6
二人を自宅に送り届けて、僕が実家に戻ったのは9時を過ぎた頃だった。
「ただいま」
「おぁえり。何か食べたの?」
「いいや。食べ盛りの二人には食べさせたけど、僕はまだ」
二人を送る途中にドライブスルーを利用してファーストフードを食べさせたのだ。一応食べる前に二人の親には了承を取ってもらったけど。
「そんなことして平気なのか?」
「二人とも小腹を満たす程度にしか食べてないよ」
「ふうん。アイドルってのも大変なんだな」
のんびりとリビングでテレビを見ているのは父さんと白戸。毎年恒例のバラエティー番組を見ているようだ。自宅で予約録画しているからゆっくりできるようになったらのんびりと楽しめばいい。
「白戸が思っているほどじゃないよ」
「千紘。着替えてらっしゃい。今年もお任せしてもいいのかしら?」
「いいよ」
キッチンでは母さんが皿を洗っている。どうやら皆は先に食べ終わったらしい。
「天ぷらの材料はあるから、任せるわ」
「はいはい。多めに作って残りは明日の天丼にでもしようか?」
「それもいいわね。明日は私達だけなんでしょ?」
「僕は双子と出かけるし、白戸も僕と一緒に家を出るつもりだと思うけど」
「それなら天丼でもいいかも。おじいちゃん達が来てもお昼は食べないだろうし、あなた達がいない時に来ると思う?」
「それもそうか」
「兄ちゃん、事務所のブログが更新されていたよ」
「そうか、後で見るさ」
賢が僕に教えてくれる。僕が楽屋に到着してから撮影した画像は里美さんを含めたマネーシャーたちに送信してある。今日の役割は、事務所マネージャーブログは僕が、各アイドル担当マネージャーがアイドル達のブログを担当することになっている。僕が書いた記事は本番前の楽屋の画像付きの記事。本番終了後の記事は各マネージャーが書くことになっていたはずだ。どうやら、僕がアップした記事を参考にした記事をアップしているらしい。そんな二人にはブログを見てからメールを送信すれば問題はないだろう。僕の業務も無事に終わると言ったところだろう。
リビングから今夜白戸と一緒に過ごす客間に行って、カバンから持ってきた部屋着に着替える。ありふれた黒スウェットの上下。今夜はもう絶対に外にはいかないぞという自己アピールのつもりだ。
「お兄ちゃん、先に食べちゃった」
「いいんだよ。それに年越しそばも食べるんだろう?」
「うん」
「でも、カレー鍋の〆が何になるのか気になったんだろう?少しは食べる気だろう?紗良?」
「チーズカレーリゾットだったら少し食べたい」
紗良以外は食べないつもりなのだろう。チーズカレーリゾットは僕の家ではよくあるもので、家のマンションに泊まりに来るメンバー相手だとカレーラーメンでチーズをトッピングに化けてしまうのだ。あいつらが来る時って最近はご飯を食べることが少ないなあと漠然と考えた。今度は和風のご飯にしようと思い付く。
鍋の残りとリゾットにするために、ご飯を用意する。冷凍庫に残っているご飯があったのでそれを利用することにする。チーズはミックスチーズの袋があったのでそれを使う。それと同時に天ぷらの準備を始める。
出かけるときにチェックしてあったので、エビの下拵えから始める。メインはエビだけど、他は小柱と三つ葉のかき揚げと野菜のかき揚げで十分だろう。野菜籠の中から必要な野菜を必要な分だけ切り分ける。かぼちゃとサツマイモが使い切れないので、明日残りをパイにしてもいいかなって思うけど大丈夫かどうかは明日作る前に聞けばいいか。
僕が働き始めるまではお節料理は作っていたのだけど、今は仕事上の付き合いもあって知り合いが勤務するデパートのおせちを購入している。
今年は洋風と中華風のものを注文している。それからマカロンイベントの時に高山さんにお願いされて和風のものも追加した。まあ、高山さんの方は、食べた感想をレポートしてほしいと頼まれているので半分は仕事のようなものだ。どうやら春限定のお弁当のサンプルらしい……これは聞いた話からの推測だけど。
お弁当のレポートは僕とふうにお願いしたという事だけど、感想のサンプルになりえるのか若干の不安がないと言ったら嘘になる。
「今年はおせちで何か作るものってある?」
「おばあちゃんの家から煮物が届いているから特にないわよ」
「ところで二日の昼はカレーでいいんでしょう?」
「いいわよ。でも材料が揃っていないわよ」
「それは初詣の帰りにでも買うから。来客は多そうなの?」
「多分ね。そうそう、秋の人事でお父さん出世したのよ」
母さんから意外な言葉が出た。父さん出世したんだ。
「父さんってそういう欲はないのに、一度も関連会社への出向もないよね」
「そう言われたらそうね。千紘が小さいときには支社勤務もあったけど、短期間だって話だったから単身赴任して貰ったの」
僕が作業をしているのを隣で母さんが眺めている。さりげなく邪魔にならないように僕の手伝いをしてくれている。気がついたら、天ぷらの衣もできていてフライ用の鍋に油も入れてくれているんだ。これは結婚式の引き出物で貰ったもので重宝したので、実家で使えるように僕が購入したものだ。
「ところで、二人は俺のどんな話をしているんだい?」
足音を立てずに父さんが僕らの傍になってきて、ダイニングテーブルに腰掛けた。
「秋の人事で父さんが出世した話を……ちょっとね」
「ああ、その話か。父さんはまだ現場にいたいんだけどな」
一度、役員にという話があったのだが、業績があまりよくないのを縦に現場で頑張りたいと断ったことがある。だから昇進することはないと思っていたのだろう。
「またごねたんでしょう?」
「ちょっとだけな。でも後が困るって言われたから引き受けたんだ」
まあ働いてたらいろいろ都合があるのは僕だって分かる。母さんは役職の事は言わなかったけど、前が統括部長だったから今回は専務にでもなったということか。
「ところで千紘の方は?」
「僕も現場勤務がメインだよ。でも、労務処理も少しずつ増えているね」
「忙しそうだな」
「そうだけど。それはいいことだと思わない?事務所に入ってくるオファーもこの一年で飛躍的に増えてきたしね」
そう、コンビニスイーツの効果があったのか、ビビットを初めとして事務所のタレント達を指名してくる仕事が圧倒的に増えた。そりゃあ大規模な事務所と比べたらまだまだだけど、そんな大きな事務所から移籍してきたモデルさんもいた位だ。
他の事務所がどうなのかは知らないけど、僕のいる事務所はかなり福利厚生の部分が手厚いと思う。事務所スタッフもほとんど離職する人がいない。自己都合と言っても家族の転勤や、妊娠して母親に専念したいというもの。辞める人はいないけど、仕事の量が増えているので、ここ数年は新入社員を採用している。
「仕事が増えてきたって言うけど、経営の方は?」
「悪くはないんじゃない?まあ、大手ほどじゃないけど」
「そうか。最近は海外に行くことは減ったのか?」
「少しはね。でも英語圏じゃないと声がかかるのは変わらない」
ここ数年は、英語ができる社員が欲しいという事で、募集要項にもそのことをきちんと記載してある。そろそろ来年度の採用したい人材の打合せがあるだろう。
できたら、社会保険の知識があるスタッフさんが一人確保か、英語以外の語学が堪能な人材が欲しいなと思っていた。
「語学なら、外国語大学に求人を出したらどうだ?文学部に求人を出すよりは効果的だと思うぞ」
「そうだね。それだと、英語ができるは最低限の条件になるってことだね」
「そうとも言える。英語のハードルを通常より高めに設定もできる」
父さんの商社では、少なくても語学系の学生さんはハードルが若干高いという事か。
「なんとなく言いたいことは分かったよ。人事担当の人に提案してみるよ」
「お前の仕事が楽になればいいんだがな」
「いいんだよ。忙しいのは有難い事だから」
天ぷらの下拵えも終わって、できたリゾットをよそって皆より遅い夕食を僕は取りはじめた。




