二十六話、サキュバスの島
そこはどこか夢のような、僕のいた世界とはどこか違った色合いや趣のある島だった。
空が常に暗く、朝なのか夜なのかも検討のつかない世界が広がっていた。
その島は闇のなかを彩るように光が散りばめられたような、闇に包まれた島というような印象を持っていた。暗いはずなのに視界は取れていて明るくも感じる。魔性を感じさせる不思議なところだった。
謎の多い島だった。なぜか光もないのに林があり、草や花がが普通に生えている。これらはなにから養分を得ているのだろうか。
目を覚ましたのは未だ僕だけのようだ。
近くにはミリア、マシェエラ、そしてククが浜辺に打ち上げられていた。
三人それぞれに目を覚ますよう声を掛けると、ミリアとマシェエラは目を覚ましたが、ククはなにをしても目を覚まさなかった。
当然ククの体調は悪化しているようで、辛そうに息を吐いている。
このままにはしておけない。早く身体を休ませることのできるところに連れていかないと。
そんなとき、林のなかから人影が二つ僕たちに近づいてきた。
その人影には近づいてきてわかったが、背中に羽が生えていた。
つまりそれは人ではないもの。人型の魔物であった。
「彼女弱ってるわね。早く休ませてあげないとどうなるかわからないわよ」
「お前たちは……サキュバス!?」
目に光が届き、その姿が露になる。
二体のサキュバスは手招きをして僕たちについてくるように誘う。
「ついてきなさいな」
「彼女を休ませられるのはこの島に雄一ある私たちの国だけよ」
「…………わかった」
エルはククを背負い、ミリアとマシェエラを連れて、サキュバスについていった。
林のなかを進んでいくと、気がつけば一つの大きな国にたどり着いていた。
おかしいな。さっきまではこんな近い距離にこんな大きな建物なんてなかったはずなのに。
「安心して。ここは招かれたものにしか認識できない国。私たちの、そしてあなたたちの楽園、サキュバス島のワイプリズンよ」
そして案内されたところは、都市などにもあるような繁華街をそのまま肥大化させたような国だった。
「ここがサキュバスの国なんだぁ」
「早くククを休ませられる場所に連れていきましょう」
マシェエラがサキュバスに言う。
「その前に勇者エル、あなたにはワイプリズンの長であるクイーンサキュバスのリリス様に会ってもらわ」
「背中の子とそこの二人は先に私が宿に連れていくから、そっちお願い」
「りょーかい。じゃあ勇者エル、ついてきて」
そして僕はこの国で最も大きく、敷居の高そうな建物のなかに通された。
サキュバスに連れられて、六階に一つだけある部屋に通された。すると、そこにはリリスと呼ばれるクイーンサキュバスが、机に足を伸ばして僕を待っていた。
「やっときたぁ。待ってたよ勇者エル。君がここに来るのをね」
「思ってたんだけど、なんで僕のことを知ってるの? 後ろの君もそうだけど、最初から僕の名前を知っていたよね」
それともう一つ思ったことはここに来るまでの街にいるサキュバスたちの視線だ。
「ここに来るまでずっと、僕は街中にいるサキュバスたちから見られていた。でもそれは物珍しさから見ていたものとは違うように感じたんだ。歩いている人間に興味を示していたんじゃない。あの様子は僕という人間を知っていて見てきたって感じだった」
「正解! 名推理! 君の言い当てた通りだよ。私は君のことを前から知ってるし、ここに住んでるサキュバスたちもみんな知ってる」
「どうして僕なんかを……全然無名の勇者なのに」
「勇者としては無名でも、君のなかのもう一人の君は魔王クラスだからね」
そういうことか。
僕自身はまったく認識できてないけど、僕のなかにはもう一人の人格が住んでいる。
周りから教えてもらって初めて知ったことだったが、わかっているのはその存在がナハトという名前だということくらいだった。
僕自身なんどとなくそのもう一人に助けられてきたという実感はある。でなければ、ゲマルドや邪神ゴルトスと戦って生きていられた保証はない。
「君の潜在的な濃い魔力はサキュバスたちにとってはごちそうだからぁ。みんな狙ってたりするんだよね。だから気をつけて」
そこで熱のある視線を感じた僕は、振り返ると部屋のドアの隙間から複数のサキュバス目がチラチラと見える。
それに気がついた僕をここに連れてきたサキュバスが、話しの邪魔にならないようにと隙間を閉じた。
「サキュバスは欲求に正直な種族だから、基本的にメリットがなければ従わないしね。でも後ろの子達みたいに気になれば積極的だよ」
リリスはちろっと舌を出して微笑んでみせる。
「そろそろ僕をここに連れてきた理由を聞かせてくれないか?」
「理由ねぇ、私は君に興味があったから連れてきてもらったって感じなんだけど、それじゃあ君は納得しないんでしょ。だから正直に言うよ」
リリスは伸ばしている足を組み替える。
「君と取引したいんだ。私なら今君が悩んでいるククちゃんの問題を今すぐに解決してあげられるよ」
「なんだって!? そんなことどうやって!!」
エルはリリスに食い入るように迫っていく。
リリスは机から足を下ろし、そんなエルを宥めるように肩を掴んで自分の持つその豊満な胸元に引き込んだ。
「はいはい大丈夫でちゅよ。だから落ち着いて聞いてね」
リリスの虚をついた行動に、エルの思考は止まる。
「いい? エルくん。ククちゃんがあんな状態になっちゃったのはエルくんのせいなんだからね」
やっぱり僕のせいなのか……。
エルは口を動かせないので心で思う。
そんなエルの様子に気づいてか、リリスは優しい口調で言葉を続けた。
「エルくん、君は自分のレベルが低いからククちゃんをあんな状態にしてしまったって思ってるのかもしれないけどそうじゃないよ」
「努力の方向性が違うんだよ。レベルは確かに高いほどエナジードレインをしたときの効率はいいよ。でもエルくんとククちゃんのレベル差ならまだ大丈夫なはずなんだ」
じゃあ問題はなんなの……とエルは塞がれている口で音を出す。
「それはね……セックスしてないから」
「!!?」
エルは音を上げる。
「エルくんはサキュバスって種族について知らなさすぎるよ」
リリスは言い聞かせるように拘束に力を入れる。
「!?」
く……くるしい。
「エルくんは魔物との契約の対価についてはその魔物の要求するもので変わってくるってことは知ってる?」
エルは頷いて返事をする。
「じゃあサキュバスの場合はエナジードレインなんだけど、サキュバスが本来それをするのに一番効率がいいのがセックスです。だからヤってあげれば問題は解決するよ」
そんなこと言われても困るよ。
エルの嘘偽りない本音だった。
そんな心の内が伝わったのか、リリスはエルに問いかける。
「エルくんはどうしてしてあげないの? 恥ずかしいの?」
そんなんじゃない。そうじゃないけど……。
「でもヤればククちゃんを助けてあげられるんだよ。躊躇する必要なんてないと思うけど」
それでも……決められない。今はそのときじゃない気がしていた。
それにククの気持ちを考えると、簡単に決めていいことじゃない。
「エルくん、大事にしてあげてるんだね。それは私のことじゃなくても嬉しく感じるよ。同胞が愛されてるっていうのはなかなかないことだからね」
リリスは暖かい気持ちを思わせる顔をする。そこからは慈愛のようなものがあるように思えた。
「サキュバスって種族はね。本来愛そのものを形とした種族なんだ。私は君にサキュバスのことをわかってないって言ったけど、君はわかってないなりに考えてくれているみたいだね」
そう言うと、リリスは抱きしめていたエルを解放して、続けてこう言った。
「エルくん、取引だ。さっきまでのことを踏まえて聞いて欲しい」
エルはその一言に息を呑んだ。なぜならリリスのその声色には、深刻な決断を匂わせる空気を纏っていたからだ。
「ククちゃんのことは私がなんとかしてあげる。その代わり、君にはある人の元へ行ってもらいたいんだ。それもたった一人でね」
「そのある人って誰なの?」
エルが聞くと、予期しない存在の名前が出された。
「魔王キュティレイ。彼女が君に会いたがっている」
リリスからそれを告げられた瞬間、僕は自分のなかの世界や日常というものが、蓋を裏返すように一変するような予感を武者震いとしてその身に感じていた。
そんな僕の瞳をリリスはじっと見つめたまま、僕が答えを出すのをゆっくりと待っていた。