1-2 元偶像
竜神と猫神の喧嘩による地震でできたとされている岩場が島の奥にある。
初代猫神のことなのでチャコはそのことについては知らない。
チャコにとっては魚を取る場所としか認識しておらず、同じように思っている釣り人も多い。
今日も釣り人が真っ暗な海に向かい竿を振っている。
ワダチとチャコが追いかけてきた女性は、釣りをすることもなくただただ暗い海を見つめていた。
「今にも入水しそうにゃ」
岩の陰に隠れ、波の音でギリギリかき消されない小さなか声で、チャコは女性を見た感想をつぶやく。
「それは困る。声をかけよう」
「逢引だと思われるにゃ」
「神様がいるので大丈夫です。
それにこんな格好で逢引するようなひとはどの世界にいてもいません」
ワダチは両腕を腰にやり、白黒の袴姿を見せつける。
「分からないにゃ~?
別の世界では、神様を信じさせて女性をものにするという逢引方法が流行ってるらしいにゃ」
「そんなのどこで知るんですか……?」
ため息混じりにワダチは言った後、
「とりあえず声をかけますよ」
「こんにちは」
「あっ、こんばんは……」
ワダチは『こんばんは』という久しぶりに聞く挨拶で、彼女がこの世界の人間ではないことが分かる。
懐かしい気持ちを感じつつも、彼女と目を合わせると真っ赤になっていたことに気がついた。
「泣いてたのにゃ?」
ワダチの後ろからひょっこりとチャコが顔を出す。
間に入り、女性の顔を覗き込む。
「猫耳……」
女性は驚いて口をぽかんと丸くした。
「そうにゃ? 化け猫にもついてるし珍しいものじゃないにゃ」
チャコは見せびらかすように耳をピクピクと動かす。
「それよりなんでそんなに悲しい顔をしてるにゃ?」
「な、なんでもないです!」
「なんでもないはずないにゃ」
ワダチは硬い顔をしてチャコの首根っこを掴み、自分の隣に下げる。
「申し遅れました。
こちらはイロ島神社の猫神チャコ様でございます。
俺は神社の神主、ワダチです」
女性は猫耳以上に信じられないものを見ているように驚いた。
流れていた涙はぱっと止まり、エメラルドの色をした目を丸く、口も空いたまま固まる。
驚いたというより、救いの神を見ているような顔にも見えた。ワダチには彼女が救いを求めている。
過去の自分と同じように。
「神……様?」
「そうにゃ。われこそイロ島の猫神チャコにゃ!」
絞り出したような確認の言葉に、チャコは偉そうな口ぶりと笑みでで自らも名乗りを上げた。
「よければこんなところで黄昏れている理由を、話していただけませんか?」
「そうにゃ、主の顔『助けてほしい』って見えるぞ」
ワダチとチャコの言葉に彼女は目をそらした。
話してよいのか迷っているのだろう。
眉を上下させ、喋りたいのに口ごもるように口を少し開けては閉じている。
目線は真っ暗な海やワダチの顔、チャコの耳や尻尾、周囲の岩に移っていて道に迷っているようだ。
黙っているがその間の沈黙を波の音が塞いでくれる。
蒸し暑さを流してくれる心地の良い汐風が吹くと、
「わたしホタルって言います。
こんな顔しちゃってますけど、
別の世界で『アイドル』の仕事をしていたんです」
「そうかそうか……」
チャコは腕を組み、ホタルの苦労を想像して納得しているように何度も頷く。
「それは御苦労なさってるんですね」
「で、ワダチ『あいどる』ってなんにゃ?」
ワダチは膝の骨と筋肉が壊れたようにずっこけた。
あいどるを名乗ったホタルもきょとんとした表情とパチクリさせる目ででチャコを見つめている。
ワダチは気を取り直して、
「この世界の言葉に訳すと『偶像』ってなりますね。
要は歌を歌ったり踊ったり、おしゃべりや写真でひとを楽しませたりする仕事のことです」
「楽しそうにゃ仕事にゃ」
チャコはのんきな感想を言うが、ワダチは目を細める。
確かにチャコの言うとおり楽しそうな仕事に見える。
だがその仕事に就くためにはどれだけの苦労を重ね、運に恵まれなければならないか、ワダチには想像もできない。努力だけではどうしようもない才能も必要な時がある。
「神様も似たようなことしてます」
そんなことを知らないであろうチャコに、ワダチはイヤミを含めてそう言う。
「神事はひとを楽しませるためにやってないにゃ。めんどくさいだけにゃ」
両手を上げたチャコは『やれやれ』と、わざとらしいため息をつきながら反論。
「いいえ。世のため、ひとのため、妖怪のため、なにより神様自身のために神事は執り行われるんですよ」
「自分のために神事をやった覚えはないにゃ」
「神様が存在できるのは皆の信仰あってこそです。
信仰がないと神様は消滅してしまうかもしれません。
そのために神事を執り行うんですよ。人間、妖怪、神々に限らず仕事というのはそういうもの。
自分自身のためのものなのです」
「ん~、そういうものなのかにゃ」
意識の低い神様のため、ワダチがあれこれと言っていると、
「仕事は自分のために……」
ホタルはボソリとつぶやいた。
「失礼、猫神様は最近神々になられたもので……」
「いえ、大丈夫です」
「ところで、さっき『していた』と言っていたな。
今はその偶像とやらのの仕事はしておらんのかにゃ?」
「はい。事務所と家に置き手紙を置いて逃げてきちゃって……」
ホタルは目をそらした。
本当は悪いことをしていると分かっているのだが、それでもイヤになってしまったのだろう。
ホタルの整った顔に落ちる影を見てワダチはそう感じて、うなずく。
「つまり、今はお仕事も家もないんですね」
「そうなりますね」
ワダチが聞くと、ホタルはうつむいて肯定する。
今のホタルには居場所がないのだとワダチは感じた。
仕事は嫌になってしまい逃げ出し、恐らく家にも帰ることができないのだろう。
そうして居場所を求めるようにこのイロ島にやってきた。
ワダチは、自分と同じだと思った。
「では少し宛があるので、明日からお仕事探しを俺たちが手伝います」
「いいんですか?」
思わぬ言葉だったのだろう。ホタルは顔を上げ驚きの顔をワダチに見せる。
「島の困り事を解決するのが、猫神様の仕事ですから」
「にゃにゃ!?
なんでみゃ~が解決することになってるにゃ?
ワダチも手伝ってにゃ!」
チャコは慌ててワダチに言い寄った。
このワダチの言い回しでは、自分がホタルの仕事を探しまわるように聞こえる。
「もちろんですよ。
神様仕事探しなんてしたら、ホタルさんは猫耳をつけて化け猫たちに人気の偶像になってしまいます」
「そ、そんなことさせないにゃ」
だがチャコには、ホタルに紹介できる仕事の宛はなかった。追求される前に、
「と、ところでなんで、イロ島に来たにゃ?
行く当ては他に無かったのかにゃ?」
彼女は別の世界から来たと言っていた。
ならばわざわざ列車に乗ってここまで来なくても、元の世界で仕事を探すなりすれば良かったのではないかとチャコは思って首を傾げた。
「元の世界に居づらかったというのもあります。
ですが、前にも仕事でイロ島には来たことがあるんです。
そのときにとてもいい場所だと知って、多分それで」
「当然だにゃ! なんと言ってもみゃ~が島を守ってるんだからにゃ!」
チャコは両手を腰にやり、偉そうに胸をはった。
こう見えても島を作った神々――の座を引き継いだ存在――だ。
島を守る力もあるし、瘴気を祓うこともできる。
「そうですね」
だがワダチはそんなチャコの自信満々の言葉に、棒読みで相槌を打った。
顔もこっちを向いておらず、表情も動いていない。
「なんにゃワダチ。その心にも思っていないという言い方は!?」
チャコは無表情のワダチの顔を両手でつかみ、こっちを向かせようとする。
だがその顔は動かず、目線も合わせようともしてくれない。
「それはそうと、ここに来たことは関係者には知られてるんですか?」
「あ、えっと、黙って出てきちゃったので、分からないと思います」
「泊まる場所や宛、しばらくの宿泊費とかは?」
「宛もなにもないですね……。お金もそんなにたくさんないです。
なにか換金できるような宝石でもあればよかったんですが」
「じゃあしばらくは神社に泊まってください」
ワダチはチャコの手をほどいて、迷わずに提案した。
「もう一度聞くようですが、いいんですか?」
見ず知らずの相手をいきなり自分の家に泊めてよいのだろうか?
そもそも神社は神聖な場所だから迷惑ではないだろうかと思っているのだろう。
ワダチも、自分がホタルの立場だったらそう考える。
「あなたには今多くの『瘴気』や『厄』がついています」
「そうにゃそうにゃ。普通の人間には汚れは見えないが、みゃ~から見たら汚いぞ」
チャコは再び偉そうな口調で言うが、夜目を効かせる猫の目でホタルにまとわりつくものを見ていた。
「『瘴気』や『厄』……そんなにひどいですか?」
ホタルは自分の体を見直す。だが当然ふたりのいうような物は見えない。
「そんなに汚れた人間を見たのは久しぶりにゃ」
チャコは少しワダチにも目をやりながら言う。
以前同じくらい瘴気や厄で汚れた人間は、今はきれいな体で生活をしている。
「その『悪い空気』はあなたの心が病んでいる証拠でもあります。
『悪い空気』というのは他の人間や妖怪、動物や場所に移ることがあるのです。
ですからそんな厄がついているのに他の場所に泊めるわけにもいきません」
「はい……」
ワダチの言葉にホタルは再度うつむく。
自分が悪いことをしていたことに気がついてしまったように肩を落とし、目を強くつぶる。
「心配するにゃ。ワダチはこう言ってるが、ホタルのことを心配してるにゃ。
そもそもワダチもホタルと似たような厄い顔をして島にき――にゃあ!?」
「余計なことは言わなくていいです」
ワダチはチャコの言葉を遮るために頭を叩く。
「でもお金……」
「みゃ~のような心の広い神が居る神社がお金をとると思うかにゃ?」
「出世払いでいいです」
「おいワダチ! カッコつけさせるにゃ!」
「今あなたが置かれている状況を解決して、瘴気や厄をしっかりと祓って、その上でしっかりと生活できるようになって、そのうえでお金ができたときでいいです」
チャコの心優しい言葉をあっさりと否定するように、ワダチが言った。
再度ワダチに食って掛かるが、自分よりも長い腕に頭を抑えられチャコの手はワダチに届かない。
「出世……するのかな」
それでもしっかり払うことができるのだろうか。ホタルは不安要素を重ねるようにつぶやく。
「あなたが出世したと思ったらでいいです」
「ホントワダチのやつは……。こんなやつじゃなくてみゃ~を頼るとよいぞ!」
チャコはホタルを安心させるため、より偉そうに大きな声で言った。