七十六話、忘れていた記憶
今年もカシルオーレがなる時期がやってきた。
カシルオーレは真夏に射し込む強い日の光を浴びて秋の始めごろに収穫の時期を迎える。
未だ残暑は残っているが、カシルオーレ畑では立派な実が沢山出来上がっていて、今なお日の光を吸収し続けている。
一部はもう十分に熟れている。それらを収穫し、山を降りて村に売りにいく。
そうしてわたしたちは村で冬を越せるだけの食料や生活品を買って冬に備えるのだ。
カシルオーレの花はわたしたち家族の宝物。
先祖代々受け継いできたこの山と、カシルオーレがわたしたちの生活を支えてくれているのだ。
「コロナ、そろそろいくよ」
「はいパパ……」
今日は久しぶりに山を降りて村にいく日だ。
収穫したカシルオーレを売りにいって、食料と交換する。まだ秋がきたばかりだとはいえ、気がつけばすぐに冬がやってくる。ぼーっとなんてしていられない。
今から少しずつだが、冬を越すための準備を始めていく。
「うわぁ……久しぶりの村だ……」
「ん? 今日は結構賑わってるな。人の数がいつもより多い」
「そうなの? パパ……」
「うん、コロナが生まれてからは初めてかもしれないね」
「そうなんだ……」
村に降りて話しを聞いてみると、村の名産品であるカシルオーレを買い付けにきた客がこの時期を狙って村にきていたらしかった。
村ではこの時期になるとカシルオーレの秋祭が開かれる。年に一度の大きな祭だ。
つまりカシルオーレは収穫される時期が最も売れる時期なのである。
「ロージさん、よかったきてくれて。ロージさんとこのカシルオーレが欲しいって大変だったんですよ」
「それはそれは、贔屓にしていただいてありがとうございます」
毎年わたしたちの作ったカシルオーレが一番人気だ。
だからわたしはカシルオーレをここに持ってくると、いつも誇らしい気持ちになった。
カシルオーレを村に届けた代わりにもらった食料を荷馬車に積んで帰路につく。
その頃には空が赤みかがってきて肌寒さも感じるようになる。
夏を越えたことで青さの薄くなった草花を小さく秋の風が揺らす。
その秋の風が、わたしは特に好きだった。
暗くなっていく山を登りきると、歩く道が緩やかになり平地になっていく。
その先に進むと、わたしたちの家がある。
わたしとパパとママ、三人で暮らすあの家が。
カシルオーレの花畑に囲まれた――――わたしたちの幸せの園。
だけどその夜、わたしたちの幸せな時間は無慈悲にも奪われることになる。
「コロナ、ロージ、お帰りなさい」
「ただいまママ……」
「ただいま。今年も盛況だったよ。おかげで冬が越せそうだ」
「よかったわ。この土地とご先祖さまに感謝ね」
ママはいつも笑顔でわたしたちを迎えてくれる。
部屋の奥からほんのりと甘いスープの香りがした。
「ママ、今日は……カウのミルクスープ?」
「そうよコロナ。よくわかったわね」
「だって……わたし大好きだもん」
「なら、冷める前に食べないとね」
そうしてわたしたちはママの作ってくれた夕食にありつく。
「サーラ、今日もとても美味しいよ。いつもありがとう」
「ママ……ありがとう」
「なに? 改まって二人とも」
「実はサーラに贈り物があるんだ。なあコロナ」
「うん……村でパパと二人で決めて買ってきたの」
そういってコロナは持っていた人形の裏に隠していた小さな包みを手渡した。
「開けてもいい?」
「うん……」
ママは受け取った包みをゆっくりと丁寧に開けていく。
「なに? これ?」
「コウネイルっていうらしい」
「爪に塗ると光るんだよ。ママ、あんまりお洒落できてないみたいだったから、これでもっと綺麗になってくれればいいなって……」
「ありがとうロージ、コロナ。とっても嬉しいわ」
ママはコウネイルを爪に塗ると、それをわたしたちに見せてくる。
「どう?」
「綺麗だよ」
「とっても……綺麗」
わたしたちは微笑み合った。
そんな時間も終わり、今日も一日が終わろうとしていた。
そんな夜のことだった。
「なに?」
なかなか寝付けなかったわたしは、外からした物音に気がついて扉を開けて外に出た。
外に出てみると、さっきまで気になっていた音がパタリとやんだ。
妙だと思ったわたしは、足音を立てないようにカシルオーレの花畑のなかを進んだ。
首筋に悪寒が走った。
なにかと思い振り返ると、月灯りで照らされた地面にベッドの上においてきたはずの人形が転がってきた。
「持ってきてないのにどうして……」
そのとき、後ろから気配がした。
わたしと人形の上から月の光を遮っていた。
わたしは振り返えることができなかった。
震えて身体に力が入らない。
ここからは曖昧にしか覚えていない。
意識を奪われ、連れていかれた家のなかには、賊と思われる男たちが雄となって泣き叫ぶママを囲んでいる光景と、もはや人とは思えないような形になったパパがぞんざいに部屋の端に捨てられているのが見えた。
わたしは落ちていく意識のなか、微かに抱いた絶望で、「こんなものは現実ではない」と否定した。
これが記憶――――わたしの受け入れなかった現実。
【そう、これが現実よ。そしてあなたはここに来た。この冥府と呼ばれる場所に……】
あの子の声だ。
「死んだの……?」
【いえ、まだ死んでいないわ。まだ……あなたは生きている。でも、あなたはその境目にいる】
「どういう……こと?」
【あの出来事は盗賊たちによるあなたたちの財産を狙ったもの。カシルオーレのよく育つあの場所を欲しがったなにものかによって仕組まれたものよ】
「そう……だったの」
なんてつまらないこと。そんなことのためにわたしは家族とあのカシルオーレ畑を失ったのだと思うと、腹が立たずにはいられなかった。
【そして今、あなたは現実ではまだ生きている。あのあとあなたは放置されて、そこに来た村の人に保護されたの】
「でも……そんな記憶はなかった……」
【あなたはこちらにきてしまった。絶望のなかであなたがそれを願った】
すべてがわかった今、決めるのはわたしだ。わたしはこれからどうするべきか。いや、どうしたいのか。
「だったらもう…………このままでいい」
【すべてを知ってなお、あなたはそう望む?】
「だってもうあんな思いしたくない。ここにいれば……ソールもニュコスもいてくれる。寂しくない」
それにパパやママにだって、いつか会えるかもしれない。
【それがあなたの選択なら……】
これで決まりだ。わたしはこのままここにいられる。パパもママもいないところになんて戻る意味なんてないんだから。
ふと、自分を見つめる視線を感じた。
視線を落とすと、そこにはいつも一緒にいる人形のニュコスがわたしを見ていた。
最近は人見知りをしていたのか、二人でいるとき以外に話すことは少なかったが、ニュコスはいつも側にいてくれた。
パパとママとは別れてしまったけど、ニュコスだけはいつも一緒。
わたしを見守ってくれている。
「本当にそれでいいのかい?」
「えっ……?」
ニュコスはわたしにそう問いかける。
いつも一緒だった。わたしのことを一番に考えてくれているはずのニュコスが、わたしの決めた幸せに、そう問うのだった。