1-4 猫神様はお風呂が嫌い
夕食が終わるとワダチは片付けをさっさと済ませ、風呂の準備をしにいった。
ホタルも手伝うと言ったが、客人なのでゆっくりしてほしいと強く言われ、こうして今でチャコと一緒にくつろいでいる。
チャコはくつろぐというより、猫そのもののようにゴロゴロとしていた。
畳の上に横になり、大きく伸びをする姿は猫そのもの。
「今日は疲れたにゃ~」
「神社や神様のお仕事をしてらっしゃったんですか?」
「これを神社や神の仕事としてよいものなのか……」
チャコは目を細めて、不満そうな声を漏らす。
なにか嫌な仕事をしていたのだろうと、ホタルは心配げにチャコの顔を覗く。
「どんなお仕事でしょう?」
「猫探しをしてたにゃ」
「えっ?」
「猫神が猫探しをしてたにゃ。
それも失踪時間半日!
こんなの神のすることじゃないにゃ!
ワダチのやつ、なんでこんな仕事を引き受け――」
「それは神様が白玉ぜんざいにつられて引き受けたからに、決まってるでしょう」
「にゃにゃ!? ワダチ!?」
いつの間にか居間に仁王立ちをしてるワダチがいた。
「猫探しのことはいいです。
神様、お風呂の準備ができました」
「……入らなきゃ駄目かにゃ?」
やってきたワダチにチャコは細い目を向ける。
「駄目です。今日は猫探しのために歩き回ったり、変なところに入ったりして汚れてるでしょう」
「そんなことないにゃ。服は汚れたが……」
「それに瘴気が纏わりついているかもしれません。体を清めてください」
「……分かったにゃ」
チャコは観念して渋々立ち上がった。
「ごめんなさい。わたしのせいで」
瘴気がついているのは自分のせいだとホタルはすぐに思った。
自分がこの島にやってこなければ、神様にこのような手間をとらせることはなかっただろう。
「ホタルさんのせいではありませんよ。
一日どんな行動をしても体を清めることは必要です。
ほら、神様が素直に入らないから」
「う~」
チャコは弱々しい唸り声を上げながら肩を落とす。
「お客人に一番風呂をご用意できないのは恐縮です。
ですがこれも儀式みたいなもので」
「いえ、お構いなく」
そもそも自分は急にここにやってきた身なので、ワガママは言えない。
そのうえで大切な神様の体を清めるための入浴ならば、ワダチの言うとおりにしたほうがいいと思って、ホタルは右手を前に出す。
「では行きましょう神様。
今日は念入りに髪を洗いますので」
「えっ!? ワダチさんも猫神様と一緒に入るんですか?」
思わぬ展開にホタルは顔を真赤にしてワダチに聞いた。
「そうにゃ。なにか問題でも?」
チャコもこれが当たり前だと言わんばかりに首を傾げた。
「えっと、神様は女性ですよね。
それでワダチさんは男性で、その……」
ホタルは顔をさらに赤くして、その先の言葉を出せずに居た。
男女で風呂に入るというのは『そういう仲』だという認識がある。
だがチャコは神様で、ワダチは人間。
種族の違いがあるので『そういう仲』が本当にあるのかどうか分からない。
そもそも神聖な神様に触れて良いものなのか考えるが、そこは神主だから例外かもしれない。
「神様ひとりだと体や髪をちゃんと洗わないし、すぐ風呂から上がろうとするので監視みたいなものです」
だがそんな思考をよそに、ワダチはまるでめんどくさい子供の世話をするような言い方で、チャコと同じ風呂に入る理由を説明した。
「ホタルも一緒に入るかに――ニャア!?」
言葉を遮るワダチの拳がチャコの頭に下った。
ホタルは口にすると恥ずかしいことを言わないよう両手で口元を抑える。それが恥ずかしく、耳や首元まで真っ赤になっていった。
(わたしが、男性の方とお風呂!?)
ホタルは少し想像してしまった。
おそらくここの風呂桶は温泉のように大きくはないだろう。
ということは三人の体が触れ合うほど密着することになる。
ワダチの、男性の硬い体に触れることになる。
それだけではない。
男性に、ワダチに自分の体を見られることになる。
仕事では水着を来て写真を撮られることもあったし、露出の多い衣装で舞台に立つこともあった。
だが、裸を見られることとは訳が違う。
「なんにゃワダチ!?
どうして叩いたにゃ!?」
痛そうに頭を抱えていたチャコが、反撃とばかりにワダチに飛びかかる。
その声でホタルは妄想の世界から帰還。
自分がいやらしいことを考えていたことにさらに恥ずかしさを覚えてうずくまる。
ワダチはチャコの攻撃を片手で抑えて、
「ホタルさんは一緒に入りません。神様と違っておひとりでちゃんとできます」
「はい! 三人で……えっと、その――」
自分の名前が上がったところで呼ばれたものだと思い返事をする。
それでも思考回路は壊れた機械のように熱暴走したままで、思ってもない――今まで思っていたことを口走りそうになる。
「神様の言うことは真に受けなくていいですよ。
俺はこの困った神様の世話をするだけですし、神々と人間の感覚は大きく異なります」
「そそそっ、そういうものなんでしょうか……」
ワダチの言葉にホタルの脳の回転は徐々に遅くなっていき、体も冷えて落ち着いてくる。
「はい。だからホタルさんの思ってしまったようなことはないですよ」
その言葉にホタルの頭が噴火したように体が再び熱くなる。
心を読まれていたのだろうか。だがワダチは人間だ。一部の妖怪や神々のように、読心術を持っているはずがない。
なんにせよホタルはうつむいてこれ以上変なことを言わないようにした。
「ホタルはなにを考えたにゃ?」
「それは聞かないのがお約束です」
ワダチはそう言ってチャコを連れ出した。
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チャコの長く黒と白が程よく混ざった黒髪をワダチは丁寧に梳いている。
「くすぐったいにゃ」
「我慢してください。流しますよ」
髪洗剤をお湯で丁寧に流すと、微かに黒いモヤのようなものが流れていくのがワダチにも見える。
ここまで瘴気が見えるということは、ホタルから移ってしまったのだろうと思い目を細める。
ホタルを見ていると、ワダチはいつぞやの自分を思い出す。
「にゃあにややややややややややややや」
チャコが声をあげるとワダチの意識は回想から戻ってくる。
そのチャコは両足をジタバタさせ、肩を回している。
「いつも言ってますが、変な声を出さないでください」
「そうは言っても~」
「はい、もう一度流しますよ」
「あにゃあにゃあにゃ……」
風呂桶で組んだお湯を再びチャコの髪に流すと、チャコはふやけた声をあげる。
「うう、客人の前で恥ずかしい様子を見せてしまったし、散々だにゃ」
チャコは鳥肌をたてながらつぶやいた。ワダチはため息混じりに、
「そう思うのでしたら普段からお風呂に慣れてください」
「それは無理にゃ。
こんなベタベタする感覚、慣れっこないにゃ」
「猫ですか?」
「元は猫にゃ」
「でも化け猫を経由してるんですから、その体に早く慣れてください」
「無理なものは無理にゃ」
「はい、髪を流しますよ」
ぐちぐち言うチャコを黙らせるためにもう一度髪にお湯を流す。
「にゃああああああ!?」
チャコは先程より大きな声を上げた。
「だから変な声出さないでください。今日はホタルさんに聞こえるかもしれません」
「にゃけどぉ~」
「これで髪は洗い終えましたから、あとは湯船に浸かって二百数えてください」
「……いつもより多くないかにゃ?」
「いつもより汚れてるからです」