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百十七話、ククの想いと恋愛事情



黒一色の後はなにもない世界。ロゼの作った世界ではロゼの家だけが色を持ち、その存在を主張している。


家以外にはなにもない。だから何物かが侵入してきたら、それは雑音なくすぐに感知することができる。


そして今まで一度としてこの世界に入ってきたものはいなかったが、今日この日初めて招いてもいないのに客人が家の戸を叩いた。


その外見は大人びた落ち着きのあるもので、それでいて瑞々しく妖麗と、無駄のないまでに完成された美であった。


闇がよく合うその雰囲気は、正しくサキュバスのもの。


「来たのね番いちゃん。ええと……ククちゃんだったかな」


ロゼは警戒せずククを家のなかに入れた。


ククは入るとすぐに家のなかに視線を散らばらせて、そしてすぐこう聞いてきた。


「エルはどこ。エルをどうしたの。まさか襲ったりしてないわよね」


さっきまでの様子と一転して立て続けにそう聞かれ、さすがのロゼもその剣幕に少し押されていた。


「だ、大丈夫大丈夫。私はチェーンが彼を殺そうとしていたからここに連れてきただけ」


「ほんとでしょうね」


「本当よ。あなたももう変なこと考えてないでちゃんと彼と話し合ったら?」


「話してどうなるのよ。エルには好きな人がいるのよ。話しても私の気持ちは届かないんだから」


ククは暗い面持ちでそう言った。


彼女もエルに拒絶されたことで傷ついているのだろう。だけどそれは彼女のやり方が多少強引だったからじゃないかと、エルの話しを聞いてロゼは思っていた。


「彼はとても理性的な人よ。一時的に沸き上がった情欲だけではなびかない。あなたもサキュバスなら、もっと男というものを知るべきじゃない?」


「私が知らないっていうの!!」


ククが声を張り上げる。


「だって……確かあなたってまだ処女じゃない?」


ロゼになんとないようにそうぽんと言葉を返されてククは押し黙った。


なぜそんなことをロゼが知っているかというと、ロゼも旧世界の生き残りであり、イレギュラーネットワークにアクセスすることができる権限を持っている一人だからである。


当然ククも彼女のことをイレギュラーネットワークを通じて、そこに載ってある情報である程度知っている。


ククの情報は常に新しい情報がイレギュラーネットワークに書き込まれていく。


イレギュラーネットワークにアクセス可能なものなら、新世界の人間たちの個人情報はすべて筒抜けだ。


このとき、ククはこんなものを作ったやつのことを心底恨んだ。


同時にそれは自分の産みの親を恨むことと動議なのだが。


返す言葉もなくククは目を反らす。


「……知識ならあるわよ。やり方だってサキュバスとして生まれたときから知ってるし、イレギュラーネットワークで旧世界のときの知識も大量に見てきたわ。それでも足りないというの」


最初は小さく、それでも少しずつ話す速度を増してククは主張する。


「足りないわよ。圧倒的に経験がね」


最後の方の一言がククにはめっぽう刺さった。


「だって……だって…………」


ククは言葉を詰まらせる。


見た目は大人びた女性、だがククはまだ成人して間もない。成熟とは程遠い。


「まあわからるけどね。純情なのはいいことよ。サキュバスとして生まれてきた 割には稀有なことだと思う」


そんなククに諭すようにロゼは言う。


「でもそうじゃないでしょ。番いとして、あなたはその程度なの? エルのパートナーとして側にいたいのなら、あなたは覚悟を決めなくちゃならない」


それは別の誰かを好きになっても、それを許してあげられること。


それはとても難しいことで、覚悟のいること。


「そんな覚悟はもうできてる。できてるわよ……」


「なら彼を最後まで見届けてあげるのよ。そして彼のすべてを受け入れてあげて。それが番いとしての力であり、役目なんだから」



「愛するために生まれたあなたのね」



その一言がククに深いところに突き刺さった。


自分という存在と、その意味。それは彼を一生支え続けるというもの。


自由がないわけでもない。でも縛られている。心が…………。


「難しいことだけど、待ってあげるしかない。そして彼の選択をきちんと受け入れてあげること。あなたにはそれ以上のことはできない」


強引に進めようとすると逆効果なのはククも前のことで失敗したのでわかっていた。だけどそれでもと、焦る気持ちが心を先行させてしまう。


「それで拒絶されても、それでも待って一緒に戦って彼のことに心身になれたなら、私はあなたを凄いと思うし、あなたはあなた自身を誇っていいと思う」


ロゼはあなたなら心配ないと言って、最後にこう漏らした。


「でも、きっとそうできてしまうのよね。だってあなたは……そういうふうに作られてしまったんだもの」


ロゼは少し悲しそうな目でククを見た。


それはけして可哀想なものを見るような目ではないことだけは確かだった。


だからククの癇に触ることはなかったが、クク自身そう言われて複雑な心境だった。


自分でも理解している。これが作られた気持ちなのだということを。


でも……それでもいいと思う自分がいるのだから、もうそんなことはどうでもよかった。


ククはロゼと話してやっと心の整理がついた気がしていた。


雲谷が晴れた。後はやりたいようにやるだげだった。


「私……エルにちゃんと伝えてくる。じゃなきゃ伝わらない……でいいのよね」


「そういうこと。大事なことよ。じゃないと夫婦生活喧嘩ばっかになっちゃうから」


「経験あるの?」


「ないわ」


ぴしゃりとそう言ったロゼは自信満々といった様子だった。どうやら彼女には経験がなくてもそれがわかるようだった。


上で物音がした。


二階にいる誰かがドアを開けた音だった。


ゆっくりと足音が聞こえてくる。


階段を降りてくる。


階段に視線を向けると、そこにはエルの姿があった。


「エル……やっと会えた」


「引きこもるのはもうやめたの?」


ロゼがエルにかけた言葉に、ククは目を見開いた。


「僕はどれくらい眠ってたの?」


「九日よ。ほんと、どれだけお寝坊さんなのよ。彼女も待ちくたびれたってよ」


そこでロゼがククに会話のバトンを渡してエルの前に押し出した。


多少強引だが、ククはそんなロゼのお節介に感謝した。


「エル…………私…………」


「クク、僕はこれから世界を救いにいくよ」


エルは真っ直ぐククの目を見ながらまずそう言った。


「今どうなってるかわからない。もう……手遅れになってしまっているかもしれない。でも、僕が決着をつけなきゃならないんだ」


エルは手の平から白い光玉を出してみせた。


その光玉は自ら空中に舞い上がると、姿を変えて四足歩行型の小さな魔物になった。


「その子はナハトの!?」


「シルクっていうんだ。ナハトに託された」


シルクに反応したロゼにそう伝える。


「約束したんだ。彼の代わりに僕がイレギュラーとして使命を果たさなきゃならない」


シルクがエルの肩の上に乗る。


エルは両手でククの両肩を掴んだ。そして優しくこう言った。


「だからクク、僕は死ぬかもしれないけど、もし帰ってこられたら、君のことをもう一度考えさせて欲しいんだ」


「いいわ。でも、一つだけお願いがあるの。聞いてくれる?」


「もちろん」


ククはエルの答えを聞くと、堂々とした様子でこう言った。


「あなたの好きにしていいわ。私に気をつかわなくていいから。それと――――」



私を選んだときは――――遠慮せず激しくしていいからね。



顔を近づけてそう蠱惑的な表情と声で囁いた。


「えっ!? えっと……わ、わかった。うん……約束するよ」


エルは一瞬揺れた心をなんとか整えてそう返した。


「じゃあ行ってくる」


エルはそう言うと、駆け足で出ていこうとする。


「行ってらっしゃい。旦那様」


そんなエルにククは後ろからそう言って送り出した。


「んっ!?………………」


と、小さく声を漏らしてエルは外へ出ていく。


「いっちゃった……」


「そうだね」


「私、上手くできてた?」


「良かったんじゃない。そこはさすがサキュバスだよね」


「ほんと……いつの間にか演技が上手くなってたのよね」


「ほんとに演技かな? まあいいけど。大人になったってことでしょ」


「そうね」


小さな勇者を送った後のロゼの家では、彼女たちのそんな他愛もない会話と笑いが上がっていた。


女の子にとっては世界の窮地よりも、恋愛の方が大事…………なのかもしれない。




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