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百二話、デュースという男 終



私は倒した騎馬兵の馬を奪った。


お陰で徒歩よりは早いが、ベルローテの放った刺客がまた私の背後に迫っていた。


これで四度目だ。戦う度に時間がとられていく。こちらは急いでいるというのに腹が立つ。


私は馬を走らせながら髪先を変化させた粘液状の触手で、刺客たちの魔法攻撃を弾き、その後、触手で馬の片足を絡めとり、バランスを崩させ下落させるという行為を刺客たちの数だけ繰り返した。


ザイヌまで馬車などで移動して二日、馬をとばせば一日と半日程度だと思われるが、また刺客の相手をさせられた場合は馬車とあまり変わらないだろう。


そう考えながらその夜は眠りについた。刺客に寝込みを襲われないよう十分に注意をして。


次の日、私は早朝から馬車を走らせていた。


少しでもヘレナの馬車に追いつければと思ったためだ。


ザイヌの皆のことも心配だった。


刺客は流石に諦めたようで、その日からは順調な足取りでザイヌまで進むことができた。


だが進んだ先に待っていたのは地獄のような惨状だった。


ザイヌに近づいてきたころ、ザイヌに派遣されたビファレストの軍の兵士たちが、路上のあちこちに倒れているのを発見した。


そこにいる兵士たちの身体は全員黒く変色していて、なかには全身が変色し、死んでいる兵も少なくなかった。


私は息のある倒れている兵士一人を抱き起こして話を聞いてみた。


「おい、いったいどうなっているんだ。村はどうなったんだ」


私は兵士の頬を叩き、目を覚まさせた。そして再度同じ質問を繰り返し、彼が話すのを待った。


「あんな……あんなものがいるとは…………。化物だ……奴は正真正銘の化物……」


兵士は気が狂ったようにその後も化物……化物と繰り返し、意識を失った。


他の兵士も起こして話しを聞いてみたが、誰一人として正気ではなかった。


これは……すべてノズの仕業か。


ノズ……途中馬車を降りるまでヘレナからその名について聞かされていた。


その名はビファレストの古い伝承に出てくる魔物だ。


ノズは元々はビファレストの人間たちのなかに潜む邪悪な心が形を成した存在だとされていて、天から現れた古神デュースによって退治された。


ノズはビファレストでは邪神として歴史上で語られている。


確かにこの惨状を見れば奴が邪神ノズという名前を与えられたことが正に必然だと感じた。


この先にノズがいるのか。


生きているか死んでいるのかもわからない。


だがもし生きていたとして、私はノズを倒せるだろうか。


ヘレナたちもだ。


村の皆でさえこの状況なら死んでいる可能性がある。


これが祟りに触れるという意味かと思ったほど、私は恐怖していた。


魔物でも生存本能はある。人間と同じだ。


自分より強いとわかっている相手と戦うなど自殺行為でしかない。


それをやるのが人間だが、私は魔物だ。


本来であれば生存本能に忠実な行動をとる。


それが生物だ。


だが――――。


――――――。


――――――。


ここでいく私は――――もう人間なのかもしれないな。


ヘレナの顔や、キグ、村の子供たちや仕事仲間たち――――簡単には断ち切れない繋がりが私にはできた。


もの心がついたときから生き残ることだけ考えて生きてきた。


私にはそれしかなかったからだ。


でも今の私はなにもない私ではない。守りたいものがある。


もう迷いはなかった。


例えこれで死んでも、私は後悔しない。


私は馬に飛び乗り、駆けた。


兵士たちの死体を躱し、前へ前へと進む。


やがてザイヌが見えてくると、私は馬から降りてた。


「よくやった。怖かっただろう。もう飼い主のところへ戻れ」


そう言って馬に語りかけ、足で叩いてやると、馬は来た道をまた悠々と戻っていった。


「ヘレナ……村の皆……無事でいてくれ」


祈るように私は村のなかへ進んだ。


入口から少し進んだ先に馬車が倒れていた。あれはヘレナが乗っていた馬車だ。


既に馬は逃げたようだ。私はヘレナがいないか馬車のなかを探した。


だがなかはもぬけの殻だった。ヘレナはどこかへいったらしい。


もう少し進めば家が建ち並ぶ村の中心地だ。そこまでいけばヘレナがどこにいったのかわかるだろう。


私は歩を進ませた。その先に皆がいるはずだと信じて。


しかしそんな淡い期待も、一切の容赦のない現実によって粉々にかき消された。


村の中心地に着くと、そこには変わり果てた村の姿と、村の人々の姿があった。


火事で燃えた家々の残骸と炭となった人間だったものが、辺りに散乱している。


大小の違う身体や、性別もわからなくなるほどに焼け焦げてしまっている身体など、そんな残酷な仕上がりの死体があちこちにある。


そしてなにより嫌なのが臭いだった。家が焼けた臭いだけならいい。人間の焼けた臭いだ。私が来るまで放置されて二日は経っているだろうが、つんとする苦々しい刺激臭が鼻孔にまとわりつく。


遅かったか。


全滅だろうか。


私は村のなかを生存者がいないか探した。


すると子供のうめき声が微かに聞こえた気がした。


私は声のした方へいってみると、そこには未だ息のある年の若い人間が二人倒れていた。


一人は近づいてすぐにわかった。


キグだった。


キグの隣には小さな男の子が倒れていた。


二人とも黒い火傷を負っている。ノズに襲われたのだ。


「キグ、意識はあるか」


キグは僅かに頷く。かなり消耗しているようだ。


精気も弱まっている。このままではそう遠くないうちに……。


隣の男の子もだ。意識はあるが話すことができないくらい消耗している。火傷による激痛が続いているはずだ。そのうち気絶してしまうだろう。


「……すまない。私がもう少し早く戻ってきていれば……」


「いいから……テレネコさん……行ってください。ヘレナさんはまだ……生きています」


「キグ!? 意識が戻ったのか」


「目覚めない……方が……よかった……です。でももう痛すぎて…………感覚が……おかしくなってる」


キグは涙を流しながら私にそう話した。まだ激痛が続いているようだ。


「テレネコ……さん……お願い……私を……殺して」


殺すだと……キグを……私が…………。


「テレネコさん……早く……その子も……一緒に…………」


キグはそれから悲鳴と嗚咽を繰り返した。


地獄の苦しみを二人は感じているのだろう。それは火傷を負っていない私にはわからない苦しみだった。


だからだろう。私は逃げてしまった。


「待っていろ。ヘレナを連れてくる」


そう言って私はヘレナを探しに走った。


鉱山のある山の麓辺りまでくると、そこには兵士たちの大量の死体と一緒にヘレナが倒れていた。頬に黒い火傷を負って。


「ヘレナ、くそっ……お前もなのか」


ヘレナもキグ同様奇声のような悲鳴を上げていた。


目や鼻、口、人の持つあらゆる穴から水分が流れ出ている。


それほどの激痛が身体を蝕むというのか。


ヘレナは私の顔を目で捉えると、私に向かってこう言った。


「……テレネコ…………私を殺して」


「なんでだ…………」


なんでこうなった。


「なんでだ!! どうしてだ!! なんでお前までそんなことを言うんだ!!」


これからだったじゃないか。


みんなこれからだったじゃないか。


ザイヌもキグも村の皆も、そして私たちの生活も、みんな……歩くようなのんびりとした速さだったが、それでも前に進んでいた。


なのに……終わるのか。死ぬのか。やめてくれ……。


私は……私はもう人間など殺したくはない。


もう無理なんだ私には……わかるだろう。


ヘレナ……こうなったのはお前のせいなんだぞ。わかっているだろう。


お前を受け入れてから、私は人間に対しての考え方が変わった。


少なくとも親しい人間たちは、私にとって無情に殺すことのできないものになったんだ。


その根源たるお前を殺すなんて……私には…………。


そんな失意に苛まれていた私を背後から黒い奴が襲った。


ノズだ。


私の肩に噛みつき、腕をもぎ取られる。


私は痛みに耐えきれず絶叫する。


激痛が身体のなかに流れてくる。


それは腕をもぎ取られて生まれた痛みではなく、私の身体を汚染する痛みだった。


本来私の身体は粘液でできている。変身してできた身体の一部がもぎ取られようと関係ない。


だが、私の身体は水でできている。つまり汚染されたり、身体の核を破壊されれば死ぬ。


核は致命傷だが、汚染にはいくつか耐性がある。しかし私の身体に流れてきたこの不浄な毒ともいえる液体はまるで溶岩のような熱を持っていた。


このままでは溶かされて死ぬ。


そう感じたとき、私は声を聞いた。


天からの声、最初理解できなかったその声は、私のなかで徐々に解読され理解できる言葉になっていった。


なんだこれは……こんな力を……私は持っていたのか。


その組上がった言語は、世界のシステムといえるものに干渉、接続するためのものだった。


イレギュラーシステム。


その知識、世界、力の渦に手を触れた瞬間、私は世界のすべてを知った。


それは知っただけだった。


理解できたわけではなかった。


なにかを手にしたわけでもなかった。


ただ知っただけ。


それでも私は力を獲た。


私のなかに眠っていた――――神によって創られた私自身の力を。


次の瞬間、私の核から大量の水が流れ出した。それはザイヌ村の全域に広がっていった。


そしてその水は人間を養分として食し、一瞬にして収束するように核のなかに戻っていった。


私の核は人間の身体を再構築し、それまでイレギュラーシステムに繋がっていた私の意識が切れ、私は目覚めた。


「いこうヘレナ……。まずはビファレストだ」


私は歩き出した足を止めた。



私を阻んだのはノズだった。


「生きていたか。だがもうお前には用はない。失せろ」


ノズは私の核から発生した水を被ったことで蒸発した水が湯気となって身体から上がっていた。


核が発生させた水は魔力を持ち、敵と認識したものは排除、または養分として喰らう性質を持っている。


ノズはそのなかで溺れていたはずだが、それでも疲弊している様子はない。


「お前の力で殺してやろう」


私は吸収したヘレナやキグ、村の皆の死体からノズの力の痕跡を分析し解明した。


そして生まれたのは蒼い炎。


「この世界から消滅しろ」


私はノズの身体に蒼の炎を発火させる。


私の作り出した炎はノズの力を応用し、私なりに手を加えたものだった。


ノズの炎は身体を侵食し、その身体を徐々に蝕み焼いていく能力。


そして私の蒼い炎は――――。


ノズの身体が凍っていった。だがその凍った身体は今なお燃え続けていた。


解けることのない氷のなかで永久の時間炎によって焼かれ続ける。それが私の蒼の炎の力。


罪深い生き物であるお前にはその地獄が相応しい。


ノズの苦しんでいる姿がみえる。きっと私が聴くことのなかった鳴き声でも出しているのだろう。


その後私はビファレストに向かった。




ザイヌの村が一匹の魔物によって全滅したその日の夜、ビファレストもまたその歴史に幕を閉じることとなった。


それを起こしたのは一匹の魔物。神が創りし最高傑作にして、神の名を名乗りしもの。


「助けてくれ。わしは死にたくない。助けてくれ」


そこはビファレスト上層にあるベルローテ伯爵の屋敷。


外を見れば蒼い炎が舞い、生き物のようにビファレストの街を蹂躙している。


私の目の前にいる男は……いつかの夜のように命乞いをしていた。


「ベルローテ、残念ながら今回は前のときのように容赦しない。私は神になったのだから」


私はベルローテに蒼の炎を発火させた。これで復讐は終わりだ。


「ベルローテ、死ぬ前に教えてやる。私の名はデュース。この世界に裁きを与えるものだ」


ビファレストの伝承に出てくる神デュースは、人々の醜い心から生まれたノズを消滅させると、ビファレストの人々を裁きの光によって断裁した。


それに習い、私も同じことをしてやった。


これからは私がデュースとなり、この世界を断裁する。そしてヘレナと夢見た世界を現実にしてみせよう。


神からもらったこの忌まわしき力で。





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