2-3 常闇の島のお茶屋さん
「今、朝の九時ですよね」
外に出てホタルは改めて時間を確認した。
玄関を出るとやはり真っ暗だった。建物の灯りや、道沿いに置いてある灯籠が昨晩と同じように光っており、この世界が常闇であることを教えてくれる。
「午前だにゃ。そのせいでみゃ~は眠いにゃ」
とチャコはわざとらしいあくびをする。
食事中にあれだけ元気に話をしていたにもかかわらず、どの口があくびをしているのかと思ったホタルは苦笑い。
「朝と昼がないので、神様の言う通り『午前』が正しいかもしれませんね。
便宜上朝食とか昼食はいいますが」
「不思議な感覚ですね」
「じきになれますよ。俺もそうでしたし」
ワダチはそう言いながら裏口の鍵を締めた。
鍵に猫を模したような飾りがついていてホタルは気になったが、ワダチはすぐにそれを衣嚢にしまった。
「こちらです。昨日行った淵の手前まで歩きます」
そう言ってワダチは灯籠に照らされる石畳の道を、規則正しい下駄の音を鳴らしながら歩く。チャコが楽器のような下駄の音を鳴らしながらついていくのをホタルは追いかける。
「常闇が怖くないんですか?」
道に沿って置かれている灯籠があるとは言え、ホタルの居た世界のように建物の明かりや街灯、車の明かりがあるわけではない。午前ということは道沿いの商店も開店前のようででまだ明かりがついていなかった。
「大丈夫にゃ。
イロ島は猫神の加護がある。
すなわちこのみゃ~のおかげで、島は安全なのにゃ」
「先程もおっしゃってましたね」
「あまり気にしないでください」
ワダチはまたもチャコの言葉を放り投げた。
チャコはムスーッと頬を膨らませてワダチの顔を睨むが、ワダチはそれを無視。
「でもこれだと時間がちょっと分かりづらいかもしれませんね」
「大丈夫にゃ。時間なんて分からなくってもこの島では生活できるにゃ」
またころっと笑顔に表情を変えたチャコは、両手を振って元気に主張する。
「別の世界で夜にあたる時間には店が閉まります。
島の雰囲気が暗くなったら午後の六時を過ぎたものだと思ってください」
「はい、分かりました」
「みゃ~のことは無視かにゃ!?」
神社から歩いて一〇分ほど、昨日も通りかかった場所だとホタルは思いながら、一階建ての木造の建物を見つめる。
よろい戸――ホタルの世界でいうシャッターが半開きになっており、中には木造の卓や椅子が並び、おすすめのお茶や甘味などが紹介されたビラ、写真が張られている。
「お茶屋さんですか?」
「そうです。接客業の経験は?」
「短期の仕事なら。あと偶像はひとと触れ合う仕事でもあるので」
「そうでしたね」
ワダチはそう答えると、開店前の店のよろい戸をくぐる。
「アヤアさん、従業員になってくれそうな方がいらしたのでお連れしましたよ」
返事がない。
「アヤアさーん」
「いないのかにゃ~」
店内は涼し気な茶色で覆われていた。
他の店よりも明かりを抑えられているせいか、夏場でも涼しい印象を受ける。
遠慮なく開店前の店に入っていくワダチとチャコに続いてホタルも、
「失礼します~」
と恐る恐る足を踏み入れる。
するとホタルは店内入ると急激な寒さを感じる。悪寒ではなく、本当に寒い。
「どうしました?」
「急に涼しくなってびっくりしたかにゃ?」
「涼しいというより、少し寒いかもしれませんね。
クーラーが聞いてるんでしょうか?」
思った感想をそのまま口にするが、チャコは首を傾げた。
「『くーらー』ってなんにゃ?」
「この世界の言葉で訳すなら空気調節設備。別の世界の機械です」
「あらあら、ワダチさんじゃないですかぁ~」
ワダチがそう説明したところで奥から白い着物の女性がやってくる。
衣装も白いがそれ以上に顔が白い。
そんな特徴を持つ妖怪をホタルは知っていた。
「雪女さん?」
「はあい、このお店のアヤアと申します~」
冬の空に舞う粉雪のような声と笑顔でアヤアは自己紹介をした。
「アヤアのおかげで、この店は快適にゃ。夏限定で」
「夏限定……」
「冬に温かいお茶を頼むと凍った状態で出てくるにゃ」
まさかそんな漫画のようなことが起こるはずがないとホタルは思ったが、
「そうなんですよねぇ。不思議です~」
起こるらしい。アヤアはほっぺに手に手を当て不思議そうに首をかしげるが、ホタルはそれを見て、凍るお茶が冬に出てくる理由を言うべきか迷った。
「そういうわけで冬限定の店員を募集中なんだそうです。
今から働いて仕事を覚えてもらえばいいと思ったんですが、どうです?」
「いきなり決定するのはちょっと不安かもしれませんね」
ホタルは申し訳なさそうに目をそらした。
仕事というのは一生続ける可能性がある人生の大きな選択だと思っている。
それを数分しただけの話で決定するのは怖い。
「じゃあ今日は一日体験してみるのはどうにゃ?」
そんなホタルの考えはまったく知らないだろうチャコは気軽にそう言う。
だがこれはいい案だし、ホタルの居た世界でも同じようなことをしてくれる職場はある。
「そうですわね~。日当もお出ししますし、いかがでしょう?」
「でしたら、よろしくお願いします」
ホタルは丁寧に頭を下げた。