7-1 元偶像、猫神様の舞の練習にとことん付き合ってみる
「誰か来たにゃ」
朝食のあとチャコが練習用の着物に着替えていると、裏口の戸を叩く音がした。
「ちょっと出てきますね。
神様は頑張って着替えてください」
「待つにゃワダ――ふにゃ」
チャコがコケたのを気にせずにワダチは裏口の玄関へ向かう。
「はい。どちら様でしょう?」
「おはよ~ワダチちゃん」
裏口の戸をあけると見覚えのある着物とメガネの女性がいた。
手にはきれいにたたまれた衣装を持っている。
「コノミか。おはよう。また店の手伝いが必要か?」
「ううん。今日はホタルちゃんに用があってきたんだよ。
いるかな?」
コノミが首を傾げて奥を見る。
ワダチもホタルを呼ぼうと振り向く。
ホタルは呼ばれるのが分かっていたように、こちらにやってきた。
「おはようございます」
「おはよ~ホタルちゃん。はいこれ、昨日話した衣装だよー」
そう言ってコノミは持っていた衣装をホタルに差し出す。
「ありがとうございます。お借りしますね」
「なんなんです?」
コノミとホタルの間に話した覚えのないやりとりが進み。
ワダチはふたりの顔を交互に見ながら聞く。
「あ、多分見たらわかると思うよ」
「早速これに着替えてきます。
着替えたらこれで神様の演舞の練習に参加しますのでよろしくお願いします」
「はい……」
特に説明らしい説明がなく、ワダチは曖昧な返事をして、奥に戻るホタルを見送った。
「コノミこれで失敬するよ~。
じゃ~ね~。チャコちゃんにもよろしく」
「あ、ああ」
用が済んだコノミもいつもの陽気な挨拶をして裏口を出ていった。
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「ホタルはどうしたにゃ?」
神社の拝殿に着替えたチャコがやってくると、ホタルがいないことに気がつく。
「なにやら着替えてくるそうですが――」
「着替える?」
「お待たせしました」
やってきたホタルの格好を見てワダチもチャコも目を丸くした。
「にゃ? ホタルまでそんな格好かにゃ?」
ホタルはチャコを真似したような格好をしていた。
長い振り袖、袴に裳をつけている。
やはり着慣れていないのか、少しそわそわしつつも、
「はい。この衣装でしたら、神様に舞の助言がしやすいかなって思ったんです」
自信のある声でそう答えた。
「なるほど」
ワダチも思わず納得して頷いた。
「なんかホタルすごいやる気だにゃ」
口を強く結ぶホタルを見てチャコは目を細めて少し首を引いた。
「神様、今日もよろしくお願いします」
「お、お手柔らかに頼むにゃ」
ホタルの丁寧な礼に、チャコも慌てて姿勢を正して礼を返す。
「ワダチさんも、よろしくお願いします」
「はい」
「ではワダチさん、準備運動なんですが、わたしが踊りの授業でやっていたことと同じことをやってもらうのはどうでしょうか?」
昨日『いろまる』からの帰り道に簡単に練習計画を練った。
ホタルはそれをためらわずに提案。
その声は今までのホタルとは違い強気で、かつ目の中に小さな火が灯っているようだった。
「そんなのがあるのかにゃ?」
「いいですよ。ぜひお願いします」
「では、ワダチさんも参加してもらいます」
「俺も?」
思わぬ言葉に自分を指差し、本当に自分に言ったのかワダチは確認。
だがホタルは、
「はい」
と笑顔で答えてみせた。
「くすす~、ワダチも巻き込んでいくとは、ホタルもやるにゃ~」
チャコは自分だけが苦労しないことが面白いのか、いやらしい目をしながらワダチを指出す。
「楽器を演奏するのも、踊るのや歌うのと同じなんです。
多分ワダチさんの体にもいいのでぜひ」
「……分かりました」
ワダチは納得せざる負えないという表情で頷く。
「はい。皆さんでいい祭りにしましょう」
ホタルはにっこりと笑って頷く。
「最初は足を前に伸ばして座ってください。
息を吸って、吐きながら前に体を倒します」
ホタルがまず自ら姿勢を見せ、ワダチとチャコはそれに習って同じ姿勢になる。
鼻から息を吸ってお腹をふくらませる。
そしてお腹を凹ませながら口から息を吐き、腰を曲げていく。
「こうかにゃ?」
そう言ってチャコも見よう見まねで体を曲げていく。
「神様とっても体が柔らかいんですね」
今日初めてこの前屈をやるであろうと思われるチャコが、まさに猫のように体をかなり曲げている。
手が足の指に届いてるほどだ。
ホタルはぱちぱちと小さく手をたたきながら、よくできたことを褒める。
「柔らかいのは良いことなのかにゃ?」
「はい。対してワダチさんは固すぎかもしれません」
ワダチはというと必死に伸ばしているがまったく届きそうにない。
「こんなの学生時代の体育の授業以来ですよ……」
「ワダチの意外な弱点にゃ」
「わたしが押しますね」
見かねたホタルはワダチの背中の前に座る。
「はい、息を吸って~。吐いて~」
指導しながらホタルはその背中に触れた。
(広い背中……それに服越しでも固い)
島を案内してくれるときに見ていた背中は、近くで見るとこんなにも大きくて見え、頼もしい硬さに感じる。
ホタルは手のひらでそれを感じながらうっとりとワダチの背中を押す。
「いたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた」
ワダチが悲鳴をあげた。
「あ、ごめんなさい」
ホタルはハッとして手を引いた。
「いい気味~。ホタルもっとやるにゃ」
チャコはワダチに見せつけるように体を曲げながら、甲高い声で煽る。
「ワダチさんはお風呂上がりや寝る前に、この準備運動をするといいかもしれませんね」
「この体の柔らかいみゃ~が面倒を見てやるにゃ」
「ホタルさんはともかく神様の指導は遠慮します」
「では、十分に体もほぐれたことですし、練習を始めていきましょう」
「もっと腕をまっすぐしたほうがきれいですよ」
「こうかにゃ」
「そうです、素敵です」
「ワダチさん、息は肺の全て吐き切ってください。そうすれば自然に肺にたくさんの息が入ります」
「……分かった」
ホタルは気がついたことを遠慮せずにワダチとチャコに飛ばしていった。
ふたりは難しそうな顔をしつつも、返事をして実践しようとしてくれている。
「お手本を見せますね」
ときにはこうしてホタルが自ら踊って見せた。
踊りはやはり楽しい。
ホタルはそう感じながら足を動かし、体を回し、手を振り上げる。
「おー」
「ホタルさんがいたら俺の出番はなさそうですね……。
といっても俺も自分のことで精一杯ですが」
ワダチは嬉しいような、自分の出番がないことが少しさびしいような、そんな口ぶりで言う。
その声には疲れも混じっている。
「そんなことありませんよ。
ワダチさんも、口呼吸してるせいか、余計なことがたまにまぎれてます」
「……はい」
いつもならチャコの馬鹿にするような声が飛ぶが、チャコは口を開けてホタルを見ているばかりだった。
「はい、神様やってみてください。
ワダチも、息を吸う時気をつけてくださいね」
汗を流すホタルの合図で、ワダチとチャコは指摘された箇所から再開。
チャコの振り上げる手はまっすぐに、ワダチの演奏も余計な音が聞こえなくなっている。
ホタルはそれを確認して、
「少し休憩にしましょう」
宣言するとチャコは崩れるように座り込んだ。
「結構疲れたにゃ」
「俺もですよ」
荒くなった声のワダチも姿勢を崩して座り込んでいる。
「でもすごいにゃ……。
ホタルってこんなに、テキパキとしたことができるヤツだったんだにゃ」
「あ、ごめんなさい。
少し張り切りすぎちゃったかもしれません」
チャコの関心したような言葉に、ホタルは急に弱気になり頭を下げた。
「いいや、ホタルの指導はいいにゃ。
できたら褒めてくれるし、ワダチよりも全然いいにゃ」
あからさまに嫌味を感じる声で言いながら、チャコは横目でワダチを見る。
「神様が今みたいにちゃんと踊ってくれれば、俺はなにも言いません」
ワダチは仏頂面で言葉を返す。
(また始まった……。本当に元気だなぁ)
ホタルはふたりのやり取りを眺めようと、一歩下がる。
ワダチもチャコも当然気が付かない。
「なにも言わないんじゃだめにゃ。
雨と無知っていうにゃろ!」
「飴と鞭ですよ。
神様がそうおっしゃるのであれば、舞がうまくできたときだけ、お夕飯を用意するというのはどうでしょう」
「にゃ!? そうじゃないにゃ!」
ふたりのやりとりをホタルは遠い目で見ていた。
軽口を叩き合える仲というのもあるが、ふたりはお互いのことをとてもよく知っている。
表面的な仲の良さもあるが、ふたりからは絆のようなものを感じていた。
ワダチは自分の世界のことに詳しい。
おそらく自分のようになにかあって、イロ島に住むようになっている。
そこにチャコが関わっている。
「本当に仲良しですね……」
ホタルがぼそっと呟く。
「そんなことないにゃ。
ワダチはひどいやつにゃ」
「そうですよ。
神様はわがままでなかなか仕事してくれなくて困ってます」
「そうですね。
では休憩はおしまいにしましょう。
神様だけでなく、ワダチさんも頑張ってくださいね」
「うっ」
ホタルが笑いかけると、ワダチの首が引いた。
「そうにゃそうにゃ」
それをチャコはニヤニヤとした目つきでワダチを見て笑っている。
ホタルはふたりを見て感じた。
多分自分がワダチの隣にいることはできないだろうと。




