四十五話、ハイアリンへ
背筋に鳥肌が立つ。
それは怖さからではない。言い様のない摩訶不思議さと、心地よい母たる安らぎと、その先に待つものに対する好奇心のようなものが、鳥肌となって現れたのだ。
目の前にいる彼女の雰囲気は以前のものとはまるで違う。
年の近づいた彼女の姿は、見た目以上の落ち着いた様子と、その仕草からは妖艶な瑞々しさがあった。
僕はその艶やかな彼女の姿に、驚きと胸騒ぎが同時に起きて、一瞬今までなにをしていたのか思い出せなくなった。
ククは変わってしまったのか。
「エル、じっとしてて」
ククは僕の身体に密着すると、手を這わせながら僕の目を直視してきた。
「今……助けてあげる」
吐息のような声でククは優しく僕にそう言った。
そしてその次の瞬間、ククは僕の唇を奪った。
突然のことに思考が硬直する。頭のなかが真っ白になっていくようで、なにも考えられない。
ただ一つ気づいたことは、ククは僕のなかで制御のきかなくなった魔力を吸い上げているということだ。そしてそのおかげで、段々と僕の魔力が安定していっている。
やがてククは唇を惜しむように離した。
どれくらいたったか、案外早く感じたが終わったようだ。
言った通り、ククは僕を助けてくれたらしい。
まだ彼女は、僕の知っている彼女だろうか。
意識が遠退くなか、僕はそれだけが気になっていた。
エルは気を失って、ククに身を預ける。
「クク、あなたは…………」
マリアがククに問う。
「聖女様でも知らないんですね。まあ、ボクの力はエル専用だから、イレギュラーの力より目立ちようがないかな~」
ククはそう言って可笑しそうに笑う。
そのとき、離れたところからグランゾール軍と冒険者たちが近づいてきていた。
「いけません。クク、早くエルを連れてここを離れてください」
マリアの言葉にククは首を傾げる。
「どういうこと? 戦いは終わったんだよ~」
「エルは魔王ブラックレオを倒しました。その姿は周りのものたちに見られてしまっています」
「なにかまずいの?」
「私でも苦戦したブラックレオをエルが倒してしまった。ここで彼という存在が大勢の人間に認知されてしまったら、イレギュラーの存在を公に晒してしまうことになる」
「そういうことか~。そうね、イレギュラーという存在はこの世の変革者。大勢の人間に知られるのはよくない」
「あなたはエルを連れて、ハイアリンに向かってください。教会の総本山である中立国ならば、彼をしばらく匿ってもらえるでしょう」
「マリアはどうするの?」
「私にはまだ聖女としての仕事があります。それに、エルの存在を隠蔽しなければなりませんから、そのために色々と動かなくてはならないですから」
「そっちはマリアに任せるよ。お願いね」
長々とした二人の話しが終わると、ククがミリアたちに視線を向けた。
「ミリア~、一緒にいくぅ?」
ミリアのよく知るククの話し方でククはミリアを誘う。
「うん……いくよ」
「そう……みんなも、来たいならついてきていいよ」
ククはそう言うと、魔法を発動させ、転移門を作り出した。
「それは…………」
マリアは力なく声を漏らした。
「エルからもらった魔力だよ。ボクでも魔力があればこれくらいの魔法なら使える」
ククは転移門の扉を開いて、ミリアたちにこう告げた。
「ボクたちの時間は動き出した。もう今までのような旅ばかりじゃなくなっちゃうと思う。それでもいくなら、門をくぐってきて」
ククは言うと、先に門のなかに入っていく。
「ミリア、いくの?」
マシェエラは心配そうにミリアにそう聞く。
「いくよ。だって……まだなにもわからないから」
「そうだよね。私もいく」
ミリアとマシェエラは二人並んで門へと向かう。
「俺も忘れんなよ」
そう言って、後ろからミズチもついてくる。
そうして私たちはまた、次の大陸に旅立つのだった。