一話、出会い
僕は住んでいたトリントルという村を出て、未熟な勇者が最初に目指すという王都マグアーレを目指していた。
僕の勇者としてのレベルは3で、まだまだ道中の魔物との戦闘に余裕はない。だから少しずつレベルを上げながら進むことになる。
今はマグアーレまでの道中、トリントルから少し先にあるナバレ村の宿屋に身を置いていた。宿屋の一泊の値段は二ゴールド。つまり、魔物を倒して剥ぎ取った素材をいくつか売っていれば泊めてもらえるくらいの金額だ。
僕はここに滞在して二日目になる。普通なら最初からここに寄らずにこの先のコート村に進むが、自分はレベル上げに苦戦していて未だにここにいる。
そんなとき僕がレベル上げから帰ってくると、村長さんから魔物退治のお声が掛かった。
「勇者エルよ。どうかお願いできませんかな」
神妙な顔をして村長は言う。
「あの……村長さん。その魔物はどんな魔物なんですか?」
「それが……まだ被害に遭ったものは少数なんじゃが、なんというか……魔人なんじゃ」
「魔人って! そんなの僕に倒せるわけないじゃないですか。それなら王都に連絡して、もっと腕のいい勇者を呼んだ方がいいですよ」
「だがその魔人はまだ低級でな。王都に頼むほどの案件じゃないんじゃよ」
「そうなんですか……でも……」
エルは少し考えて、村長さんの困った表情に依頼を受けることを決めた。
「わかりました。受けます。それで、どんな魔人なんですか?」
「夢魔じゃ」
「さっ……サキュバスですか」
「そうじゃ」
サキュバスといえば、人から魔力を奪ってそれを食べて生きている魔物だ。
「でもサキュバスは人間と共存型の魔物ですよね」
「そうじゃ。だが、そいつははぐれものでな、産まれてから今まで夢魔としての生き方を教わっておらんのじゃ。じゃから周りに迷惑を掛ける。下手をしたら人間を殺してしまうかもしれん」
「そんな……」
まだ子供なのにそんなこと……。生き方を知らないだけだというのに、殺さなきゃいけないだなんて。
「じゃからその前に退治して欲しいのじゃ。なに、心配はいらん。報酬はきちんと払うでな」
そして僕は村外れの森に住んでいるという低級のはぐれサキュバスと戦うことになったのだった。
僕が森に訪れると異様な匂いを感じた。身体中が熱くなるような不気味な感覚だった。
身体がざわつく。すると、突然どこからか声が聞こえてきた。
「キミは普通の人間とは違うね。勇者かな」
心の籠っていない。無機質な声に感じた。人間を食料としかみていないような。そんな声色だった。
「そうだよ。君はもしかしてサキュバス?」
「そうだよ、サキュバス。キミの魔力美味しそう。食べちゃってもいい?」
「ごめんね。可哀想だけど、僕は君を退治しにきたんだ」
不穏な空気が漂う。この緊張感はエルが初めて感じるものだった。下手をしたらここで死ぬかもしれないと思った。
翠色の風が降ってきた。
僕はその風を剣で斬りつける。
かわされた。
瞬間、研ぎ澄まされた爪が僕の頬を霞める。反射的に一歩引いていなかったら、今頃僕の首は飛んでいた。
やばい、死ぬ。そんな緊張感が、僕の頭のなかを支配する。
「こんなもの? 勇者ってたいしたことないね。じゃあそろそろ、ボクに食べられちゃいなよ」
翠色の艶かしい髪をなびかせて、サキュバスはその姿を現した。
だが、その姿は裸体そのもの。眼のやり場に困った。
まずいよ。これがサキュバスの手なんだ。裸体を晒して視線をずらす。でも、見ればチャームにかかってしまう可能性がある。
万事休す。そんなときは不運が重なるもので、更なる驚異が近づいていた。
僕に気を取られていたサキュバスは背後から近づいてきたトロールに気づいていなかった。トロールはサキュバスに手に持つ巨大な棍棒で襲い掛かった。
棍棒がサキュバスの身体を吹き飛ばす。
不意をつかれたサキュバスはさっきまでの余裕が消え、意識が消えかかっていた。そこにトロールは追撃せんとして、サキュバスに近寄る。
消えそうな意識のなか、サキュバスは霧のような微かな声を無意識のなか発していた。
「ひとりで……死にたく……ないよ」
エルは思った。この子は独りぼっちなんだと。そう思ったら、身体が勝手に動いていた。
助けたい。
エルは倒れているサキュバスを背負い、トロールの攻撃を回避する。
サキュバスを木の影に隠して、エルはトロールと対峙した。
トロールの動きは遅い。だから、渾身の一撃をもらわなければなんとかなる。
エルは必死だった。
まずは動きを制限するために足元を狙った。これは養成所で習ったことだった。
タイミングを見計らって、足元を斬りつける。
レベルが低いせいで威力が弱い。だからなんども同じ場所を狙って斬りつける。
「うおおおおお」
ようやく八度目でトロールは体勢を崩した。次ももう片方の足を狙う。
トロールが体勢を崩してからは容易にもう片方の足を壊せた。
両足を壊されたトロールは倒れる。その上に飛び乗り心臓を狙って剣をなんども突き刺した。動かなくなるまで、なんど突き刺したかわからない。
トロールが動かなくなったのを確認して、エルは肩から崩れ落ちた。疲弊した身体を少し休ませてから、サキュバスを連れて宿屋に戻った。
日が落ちて、サキュバスは目を覚ました。最初は動揺していたが、状況をすぐ理解してくれたようだった。
「どうして助けたの? 人間なのにキミ、変だね」
未だ弱々しい声だが、サキュバスは僕に理由を求めてくる。
「言ったよね。死にたくないって。ひとりで死にたくないって。だから助けなきゃって思ったんだ」
「わけわかんない。でもぅ、助けてくれてぇ、ありがとうね~」
「うん、どういたしまして」
そしてサキュバスは眠った。その顔はどこか、安心したような無防備なものだった。
朝を迎えて、レベルが上がっていたことに気づいた。
レベル6かこれなら先に進めそうだな。
「おっはよぅ」
サキュバスが朝早くから部屋のなかに入ってくる。僕はまだ支度すら済んでいないというのにどうして。
「あっ! 起きてたんだ。まだ寝てるのかと思ったぁ」
サキュバスを見ると、出会ったときのようになにも身につけていない姿のままだった。
「寝てると思ってたなら入ってこないでよ。それに服くらい着てよ」
「え~だって服なんて持ってないよぅ。それに~キミの魔力食べたかったしぃ。顔かわいいから寝顔見てみたかったしぃ」
「えぇ……」
そうか。やっぱり彼女もサキュバスなんだなと今更ながら思った。
というか、僕ってやっぱり童顔なんだな。背も同い年の男の子と比べても低いし。どっちかというと女の子と同じくらいだったしな。
なんだか考えてて悲しくなってきた。自分のコンプレックスの数を数えていても切りがない気がするしもうやめよう。
そんなこのよりも目の前の現実だ。緊急事態だ。
「ダメだよ。僕、そんなこと……してあげられないよ」
「なに赤くなってるの? もしかしてエッチなこと考えちゃってるのかな?」
「そりゃあ……まあ……」
エルは赤くなった顔を更に赤くする。
「大丈夫だよ。サキュバスは身体一部を舐めさせてもらえばどこからでも魔力が吸えるんだ~。それにね~その一部はぁ、キミが決めていいからね~」
「そうなんだ。良かった」
胸を撫で下ろして安堵しているエルに向かってサキュバスは急に蠱惑的な表情をする。
「どこからでも吸ってあげるよ~。たとえばぁ、こことかぁ」
と、サキュバスは敏感な一部分に触れてくる。
「うえっ!?」
「おもしろ~い」
まるで玩具のように扱ってくる。
「やめてよ」
僕はその一部分をガードする。
「なんで? 人間の男の子ってこういうこと好きでしょ」
「そうだけどやめてくれ」
「そこまで言うならやめるよ~。でも魔力は食べさせてね」
「わかったよ」
僕は指を差し出した。
サキュバスは差し出された指を舐め始めた。だが、やはり変な感覚が身体を支配し始めた。ぞわぞわする。やったことを後悔したくなった。
「うん。美味しかった~。また頂戴ね~」
そう言ってサキュバスが無邪気に笑う。できればこれが最後にしたい。でないといつかなにか大切なものを無くしてしまう気がした。
「僕はそろそろ旅に戻るよ。君はここに残ってもいいけど、人間には迷惑かけないでね」
「ああ、そのことなんだけどね~」
サキュバスは言い忘れていたように声を上げる。
「キミはもうボクと契約しちゃってるからぁ。離れられないよ~」
「へ?」
言われてから急に左の手の甲が痒くなった。そして黒い光を放ち、そこには契約の紋章が刻まれていた。
「ボクはクク、よろしくね。エル~」
そうして僕のパーティの最初のメンバーが決まったのだった。