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イロ島の猫神様  作者: 雨竜三斗
第一章 常闇の島
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1-5 ホタルはゆっくり過ごせなかった

 お風呂の中で思考は落ち着いたが、なんとなく体が落ち着かなかった。


 自分の売りだった長い黒髪の手入れもそこそこにホタルは風呂から上がる。


「意外と自分しっかりしてたなぁ」


 寝間着などは用意してなかったが、下着など最低限のものは家を出る時に持ってきていた。

 今思うとあまり冷静じゃなかったにもかかわらず、よく出張用の準備と同じようなものを用意できたものだと関心する。


 これも仕事の習慣だったのだろう。


 忘れ物をしてはいけないと、全ての準備を体に覚えさせていたのだ。


 これからその習慣は必要なくなるかもしれない。

 そんなことを考えながら、

「お風呂いただきました」


 ホタルが浴室から居間に戻ってくる。

 ワダチとチャコは牛乳を飲んで居た。

 ビン牛乳なんて初めて見ると思ったホタルはもの珍しそうに、ふたりの持つビンを見る。


「なんにゃ、もう上がったのか」

「はいこれを。風呂上がりの牛乳はおいしいだけじゃなくて、体にいいので」

「ありがとうございます」


 卓の上の封の開けていないビンをワダチから受け取る。程よく冷たい。


「お風呂随分と短かったですけど、体に合わなかったですか?」

「いいえ、最近ゆっくりお風呂に入ることがなかったので、なんか落ち着かなくって」


 そう言いながらホタルはビンの蓋を開ける。

 針みたいな道具を使って開けるのではなく、摘みを掴んで開けることができる種類だった。


「みゃ~と同じにゃ」

「違います」


 ワダチは即座にチャコの言うことを否定。チャコは短い鳴き声をあげる。


「お仕事をしてたときは汗を流す程度しかできなかったんですか?」


「いえ、むしろ長風呂でしたね。

 この髪はわたしの特徴だったのでそれだけは大切にしろって言われてて、手入れは欠かせませんでした。

 それでも、神経質にやってたので仕事みたいなものでしたね」


「休まる時間がなかったんですね」

「ええ……」


 牛乳のビンを包むように手に持ち、ホタルはうつむく。


 言われて気がつく。

 家に居ても仕事のことを考えたりしていた。


 最初の頃は慌ただしくも充実した毎日だと思っていたのだが、そのうち状況に追われるだけになった。

 今こうして仕事のことを考えたり、明日の日程を考えなくて良い。

 これが休むということなんだろうと感じて、ホタルはため息をついた。


「そうだ、聞き忘れてましたが、猫の毛でくしゃみとかは出ないですか?」


 ワダチは思い出したようにホタルに問いかける。


「大丈夫です」

「ならよかった。神様は抜け毛がすごいので」

「そうなんですね」


 一見すると耳と尻尾以外は人間や妖怪と変わりはない。

 どこの抜け毛がすごいのかと思えば、多分その耳や尻尾だろうと思い、ピクビク動く耳や、左右に揺れる尻尾を見る。


「ぬ、抜け毛はしょうがないにゃ」

「元はただの猫でしたからね」


「にゃ、にゃけろ化け猫になった地点でだいぶ減ったにゃ。

 ふさふさなのは耳と尻尾だけで、他はひとと同じなんにゃ」


「でも掃除が大変なんですよ。布団とか毛布にすごいついてるんですから」

「それを言われると……弱いにゃ」


 しょんぼりと体を縮こませて、チャコは萎んだ風船のようにうつむく。


「今日はお疲れでしょう。泊まっていただくお部屋に案内します」


 ホタルが牛乳を飲み干したのを見て、ワダチはそう提案した。


「おっ、夜這いかにゃ?」


 先程までさんざんいじられたその仕返しか、チャコはいやらしい目つきをしながらいやらしい声でワダチに言う。


「バカ言わないでください」


 ホタルはうつむき顔を真赤にして思った。


(お風呂は一緒に入るのが平気なのに、そういうことは分かるんだ……)



 ホタルが案内された部屋は自分の居た世界でも一般的な和室だった。

 大きさは八畳一間、数人で泊まるような大きさ。

 ホタルひとりには大きく思えて、

「広いですね」


「ですが、他に部屋がないのでここを使ってください。

 着替えは友人に用意してもらいます」


 ワダチはそう言いながら、ふすまから布団と毛布を取り出す。


「いいのですか」

「神様の服では大きさが合いませんから」


「そうではなくて……」

「ああ。知り合いにいろんな世界の服を集めるのが趣味という変わり者がいるので、着れる物がちゃんと見つかると思いますから」


「そうでもなくて」

「ああ、幽霊とかは出ませんからご心配なく」


「ではなくて!」

「遠慮しないでください。出世払いで結構ですから」


「……はい」

 そう言われてしまうとホタルも返事を返すしかない。

 申し訳無さが溢れてうつむいてしまう。


 さらに今のやりとりはわざとやっていたのだとホタルは思った。

 自分をリラックスさせるため、それともひとをいじりたくなる性格なのか。


 もう少し余裕があれば言い返しができたかもしれないが、そんな余裕があったらそもそもここへは来ていない。


「では、今日はお疲れでしょうからごゆっくり。

 飲み物とかは台所にありますから、勝手に飲んでください」


 うつむいたままのホタルにワダチは声をかけた。


(また気を使わせてしまった。いけないいけない)


 ホタルは頭のなかで首を振って気を取り直し、

「ありがとうございます。こんなにしていただいて」

 なんとか丁寧な御礼の言葉を出す。


「お気になさらず。ではおやすみなさい」


 余裕を感じる声でそう言ってワダチはゆっくりとふすまを閉める。

 ホタルにはその声が少し優しく聞こえた。


「神様、ちょっとコノミの店に行ってくるので、しばらく留守番お願いします」


 ワダチとチャコのやりとりが遠くから聞こえる。


「なんにゃ~、こんな時間に出かけるとか今度こそ夜這いかにゃ!?」


 それを聞いていると、自分に気をつかって明るく振る舞ってくれているのではなく、本当に普段からこの調子であることがホタルにも分かる。


「常闇の世界なのでどの時間も夜這いになるんですが――」

 だがその声が遠くなっていくと寂しいという気持ちがこみ上げてくる。


 ここに来る直前までは忙しく、こんなにゆっくり寝られることはなかった。

 横になっていても踊りの確認や歌詞を覚えるために曲を聞いたり、次の日の座談会ではなにを話そうか考えたり、共演者へのお礼の手紙を書いたり、怒られたこと、受けた嫌がらせを思い出してしまったりだった。


 虫の音だけが聞こえる夜では、余計なことはまったく考えなくていい。


 置いてきた仕事のことも、一緒に頑張ってきた仲間のことも、仕事の知識や技術も、今は記憶の隅にしまっておける。

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