1-3 神主が作るお夕飯
「さて、今日は三人分ですね」
ワダチは台所の前に立ち、袴の上に前掛けを着る。
「ワダチさんがお料理するんですか?」
袴の上に前掛け――ホタルの居た世界で言うエプロンをつけるという格好に違和感を覚えつつ聞く。
「そうだにゃ」
チャコはさも当たり前のように肯定。
「猫の手が借りられると思います?」
そんなチャコに対してワダチは、イヤミを感じるようなさらっとした言葉をホタルへと返す。
「ワダチ~、みゃ~の手を借りてもいいんだにゃ~」
先程のように喧嘩腰にいくと思っていたが、チャコは文字通りの猫なで声でワダチに擦り寄った。
だがワダチは無反応で野菜を冷蔵庫から取り出す。
「せめて反応するにゃ!」
ご主人にかまってほしくて仕方がないペットのような声を上げるチャコに、ホタルは思わず吹き出してしまい、正座を崩す。
緊張の糸がゆるくなった気がした。
「わ、笑うにゃ~」
チャコは潤んだ目をしながらホタルに声を上げた。
「ご、ごめんなさい。
おふたりのやり取りがとても仲良さそうだったのでつい……」
ホタルはよじれるお腹を抑えて、涙目になりながらもチャコへと詫びる。
失礼だということはよく分かる。相手は神様だ。人間や妖怪を遥かに超える力を持ち、世界を作ることができるとすらも言われている。
学校の授業で勉強し、別の世界で神様に出会ったときは失礼のないようにと言われているほどだ。
神様があまりにも俗っぽい。見た目格好ではなく、その様子や動き、表情の変わり方は自分たちとまるで大差がない。
自分の想像していた神様と実際の神様のへだたりが、ホタルにはあまりにも面白かった。
「じゃがやっと笑ってくれたにゃ」
その言葉に、笑いの温度が一気に下がり、ホタルは顔を上げてチャコを見た。
チャコはホタルに対し、怒るのではなく、優しい笑みを浮かべている。そこには心配していたぞと、いいたげな目の色をしている。
「そうですね。
最初にホタルさんを見たときは死んだ魚が泳いでるとか比喩しました。
それくらい酷い有様でしたよ」
ワダチも料理を作る手を止め、ホタルに穏やかな笑顔を見せている。
笑えるほど心が穏やかになったのなら一安心というニュアンスも感じた。
「そう、だったんですね」
ふたりの表情を見ていると、自分は先程までどんな顔をしていたのかがホタル自信にも分かってくる。
瘴気とか厄をなしにしても偶像にあるまじき表情であったことだろう。
「じゃが、しばらくはゆっくりすると良いぞ!」
チャコはそんなホタルを安心させるように言うが、
「いいえ、明日から早速お仕事探しをします」
ワダチはさも当たり前のことを話す口ぶりで、野菜を切りながら言った。
「休む暇もないのかにゃ!」
ホタルが理由を聞く前にチャコは大きな声で反論。
「神様の思っている以上に、手に職がないというのは辛いこともあるんです。
ですから、気は早いと思われるかもしれませんが、ホタルさんもそのつもりでいてください」
包丁がまな板に当たる音とともに、ワダチは経験したことがあると感じるトーンで説明をする。
「はい、大丈夫です。
それに島でお仕事を探すということは、島に慣れる必要もありますし、慣れ親しまないと休むこともできないかもしれません。
ワダチさんの仰ることはよく分かります」
自分が偶像の仕事を始めた当初のことを思い出すと、ワダチの言うことも納得ができる。
仕事がないということは、お金がないということ。
お金がないということは、住む場所も食べるものも苦労する。
ワダチがどういう経緯があってこのイロ島神社の神主をしているのか、ホタルには分からない。
だが様々な経験や苦労をしてきたことは分かる。
「ホタルよ、疲れたり辛かったりしたらちゃんと言うにゃ。
そうしないとワダチのやつはずっと働かせようとするにゃ」
「神様が働かないから、俺は神様に働くように言うんですよ」
#
「どうぞ。ホタルさんの世界と食材はあまり変わらないから、同じように食べられますよ」
野菜の盛り合わせ、お味噌汁、シラス丼が運ばれてきた。
野菜はみずみずしい色合いをしており、お味噌汁の匂いは食欲を掻き立ててくる。
さらに主食のシラスは銀色に光る生シラスだ。
釜揚げされた白いシラスしか見たことがなかったホタルは思わず息を呑む。
「箸は使えるかにゃ?
別の世界の言葉だと『ちょっちょちょちょっく』だったかにゃ?」
料理に見とれていたホタルに、チャコが声をかける。
「『チョップスティックス』ですよ。それにわたしの世界でもお箸です」
そう言ってホタルは箸を手に取る。
「なんにゃ」
チャコは自分の思っていたのと反応が違うといいたげに目を細め、残念そうな声を出した。
「そんなことで偉そうにできると思ったんですか?」
「違うにゃ、親切心で言ったんだにゃ」
ふたりのお笑いの寸劇のようなやり取りを眺めながら、タレの付いた野菜の盛り合わせから箸をつける。
「野菜の色が違う」
箸で取ったきゅうりが少し赤みがかることに気がついた。
ホタルの知っているきゅうりは緑色で、元いた世界ではそれが当たり前だった。
「こっちの世界の野菜は色が違うってわけじゃなく、買ってきた野菜が特別です」
「ワダチがわざわざ橋向こうの電車に乗って市場から買ってるのにゃ。
橋を渡った先に八百屋くらいあるにゃ」
「市場で買ってきた野菜のほうが新鮮なんですよ。
神様がいつも無駄に元気なのはこういう食材のおかげです」
「無駄に元気って言うにゃ!」
またも漫才が始まったので、ホタルは色の違う野菜たちを口に運んでみる。どくどくしい色をしているわけではなく、食べるのをためらうような感じはしない。
「しゃきしゃきしてます……」
「でしょう?」
「最近は簡単なものばかり食べてたので、体に良さそうな感じがします」
「どんなの食べてたにゃ?」
「お腹が膨れるお菓子みたいなのとか、栄養剤とか、栄養ドリンクとかですね」
「心より先に体を壊しそうですね」
「実際に何度か倒れたことがありますね」
ホタルはそのときのことを思い出して目をそらした。
今は目線の先には黄色い栄養剤ではなく、温かい色のお味噌汁がある。
「栄養ドリンクってなんにゃ?」
「文字通り栄養補給ができるように、薬や漢方を利用して作られた飲み物です」
こちらの世界にはそういう飲み物はないようだ。
ホタルはそう思いながらチャコの質問に答えた。
「それでなんで体に悪いにゃ?」
「どんなものも取り過ぎは体に毒です。
それに飲み物だけで体が良くなるわけがありません。均等に良い栄養をとってこその健康です」
「ワダチさんは詳しいですね」
「俺もそういう物を食べるだけの生活をしてきましたからね。
今は自分で健康管理できるので、神様の健康管理の方に苦労してます」
「にゃ!? みゃ~の健康管理ってなんにゃ!?」
「神様がピーマンを残さないように見張ることですよ」
チャコの前にある野菜盛りの皿の隅っこには、ピーマンが避けられていた。