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2-1 塔から降りた日(1)

 山裾に広がる樹海の上を、二羽の巨鳥が飛んでいた。

 先を行くのは、白い鳥。両翼を開いた長さは四メートル以上に及ぶ。あとから行く黒い鳥のほうは、もう一回り大きい。巨大なカラスだ。

 カラスは、足で大事な荷物を抱えていた。ついさっき、高い塔のてっぺんからさらってきた少女である。彼女は、大事なお姫さま――か、どうかはともかくとして、白い鳥から厳重な取扱いを命じられているところだった。


「おい、ネーロ! 間違っても落っことすんじゃねえぞ!」

「母ちゃん、それを僕に言うかな? 万が一にも足が滑っても、空中で楽に回収できちゃうよ! しかも安定飛行で乗り心地抜群。――だよね、お嬢!」


 カラスの足でつかまれて、まるで獲物のように運搬されているのは、バーディーと名付けられた少女だった。歳は十六、白い肌に大きな黒い瞳。後頭部の高い位置で束ねられた黒髪は、彼女の性格をあらわすかのように奔放に跳ね返っていた。

 無理やりの結婚式を拒否した彼女は、この鳥たちの助けを借り、塔の上から逃げ出してきたところである。


「あ! もしかして、あの時のお喋りカラスくん?」

「憶えててくれた? 僕、ネーロっていうんだ!」

「久しぶり! ずいぶん大きくなったのね」


 バーディーの記憶では、四年前に会ったときのネーロは、普通のカラスと同じ大きさだったはず。野生の鳥は、こんなにも巨大に成長する物なのかと感心していると、ネーロが言った。


「ああ、違うんだよ。これにはちょっとしたカラクリがね」

「そうなの? でも、アルバトロスはむしろ縮んだ?」

「ち、縮んでねえよ!」


 アルバトロスと呼ばれた白い鳥は、むきになって答えた。

 実際のところは、バーディーが成長したおかげでそう感じるだけだった。それを指摘しようと思ったアルバトロスだったが、照れくさそうに口を閉ざした。


「そうだ、アルバトロス! ほんとうに助けにきてくれて、ありがとう!」

「約束は守る。当然だ」

「でも、どうしてあたしなんかを助けてくれるの?」

「そ、それはだな……バーディーは、俺の……」


 何か小声で言っているようだったが、風を切る音などで、さっぱり聞こえない。口ごもっているアルバトロスを見るに見かねて、巨大カラスが横槍を入れた。


「僕からしたらさ、お嬢のほうがよっぽど変わってると思うね。こんな得体の知れないやつに、あっさりついてきちゃうんだから」


 言われてみたら、確かにそうなのである。なにしろ、バーディーはアルバトロスのことを何ひとつ知らないのだ。

 あの頃は世間を知らない子供だったから、突然あらわれたミステリアスな男性――どういうわけか、女の姿をしているが――に、ころっと騙されてしまったのだろうか、と、彼女自身、不安になったときもあった。


「――迷ったけど、結婚を断ることもできなかったの。もしもこのあと、引きちぎられて食べられちゃったとしても、あたしが馬鹿だったってことであきらめるしかないね」


 バーディーがアルバトロスに会ったことを打ち明けたのは、育ての親の師走(しわす)一子(いちこ)と、幼馴染の長月(ながつき)三十日(みそか)にだけだった。

 長月三十日はともかく、師走一子なら、そんな知らない人についていっちゃいけません、とでも言いそうなものだったが、一子は、この逃走計画にまったく反対しなかったのである。

 三十日は三十日で、結婚式をぶち壊しにする計画にやたらと乗り気であった。蜘蛛玉(スパイダー)にインビジブルの化石を撃ちこむアイデアは彼によるもので、それで誤作動を誘発するなどとは、バーディーも知らないことだった。

 ネーロはまだ釈然としない様子で言った。


「……うーん。僕が言うのもなんだけどさ、お嬢はもうちょっと人を疑ったほうがいいかもね。もし僕たちがならず者にお嬢を売ったらさ、別な意味で食われちゃう――ガアッ!」

「下品なことを言うな!」


 ネーロの背後に回り込んだアルバトロスが、その頭に足蹴りを加えていた。

 しかし、足に荷物をぶら下げているネーロは抵抗も回避もできない。ガアガア言いながら、よれよれ飛び続けていた。まもなく、小高い平坦な丘が見えた。そこだけ樹海の切れ間になっていて、天然のヘリポートのようだった。

 まず、アルバトロスが下に降りた。

 すこし遅れて、バーディーをぶら下げたネーロが着陸態勢に入る。

 バーディーが迫ってくる地面に対して身構えると、腕を広げて待っているアルバトロスが目に入った。人の姿に戻ったアルバトロスは、逞しい大人の男性の姿に見えていた。日焼けした肌に黒い髪。

 ネーロが着地するタイミングに合わせ、アルバトロスがバーディーの体を受け止める。


 むぎゅっ。

 アルバトロスの胸に飛び込んだバーディーは、奇妙な感触を受けた。

 気づくと、女性のバストの谷間に顔を埋めていたのだ。胸のボリュームはかなりのものだ。シャツの襟が大きく開いているせいで、膨らみがあらわになっている。大事なポイントは隠れているけれども。

 顔を上げてみると、アルバトロスは女性の姿になっていた。しなやかでありながら筋肉質な腕と足、小麦色の肌、それに、頭の後ろで束ねられた長い銀髪。

 以前会ったときと同じだった。変身の合間の一瞬だけは、なぜか男性の姿に見えるのだ。


 着地の衝撃で、やや後ずさりしながらも、アルバトロスは踏ん張って転倒をまぬがれた。

 そして、バーディーの顔を見るや、満面の笑顔になり頭を撫でまわした。


「よく来たバーディー! さすがに、前より重くなったな!」

「もう、ひどい! アルバトロスこそ相変わらず無茶苦茶だね」


 ガア、ガア、と、濁った鳴き声が聞こえた。

 木立の下に身を隠していたネーロの声だった。アルバトロスは、素早い動きでバーディーを林の中へ引き込み、上空の様子を伺った。


「どうだ、ネーロ」

「森のカラスたちが、プロペラで飛ぶ丸い虫を見たって言ってる。きっと哨戒機(ビー)だよ」

「中央塔が探しているってわけか」


 バーディーにしてみれば、単純に、嫌な結婚から逃げ出しただけだった。

 しかし、中央塔側からしたら大損失である。

『特別な目』を持った少女は貴重だ。開拓騎士団で働いてもらっても良いのだろうが、中央塔としては誰かの嫁として迎えたいようであった。簡単に見逃してくれるとは思えない。

 バーディーは、やや後悔の入り混じった表情で言った。


「アルバトロス、ごめん。あたし、迷惑かけてるよね」

「何を言うか。俺が話を持ち掛けたんだ」

「でも――皐月先生と、三十日は大丈夫かな」

「ん? 皐月……?」


 バーディーは、結婚式を脱出した顛末を説明した。

 幼なじみの長月三十日が、逃げた自分の代理に名乗り出る手筈になっていること。そして、塔長である皐月(さつき)五郎(ごろう)は責任を問われるかもしれないこと。

 アルバトロスは少し考える素振りをして、すぐに笑顔になって答えた。


「あー、ゴロちゃんなら大丈夫だよ!」

「ゴロ……ちゃん? 先生を知ってるの?」

「んー、まあ、ちょっとな。あっちは知ってるかどうか微妙だが」

「じゃあ、三十日も大丈夫?」


 うーん、と、アルバトロスは顎に手を当てて考えていた。

 バーディーは不安になり、木々のすき間から上を見た。空は晴れて青かった。

 時折カラスが飛んでいくが、哨戒機(ビー)らしき気配はない。動くものといえば、低木の間でさえずるすばしっこい小鳥や、蜜を集めている図体の大きなクマバチだけだ。

 アルバトロスは、ひとつ頷いてから答えた。


「バーディーの話だと、その馬の骨……じゃない、三十日って坊主も『目』を持ってるんだ。中央塔に引き渡せばゴロちゃんの面目も立つし、三十日にしてみれば騎士団に推薦されたようなもんだろ。順当に考えれば、二人とも損はしないはずだ」


 だがしかし――と、アルバトロスは別の可能性に思い至った。

 決して楽観できる状況でもない。しかし、全ては自分が始めたことだ。バーディーが自分を責めたり、悲観したりすることのないよう、明るく振る舞うように努めた。


「この森の先に、俺の隠れ家がある。ボロ家で悪いが、ひとまずそこで身を隠そう」


 アルバトロスは、林の中に隠してあった荷物を開けた。

 バーディーのために用意してあった靴を差し出してから、自分用の装備である散弾銃と、鞘に収まった短い刃物を取り出した。そしてリュックサックを背負った。


「母ちゃーん。僕のこと忘れてない?」

「ん? ――ネーロか……。そうだな、どうするかな」

「あー! ぜんぜん考えてなかっただろ」


 ネーロは不満そうにガアガアわめいた。

 巨体を無理やり林の中に隠しているので、狭そうに身をかがめている。しばらく考えたのち、アルバトロスは言った。


「そのまま隠れ家まで行けそうか?」

「この図体じゃ、たぶん見つからずには無理」

「じゃあ、元に戻っていい」


 一体なんのことかとバーディーが不思議に思っていると、ネーロの大きな体が光の粒になり、周囲に飛び散った。

 粒は、それ同士がくっついて魚のようになったり、さらに細かい粉になって風に乗ったりしながら、散り散りになって、あっという間にそこらからいなくなってしまった。

 光の中心だったあたりから、一羽のカラスが飛び出してきた。その種にして標準的な大きさだ。


「あっ、ネーロ?」

「――ってわけで、お嬢、あらためて久しぶり! ねえ、尻尾に乗っかっていい?」

「え? 尻尾?」


 バーディーが返事をするのを待たずに、ネーロはバーディーの頭部にひらりと降り立った。重さは少々感じるが、するどい爪の感触はない。どうやら、後頭部で束ねた髪の根本に上手くとまっているようである。


「ずっと、ここにとまりたかったんだ」

 うっとりした様子でネーロが言う。しかし変だとバーディーは思った。


「アルバトロスも、おなじ髪の結び方だけど? どうしてあたし?」

 そう、二人とも、後頭部の高い位置で髪を結んだ、アルバトロスに言わせればポニーテールという髪型である。

 ネーロは心底残念そうに答えた。


「母ちゃんは駄目だって怒るんだよ。――お嬢も、だめ?」

「え? ううん、別に――」

「やめとけバーディー、そいつ、頭に乗せると調子に乗るんだ。しつけるなら早いうちだ!」

「いいじゃん! お嬢はいいって言ってるんだからさぁ――」


 アルバトロスはぶつくさ言っていた。二人と一羽は、木立の中を縫うように、丘を下りはじめた。

 ずっと塔で暮らしていたバーディーは、木の根が這い回る、でこぼこの、傾斜のある地面に苦労した。しかも悪いことに、きのうの雨を含んで滑りやすくなっている。

 最初のうちは、下り斜面で足を踏み外し、下を行くアルバトロスにぶつかったりした。そのたびに、頭に乗ったネーロはびっくりして飛び上がった。


 沢沿いの細い道を歩いているとき、ふと、アルバトロスが立ち止まった。


「ネーロ、バーディーを頼む」


 その言葉に一瞬遅れて、バーディーは気づいた。向こうに真っ黒い影が見える。

 まるで熊のような、四足の獣。

 その毛皮は周囲の光すら吸い込んでしまいそうな漆黒だ。もしも余裕があったなら、レンズを通して確認しただろうが――確かめるまでもない。おそらくインビジブルの獣であろう。後ろ脚で立ち上がることがあるとすれば、人の背丈よりも高いほどの大きさだ。

 バーディーにとって、訓練場以外の場所で大型のインビジブルに遭遇するのは初めてだった。

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