三十七話、心と気づき
真っ白な空間に僕はいた。
ここにきてから、僕はナハトとの修行の毎日に明け暮れていた。というか、周りがずっと真っ白なままで時間の感覚すら曖昧になっていた。
「これでレベル30くらいにはなったはずだな。どうだ? なにか感じないか?」
額に汗が滲ませながらエルは呼吸を荒くしていた。
こんな日々が目を覚ますごとに続いていた。正直拷問に近い。
「ちょっと……待って…………はぁ……はぁ………………やっと落ち着いた」
エルはナハトに言われた通り呼吸を整え目を閉じてみる。だがなにも感じることはできなかった。
「なにも感じないよ」
「そんなはずはない。これくらいになればさすがに自身の魔力くらい感知できるようになるはずだ」
「でも全然感じ取れないよ。コツとかないのかな」
「コツと言われてもな。俺は生まれたときから使えたからな」
それが当然だというようにナハトは言ってくる。
うわぁ、才能がある人間の台詞だ。
これで駄目だということはここから更にレベルを上げていかなきゃならないのか。
深くため息がでた。
ここまでなるのに六ヶ月もの時間を要している。ナハトが言うには千年万華鏡の力が働いているおかげで現実での時間は消費していないとのことだが、そんな不可解なこと、キュティの持ち物だといえどほんとうにそうなのかと疑問に思う。
だがそれを前提に修行しているので、今さら信用しないなんてことにはできずにいるが。
「となると問題は身体ではなく中身の方だな」
ナハトが急にそんなことを言い出す。
「中身?」
「精神だよ。お前はまだ精神の方も未熟だってことだ」
そう言われるが今一ぴんとこない。精神なんて未熟だと言われてどこが未熟だとはっきりわかる人の方が少ないだろう。
「こればっかりは難しいな」
ナハトは少し考えていたが、すぐになにかを思いつく。
「でもできないわけでもないか。ここはお前のなかだからな」
そうなのだ。ここは僕のなか。だからこそナハトがいるわけだ。
わかりやすく言うと、ここは僕の精神世界。千年万華鏡が作った僕の精神世界にある箱庭だということらしい。
「でもここにはなにもないよ。すべてが真っ白で覆われてる。これって僕がなにもない空虚な心だってことなの」
エルはナハトに問うように言った。
「さあな。それはお前自身に聞いてみるがいい。その方がはっきりとした答えが出るはずだ」
ナハトは僕に背を向けてどこかへ行こうとする。
「待ってよ。僕はどうすれば――――」
「人にばかり頼ってんな。これはお前の物語だ。お前自身が決めろ」
そう言うとナハトは世界から消えた。
真っ白な世界に取り残された僕は、ナハトに言われた助言をたよりに目を伏せて自分に問いかけた。
教えてくれ。僕はこんなにも空虚なのか。
そうすると、突然世界全体に木霊するように自分によく似た声が聞こえてきた。
【そうだよ。これが現実さ。今まで自分の意思がなく生きてきたんだから当たり前じゃないか】
これが……僕の心の声。
そんな……嘘だ。僕は自分の意思でここまできたんだ。
【一人前の勇者になる? 誰かを守れるだけ強くなりたい? それってほんとうに君が望んだことなのかな?】
どうしてそんなこと……そうに決まってるじゃないか。僕だっていうのに、君は僕のことをなにもわかってないよ。
【それは僕の台詞だよ。君こそどうしたいのか全くというほど見えてこない。そうなってどうしたいの? そうなるためにはなにをしなくちゃいけないのかってのも最近は他人任せじゃないか】
エルは言葉を返してやりたかったが、言うに詰まってしまう。
【君はほんとうは強くならなくたっていいんだろう。最初に強くなりたいと思ったのは、君の自己満足とプライドのためじゃないのか】
そんな……そんなことは……ない……。
【君は自分がダメだと思いたくないから、馬鹿にされたくないから強くなろうとしただけだ。今君が受動的であることがなによりの証拠だろう?】
違う……そんなんじゃない。僕はそんなことのために強くなろうとしたんじゃない。
【じゃあなんのためなんだ? 今まで一度たりとナハトの力を借りずに仲間を守れたことがないくせに】
反論できない。できるわけがない。なぜならその通りだったからだ。僕はずっと頼っていた。ナハトという存在を。
【弱いくせに今まで進んでこられたのはナハトがいたからだろ。自分のなかにいる魔王を退けることができる力を持った未知の存在を君は利用してきたんだ。なにかあったときの保険としてね】
保険……そう、保険だった。僕のなかでは彼という存在は認識できてはいなかったが意識している存在だった。そしてその力を僕は無意識で利用してきた。
【いい機会だよ。もうこんな奇跡のようなことは二度と起こらない。これを期に自分のしたいことをちゃんと考えるんだね】
そして唐突に僕は現実に戻された。
「…………戻ってきたのか」
気がつくと、僕は転移門の横に座っていた。
「お早いお戻りですね。まあ千年万華鏡を使っているのだからこんなものでしょうけど」
僕はキュティに時間を尋ねると、あれか三分ほどしか進んではいないようだった。
「これでしばらくは千年万華鏡は使えなくなっちゃいましたわ。せっかく取っておいた宝具を使って使ってあげたんですから感謝してくださいよ」
キュティはなにか言っていたが、それは僕の耳には入ってこなかった。
「聞いてるんですか!!」
大声で言われたことで、僕はキュティに話しかけられていたことに気づく。
「えっ……ええと……なんだっけ」
「なんだっけじゃありませんよ。さっきからずっと上の空で、なにかあったんですか?」
「結局、なにも得られなかったんだよ。身体的にレベルアップはしたけど、魔力は使えるようにならなかった」
「そうですか」
「僕はどうすればいいかわからなくなったよ。今まで自分で全部決めて、自分の力でここまできたと思ってたのに、どうやら僕はなにもかも半端ものだったらしいんだ」
気づいてしまった。気づかなければ幸せだったろう。でも僕は、自分の心にそう説き伏せられた。
「行けばいいですわ。私はもう止めませんから」
「僕が行ってどうなるっていうんだ。ナハトでも勝てないかもしれない相手なんだろ」
「千年万華鏡を使う前とは随分様子が違いますね。あんなに楽観的だったのに」
少し前の自分。そんな自分が今では滑稽に写る。
「僕じゃ無理だって気付いたんだ。いや、最初からわかってた。でも魔力を使えるようになれば強くなれるって聞いたから、僕は努力したんだ」
「そうでなければ、最初から戦う気はなかったというんですか?」
「そうさ。僕は今まで気付いてない振りをしてきただけさ。でもすべては打算だった。僕自身がそれを一番よくわかってる。目を背けていただけ……」
「ではあなたの想いは……それも嘘だって言うんですか」
キュティは激情のままにそう言っていた。
「エルは言ってましたよね。仲間のために自分のできることをしたいって。そう言ったときも、あなたのなかでは打算があったのかもしれない。でもその言葉は……その想いはあなたのほんとうの想いのはずです」
エルの心が震え動いていた。
気づけば足がひとりでに立ち上がった。
わからない。これでほんとうに正解なのかはわからない。でも……僕は行かなければならない。
これが今僕がしたいこと。しなきゃいけないことなんだろう。
だからこそ、無意識に身体が動いたんだと思う。
「ありがとうキュティ。僕の目を醒まさせてくれて」
「エル……やっと目を醒ましたんですわね」
キュティは少し疲れたように言う。
「情けないね。僕はずっと、みんなに助けられてばかりだ」
「それでいいんですわ。誰かに頼ることを覚えて、人はようやく一人前になれるんですから」
僕はキュティの手を取り、握手する。
「必ず帰ってくる。そしてまた会えたときは、僕の仲間を紹介するよ」
「必ず帰ってくるんですわよ。そしたら私はあなたの師匠として、今以上に強くしてあげますから」
僕は転移門の上に乗る。すると、転移門が光だした。
「跳べばすぐに戦場です。気を引き締めていきなさい」
キュティの言葉にエルは頷いて返す。
「行ってきます――――師匠」
「行ってらっしゃい――――エル」
そして僕は転移門の光のなかに消えた。
行き先はボルティス大陸の中心地、グランゾール帝国だ。