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百四話、悲しみの淵で



声がした。


それはよく知った……僕が置いてきた彼女の声だった。


謝りたかったからだろうか。未練があったからだろうか。僕の名を呼ぶ声が走馬灯のように聞こえてきた。


彼女を傷つけないよう、弱い彼女をこれ以上生死を左右する戦いに連れていきたくなかったからこそ、 僕は彼女を置いてきた。


僕の選択は間違っていなかった。


ただ、置いてかれると知ったときの彼女の目が……表情が……いつまでも僕の脳裏から離れてはくれなかった。


今この瞬間にも、僕は彼女に罪の意識を感じていた。


この死の淵にいるような状況でも……。


デュースが蒼の炎をエルに向けてくる。


「結局お前は勇者にも世界の破壊者(イレギュラー)にもなれなかったということだ。哀れだな」


デュースは蒼の炎をエルに放った。


「安らかに眠れ。ダメ勇者」


エルが死を覚悟したとき、すべてを諦めたとき、エルの名前を呼ぶ声の主が現実となってエルの前に現れた。


「エルっ…… 危ない!!」


ミリアだった。


ミリアはエルを庇ってデュースの炎を受けた。


「えっ…………」


一瞬なにが起こったのかエルには理解できなかった。


自分の代わりに守りたかったはずの女の子が蒼の炎に全身を焼かれている。


「ミリア……どうしてっ……」


「無駄なことをする。いくら庇おうがこいつの死は私によって確定されているというのに」


ミリアはその身を焼かれ、その激痛に声を上げていた。


「どうして……どうしてこんな……ミリア」


「エル、お前の弱さが招いた結果だ。守りたいものも守れない。いや、お前にはそんな力など元々なかったのだ」


「僕は……どうすれば……」


「どうもできやしないのだ。もう自分ではなにも救えないことを認めろ。お前は無能だ」


無能……そうか僕は無能なんだ。


誰も助けることなんてできない。ましてや救うことなんて……なにもできやしないんだ。


ミリアは僕のために炎に焼かれて死ぬんだ。こんななにもできない僕のために。


どうしてだ……どうして君がここに……。


――――エル――。


エルは悲しみの淵でミリアの声を聞いた。


それはなぜか幻聴ではないとエルにはわかった。


「ミリアなのか!?」


「エル……聞いて。エルはなにもできないわけじゃない。エルはずっと私を助けてくれてた」


ずっと…………。


「ゴーレムに襲われたとき、バクに眠らされたとき、ジンイ教に捕まったとき、そして魔王ブラックレオと対峙したとき」


懐かしい記憶。つい昨日のことのように思い出せる。


「それだけじゃない。私だけじゃない。エルは皆のこと助けてくれたじゃない!! 守ってくれたじゃない!!」


「でもそれは……イレギュラーの力があったからできたことだよ。僕の力じゃない」


「エルの力だよ!! イレギュラーの力がなんなのか私にはよくわからない。でもそれはエルが持ってた力なんでしょ。だったらエルの力じゃん」


「ミリア……」


「だから……また助けてよ。エルならできるよ」


ミリアの言葉が波紋のように僕のなかに

広がっていった。


この身体にはもうイレギュラー因子はない。


それでも……。


デュースにできたのなら、僕にもできるはずだ。


だって僕は…………あの力に選ばれて生まれてきたんだから。


そうだ――――エル――お前は選ばれたんだ。


【ナハト……】


ミリアと同じように、ナハトの声だけが僕に届いた。


今こそ――――俺の持つ力をお前に返そう。


受け取るがいい――――。


光の欠片のようなものが僕に集まってくる。欠片は僕のなかに入っていくと、そこで一つになっていった。


これは――――。


デュースによって奪われたはずのイレギュラー因子の断片だった。


その瞬間、僕のなかから一本の線のようなものが天に伸びていって、それが無数に分岐していった。


そしてそのとき僕は世界と繋がった。


あらゆるものが見えた。世界が、未来が、過去が、 どんな事象でも予測可能だった。


それだけではない。無限とも思えるほどの魔力が今の僕には自由に引き出すことができた。これが世界の魔力であり、この世界に生きるものたちの魔力だ。


これがデュースが言っていたものか。


真っ暗な世界に無数に小さな光が点いたり消えたりしている。まるで夜空の星々のように。


そうよ――――。


唐突に見知った魔力が近くに現れるのを感じた。


そんな……君はここに来ることなんてできないはず。


そう考えていると、彼女は僕に姿を見せた。


久しぶり…………エル。


彼女は僕のよく知った口調ではなく、大人びた口調で話した。


そしてその姿を見ると、彼女の姿も変わっていた。かつての無垢な彼女とは一変した姿。これが彼女の成人した姿なのだろう。


見違えるほどの変わりように息を飲むと、彼女はそんな僕の様子を見て薄く表情を緩ませた。


「クク…………なんだね」


「そうよ」


そこから僕たちの会話は始まった。


かつてはなんてことない言葉のやり取りが、今では間合いを気にしてしまう。それだげ僕たちの距離は離れてしまっていた。


「クク、君がどうしてここに」


「説明は後。ここにいれば時間は静止しているわけじゃない。エル、早く現実に戻って。でないとミリアが――――」


そうだった。僕はまだミリアを救えてない。今の僕ならできるはずだ。


ククはそれを教えに来てくれたのか。


「クク、ありがとう。僕いくよ」


「うん……」


ククがそう頷いたのを見てから、僕は接続を切って現実に戻った。


現実に意識が覚醒すると、目の前でミリアが炎に焼かれながら苦しんでいた。


「ミリア、今助ける」


僕は魔力を解放して治癒魔法をミリアに使った。


シリス――――。


「シリスだと、そんな魔法がお前に使えるはずがないだろう。自ら死ぬつもりか」


シリスとは唯一名前のついた治癒魔法で、どんな状態の生物であろうと傷一つなく治すことができる究極の治癒魔法だ。その代わり、その魔法を発動するには魔王クラスの魔力をすべて使いきってしまうほどの魔力量を必要とするため、使用者の命が危険に晒される魔法として禁断の魔法とされている。


「いや待て……どうしてお前がそれを!? まさか――――」


「そうだデュース。僕も君と同じだよ」


シリスは禁断の魔法として今は世界から抹消された古代の魔法だ。この世に知るものの少ないこんな魔法を知っているのは僕がイレギュラーネットワークにアクセスできたから。


「僕も絶望の淵までいってやっと繋がれたんだ」


僕はミリアをシリスで治癒すると、すぐに意識が切れた彼女をその場に寝かせる。


「そして力もある程度取り戻した。状況で言えば僕の方が君よりいいね。僕は君と違ってまだ救える」


「貴様見てきたな。私の過去を」


「見たくなくても流れてきたよ」


デュースは今までにないほど厳しい表情を浮かべていた。


追いつめたわけじゃない。でも僕たちは追いつめられていない。


この状況の変化だけでも流れは僕たち傾きつつあった。


さあ――――反撃開始だ。



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