三十二話、成長期
清々しい夜の訪れだった。
今日も夜早くから点々と街に光が灯っていく。
街並みはいつものような騒がしさはなく、しんとした静けさのようなものが立ち込めていた。
人通りはほとんどなく、設備的な側面から誰もが闇のなかを行動できるようにと灯りをつけているだけのようだ。
いつも通りの活気のある街になるにはまだ時間が必要だった。
ミリアが目を覚ましたのはあの店のなかだった。
きっと酒を飲んで、そのままカウンターに突っ伏して寝てしまったのだ。
店のなかには、隣にマシェエラが同じく寝ているだけで、マスターも客も誰一人としていなかった。
居座ってしまって、マスターには悪いことをしてしまった。
そう感じたミリアは、マシェエラを起こして店の外に出ることにした。
この朝のない世界では昼夜通して空が暗いせいで、起きても気持ちが晴れない。
「ミリアぁ、ここどこぉ?」
マシェエラは未だ寝ぼけているようだった。
マシェエラからはまだ酒の臭いが消えていない。結構飲んでいたようで、アルコールは切れていないようだ。
「昨日入った店の外だよ。覚えてない?」
「そういえば久しぶりに飲んでたら気持ちよくなって……そっかぁ、あのまま寝ちゃってたんだ」
「帰ろう。ククのことが心配だよ」
「そういえばあのあとどうなったのかしら。リリスが治療するって言ったから私たち外に出たのよね」
千鳥足のマシェエラと肩を組んで歩いて帰ると、部屋には既に灯りがついていた。
まだリリスがいるのかな。それともククが……。
期待を込めてなかに入ると、そこには見知らぬ少女がいた。
その子はサキュバスで、ククに似ているが、背丈や見た目はミリアより少し下くらいのように見えた。
「あっ! ミリア、マシェエラ、おはよう。今日もいい夜だね~」
少し大人びているが、聞き覚えのある声と話し方だった。
「もしかして……クク!?」
「そうだよ~、びっくりした? 起きたらこうなっちゃってたんだよ~」
「あれ? お酒のせいかしら……ククが少し大きくなったように見えるわ」
マシェエラは目を擦りながら言う。
まだ酒が抜け切れていないようだ。
「幻覚じゃないよマシェエラ!! ほんとうにククが大きくなっちゃったんだってば!!」
「へ? …………クク? ククなの!?」
遅れてマシェエラが目を見開き声を上げて反応する。
「そうだよ~、うへへぇ」
「うへへじゃないよ。どうしてこうなったの!?」
「それについては私が説明してあげる」
その声は上の階のエルの部屋から出てきたリリスから発せられたものだった。
リリスは大きなあくびをしながら階段を降りてくる。
「リリス、帰ったんじゃなかったの?」
「疲れたからエル君の部屋で休ませてもらってたんだよ。まだエル君の残り香もあったし、気持ちよく眠れたよ」
満足そうにリリスは言う。
リリスの言うことに気になることもあったが、それどころではない。大事なのはククのことだ。
「あのあとどうなったの? ククがどうして大きくなっちゃったか、ちゃんと説明して」
「わかってるよ。ククちゃんはただ単に成長期だっただけだよ」
リリスはリビングの椅子に腰を下ろす。
「成長期?」
「そう。誰だってあるよね。人間にもあるんだから魔物にだってあるんだよ」
「成長期って……だから体調を崩してたっていうの」
「そうだよ。そのために膨大な魔力が必要だったんだけど、エル君がちゃんとエナジードレインさせてあげなかったから、魔力が枯渇して苦しい状態が続いてたってわけ」
そういうことだったんだ。
ククは大変だっただろうけど、変な病気とかじゃなくてよかった。
ミリアはほっとしていた。
「エル君も意外とドSだよね。サキュバスな私的にはゾクゾクしちゃうけど」
と、リリスは軽口をたたく。
「じゃあ私はそろそろいくね」
リリスは立ち上がって部屋を出ていこうとする。
「今は比較的安定してるけど、ククちゃんはしばらくは安静にしていたほうがいいよ。街を見て回るくらいなら問題ないだろうけどね」
「わかった。大人しくしてる」
ミリアが答える。
「懸命だね。じゃあまたね」
そしてリリスは帰っていった。
「それにしてもいきなりでついていけないわね」
マシェエラがククを見て言う。
「ていうか目のやり場に困るよ。前よりいろいろと大きくなっちゃってるし、後で新しい服買いにいかないとね」
「なんでミリア顔赤くしてるの?」
「なんでってそれは…………なんでだろう?」
前までは普通に裸とか見てたのに……なんだろう色気が増している気がする。
これが…………これがフェロモンってやつか。ククがここまで成長するとは。
「ぬぬぬ……」
視線をククの身体の端々に向ける度に複雑な嫉妬心が生まれてくるミリアだった。
なんだろう。なんか変な気分になりそう。
ミリアがククをじろじろと見ていたら、妙な気分を感じた。
これがサキュバスの特性の一つである惑わす力なのだろうか。
同性にも効果があるなんて知らなかったよ。
大丈夫、私はヘテロセクシャルのはず。大丈夫だ私ぃ。
「どうしたの~、ミリア?」
「ミリア、目がクルクルいってるけど大丈夫?」
マシェエラにも心配される。
「大丈夫大丈夫!! 気のせいだから。それよりこれからどうする?」
「わたしぃ~お腹空いちゃったなぁ」
「そう。でもククは男の人からエナジードレインしないと食事にならないのよね」
「大丈夫だよ~、マシェエラ。女の人からも少しならもらえるようになったから~」
そう言ってククはマシェエラの背後から絡み付くように身体を密着させて、首筋に舌を這わしてゆっくりと舐め上げる。
「えっ!? ちょっちょっとクク!? あっっんんんん」
マシェエラの堪えるような声が出る。
「ちょっとクク、さすがにそれは……」
だがミリアの声は既にスイッチが入ってしまったククには届いていないようだった。
だからといって止めに入ることもできず、目が離せずにいた。
そのうちマシェエラが色っぽい声を漏らし始める。
「ほうぉぉ」
凄い……これが女同士の絡み。
ミリアはどうしていいかわからず二人を見守ることにする。
「マシェエラの魔力美味しいね。しょっぱくてなんか香ばしいよ」
「んっ…………それどういう意味よっ……んあっ……ああ……だめよククそれ以上はっっ」
「もうだめなの? じゃあ次はミリアにしよっ!」
「えっ…………」
ククがマシェエラを解放すると、マシェエラは力尽きたように崩れ落ちた。
ククはころんとした目をさせてミリアに近づいていく。
心なしか目が据わっているように見える。そして漂うアルコール臭。
間違いない。ククはマシェエラの僅かに残っていた体内のアルコールを吸ってしまっている。
ミリアはとてつもなく嫌な予感がした。
「待ってクク、落ち着いてよ。マシェエラからもらったし、もう結構お腹一杯でしょ。帰ってきてからでもいいんじゃない?」
「安心してミリア~、気持ちよくしてあげるから」
「そういう問題じゃないんだよ!!」
ミリアは全力で部屋から出ようと試みたが、ククの方が一歩早かった。
「捕まえた!!」
ククは楽しそうに笑顔でそう言う。
ククは扉の手前でミリアを捕まえて拘束すると、マシェエラと同様にエナジードレインをしてくる。
ああ……だめだぁ。意識が……私の清い純血が…………。
そしてその後三人は目を覚ましたが、クク以外の二人からは完全に記憶が抜け落ちていて、なにがあったのか覚えてはいなかった。
ミリアとマシェエラは、とりあえずククが外に出るための服を新調しに出掛けたのだった。