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「おはようございます」
プチ改造を行った翌日、最初に顔を出すのは事務所だ。
「おっ、おはよう」
僕のプチ改造はかなりインパクトがあったみたいで、目を丸くしている。
「おはようございます。イメチェンですか?」
「まあ、そんなところ」
「いいんじゃないですか。見た目が若くなりましたよ」
「それは誉め言葉でいいんですよね」
「はい、もちろんです。夏美の工程表は私の机の上に置いておいてください」
「分かりました。それでは後はお願いします」
事務所の車のカギを持って僕はホワイトボードに収録スタジオの名前を書いた。
今日はメンバー全員でやっているバラエティー番組の収録だ。事務所を出てスタジオから遠い順に迎えに行く。事務所寮に住んでいる樹は事務所の駐車場前の待ち合わせだ。
「おはよう、さわっちぃ?」
「何?さっさと車に乗る」
無言で車に乗り込む。僕の顔をじっと見ているけど、何も聞いてこない。
他のメンバーも樹と同じリアクションを取っていくが、ふうだけが「似合ってますよ。前からそうしたらよかったのに」と言ってくれた。
ごめん、みんな何か勘違いをしていると思う。僕がこんな格好をしているのは、彼女ができたんじゃなくて、彼女から逃げ切るためなんだ。
無事に収録が終わって事務所に戻ってくると、事務所の隣のコンビニのそばにたたずむ一人の女性の姿が見えた。かなり派手は井出達で街に馴染んでいない。事務所は昔ながらの商店街の終点にあるせいか、業界の人という格好だとどうしても浮いてしまうと僕は思っていた。実際それは僕の思い込みだったわけだけど。
どことなく元彼女の面影が無くはないけど……僕から近づくのは正直怖い。
「さわっち?知りあい?」
「分かんない。正しくは知りあいって言いたくないな」
「でもちゃんと面はみたいと」
僕は頷く。樹はにっこりと笑って僕に言う。
「コンビニの店長に頼んで画像取って、さわっちの会社のメールに画像を転送してもらうよ。位置的にも防犯カメラにばっちり移っているだろうし。カメラの画像を遡っていつからいるのか調べてもらおうか?」
「うん、頼んでもいい?」
「さわっちは、事務所の裏口から入りなよ。なんとなくだけど。見た目は変えたけど声は変えられないんだからさ」
「そっかそうだな。じゃあ、店長に頼んでからお前は部屋に戻れよ」
「うん。僕もマンションの通路から上に上がるよ。お疲れ様」
樹は僕の顔が強張ったことから何かを察したみたいで、じゃあねと軽い足取りでコンビニに向かって行った。樹はコンビニスイーツのCMで忙しくなるまで隣のコンビニでアルバイトをしていた。そのため、店長いる?ってコンビニに入っても誰も不自然とは思わないだろう。僕はコンビニに向かって手を合わせて彼女に気が付かれないように事務所に入ることにした。
「ただいま戻りました」
「ねえ、澤田さん。最近ちょっと派手目な彼女ができました?」
「彼女?いるわけがないじゃない」
「そうですよね。今日公開収録の後に出待ちをしていた女性に澤田さんと連絡取りたいって言われてちょっと困ってね」
「すみません。どんな感じの人?」
「うーん、男受けするところは全部盛っている感じ?自分が可愛いことを自覚してふるまえるような人」
あぁ……それ元彼女だ。多分。彼女は男性からどう見られるかということだけに主眼を置いていたと今では思う。
「それでどう対処しました?」
「個人的な問い合わせにはお答えできません。事務所ホームページをご覧くださいって答えておいた」
事務所スタッフもホームページには顔を出している。そこからアクセスしてくる方がこっちとしても対処がしやすいのは事実だった。
「それでいいですよ。ありがとうございます」
「大丈夫?その女?」
「大丈夫ですよ」
「そう。それなら良かった」
同僚はそう言って僕のそばから離れていった。大丈夫だよ。同じ手には二度も引っかからないって。
今日の日報を作成して、明日のスケジュールを確認しているときに僕の会社のメールボックスにメールが来た。相手はこのタイミングだと誰か見なくても分かる。
さっさとメールを開いて、届いた画像を見る。
やっぱり彼女だ。あの頃より少しだけ化粧が濃くなった気がする。あの頃とほとんど変わっていないけど口紅の色が濃くなっただけで凄くけばい女性に見えた。
「ビンゴ。青木先輩にメールしないと」
僕はスマホを取り出して、青木先輩に画像を添付して送信する。
暫くすると、青木先輩から返信が来た。今夜澤田君のマンションにお邪魔します。
一晩お邪魔してもいいですか?と。
僕は青木先輩が泊まるのは問題ないけれども、明日の着替えとかどうするんだろう?と思っていた。
「着替えは、事務所に予備があるので大丈夫です。ご心配なく」と返信があった。
昔からそつのない先輩は今でも変わりないようです。
僕は青木先輩との待ち合わせの場所と時間を決めて、残りの仕事を片付けることに専念した。
「すみません。いきなり泊ってもいいかと聞いたりして」
「いいえ。簡単に済むってことではないってことですよね。メールで分かります」
「さすが、澤田君ですね。夕食はどうしましょうか?」
「家に戻ってから作るのも遅くなるので、どこかで食べませんか?」
「そうですね。たまにはファーストフードもいいかもしれません」
ファーストフードを食べるイメージがあまりない青木先輩と僕は駅のそばにある早い・うまい・安いが売りの牛丼屋に入った。
「おかしいですか?僕が牛丼屋なんて」
「そんなことないですけど。この仕事になってからですか?」
「そうですね。すぐに食べられる分、時間を有効に使えますから。週に1度は利用しますよ」
思いがけない話に僕は驚いた。法廷の後とか、打ち合わせの後にはゆっくりと食事をしていると思っていた青木先輩の理想がちょっと壊れていく。
「学園にいた先輩からすると、こういうところには行かないイメージが」
「ああ、ハンバーガー店はあまり行かないですね。いつもそばやうどんも飽きます」
「僕もそうですけど、普段はロケ弁当が基本なんで似たようなものですよ」
僕だって青木先輩のことを言えない。ロケ弁はありがたいけど、味が濃いから最近は事務所からいけるときは食堂のおばちゃんにお弁当を作ってもらうことにしている。そろそろ30代。体のことも考えないとダメかなって少しだけ思う。
「今のところは、自宅まで分かっていません。そこまでの資金もありませんから」
「彼女ですか?」
「ええ。まだ品川のマンションにいると思い込んで突撃したみたいですけどね」
「あれから何年たったと」
「そうなんですよ。次は国土交通省に突撃です」
「あれから……もういいです」
「そういえば副大臣にお会いしましたよ。偶然ですけど」
「綾瀬先生ですか。うちの樹の両親と高校が一緒だったそうです」
「その話はネタじゃないんですね。僕は大学が一緒なんですよ」
でも、綾瀬先生と先輩だと年が離れて……。
「ゼミの先生が退官されるときのパーティーで知り合ったんです。僕は彼女がここに来たかどうか僕の大学の同期に聞こうと思ったんですけどね」
「そうなんですか。今度僕も綾瀬先生に会ったら先輩のこと聞かれそうですね」
「そこまで親しくはないので平気ですよ。何かあったら綾瀬先生が手を貸してくださるそうです」
「そこは……あまり使いたくないですね」
「気持ちは分かりますよ。まあ、分かりやすいところをうろついていきついたのが事務所です」
「なるほど。でも今の澤田君にはすぐに気が付かないでしょうね。擬態ですか」
「はい、ホームページの僕から離れたら時間稼ぎができそうだなって」
「あぁ、大隈君達のアイデアですね。あれは似非ホストでしたよ」
「いきなりそこだと次の擬態ができません」
「成程。今回は業務に支障が出そうなので、会社の上役に行った方がいいですよ」
「もう報告してあります。最悪内勤に専念できるように配慮してくれるそうです」
「そうですか。それなら今回も短期決戦でいきましょう」
僕のマンションに着いてから、ジャージでいいので一晩借りられますか?と青木先輩が言うので、学園の頃から着ていた部活のジャージを青木先輩に貸すと、洗面所をお借りしますねと慣れたふうにネクタイを緩ませながら洗面所に消えていった。
僕は寝室で部屋着のスウェットに着替えた。その後にお湯を沸かして紅茶を入れる支度をする。
「今日はアッサムですか?」
「はい、久しぶりに飲みたくなったので」
僕らはリビングにティーポットとカップを並べて、ソファーに座る。
男性なのに、ほっそりとしている青木先輩は中性的だ。もちろんそういう趣味もない。書類を見る都合があるので、青木先輩の隣に座ることにした。
「まず、あれから僕が興信所に依頼して調べてもらったあの当時の当事者全員の近況のリストです」
そう言って、青木先輩はリストを僕に渡してくれる。間男さんは、アジアを中心に国際線のパイロットを続けていた。彼女は航空会社に勤務はしているけれども、内勤に代わっていた。あの会社って社員の数は限りなく少なくて、大半の人は関連の派遣会社の社員じゃなかっただろうか?間男さんの元奥さんはやっぱりマナー講師で企業やテレビにと活動の幅を広げているみたいだ。
「最初に元間男さんの奥さんに連絡をさせてもらいました。彼らが離婚したことは知っていますが、離婚条件とか慰謝料とか分かっていませんからね」
「そうでしたね」
「彼女が言うには、元旦那さんと澤田君の婚約者は彼女の離婚が成立するまでも頻繁に会っていたようです。そして自分たちのことを棚に上げて奥さんに全ての責任を押し付けようとしたようです」
「それは慰謝料の減額が目的ですか」
「その通りです」
「結果的に調停離婚になったようです。それが彼女にとって、僕は良かったと思いますよ」
「元彼女が慰謝料を踏み倒そうとしたんですか?」
「正解です。財産分与もきっちりとして、旦那さんにも元彼女さんにも慰謝料を彼女に支払うようにと調停調書には書かれています」
「ってことは」
「間男さんは最低限の荷物だけを持っただけで追い出されたようなものです。最初は彼女さんの元に行ったようですが、彼女さんは自分が有責になった理由すら分かっていませんので、うまくいくはずがありません。結果的に二人は破局して間男さんはかなり早期に慰謝料を支払い終えたようです」
「成程」
「で、彼女さんなのですが……間男さんと拗れた時にかなり騒ぎになったようです。その後まもなく実家に戻されたようです。で、奥さんへの慰謝料の支払いを踏み倒そうとしたらしい」
「給与の差し押さえできますよね。調停調書もあるんだから」
「その通りです。彼女だってかなり譲歩して月の支払いを楽になるように決めたというのに最初の二カ月だけで踏み倒したそうです」
「それは完全に喧嘩を売っていますね」
「ええ、躊躇うことなく給与を差し押さえたらあろうことか、元彼女さんは元奥さんにクレームですよ」
彼女があまりにも浅ましいのとバカすぎるので呆れてしまう。
「結果的に、彼女のご両親と弁護士と話をして、元奥さんには彼女の両親がこれ以上迷惑をかけられないということで一括しお支払いしたそうです」
僕は彼女の両親を思い出す。とても優しいお二人だったから娘の為にそういうことをするのは容易に想像できた。
「でも、それは彼女にとって悪影響なのでは」
「そうですね。で、勤務評価等もあって配属移動になったんですよ」
「成程。そうなると……」
「お察しの通りです。お財布代わりの男性が欲しいようですね」
「僕はそんなに貰っていないのに」
「華やかな業界に入り込めればどうにかなると思っているのかもしれません」
「えっ?タレントですか?」
「そうではないでしょう。金払いのいい人を物色するつもりかも……それならいいんですけど、澤田君に逆恨みをしていてありもしない悪評を言う恐れもあります」
「風説の流布なら刑事ですね。大久保先輩とタッグ組みますか?」
「僕らはいいですよ。叩き潰してあげます」
青木先輩がにっこりの微笑むんだけど、すごく怖い。元彼女じゃなければダッシュで逃げてって言えるくらいに怖いよ。
「で、青木先輩はどっちだと思ってます?」
「僕の個人的見解では……逆恨みかなって思います」
「やっぱり。僕もそう思います」
「最終目的はなんでしょう?」
「お金ですか?だったら逆恨み的な接触ではないですよね」
「僕は、違います。転職してもある程度責任のある仕事をしているからでしょうか」
「仕事ですか」
「彼女の仕事は本来なら、関連会社の方が多い職種です。それが本社の社員さんが行っているのですからうまくいきようがありません。でもあの会社に勤務しているというのが女性である彼女には唯一のステータスです」
「僕なんて、芸能事務所のマネージャーですよ」
「華やかな世界にいると思っているんでしょうね」
青木先輩に指摘されて僕は気が付いた。僕に近づいて最終目的は芸能人ということか。
「そうなるとかなり厄介ですね。まずは彼女を澤田君のストーカーであるという認識を作ってしまいましょうか」
「それは大丈夫ですか?」
「まずは彼女の出待ちはしばらくそのまま放置しましょう。あっ、コンビニの防犯カメラに写っているのならその画像をコピーさせてもらいましょう。依頼してもらえますか?」
「はい、分かりました。明日にでも頼んでおきます」
「後は事務所の人に、彼女に質問されたら、どういう関係なのか聞いてほしいとお願いしておいてください」
「どうしてですか?」
「かつての婚約者である君のことをなんて説明するんでしょう?ちょっと怖いもの見たさで知りたくないですか」
青木先輩、それは悪趣味というのではないでしょうか?僕も気にはなりますけど。
「まあ、なるようになるでしょう。明日もお互いに仕事です。そろそろ休みましょうか」
僕らの話し合いは今後も定期的にすることに決まり、青木先輩には客間で寝てもらうことにした。
「こないだは、四人でしたけど、一人だとかなり広く感じますね」
「すみません。僕の部屋はかなり縦長なんですよ」
「いいですよ。明日の朝は早いんですか?」
「いいえ。青木先輩が出る時間に一緒に出ても平気ですよ」
「それならそうしましょう。今日のこの話は法哉さんに話しておきますよ」
「はい。お願いします。おやすみなさい」
「おやすみ。あっ、不眠傾向になるのだったらまた通院するように」
「……分かりました。注意します」
青木先輩はごまかせないなあ。ここの所少しだけ寝付けなかったんだよな。
そのうち睡眠導入剤を貰った方がいいのかなとぼんやりと思っていた。




