七十七話、勇気の少女
「本当にそれでいいのかい?」
わたしの腕のなかにいるニュコスは言う。
わたしを見上げて、そのつぶらな黒い目を光られて。
「っ……あっ……」
わたしはニュコスに言い返したかった。でもすぐに言い返す言葉が出てこない。
「いいの……このままのほうがいい……絶対いい……」
「そう選択するってことは、君は死ぬことを選ぶってことだね」
「えっ…………」
「だってそうじゃないか。君は今、生と死の境目にいる。ここにいることを選択するということは、現実に戻らないこと。つまり、君は死ぬことを選ぶということだよ」
わたしが…………死ぬ。
「死んだら……どうなるの?」
「それは決まってるよ。なにも感じなくなるんだ。意識もない。君自身が、消えてなくなるんだ」
「そんな……」
「君は記憶を思い出してしまった。その瞬間から、君の時間は動き始めたんだ。残酷だけど、今決めなきゃならないんだ」
どうしたらいいの……パパ……ママ……。
コロナがうつむいて祈るように目を瞑っいると、懐かしい甘い香りが空から舞い落ちてきた。
目を開くと、鼻の上に黄色い花びらが乗っかっている。
この花びらは……カシルオーレの花びら。
それは夢のようなできごとだった。
瞬間、大量のカシルオーレの花びらが視界を防いで、それによってコロナが瞑った目を開くと、そこにはコロナの求めた愛しい二人が、目の前に広がるカシルオーレ畑のなかに立っていた。
「パパ! ママ!」
コロナは迷わず二人のもとに駆け出した。
突然現れたカシルオーレ畑よりも、そのなかにいる二人の方に気持ちが向かった。
二人はコロナを抱きしめた。そして言った。
「コロナ、会いたかった」
「会いたかったわ」
コロナも想いを言葉にする。
「会いたかった。パパ……ママ……」
二人のぬくもりがコロナに伝わる。
「本当に会えるなんて……」
「コロナの声が聞こえたんだ」
「そしたらここにこれたのよ」
奇跡だと思った。コロナはこの奇跡に感謝した。
「コロナ、僕たちはコロナのことを信じてる。だから、どんな選択をしようと、コロナを尊重するよ」
「でも一つだけ……コロナ、あなたはもっと、自分の可能性を信じてあげて」
「かのう……せい」
「そう」
パパとママはわたしの目を強く直視していた。
その言葉が、二人がわたしに一番届けたかった言葉なのだとわかった。
「これから時間が進んだとして、コロナが私たちといたときのようになれるとは限らない。もっともっと苦しむことになるかも……。でも、パパとママはコロナに自ら命を捨てるようなことはしてほしくないの。その命が尽きるまで、コロナには生きていてほしい」
「これは僕たちのわがままだ。だからこれはあくまでも選択肢の一つだと思えばいい。僕たちは、コロナを尊敬している」
「可能性なんて……本当にそんなもの……あるのかな?」
「あるさ。コロナには無限の可能性がある。人は生きて努力する限り、幸せを掴む可能性を持っているんだ」
「コロナもきっと見つかるから。パパとママみたいな幸せが…………」
ママは笑いながら涙を溢した。
わたしもママの言葉に涙を堪えきれなかった。
「パパ……ママ…… 」
二人が幸せで良かった。
あんなことがあって、今でももっと辛い顔をしているだと思っていた。
でも違った。やっぱり強い。
パパとママは……わたしのために笑顔を見せてくれている。
わたしも……こんな風になれたらと……そう思った。
「ニュコス、わたし……決めたよ」
わたしはニュコスへと視線を落とす。
「そうかい」
そういうと、ニュコスはなにかを待っているように顔を上げる。
「コロナ、君は自らの勇気を示した」
「コロナ!!」
空から透明に光るなにかが降りてきた。
人の形をしたそれはコロナに声をかけてくる。
その声を聞いて、コロナはその存在を思い出した。
「エル……」
ニュコスは今度はエルの方を見て、こう言った。
「今度は君の番だ」
エルは一度コロナに見つかるから目を向けると、自分に言い聞かせるように答えた。
「うん」
「君にはできるはずだ。だからお願い……コロナをここから現実に帰してあげて」
エルはコロナを見る。
「コロナ、見せてもらったよ。君の強さを。僕はそんな君のために、君の期待に応えたい」
「エル……あなた……」
いつもはどうすればうまくできるのかわからない。でも今なら、どうすればいいのかを心で理解していた。
イメージは黄色い花……そして鳥だ。
エルが頭のなかでイメージすると、風が吹いて周りに咲いているカシルオーレの花が飛んで、それがエルのイメージした鳥の姿に変わった。
「花でできた……鳥さん」
「コロナ、乗って」
エルに言われた通り、コロナは鳥の背中に乗る。
「コロナ、勇気を忘れないで」
「いつかまた、現実で会おう」
ニュコスとエルがコロナに声援を贈る。
「ありがとう」
鳥は飛んだ。現実の空に向かって。
下を見ると、パパとママもわたしを見送ってくれていた。
二人は笑顔のまま、わたしの大好きな二人の顔を見せてくれていた。
そしてあっという間にみんなが小さくなっていった。
わたしはもう振り返らずに、空の上の現実へと前を向いた。
コロナを見送ったあと、僕の意識は元に戻っていた。
目の前で固まっていたはずの人形は姿を消していて、僕はすべて終わったことを悟る。
「エル、いったいどうなったの?」
ララが後ろから僕に聞いてくる。
「コロナは、帰ったよ」
「そうか……いったか……。コロナ……良かった」
ソールはそういうと、一人どこかへいってしまった。それからもう二度と僕たちの前に現れることはなかった。
「僕たちも帰ろう」
僕は振り返ってララとシルにそう言う。
「まだあの感覚を覚えてる。今なら戻れるよ」
「ほんとっすか!! 帰れるんすね」
「うん」
僕はそう頷いて、イレギュラーの力を発動させる。
そしてコロナのときのように、鳥を作り出すと、それに乗って元の世界に戻った。
コロナ、ありがとう。君のおかげだ。
僕はもうここにいないコロナに、心のなかで小さく感謝した。