限りなく低いはずだった。何しろ、「精霊は常に大気に乗って流れ、ひとところにとどまることがない。いったん使役を許した人間の前に再び出現することはない」という学説は、今の今まで信じられていたのだから。それほどに、珍しいできごとなのである。三度は体験できないと考えるべきだろう。

 すなわち、シフルが精霊の口から召喚のこつを聞きだせる日はこないということだ。シフルは自分の力で反省点を探さねばならない。それなのにマニュアルがない。反省する基準も目安もありはしないのだ。

「召喚士めざすのって、ひょっとしてすごく気が滅入る?」

 シフルは思わずひとりごちた。声に出ていたらしく、前の席の学生が怪訝な顔で振り返った。シフルははっとして口を塞ぐ。新しい一週間が始まり、シフルはグレナディン大聖堂での礼拝に参加していた。

 ——どんなにがんばっても、前に進めているかどうかわからないなんて。

 手で口を押さえたまま、《若人》役の四人のローブ姿をしげしげとみつめる。今は《四柱》と呼ばれる彼らにも、もしかしたらそんな苦悩に苛まれたときがあったかもしれない。そう思うと、奇妙な感慨を覚えた。

 すでにAクラス生活も三週めに突入している。いつもならこのころから試験準備期間に入るのだが、今月は秋休みがあった。理学院の長期休暇は春と秋の二回で、各三週間。学院五ヶ月めのシフルにとっては初めての休暇である。しかし、休暇の直後にはもちろん先延ばしにされた試験が待ちかまえており、三週間といっても実質的には一週間しか休めないのだと、ユリスやアマンダに教わった。

(試験にはまだ時間がある)

 シフルは頭のなかで日程を確かめた。(とにかくそれまでは、実技のほうに集中しよう。あと、またルッツあたりにこつを教えてもらって……いや、待てよ)

 六級と五級は大して差がない。六級のときとはちがう、五級そのもののためのアドバイスなんて、してもらいようがないではないか。ルッツの忠告も、召喚という行為全体に通じる彼自身の方法論なのだ。同じ方法論を二度聞いても仕方がない。

(うん。他のやつに訊こうっと)

 シフルはそう決めた。

 そこで礼拝が終わると、さっそく大聖堂の前で、《四柱》のエルン・カウニッツを呼び止めた。

「あ、カウニッツ……さん」

 呼び捨てはためらわれたので、敬称を付け足す。

 というのもカウニッツは、Aクラス生のなかでは群を抜いて大人びているのだった。言い換えれば、老けている。理学院の学生は十五歳から十九歳ぐらいの年齢が一般的なのだが、彼はとても十代には見えなかった。他の学生にはない、大人の貫禄がある。

「ダナン。……調子はどうだい。『ロズウェル体制』崩せそうかな」

 そう言うカウニッツの物腰は落ちついたものだし、背もシフルが見上げるほどに高い。背が高いから大人というわけではないものの、小柄なシフルにはそんな思いこみがあった。それだけでなく、笑いかたひとつとっても慣れており、十代特有の照れや不安定さがない。

「しばらくはむりかな。でも、がんばってます」

 と、シフルは返す。すると、敬語をやめるようカウニッツにいわれて、シフルは了解した。

「えーと、今日はひとり? 前ちょっとしゃべったときは、ニカ・メイシュナーと一緒だったよな」

「ああ、ニカならあっちにいるんじゃないかな」

「そっか。じゃ、ちょっと訊きたいことあるんだけど、いい?」

 俺でよければ喜んで、とカウニッツは答えた。いい人だ、とシフルは思った。善人かどうかは別として、親切ではある。ルッツの前例があるから、あまり即断しないほうがいいかもしれないけれど。

「カウニッツさんは、」

「カウニッツでいいよ、ダナン」

「カウニッツは」

 シフルは、斜め上の彼の顔をまっすぐに見た。「どうやって四級火サライ呼んでるんだ?」

 カウニッツは一瞬、何を訊かれたのかわからないような表情をした。

「それは……手段? 指を折ってとか?」

「いや。秘訣」

 強く言ってから、シフルははっとした。「あっ、人に教えられるようなもんじゃないのか? それって」

「そうだねえ……」

「そっか。じゃ、いいよ。変なこと質問してごめん」

「ああ、そうじゃなくて」

 シフルが謝って去ろうとすると、彼はあわてて頭を振った。「むずかしいなと思ってね。秘訣なんて、俺も知りたいよ。俺なんかより、ロズウェルやドロテーアに訊くといいんじゃないか。……ああ、移動しながら話そう」

 二人は連れだって歩きだした。礼拝後の休憩は十分しかないので、いつまでも広場で話してはいられない。理学院では、遅刻すると平常点に影響するばかりか、教室にも入れてもらえないのだ。

「ルッツにはもう訊いた」

 シフルは必死に足を動かしながら言った。背の高いカウニッツは足も長く、ついていくのに精いっぱいである。

「そう。彼はなんて? 俺が聞いても支障なければ、ぜひ教えてよ」

「オレはそれで六級呼べたけど、別に大した話じゃないよ? 気負わずにやれってさ」

「なるほどね。才能のあるドロテーアならではだ」

 カウニッツは少し笑った。

「カウニッツだって才能あるじゃん。才能ないやつが、《若人》なんてなれるもんか」

 シフルはつい反論する。カウニッツはAクラスの《四柱》のひとりであり、四級火サライ召喚を可能とすることによって《サライを讃える若人》の役目にあずかる学生だ。しかも、秀才だらけのAクラスにおいて半年近く地位を保っているのだから、彼を非才というならば、いったい誰を才ある者といえるだろう。

「うーん」

 今度は微苦笑である。カウニッツは大人びているだけに不自然な表情が多いのかもしれない、とシフルは思う。

「……ダナン、俺は今年で何歳になると思う?」

 その表情のまま、カウニッツはそう尋ねてきた。

「は?」

 なぜ突然年齢の話なのか。シフルは理解しかねて、カウニッツをみつめる。彼は少し唇を歪め、

「二十一だよ」

「二十一!」

 シフルはつい声をあげてしまい、あわてて口を塞いだ。ああ、いいよ気にしないで、見ればわかることだから、とカウニッツは笑う。確かに彼は、学生のなかでは目立って大人っぽい。けれど、二十一だと思えば、とくべつ大人びているわけでもない。

「なんで卒業しないのかって思うだろ。ダナン、君はいくつ」

「オレ? オレは今年十六」

「平均的だな。別にこの学校、入学に年齢は関係ないけど、十四前後に入って十八前後で卒業するケースが多いらしいね。Aクラスに入っても、たいてい二年ぐらいで卒業していく」

 理学院では、卒業時期の選択は学生に委ねられる。初級エレメンタリークラスを通過した者であれば誰でも、自分で潮時だと感じたころに卒業試験を受ければいい。それは昇級試験と同じく毎月一回実施される。つまり、やろうと思えば一ヶ月でも卒業できるし、同様に何十年でも勉強することができるのだ。

 前者はしばしばやむをえない事情を抱えた学生の選択する道だが、後者は実際にはめったにいない。多くがそこそこのところで学院を去るか、勉強を続けたければ研究室に入るかする。

「俺は法学部から転部したんだ。それでただでさえ遅れをとったっていうのに、どうにもこうにもドロテーアやロズウェルのような才能はない。だから努力して、《若人》役をやるまでは卒業しないと決めたんだ。今になってようやく《若人》役をもらえたのも、努力の賜物といえる」

「つまり繰り返しの努力も大事ってことだな」

「そうともいえるけど」

 シフルの言葉に、カウニッツは目を伏せた。「単に俺には才能がないって話」

「え……、だって、でも」

 同じ話を繰り返すのはばかばかしくて、シフルは言い淀む。それでもカウニッツは《若人》なのだ。

「《若人》、うらやましいかもしれないけど」

 カウニッツは苦笑した。「俺はAクラスまで来るのに二年かかった。そこから《若人》役をもらうのに四年。ヤスル教授とは同い年だ。《サライを讃える若人》は狙いめだと、みんな内心思ってる。俺が《Aクラス四柱》だなんて、ついでみたいなものさ」

 サライは基本的に召喚しやすい。四大元素精霊のなかでは比較的気やすい性質をもつからだ。それにもかかわらず、現在のAクラスで《若人》役の者が四級召喚までしか成功していないのは、理学院史上珍しかった。

「それに、俺はシータ三級なんか呼べないが、ドロテーアはサライでも四級まで召喚できる。ロズウェルもそうだ。同じ学生がいくつも兼任するわけにはいかないから、俺に降りてきたんだよ」

 それが理学院史上稀な事態の原因である。特定の学生が圧倒的な才能をもってAクラスにやってくると、その学生にばかり役目を任せるわけにもいかないので、他の学生に繰り下げるのだ。

 それでも本来はもう少しましなレベルに達していたのだが、今のAクラスの平均的なレベルはこれまでに比べてだいぶ低い。ロズウェルが理学院召喚学部「最後の」天才と呼ばれるのは、そういうわけなのだった。

 シフルはカウニッツを見る。

「君がそんなに悲しそうな顔をすることはない」

 カウニッツはかすかに笑った。「君も狙っているんだろう? 俺の後釜。このあいだは身がすくんだよ、君がサライ六級召喚に成功するのを見て。君が、まちがいなく俺を追いかけているのを感じた。先生もとても褒めていたね」

 それはどこか、自嘲的な笑みだった。

「……君は召喚の秘訣なんか知らなくても、これからがあるよ」

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