2-5 経験が活きる
お昼はひとがほとんど来ないので一時閉店して休憩にするという。
ワダチとチャコは午後から別の用事があるということでお店を出ている。
ホタルは少し不安を覚えつつも、偶像の仕事を始めた当初は似たような状況だったことを思い出す。
ひとりで現場に来て、初めて会うひとたち全員に挨拶をして、怒られながら演技をする。
今日は怒られることはなかったし、むしろうまく行っていると感じた。
偶像の仕事から別の仕事になるに、あたりその経験は活かせないと思っていた。
だがこの調子であれば意外とできるかもしれない。
ホタルはそう思って安堵の息を吐く。
「はいどうぞ~」
アヤアが持ってきたのはそうめんだった。
艶のある涼し気な色合いの麺は、常闇の世界では光って見えるようだとホタルは感じた。
「ありがとうございます」
「いえいえ~。それにしてもホタルさんは、笑顔がきれいですね~」
アヤアは箸を持つ手を止めて、ホタルの顔をまじまじと見ている。
「わたしは普通にしてるつもりですが」
まっすぐに見つめられてまっすぐに褒められて、ホタルは目をそらす。
「お客さんに見せられる素敵な笑顔です」
アヤアは雪解け水のような優しい声をかけた。
声には他意がなく、純粋にそう思っているのだとホタルは感じ、ゆっくりと視線をアヤアに合わせる。
「そんなふうに褒められたの、初めてかもしれません」
今まではこの笑顔でいることが当たり前だった。
できて当然で、それを褒められたり、評価されたりすることはない。そう思ってつぶやくが、
「そうなんですか? 皆さんも同じことを思っているんじゃないですか~」
間延びした声で言うと、アヤアは冷たそうなそうめんをすすった。
「そう言っていただけるのは、嬉しいです……」
あまりに褒められるのでホタルはまたも目をそらした。
だが嬉しいと思ったのは本心だ。
「わたしは絵に描いたような雪女ですから、慣れてない方には笑ってても不気味に見えてしまうんですよ。
ですのでホタルの輝くような笑顔が羨ましいです」
「そんなことないですよ。
雪女さんとこうして話すのは初めてですが、涼しくて爽やかに感じますよ」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「あの、アヤアさんはどうしてお店を開いたんですか?」
雪女であることを敬遠されることもあり、冬場は淹れた飲み物が凍ってしまう。
そんな体質にもかかわらず、お茶屋をやりたいと思ったのには強い意志があるからではないか。
ホタルにはそれが気になって、軽い気持ちだと思われるような顔を作って聞いてみた。
「このイロ島が過ごしやすかったんです。
常闇のおかげで夏でも涼しいのは、雪女としてはありがたいんです」
涼しくも穏やかな笑顔でアヤアは答えた。
「でもそれならわざわざお店を開くまでしなくても、他の仕事があったのでは?」
「ゆっくりした仕事がしたかったんです。
ここはイロ島の奥の方で席がいっぱいになるほどお客さんは来ません。
ですが経営ができなくなるほどひとが来ないというわけではないです。
お客さんの休むお顔を見ながら、ゆっくり時間を過ごすことができるんですよ」
「仕事をしながらゆっくりと時間を過ごす……。考えたことありませんでした」
ホタルにとって仕事とは、人生をかけて行うもの。
あるいはいやいやさせられるものだと思っていた。
だがアヤアはのんびりとできる仕事を選んだ。
いやいやでもなく、人生の大半の時間を使うほどでもない。そんな仕事を。
「以前はどのようなお仕事をしてきたかは存じませんし、お伺いもあえていたしません。
ですが、そういった方と一緒にゆっくりと時間を過ごすことができたら、嬉しいと思っています」
「相手のことを考えられるんですね」
「そういうお仕事ですからね」
アヤアは心地よいそよ風のような笑顔で笑った。
だがそんな風でも、ホタルには風当たりが強いと感じたのか、目をそらした。
「わたしは独り善がりな人間ですから。
誰かに喜んでもらいたいとか、あまり考えたことなかったかもしれません」
「そうでしょうか?」
ホタルはお世辞を言っていただいて申し訳ないと言いたげな顔をしながら、首をかしげる。
「独り善がりじゃなければ、イロ島に逃げてきたりしません。
今の生活が嫌になって、仕事も対人関係も全部投げ捨ててきたんです」
「ホタルさんは責任感の強い方なんですね」
「いいえ――」
「責任感がなくてはそのような考えにはなりませんよ」
アヤアはもう少し強い風吹かせて、ホタルの後ろ向きな言葉を押し止めるように、
「ですからホタルさんに必要なのは、自分にも優しくなれる気持ちかもしれません。
もっと自分のしたいことに正直になっていいと私は思いますよ」