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カフェに入ってしばらくすると「すみません。ちょっとよろしいですか?」と背後から声がした。
「はい?」
「あの……お休みの所失礼します。今日はお買い物ですか?」
明らかに僕と同業者だというのは分かるけれども、今回のスカウトは何なのだろうか?
「そうですか、いかがなさいましたか?」
僕は分かっていながら分からないふりをすることにした。
「芸能界に興味ないですか?」
いきなりの直球勝負でちょっと驚く。そんな僕を賢はみている。最初は賢に対応させてみて、最終的に僕が助け舟を出すことにした。
「俺、そういうのはちょっと……」
「大丈夫。君もきっと売れっ子のモデルになれるから。一度事務所に来てみないかな?どうです?お父さん?」
「おっ、お父さん」
いきなり言われた言葉に賢がフリーズする。確かにお父さんと言われたらそうなるだろうな。17歳で父親になっていたらそうだろうけど。現実的には十分にありえないんだけど。
「大変申し訳ありませんが、名刺を頂くことはできますか?今ここで決めるわけにも行きませんので、自宅に戻って両親と共に話をしてからになりますが」
「えっ、あっ、そうですね」
スカウトは慌てて僕に名刺を渡す。書いてある名刺に僕は目を通す。そこに書かれている社名である事務所の名前は僕も一応知っていた。けれども、この事務所は正直ここ最近あまりいい話を聞いたことがなかった。
「ありがとうございます。いい返事が出来そうなら事務所の方に連絡させていただきますが、ダメな時は連絡致しませんがよろしいですか?」
「いい返事待っていますので。失礼します」
スカウトはにこやかに言うと僕らの傍から去って行った。
「兄ちゃん、今の人って大丈夫なの?」
「どうかな?僕も現場では見たことがない人だね。会った人ならスカウトすることはないだろうけど。で、どうするつもり?名刺」
「僕らってまだ事務所に所属していることになっているでしょ」
そう、二人とも社長に一度スカウトされている。小学校の休みの時だけ子役として少しだけ活動していた。二人とも、帰国子女枠として子供向け英会話番組の収録に参加したのだ。今は両親の考えに同意して学業に専念している。自分自身の進路をしっかりと決めてから僕のいる事務所なら活動してもいいと思っているようだ。
紗良の方は読者モデルなら活動してもいいと考えているようで、来年度から事務所でレッスンを受けたいと年末に社長に直接宣言したようだ。ただ、社長との条件で今の成績が維持できないようなら春からのレッスンは参加させないと言われたようだ。賢の方は、渡米でマスターした英語と英会話を維持したいという事で、部活の合間を使って事務所の英会話のレッスンを受けている。ただし、賢の場合はネイティブの講師とのフリートークに替えたほうがいいだろうということで、社長が知り合いの外国人タレントにお願いすることにしたそうだ。
二人のビジネスマナーは僕が直接教える様にと社長から言われているので、年明けに僕もマナー講師の先生からレクチャーを受ける予定だ。
もちろん、二人が事務所に籍を置いていることは事務所の人間はみんな知っている。兄がマネージャーだから仕事が来るわけじゃない。今までの仕事だって、自分たちのスキルがマッチしたから出来ただけにすぎないと僕も社長も言っている。
それに二人をスカウトしたのは僕と同様に社長だ。二人の仕事のプランは社長と両親と二人が納得して決めているはずだ。二人の相談相手には僕はなるけれども、二人の将来を決めるようなことだけはしない様に、自宅以外では二人との接触をあえて控えていた。
賢の方は、子供英会話教室のCM撮影を僕が君想いマカロンのプロモーションで多忙な時に行ったらしい。現場でも講師役の外国人相手にずっと英会話だけで過ごしていたと同行してくれた同僚が後で報告をしてくれた。
僕が手を差し出さなくても二人ともこの業界に入ってきても成長できると僕は信じている。
「ごめんね。待たせたよね」
「あれ?買わなかったの?」
「うん。福袋が届くから、今日はウィンドーショッピングだよ」
「成程ね。ほらっ、何か頼んでおいで」
僕は小銭入れを紗良に手渡す。
「ありがとうお兄ちゃん。で、なんでここ?寒いじゃない」
「そうだよな。でも座れるだけいいじゃん」
賢はそう言って店の外を見る。僕らが待っている間にお店は相当混雑しているようで、今では店の外にも待っている人がいる。
「そうだよね。それじゃあ買ってくるね」
紗良は足早に店の中に入っていった。
「兄ちゃん、これからどうする予定?」
朝食が遅かったためか、正午を少し過ぎてもあまり空腹を感じないのは事実だ。
「新宿で食べないとだめか?」
「ここじゃなくてもいいよ。だったら本屋を見てから家の近くのファミレスがいいな」
ファミレスか、最近は言っていないからたまにはいいかな。
「紗良が来てから確認しような」
「うん」
しばらくすると、紗良がマグカップだけを持って僕らの元に戻ってきた。マグカップの中身はカフェオレで湯気が立っていた。
「さっき賢と話をしたんだけど、お昼は家の傍のファミレスでもいいだろうか?」
「いいよ。ファミレスなら隣のスーパーでカレーの食材が買えるからいいんじゃない?」
そう言ってから、早く飲んで移動したいためかふうふうと息を吹いて冷ましている。
外が寒いのも重なっていつもよりは早い時間で紗良はカフェオレを飲み切ったようだ。
「飲み終わったよ。お兄ちゃん。本屋は新宿でいいんだよね?」
「ああ僕はいいけど。賢はどうする?」
「うん、新しい参考書が欲しいけど……全教科は買えないなあ」
「それは兄ちゃんが買ってやるよ。次の学年のテキストを貰ったんだろ?紗良も必要だろ?二人で一冊。いいよな?」
「うん。ちゃんと使うから。ありがとうお兄ちゃん」
そんなことを言いながら、カフェを出て駅の傍の書店に向かおうとした時だった。
「ねえ、あなたモデルになりたくない?」
「結構です」
紗良の方もスカウトにひっかかってしまったらしい。賢と違うのは自分の意思をはっきりと言える事だろうか?スカウトは一瞬怯んだけど再び声をかける。
「こんなに可愛いのに。一度だけどう?」
誘い方に悪意を感じて少しだけ僕は眉を顰める。
「私、義務教育なんで無理です」
「大丈夫。ティーン誌もあるから」
「それならば、名刺を下さい。持っていますよね?」
紗良は名刺を出すように促す。スカウトは渋々と名刺を取り出して紗良に渡した。紗良はその名刺を一度見てからお兄ちゃんと僕を読んで僕に渡す。
その名刺に書かれている事務所の名前は賢が貰った名刺とは違う事務所だったが、その事務所はどちらかというと紗良にはまだ早いといいたくなる事務所だった。方向転換でもするのだろうか?グラビアタレントさんはたくさんいる事務所というイメージなのだが。
「どうしたらいい?」
「どうしたらも何も。義務教育なら両親と話し合うのが当然じゃないか?自宅に戻ってから両親に報告してから決めますので、お話を伺いたかったら事務所の方に連絡させてもらいます。それでよろしいですか?」
「はあ……構いませんけど」
「僕個人としては、お行儀の悪い子が多いイメージが多いんだよね。その件に関シマs手は、昨日弊社の社長の方から正式に抗議をさせて貰っておりますので。妹のスカウトとは別物ですが、多分いい回答は出来ないと思ってもらえたら……それでは失礼します」
一か月前に、ファッション誌の撮影でうちの事務所の子の衣装等に相当ないたずらをしたと全体ミーティングで報告を聞いたばかりだ。モデル部門だとまれにある話だとは聞いていたけれども……女性はやっぱり怖い。
「えっ、一か月前?それって」
僕らは狼狽えているスカウトを置き去りにして駅に向かうことにした。
「ねえ、お兄ちゃん。私をスカウトした事務所って大問題?」
「うん。グラビアタレントさんが多い事務所だね。紗良は青田買いかもしれないけど、お兄ちゃんはあまり賛成しないぞ」
「私だって嫌だよ。水着ばかりはちょっと。夏だけならいいけど」
そりゃそうだよな。二人のスカウトはなかったことになるだろうな。僕が今あったことを社長に報告するためにスマホを操作している横で賢も自分がスカウトにあったことを更に報告していた。
ケンケンも同じことがあったんだ。なんだろうね?お兄ちゃんと一緒だとこいういことが多いよねなんてのんきに話していた。僕も外出先なので手短に現状報告をするだけして、続きは仕事始めにという事になった。
「社長はなんだって?」
「二人がプチエトワールに所属していることを知らずにスカウトしているのなら目がいいなとは褒めていたけどな」
そう、双子は一応事務所所属になっている。売れっ子の子役のような活動はしていないけど、二人ならではのオファーがあれば積極的に参加している。専らトーク番組とか英会話プログラムとかがメインだ。枠としたら子役というよりは子役の帰国子女枠。僕はマネージャーとしては参加していない。二人の保護者として参加している。
二人が小学校に入学したのが帰国早々で、最初はいじめられることはなかったんだけど、一度登校拒否を起こすほどのいじめに遭ったことがある。その時、僕が休職中だったこともあって、民事に詳しい弁護士になった卒業生を頼って僕が単身学校に乗り込んだことがある。結果的にいじめはなくなったし、それ以来二人の学校に関することは両親より僕が行くことが増えている。
二人の学校は私立なので、かなり厳しいはずなのだが二人の芸能活動に関しては活動の範囲がかなり限定的なのもあって、学校からは認められている。
そのことで、またトラブルになったことがあったが、その時は僕が介入しようとしたら二人で弁護士さんに相談して解決してしまった。
二人で行動している分にはアクシデントがあっても対処できるので僕は安心してみている。
「さあ、家に帰るか?早速勉強見てやろうか?」
「うん。お願いしてもいい?」
僕の右手には二人が使う参考書が入った紙袋がある。僕の欲しかった本は、僕のマンションに送ってもらうように手配をしているので紙袋の中には入っていない。
「二人とも高校もエスカレーターでいいんだろう?」
「うん。そのつもり」
紗良は即答した。賢は僕の目をじっと見ていた。
「兄ちゃんは俺も学園に行けって言う?」
「いいや。そうは思わないさ。でも行きたいというのなら止めない」
「何?ケンケン。男子校に行きたいの?」
「うーん、しーちゃんとか修吾さんを見ているとちょっとだけね」
「まだ時間あるからゆっくりと考えてみるといい」
「うん」
駅前のスクランブル交差点で信号が変わるのを待っているときだった。
「あの、芸能界に興味がありませんか?お兄さん」
「はあ?」
双子がスカウトされるだけでなく、僕までもスカウトされるとは流石に誰も思わないだろう。
スカウトマンは僕に名刺だけ手渡すと足早に去って行った。その行動がどうしてなのか分かるのはもう少し後の事になる。
やっと名刺貰えますか?の回になりました。
ラストにちーちゃんが名刺を貰いましたが、どんな事務所なのか種明かしは多分2回後。
次回、ちーちゃんの嫁。帰宅するです(これは本当)