九十三話、デュースという男 Ⅱ
もしも私が化け物に生まれなければ――――彼女にあんな思いをさせずに済んだろうか。
私はいつも思うのだ。世界は決して平等ではなく、一部のものに厳しくできている。
努力すればどうにかなるだの、生き方を変えればどんな状況だろうと幸せになれるだのと、そんな考えは紛い物だ。
今、正に世界のどこかでは、食べ物や水がなく、飢えに苦しむ子供たちや大人たちがいる。それは人間だけでなく魔物たちも同様だ。
そんな現実の前には思想や宗教などなんの役にも立たない。
運で決まるのだ。そしてまず淘汰があり、命はふるいにかけられる。だがそこからもそれが延々続く。逃れることなんてできない淘汰と格差の世界。
インフラがある程度整った社会で生まれていたならば話しは変わってくるかもしれないが、そんな最下層にいるものたちにとってはどんな才能がそこに眠っていようが勉学に励む時間すら得られず、仕事をさせられ、あまつさえ満足な食事や寝床もなく、死と隣り合わせな短い人生を送るものだって少なくない。
世界は決して平等ではない。
平等でなくてもいい。誰もが自分の人生を満足に生きることのできる世界であればそれでいい。
そのためには原始から私たちに備わっている機能を抹消しなければならない。
無意識にヒエラルキーを作るという低能な本能というやつを。
いや、抹消できなくとも、この私がイレギュラーの力を使ってコントロールしてしまえばいい。
創造神に成り代わる。
世界を創り変える。
生きとし生けるものに植え付けるのだ。他者をより慈しむ心を。
死んだヘレナのためにも。
風が鈍い音を運んできた。
そして次の瞬間には、禍々しい光が風も海も陸も切り裂きながら山の上に建てられていたデュースの城を目掛けて放たれた。
これを放ったのはエルだった。
城は粉々に倒壊し、そこからは単純な死の臭いしか感じられなかった。
エルにはそこにデュースがいないことはわかっていた。わかっていてこうした。少しでも敵の戦力を減らしたかったからだ。
遅れてデュースが転移してきた。デュースは自分の城が破壊されたことには一切気にもせずに空中でエルに向き合った。
「随分と派手なことをしてくれたな」
「先手を打たないと勝てないと思ったからね。悪く思わないでくれよ」
「まさか。これが戦いというものだ。勝ったものだけが正義。昔も今も変わらない。知恵のないものでも選択可能な単純で哀れなやり方」
心底嫌気が差したといったようにデュースは言葉を続ける。
「我々は結局、最後はこのやり方に頼らずにはいられない。進化してもなお、言葉を得てもなおこうなのだから、我々とは一体なんなのだろうな」
「どうでもいいそんなこと。デュース、お前の息の根を止めにきた」
「まだ私は本調子ではない。これが最後のチャンスだろうな」
「ああ、そしてこれでお前の最後だ」
エルが手を前に出した瞬間、さっきと同じ禍々しい光が閃光となってデュースに向かって飛ぶ。
デュースは身構えるが、その間に入ったのはデュースの仲間のフード男だった。
「ハイム!!」
周囲の色を白黒に変えてしまうほどの光が消えると、そこにはフードが焼き切れて姿を晒したハイムがいた。
ハイムは胸元を隠し、エルを威嚇するように睨んでいた。
その隠している腕の間からは隠しきれていない小さな膨らみが覗かせていた。
「女だったのか」
「僕にこの姿を晒させるなんて…………もう容赦はしない」
ハイムが魔力を解放すると、魔王と同じ性質の魔力をエルは感じた。
「お前は一体!?」
「待てハイム」
デュースはハイムの行動に待ったをかける。
「デュース様」
ハイムはデュースになぜ止めるのかというように名前を呼んで問う。
「ハイム、お前では到底敵うまい。それよりお前には相手をしてほしいのがあっちに一人いる」
そういってデュースはエルの後方で戦いを見守っているマシェエラに視線を向けた。
「あの女ですか?」
「そうだ。私とあの出来損ないの戦いに水を指すものを近づけないようにするんだ。わかったな」
「はい!! わかりました」
ハイムは子供のように大きな声で返事を返す。
「いい子だ」
デュースが頭を撫でてやると、親に誉められた子供のように朗らかな表情を見せる。
前に一度エルが話したときに感じた印象とは全く違った表情を見せていた。あれが彼らの関係性なのだとすると、いったいどんな過去があるのだろうか。
だがそんなことを気にする段階にはもうない。
エルはただ復讐するのみだ。デュースを殺す。今はそれだけでいい。余計なことは考えるな。
そうエルは自分に言い聞かせる。
「今度こそ決着をつけよう」
デュースが空中で歩くようにして一歩前に出る。
「望むところだ」
二人のその言葉で戦いは始まった。
彼ら二人の後ろの陸、海、空で待機していた兵士たちが、一気に動き出した。
戦力差は両者とも同等。先手を打ってエルがデュースの兵たちを減らしていたことで差は縮まっていた。
マシェエラとハイムも、それぞれに戦いを始める。
これで準備は整った。邪魔者のいない最後の戦いだ。
エルは魔力のすべてを解放してデュースと対峙する。
デュースもまた魔力のすべてを解放する。
二人とも全力での勝負。時間は差ほどかからないだろう。
それでも互いに間を置かずとして戦いは始まった。
最初にエルが仕掛けた。
デュース目掛けて魔弾を放つ。威力は最初に撃ったのに比べると劣るが、その分込める魔力が少ないので連射することができる。
それをデュースは空を飛ぶように移動してかわしていく。そして魔力で槍のような武器を作り出すと、それをエルに向かって投擲した。
その異常なほど洗練された速さに即座に対応できなかったエルは、顔の大きさほどに拡がった魔力の盾を作り、それを防御する。
正に魔力と魔力のぶつかり合いだった。どちらかの魔力が尽きるまで、またどちらかがどちらかの攻撃を防ぎきれなければ、そこで勝敗が決する。
単純な力と力の戦い。
力が拮抗している二人にはこうすることでしか決着をつけられない。
「落ちろ!!」
エルは魔力の盾でデュースの槍を防ぎきると、すぐさま反撃に移る。
自分より上空にいるデュースを見上げ、右手をかざし照準を合わせる。
「アブソリュートゼロ」
エルがそう口にした瞬間、デュースの身体が巨大な雪の結晶のような氷の結界に封じ込められた。
だがデュースは少しの沈黙も許さず、エルの氷の結界を破壊してくる。
「これは驚いた。そんな情緒ある芸当ができたなんてな。面白味のない力業一辺倒だと思っていたが」
「こいつは俺の師匠の技だ」
「そうか。あの魔王の娘のものか」
「お前!? どこからそのことを……」
エルはデュースがキュティレイのことを知っていることに背中の辺りが鳥肌が立つほどの身震いといった不安を感じた。
「情報は戦略を立てるうえで最も重要な要素だからな。もちろん調べているさ」
底知れぬ恐さを持っている男だと思った。どんな方法を使ったのかは知らないが、あのキュティレイが自分の近くに接近してきた存在に対して感知できないはずがない。
ということはまさか…………戦ったのか。
「存外大したことのない女だったがな」
その口振りですべてを理解する。
キュティレイが協力してくれなかったのはそういうことだったか。
「お前はなにが目的なんだ。そこまでしてなにを欲する」
エルは不意に浮かんだ言葉、いや、今までずっと投げ掛けたかった言葉を無意識に問い掛けていた。
それにはデュースも一度戦いをやめてエルの問い掛けに答えた。
「ダメ勇者、貴様は今まで生きてきて感じたことがあるか? 圧倒的理不尽さ、不運だけでは片付けることのできない境遇と葛藤を」
「そんなことは誰にだってある。思い通りにならないことばかりだ」
「違うな。お前は理解できていない。そんなお前にいくら話したとしても無駄なことだ」
「なに!!」
「所詮恵まれたものには理解できないのだ。それはそれ、これはこれとして自分とは別だとして切り捨ててしまう。私はそれを変えたいのだ」
デュースはそう宣言するように力強く言葉にした。
「ダメ勇者、お前の恵まれた力はこの私がすべて有効に使ってやる。イレギュラーの力も、そして今あるその魔力も全部奪ってやろう」
突然デュースに異変が起こった。
デュースの身体、主に背中の方からいくつもの魔力を帯びた透明な手のようなものが七本ほど伸びてきた。
そしてそれはエルを捕まえようと風を切る速度で迫ってきた。
エルは飛んで逃げながら、魔弾でそれらを無効化しようとするが、当たって弾けた後にまた手になって向かってくる。
「それなら……」
エルは魔力の障壁で自分を包み込んだ。そうすることでデュースの魔力の手から自分を隔離する。
だが魔力の手はそれすらも抉じ開けようとして爪を立ててくる。
「これで詰みか」
そう言ったデュースの顔を見たとき、デュースの髪が誰が見ても明らかに変化していた。
太陽の光が反射するほど不純物のない青の粘液、それが生き物のように波打つように鼓動している。
それは誰もが知っている原初から存在している魔物。
スライムと呼ばれる魔物だった。