六十四話、ハイアリン帰還
無数の歯車による歯のぶつかる音、摩擦する音、回る音が聞こえてくる。
そんな人によっては心地よくも耳障りにも感じるような音だけが鳴り響く世界で、魔人となったリドルは、そんな雑音など些末に感じてしまうような精神的揺らぎのなかにいた。
リドルはかねてより悲願としていた魔人の力を手に入れることに成功した。
それだというのに、これほどまでに追い詰められたように表情を強ばらせてしまっているのは、自分が融合して手に入れたはずの力と身体の持ち主によって、真実を告げられたからであった。
「残念だけど、君が手にしたのは僕の持つ力の半分だけだよ」
その一言によってリドルが動揺しているところに、リドルに身体を奪われた魔人ルドガーの身体が、リドルを見下ろすように少し離れた上の方にある縦に動いている大きな歯車の上に具現化する。
ルドガーは魔人の強力な魔力によって生み出した歯車でできた槍、フォルトナズムを隙を見せたリドルに向かって投げた。
フォルトナズムは気がついたときにはリドルの身体を歯車の世界ごと貫いていた。
貫かれた世界は粉々に割れていき、やがて元の世界の背景に変わっていく。
それとともに、ルドガーも消え、代わりに消失していたロアナが戻ってきた。
だがロアナは、力尽きたようにその場に倒れてしまう。
「ロアナ」
「ロアナ、しっかりして」
エルとララが倒れたロアナの元に駆け寄る。
ララがロアナを抱えて見ると、意識はないが正常に呼吸をしていた。
「良かった。気絶してるだけみたい」
「まさかルドガーの身体と融合したリドルが負けるとはな。こいつは驚きだ」
ゴークスは倒れているリドルを見下ろしながら歪んだ笑みを浮かべる。
そしてゴークスは次の瞬間リドルの身体に手を伸ばし、フォルトナズムによって貫かれた穴の空いたところに手を突っ込んで、今度はゴークスが魔力を奪い始めた。
「ゴークス!? なにをする」
「悪いなリドル、思わぬ機会が巡ってきたからな。この期を逃すわけにはいかねぇんだ」
「謀ったなゴークス」
ゴークスはリドルと魔人ルドガーの融合した禍々しく光る魔力の核を奪い取った。
「これでルドガーの力は俺のもんだ。もうここに用はない」
「待てゴークス。待ってくれ……」
リドルは魔力を奪われてしまったことで、声も弱々しく掠れた声でゴークスを呼び止めようとする。
だがゴークスにはもう未練はなにもなく。奪った力を使い、魔法で空間に穴を空けると、そこからどこかへ行ってしまった。
エルは最初はどうなることかと思ったが、終わってみれば呆気ないものだと思った。
なにがどういうことなのかは、これからリドルに話しを聞かなければわからないことだが、一つだけはっきりしていることは、リドルはあの魔人ゴークスという仲間に裏切られたということだ。
その後エルたちは、気を失ってしまったロアナとリドルを背負って城から脱出した。
明け方宿でミズチと合流した後に、未だ目覚めないロアナとリドルを背負ったままバージナルを出た。
それから日を跨いだくらいのころにハイアリンに着いた僕たちは、一度借りている家に戻って休息をとって、昼頃に教会にリドルを連れていった。
ちなみに気を失ったロアナは、ララが自分の借りている部屋に連れていって休ませてくれた。
教会にいくと、シスターミケランジェロが僕たちを出迎えた。
バージナルであったことを話すと、シスターは連れてきたリドルの座っている背中を見て、少しの間なにかを考えていた。
「シスター、どうかした?」
エルが聞くと、シスターはなにかを躊躇っていた。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、リドルがその場から立ち上がって、僕たちの方を振り返った。
「シスター、シスターは知ってるんだね。僕がどうして魔人なんかの力を手に入れようとしたのか」
「ええ、あなたは五大魔王の一人、魔王セクス様の三千七百一番目の従者。そして彼女の被害者でもある」
「そう。僕は被害者だ。でも、あの方は僕の恩人でもあった」
リドルは昔のことをぽつりぽつりと語り出した。
「僕は孤児だった。バージナルではユルドールト大陸の町や村などからそういった身寄りのない子供たちを集めて孤児院を作っていた」
孤児院は、ユルドールト大陸中の身寄りのない子供たちの唯一の受け入れ先だった。そこに彼らの居場所があった。
「孤児院では十二になったものから町に働きに出られるようになる。そうして僕たちが十二になると、孤児院のために働きに出たり、やがて年を重ねると、孤児院を出ていったりする。僕たちはそのことを卒業と呼んでいた」
そのなかでも一部の気に入られたものたちは、バージナルの城に雇われて、魔王セクス様の従者として働くことを許される。
「そして僕も、十四のときにセクス様からお声がかかった。これで孤児院のみんなに恩返しができると思った」
結果はその通りになった。リドルが従者として働くことによって、リドルは高い給金を貰い、それの一部を孤児院への仕送りに充てていた。
「だが僕はセクス様の従者となることによって大事なものを失った」
「貞操ですね」
「ああそうさ。僕は当時好きな人がいた。なのにあいつは無理矢理に俺を犯した」
セクスは色情狂だった。しかも特に若い男を好んだ。嫌がるリドルに対しても、その嫌がる顔を見るのが好きだったようで、リドルの意思など関係なかったらしい。
「おかげで僕はあいつがいなくなってからも魔物のメスを見ると鳥肌が立つし、人間の女性すら怖く感じてしまう。だから僕は強くなろうとした。あの女よりももっと強く」
リドルの声は次第に大きくなっていく。それだけそこに強い想いを持っていたということだろう。
「そうすることで僕はあの女を克服できる。恐いものがなくなるって。そんなときゴークスに出会ったんだ。そして今はこの様さ」
リドルは乾いた笑みを浮かべる。
話しを聞き終わると、ミズチは先に教会から出ていった。
エルもララも、リドルに掛ける言葉もなく、その場はシスターミケランジェロに任せて外に出た。
外に出ると、既に空には茜色が染み出していた。
これは家に着く頃には夕暮れ時だろう。
そんな風の冷たくなってきた心地よい風を感じながら、僕らは帰路に帰路に着いた。
「リドルにそんな過去があったなんてね。私はてっきり世界制覇でも企んでたんじゃないかって勝手に思ってたけど」
「案外人間らしい理由だったね。リドルは魔王セクスを越えることで過去の苦い体験を払拭しようとしていた」
「確かに魔人は凄い力を持っていたわよね。ゴークスもあの後すぐに魔人の能力かなにかでどこかに消えてっちゃったし」
「考えてもわからないし、この先はシスターミケランジェロに任せようよ。ロアナのことも心配だしね」
「うん。ロアナ、あれから全然目を覚まさないから」
ララも心配そうな声を漏らす。
帰り道、僕らは久しぶりにあの橋の上に向かった。
するといつもの僕らの座っているところに、雰囲気の変わった明るい金色の髪の見知った女の子が座っていた。
「ロアナ!? 目が覚めたんだ」
ララは思わず声を上げてロアナの様子を確認する。
「ロアナ、大丈夫? もう少し寝ててもいいんだよ。って……ロアナには言っても無駄かもしれないけど」
エルも声を掛けるが、ロアナは上の空だった。
様子がおかしいと思い、ララと目を合わせていると、今度はロアナが僕たちに話し掛けてきた。
「私、二人に話したいことがあるの」
ロアナは落ち着いた話し方で、そう言ってきた。
「どうしたの? そんな改まって」
ロアナらしくないその様子に、エルもララも戸惑っていた。
そして、ロアナの次の言葉を待っていると、ロアナの影が徐々に別のなにかに変わっていった。
まるでナハトのようだとエルはそのとき思った。
「紹介するわ。今日から私の使い魔になったルドガーよ」
ルドガー。ロアナの言った名前は、リドルが融合した死体となった魔人の名前だった。
影が形を成したときには、ロアナにルドガーと呼ばれた魔人は、ゴークスに感じた禍々しい魔力は何一つ感じず、ただのしがない好青年といったように僕たちには見えた。