29歳で初体験のどこがいけないのですか?1
「じゃあ、澤田さんは事前研修を受けるんですか?」
「ああ、お前よりはもう少し仕事が出来る様にな」
「だったら僕も参加したい……な」
「お前今日は生放送に出演だろ?諦めろ」
「明日の研修は僕も楽しみにしているんですよ」
「どうしてだ?」
「コンビニのアルバイト……僕は初めてだから」
「そういえば、ふうは社長の奥さんがオーナーのコンビニでバイトしなかったのか」
「はい、学校を優先していたのでやっていません。それに実家に行けば教室の手伝いもありましたから」
「じゃあ、初めての時給経験か。いい勉強になると思うぞ」
「だから楽しみです」
事務所のエントランス前。さっきまで歴史ドラマの関連イベントに参加していた僕達は事務所で少しだけ今後のスケジュールを確認してから、楓太は次の現場に向かい僕は明日の前に事前打ち合わせをする為に、指定された場所で高山さんと打ち合わせをする事になっていた。
「明日の集合時間が万が一変更になったらメールを入れるから22時位まではチェックするように」
「分かりました」
にこやかに答える楓太にちょっとだけトーンを落として確認をする。
「夏海ちゃんはどうだ?」
「今はナツミの仕事を優先しています。コンビニのハモリは本来の彼女のトーンですが、オンライン配信のnatsuの方は音声自体をちょっと低く弄るらしいです」
「成程。それなら彼女がnatsuと気がつかれる可能性は少ないだろうな」
「ええ、社長はどうやらボーカロイドとリアルの中間を目指しているみたいです」
夏海ちゃんは、社長の親戚。今はボイストレーナーの講師の元に下宿をしているモデルの卵。下宿先が楓太の実家の隣なので一緒にいる時間が必然と長い。実質的には、楓太がお世話係を一人でしている状態だ。
その姿はかいがいしくもあり、それでいて多少厳しい所がある。
彼女のデビューは今回の君想いマカロンだ。画像では本当に小さいので今回は彼女だと分かる人はほとんどいないだろう。
4月号が発売になる頃にティーンズ雑誌のモデルを務める事が正式に決まった。
それと並行して、オンライン配信のみでミュージシャン活動を始める事も決まった。スケジュールだと、今日までがスタジオで収録だったはずだ。
「夏海ちゃんは、音楽には苦労しない子?」
「そうですね。もとはクラシック畑の子です。今回の活動は今までのメインとは真逆なので本人も新鮮で楽しそうですよ」
「それならそれでいいが……本人はピアニストになりたいのかい?」
「いいえ。音楽教師だそうです。社長たちもいろんな経験をさせたいと言う事でした。まあ、今の僕が言える事はここまでです。例え澤田さんでも」
楓太が珍しく僕を牽制してきた。こういう生活を選ぶことについて何か事情があるのだろうと僕は理解する。
僕が航空管制から芸能マネージャーに転職したのと同じように。
「明日はプレスリリースがあるから、スタイリストを連れて行くから」
「分かりました。カツラだけ装着でいいって事ですね」
楓太は諸事情があって、本名で活動していないしウィッグとカラコン装着でぱっと見ただけでは、本人が誰であるのか見破る事がかなり難しいだろう。
「夏海ちゃんはふうが雅である事は?」
「こないだ教えました。驚かれましたけど。そんなにたいしたことではありません。それでは僕は帰ります。お疲れ様でした」
ふうは、事務所の駐輪場から自転車を取り出してマスクを装着して帰って行った。一度近くの自宅に戻って出直すようだ。
その姿はどう見ても普通の高校生にしか見えなかった。