九十六話、デュースという男 Ⅴ
私たちの住むこの小国はビファレストと呼ばれている。
ビファレストは以前隣国のサイモリス王国との戦いに敗れ、今では協力国として互いに支え合う関係だが、それは表向きに過ぎず、世界の仕組みを知る誰にもわかる通り力関係はサイモリス王国の方が上だ。
ビファレストは民主主義国家として比較的平等な社会性を構築しているが、人間の歴史は主に資本主義を元に築き上げてきたため完全な民主主義とは言い難い。
それはどの国でも共通のことで誰もが疑わない世界の姿だ。
よってビファレストでも他国同様に階級制度が根付いていることは当たり前のことだった。
エリートと呼ばれる人間たちはビファレストでは上流の仕事と呼ばれる国の施設や機関で働くことが約束されており、社会的地位、給金において明確に差があった。
下流の仕事は私がビファレストに来て初めて経験した鉱山での資源発掘の仕事や、街で物を売る商売など、どれも生きていく上で生活に不安定なものばかりだった。
「テレネコ――――テレネコってば!!」
そう強く名前を呼ばれて私はようやく声のする方に振り向いた。
「なんだ? アト」
アトは私が来る前から鉱山で働いていた十才の男の子だ。
アトはここでは最年少で、一年前に父親と母親を亡くしてから二つ下の妹と五つしたの弟を養うために働いている。
「なんだじゃないよ。テレネコ、今日なんかいつもと違くない?」
「私がか?」
「うん……なんか心ここに有らずって感じじゃん」
「……気にするな。お前は妹と弟のことだけ考えていろ。それがお前の役目だろ」
「そうだけど……仕事の後輩の面倒を見るのも俺の仕事の一つだからさ」
優しいやつだ。自分の方が大変だろうに。
「ありがとう。大丈夫だ」
「でも確かにいつもとなんか違うよなテレネコ。一緒に暮らしてるあのヘレナって人となにかあったのか?」
そう鋭いことを言ってきたのは年の近い青年のハバロだった。彼も私がここに来る前から鉱山で働いている若者の一人だ。
「そういうお前は念願の彼女はできたのか?」
「それが聞いてくれよ。俺、遂に念願の彼女ができたんだよ!!」
「ほう……金なしの幸の薄そうなお前に彼女か」
「見る目ねぇなその人」
「お前ら酷くね!? これでも頑張って稼いでるほうだぞ」
鉱山の仕事は体力を使う危険な環境での仕事ということで、その代わり色好い給金が貰える。
体力に自信があるものなら、ここは打ってつけの仕事場だったりする。
だから基本男ばかりが同僚だ。
「まあ街にある仕事するよりだったら確かにここの方がいいよな。たまに事故とか起きてゾッとするけど」
「危険な代わりに金は高けぇんだよな。上流とまでは言わないけどさ。月にかなり遊び金が残るしな」
アトとハバロは揃って自分達の仕事に対しての評価を話し合う。
「それでよ。今超ラブラブな俺たちを祝してなんか彼女に買ってやりたいと思ってんだよ。なあ、なにがいいと思う?」
「食い物かな……」
「いやテレネコ……そりゃねぇだろ」
「あんちゃんよう……それは流石に俺も引いたよ」
ハバロもアトもおかしなものを見るような目で私を見た。
「そんなんだからあの髪の長いねぇちゃんと上手くいかないんだぜぇ」
「テレネコは見る限り鈍感そうだからな」
と、謂れのない評価を下される。
「ちょっと待て、今のは無しだ。そうだな……では料理を振る舞うなんてのはどうだ」
「料理か……」
「結局食い物繋がりじゃん」
うっ……確かに。
考えてみれば今まで他者に物をくれてやるなんてことをしたことがなかった。
私は生きるために奪うことばかりだったからな。
「しゃーねぇな。ならテレネコも勉強ついでに俺と一緒にプレゼント選びにいくか」
「いいな。俺も連れてってくれよ」
私をそっちのけで話しが決まっていく。
「決まりだな。仕事終わったら合流して行こうぜ」
そして私たちは街の露店のある通りに向かった。
そこは前に私がヘレナと初めて出会い、そのまま強引に彼女の部屋に連れていかれたときの店の前だった。
仕事終わりで時間帯も夕刻に近づいているだけに、前来たときよりも活気は落ち着いている。
私はふと気づけばあのとき気になった店の商品に目を落としていた。
土色の石が埋め込まれたペンダントだった。
あのときはペンダントの石に太陽の光が射し込んでいて、キラキラと輝かせていたのを印象に覚えている。
まだ残っていたか。
今は夕暮れ時のせいか、朱くなった日の光が石の光を紅く変化させて、古風な色艶を滲ませている。
私はなぜかそのペンダントがこの時も気になって目が離せなくなった。
「おっ!? テレネコ、それ買うのか?」
「食うことばっか言ってたけど、テレネコ意外とセンスあんじゃん」
ハバロもアトも私が見ていたペンダントに目を向けると、その石の温かな色艶に心を掴まれたように見入っていた。
「そうだな。買うか」
ここにきて働くようになってから、自分の生活費以外に給料を使ったことがなかった。
特別なにか欲しいと思ったことがなかったからだろう。
食事は台所を預かってる私が買ってくることになっているため、食べたいと思ったものは買っているがその程度。
貯めておくこともいいことだとヘレナに言われていたこともあって、そういえばなににも使っていなかった。
「テレネコ、ねぇちゃんにあげるのか?」
「……そうだな。世話になっていることだしな」
自分で持っておくのもいいと思ったが、そう言われてみれば別に生きていく上で必要なものでもない。相手が喜んでくれるかはわからないが、部屋を借りていて恩義を感じていないわけでもない。
結局その後は私はペンダントを買い、ハバロはなかなか気に入ったものが見つからなかったためにもう少し吟味してからにすることにしたらしい。
その頃にはもう日が暮れてきて、露店ももう店じまいをし始めた。
私たち三人は帰路に着くことにし、途中まで話し歩いた。
露店や店などが並ぶ中層から私たちの住む下層に降りる階段を三人で下っていると、日も落ちてきているのに若い女がすれ違いに上がっていった。
この国では上流の人間は上層から中層までしか行き来しないはずだった。彼らに必要なことはその区間ですべて済ませられるようになっている。
商人にしては年の頃が若々しく、身なりや雰囲気もそういった仕事をしている人間の雰囲気ではない。
家族だとすれば中層の人間はすべて中層で生活に必要なものは手に入るし、仕事ももちろん家族の商売の手伝いとなるはずだ。
私はなんとなく察した。彼女の表情や無意識に力の入っている肩、まるでこれからなにかと戦いにでもいくような、恐怖と緊張の渦のなかにいるようである。
そこでハバロがぽつりと答えを教えてくれた。
「可哀想に……上流に買われたのか」
「なんだそれ?」
それに聞き返したのはアトだった。
「お前には早いと言いたいところだが、アトは妹がいるんだろ?」
「おう」
「なら、金が無くなって、弱みを握られたら、お前の妹もああやって上流の奴らに奉仕しにいかされちまうってことは覚えておいたほうがいいぜ」
「奴隷にされるってことか?」
「まあそれに近いもんだ。だから守ってやれよ」
ハバロがアトにそう言って頭をワシワシと掴んで、アトがそれを嫌がって離れようとしている。
そんな二人の姿が、そのときだけは兄弟のように映って見えて、魔物の私でも微笑ましく感じさせられた。
兄弟というのは……いいものなのだな。
私が感じたそれは、日の光さえ僅かにしか届かない森のなかにいた頃には感じることのできなかった温かさだった。
これに似たものを最近だが、ヘレナから感じていた。
短い間しか一緒にいない。それでもそう感じたのは、いつもひとりだったからか。
たとえそれが寂しさからきているものだとしても、私はあいつを……この温かさを守ってやりたいと思っている。
こんな感情は生まれてきて初めて感じていた。
そんな私のなかに灯った小さな火を、この小さな濡れた身体で囲い、守り、いつまでも暖をとるようにそばにいたい。
そんな決意が、私に帰路を急がせた。
手のなかにある彼女の髪の色に似た色をしたペンダントを握りしめて。




