八十四話、マリア、少女との再会
ハイアリンの教会の空き部屋の一室はあまり使われることはないがなにかあったときのためのものとしていくつかのベッドが配置されている。
部屋は定期的にシスターたちが清掃しているおかげで清潔さが保たれている。
そこにはかつて魔人の力を利用して西の大陸ユルドールトの首都バージナルの覇権を握ろうとしていたリドルを教会の依頼でエルたちがバージナルに潜入し捕らえてきたときに、教会を訪れたマシェエラと顔を合わせたリドルが、マシェエラ(魔王セクス)を見てトラウマが記憶に甦り、気絶したリドルを寝せるために使用した部屋でもある。
その空き部屋の入ってすぐの窓側に配置されたベッドに、デュースとの戦闘で傷ついたマリアが寝かされていた。
その横には一人のシスターが椅子に腰かけて傷ついたマリアの寝顔をじっと見つめていた。
シスターは上司であるシスターミケランジェロに、聖女マリアの看病を自ら申し出てここにいた。
シスターは一昨日の晩から寝ておらず、その疲れで気を抜けば思わずふっといってしまいそうになる。
だがそれでも耐えているのは、彼女が昔聖女マリアから受けた恩があるためだった。
かつて彼女は賊によって家族を失い、路頭に迷っていたときに偶然にも聖女マリアに拾われ教会に入る道を進んだ。
そのときの助けがなければ今自分はどうなっていたかわからない。
シスターは恩返しのつもりでマリアが目覚めるまでの看病役を買って出た。時折汗を拭いたり、包帯を取り替えたりなどの細かな仕事が多く、人の世話をするというのはこれ程大変なことなのだとこのとき彼女は知った。
それでも恩返しのため、彼女は努めて看病に従事した。
そしてその日の夕暮れの頃、茜がかった空が蒼く暗くなり始めたくらいのときにマリアは目を覚ました。
「ここは……」
「目を覚ましたんですね。良かった……」
「あなたは……」
マリアは目を覚ました自分に視線を落としている相手の名前をぼうっとする頭のなかから探り当てた。
「確か……コロナだったわね」
「はい、覚えていていただけたんですね」
コロナとマリアが出会うのは十一年ぶりだった。マリアがとある小さな町の路地裏で衰弱していたコロナ見つけてその町の教会に連れ帰ったとき以来である。
マリアはコロナが教会でシスターとして生活していけるよう手配し、コロナが落ち着いてきた辺りで次の仕事のためにそこを離れた。コロナとはそれっきりだった。
互いに短い間しかふれあう機会はなかったが、それでも互いにその存在を覚えていた。
「あなたのことは心残りだったから」
マリアは過去のことを思い出しながらコロナに謝罪をした。
「ごめんなさいね。あの時は別件がいくつもあってとても忙しい時期だったの。それが過ぎたと思ったら、今度は東の大陸の方に派遣されちゃったから、それっきりになってしまってたわね」
「いいえ、私は今とても幸せです。マリア様にあのとき拾っていただいたこと、この身が朽ち果てようとも忘れることはありません」
「ありがとうコロナ。ですがいつまでもこうしてはいられません」
徐々に脳が覚醒してきたマリアは、デュースとの一件を一刻も早く伝えなければならなかった。
「コロナ、シスターミケランジェロは今どこにいますか?」
マリアは未だ回復しきってはいない身体を強引に動かしてベッドから立ち上がる。
「待ってください。まだお身体が――」
「私なら大丈夫です。それよりも早く伝えなくてはならないことがあります」
マリアはコロナをそう言い聞かせると、コロナは渋々シスターミケランジェロのいるところへ案内した。
シスターミケランジェロはハイアリンの教会と大聖堂の二つの管理を任されている。よって朝は教会に、昼からは主に大聖堂に身を置いている。
教会と大聖堂は立地としては隣接していて、教会とその中庭を挟んだ奥の方に大聖堂は建てられている。
だが一般的に開放されているのは教会だけで、祭り事や教会の催しごとがない限り大聖堂は一般の人々には無縁の場所だ。
大聖堂の役割はその建物の外観、教会の総本山としての象徴を現している部分にある。
誰しもが一目見ればその権威が理解できる神聖な外観は、ハイアリンの人々や訪れる旅人たちを魅了し、観光の名所としての一面もある。
外と内とでは一変して人気の少ない大聖堂のなかでは、教会とほぼ変わらない人数のシスターとシスターミケランジェロによって管理されている。
今日も昼からシスターミケランジェロが大聖堂に入り、仕事をし、気がつけば日が落ち始め、他のシスターたちに戸締まりを頼んで外に出ると彼女たちはやってきた。
「シスターミケランジェロ」
「聖女マリア、お身体は大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。それよりセントレイアにいる聖女レイアに連絡をお願いします」
「マリア様が負傷したことに関係することですね」
「はい。ことは一刻を争います」
マリアは自分の頭に左手の人差し指当てて魔力を指に移す。
これは記憶を魔力に書き込んで取り出す魔法で、自分が見聞きした情報を相手に理解させるのに便利だ。
マリアは取り出した記憶が書き込まれた魔力をシスターミケランジェロの額に人差し指を押し当てて入れてやる。
「わかりました。私からお話しすればよろしいですね」
「お願いします。それとエルたちと連絡を取りたいのですが」
「そうですか……ですが今エルたちとは連絡が取れずにいまして」
「連絡が取れない……それはどういうことですか!?」
「はい……それが色々とありまして……」
シスターミケランジェロは今知る限りのエルたちの経緯について語った。
ある日突然マシェエラのもう一つの人格、五大魔王の一人である魔女セクスが目覚め、エル(イレギュラー)の番いを決める同棲生活が始まったこと。そして今ハイアリンにいるのは、エルの仲間のミズチとククだけであること。
この二つをマリアに説明すると、マリアは予想外のことに少し動転しているようだった。
「わかりました。ありがとうシスターミケランジェロ。私はこれから彼らの借りている家を訪ねてみようと思います」
「了解しました」
「マリア様、私もお供します」
ここまで案内してくれたコロナが、この先も付き合ってくれると言う。
回復しきっていない自分を慮ってのことだろうとマリアは深く感謝した。
「コロナ、あなたもありがとう」
「いいえ、私は別に……」
コロナはマリアの心からの礼に恐縮していた。
「固くならずともいいのですよ。いつも通りにお願いします」
「はい!」
そしてマリアとコロナはエルたちの借りている家に向かった。