三十六話、嵐の前の静けさ
ボルティス大陸、そこは魔王が支配している大陸と人間が支配している大陸の境目にある大陸だ。
国境を越えれば、既にそこは魔王ブラックレオの支配する大陸である。
そしてボルティス大陸の中心にはグランゾール帝国があり、ブラックレオに動きがあったという話しが流れてから、グランゾールには東側の人類勢力のほとんどが集結していた。
数日のうちにグランゾールの王、シュズリゲルを始めとした各大陸の名だたる豪傑たちが、それらをまとめ上げ、自分達の手足とした。
それからは連日連夜、決戦の日に向けて会議が頻繁に開かれていた。
彼らは一番に情報、次に武器や兵糧を集めるとことに力を注いだ。
敵側の国境付近にある見張り台に常時索敵能力の高い兵を置き、敵側の監視をさせた。
左右の国境から南側にある世界唯一の中立国ハイアリンにも、自国の密偵を潜らせ、情報をできるだけ敵側の近くから鮮度のあるものを獲られるように配慮していた。
更に遥か昔からハイアリンに身を置いている生ける伝説と言われた剣聖にも助力を頼んだが、やはり彼女は役割としてでなければ剣をとる気はないということで、協力の取り付けには失敗していた。
こちらは元々望み薄だったこともあり、彼らにしてみれば予想通りといった結果だった。
武器や兵糧については東側の大陸中から大量に吸い上げで数を揃えた。
そして先日、ブラックレオの動きが本格化したところで、グランゾールの会議の場に彼女が駆けつけていた。
聖女マリア。グランゾール行きの船でエルたちと別れ、ミズチとともに先にグランゾールに訪れていた。
彼女もまた教会の権力者。戦いに参加するのならば、自分の存在と意を示す必要があった。
会議の間の扉が大きく開かれる。
マリアがなかに入ると、彼らは会議の最中だった。
それもそのはず、マリアは会議の場に出席するためにそこに顔を出したのだから。
「聖女マリア、あなたに来ていただけとは。これで我らの戦力も磐石なものとなりましたな」
「勘違いしないで下さいシュズリゲル陛下。私ども教会は基本的に中立的な立場です。今回は参加は致しますが、それはすべて世界の調和のためと思っていただきたい」
「はて、その役割は剣聖のものだと存じておりましたが違いましたか?」
「彼女ではあまりに力の差が開いてしまいますし、今回は監視の意味の方が強いので」
「なるほど。だから聖女自らということですか。いやはや、仕事熱心なことでなによりです」
これ以上話すことがなくなったマリアは口をつぐみ、新しく用意された席に腰を下ろした。
「話しを戻しましょう」
そう言ったのはグランゾール軍参謀のヨルドだった。
「現在敵軍はおよそ五万の軍勢で進行中です。未だ国境は越えられてはいませんが、進行速度からすると明日の朝方には既に国境を越えられていると考えられます」
ヨルドの発した情報を知って、周りはそれぞれに言葉を交わし出す。
「五万か……かなりの手勢だが全勢力というわけではないんだろうなぁ」
「かの国はあの軍略に長けたブラックレオの国ですからね。しかも魔物の軍勢は人間より遥かに戦闘能力が高い」
「こちらは十五は集めたが、これで足りるかどうかというところじゃな」
ヨルドの情報を得た彼らが最初口にした言葉は弱気なものが多かった。
彼らの声に耳を傾けていたものたちも、一様にその形相に不安な気持ちが現れていた。
「ふん、武力ならば我らとて負けてはいないではないか!! それに我らには聖女様だってついてくれているのだぞ」
「その通りね。最初から気持ちで負けていたんじゃ守れるものも守れないわよ」
そう奮起するものたちもいたことによって、また彼らの空気も変わってきた。
「腹はくくれたようだのう。ヨルド!」
グランゾール王シュズリゲルが声を上げ、場の主導権をその手に戻すと、更にそれをヨルドに渡す。
「はっ! 策はもう既に考えてあります。各部隊長は私の指示のもとに動いていただきたい」
「それでその策というのは?」
「こちらも奴らと同様に数を分散させます。そしてそれを左右に置いておき、中心の部隊と奴らの軍勢が戦闘に入ったあと、様子を見て動かし、なにもなければそのまま奴らの軍勢の後ろから囲い込みます。上手くいけば戦力をあまり減らすことなく敵軍の五万を駆逐できると考えています」
「悪くない案だな。現状、相手の出方や総力がわからない以上はこれが妥当だろう」
そこでまたシュズリゲルが最後に声を発し、会議を締めくくった。
「よかろう。では皆のもの、死力を尽くそうではないか」
会議が終わったあと、マリアは早々にそこから去り、グランゾールの城から出た。
城を出ると、外にはミズチがマリアの帰りを待っていた。
「遅かったじゃねぇの。いったいなに話してたんだよ」
「これから起こる戦争についていろいろと話しをしてきました」
「ほんとにやるんだな。相手はブラックレオっていう魔王だっけか?」
「ええ、彼らは楽観視していましたが、ブラックレオは侮れない存在です。思う通りにことが運べばいいのですが」
「そりゃあ無理だろうな。物事は計画通りにはいかないものさ」
「それにしてもなぜこんな時期に動いたのでしょう。今まではこんな大胆なことをする魔王ではなかったのですが」
「退屈だったんじゃねぇの? 玉座に座ってるだけじゃな」
「退屈……ですか」
他の魔王であれば、退屈が理由である可能性はあったが、ブラックレオは王としても軍略家としても非常に優れた才覚を持っている知性的な魔王だ。そのブラックレオが好奇心だけで戦いを仕掛けてくるとは考えられない。
それに最近になってブラックレオは黒い噂が絶えない。ゲマルドとかいう魔物を使っていろいろと悪事を働いているのも知っている。
「なにかあるのかもしれません」
「なにかってなんだよ?」
「そうですね。たとえばなにかを探っているような、そんな気がします。最初に出してきた五万という軍勢はあまりにも妥当性があり過ぎる気がしてなりません」
「そうか? 相手の出方がわからなけりゃあ、普通そうするだろうが」
それでもマリアはなにか引っ掛かりを覚えていた。
相手があの五大魔王のなかでも名高いブラックレオならば、なにをしてくるかわからない。もっと物事を大局的に見る必要がある。
「それよりもう今日は宿で休もうぜ。さすがに船での長旅の後の立ちっぱは堪える」
「そうですね。私も疲れましたし、このまま考えていてもいい閃きがあるとは思えません。宿に戻って長旅の疲れを癒しましょう」
そして次の日の翌朝、グランゾールに入ってきた情報は思いもよらぬものだった。
進軍したばかりだったブラックレオの軍は、国境を越えたばかりか、既に奴らはグランゾールの目と鼻の先まで迫ってきていた。
そしてグランゾールは、その日のうちに戦火に包まれていくのだった。