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7-7 上出来だ

 冷凍室の前で二人の男が睨み合っていた。

 塔の住人たちを人質にとった八坂銀次郎が、アルバトロスに降伏を迫っている。形勢は大きく傾いていた。バーディーを引き渡すのは御免だが、多くの命には代えられない。それでもアルバトロスは抵抗を試みる。

「ホムンクルス計画なんて無効だ。彼らは人間とおなじだ! いまさら塔にインビジブルを放ってどうなる!」

「今だからこそだ。あの低能な小動物だったころの彼らと、いまの彼らは違う。ドラゴンやネズミのせいで絶滅に瀕しても、生き残る個体が現れるはずだ。それがわずか数人でも――いや、ひとりでも構わん。その有望な個体が繁殖できるように仕向けるのだ」

 たしかに計画にはそんなことも含まれていた。だが、飛島海渡は計画自体に初めから猛反対していた。そこまでして子孫を繁栄させる必要があるのか。種族としてのヒトは謙虚であるべきだ。しかし八坂銀次郎は話を続ける。

「あれらがホムンクルスの形だった昔のこと、中型のインビジブルが侵入したせいで壊滅した群れがあった。逃れて生き残った個体は一匹だけだった。我々はその個体を繁殖させて血統を作った。きみも知っているはずだが、その血筋はいまの東塔で受け継がれている。そう、長月三十日や、神無月十子という環境適応者(エボリューション)を産み出した血筋がな」

 銀次郎は感情のない顔をしていた。まるで報告書を読み上げているかのようだ。計画を主導したのは確かに八坂銀次郎だったが、それは本当に彼の望みだったのだろうか? 疑念のなかでアルバトロスは苛立ちを募らせる。

「周辺塔の住人たちにも、あんたたちと同等の人権を認めろ。実験動物みたいな扱いはもうやめてくれ!」

「きみが言っているのは理想論だ。まだ地球がひとつだった頃、旅立つ前にきみは誓いを立てなかったか? この世界の時はやがて未来に追いつく。約束の日時と場所で歴史は合流するのだ。そのときに、我々の知識力と技術はもとの水準を凌駕している必要がある。滅亡に瀕した地球を救うのは我々の子孫たちなのだ。そのために尽力すると誓ったはずではなかったか」

「誓いだと? 俺は自分が尽くすとは誓ったが、何も知らない者たちを騙して尽力させると誓った覚えはねえよ!」

 怒鳴り散らした声が冷凍庫の壁に反響する。ほかには何も物音がしない。誰かが駆けつける様子もない。ほかの幹部たちはどうしたのだろうか。アルバトロスの意識に、この部屋の空気とおなじくらい冷めた思考が浮かび流れてくる。

 おそらく八坂銀次郎はホムンクルス計画に情熱を持っているわけではない。あるとしたら使命感だけだ。

 では、誰がこの計画に執着しているのか。

 二宮楓、彼女は研究者としての純粋な探求心に逆らえないのだろう。ホムンクルスに仕掛けを施して、彼らが計算どおりの進化を遂げるか否かに興味はあるだろうが、それだけだ。

 凪美由紀か。彼女は環境適応者(エボリューション)としてのバーディーを執拗に追っているようでもあるが、中央塔に招かれたバーディーに気がついていながら彼女は何もしなかった。もともとホムンクルス計画には乗り気でなかったようにも見えた。二宮楓の言うとおりなら、凪美由紀はいわゆる点数稼ぎに終始している。優等生としての自分だけが、彼女にとっての存在価値だとも言えるだろう。

 伊吹雄介は問題外だ。彼は計画に賛成でも反対でもなかった。賛否を問われるようなときには棄権したり白紙投票をしていた。あの頃は、何も選ばない無責任な男だと思っていたが、伯父に気をつかってのことかもしれない。ならば、実質的には反対派だ。

 アルバトロスはスリングショットを取り出してきりきりとゴム紐を引いた。銃を向けられていることには構わなかった。

「ホムンクルス計画を主導しているのは誰だ。凪美由紀でも二宮楓でもない、ましてやあんたでもない! 本当の支配者は誰だ!」

 八坂銀次郎は顔の片方の側で驚きに目を見開いた。

「わけのわからんことを。すぐにそのオモチャを捨てて、花嫁をこちらによこすと言え。塔にインビジブルがばら撒かれてもいいのかね?」

 しかし、もう片方の目は無感情のままで足元に向けられ、それは強化ガラスの箱に入った自身のクローンを見つめていた。八坂銀次郎の片方の目は生きていて片方は意思がないようでもある。いや、何者かに占拠されているのだ。

「あんた……まさか、誰かの意志で動いてるのか。逆らえない事情があるってことか?」

 そのとき、アルバトロスは聴いた。

 彼の精神とつながっているほうの目が訴える。誰か助けてくれ、ここから出して自由にしてくれと。だが、どういうことか分からない。喉が渇いて声が出ないような気がしているとき、銀次郎は顔の片側で笑顔を浮かべながら言った。

「私の甥、雄介は――あれも昔は素直で可愛い子だった。いいや、いまだって可愛い甥っ子だが、どうもすれ違いが多くなってしまった。いつか種明かしをする日が来たならば、相手は雄介がいいと思っていたが、老いることがないというきみでも構わんな。証人としてふさわしい」

 銀次郎は床に置かれていたガラスケースを足で蹴飛ばした。

 ケースは透明の棺に似ていた。その蓋がずれて開いて、床へ落ちる音が重苦しく響いた。中に横たわっているのは、いまの彼よりも若い銀次郎の肉体だ。眠ったように動かない。覚醒処置が必要なのだ。

「いいかね、飛島海渡くん。何が起こっても、そこで黙って見ていてほしい。花嫁の件を決めるのは『私』ではない。私が次の『私』に託すからだ。きみは後悔するかもしれない。これがどう考えて行動するものか――いまの『私』より、もっとえげつない手段に出るかもしれないのだからな」

 銀次郎は拳銃を構えた。そして迷わず引き金を引く。

「おい――何を!」

 アルバトロスの叫びが銃声に重なる。銀次郎が狙ったのは自らの大腿だ。激痛で顔が歪み蒼白になる。彼はたまらず片膝をつき、棺の上にもたれかかった。アルバトロスは駆け寄ろうとする。

「来るな! そこで見ているんだ」

「だが、手当を――」

「近寄るときみが憑かれる! いいから黙って目を見ていろ。私の目だ」

 八坂銀次郎は自らの片目を指で示した。

 アルバトロスは言われたとおりに目を見ていた。足からの出血が流れて床に滴っていたが無視をした。まもなく、銀次郎の目の中を暗灰色の細い線がすっと横切った。それは直線と思ったが、しなやかなワイヤーのようにうねうねと曲がり、眼窩をすり抜けて涙液と一緒に滑り落ちた。

「――な……んだ……?」

 まるで生きた糸くずだ。銀次郎の目から這い出してきたそれは、体を曲げてぴょこんと跳ねたと思うと、棺の中の銀次郎――若い複製品(クローン)のほう――の額に乗った。糸くずは鼻筋あたりをうろうろしていたが、閉じた瞼の隙間を見つけると、自らを伸び縮みさせながら目の奥へと潜り込んだ。あとはもう出てこなかった。

「おい、今のやつはなんだ。そっちの体に潜り込んだぞ!」

「見たか、飛島くん。いま見たことを見た通り、雄介に伝えてほしい。こうなった以上は私の命は長くない」

「なに言ってんだ! すぐに助けを呼べば……おい、蜘蛛玉ども、緊急だ! 救護を呼べ」

 アルバトロスの声に反応して蜘蛛玉はちかちかと光を点滅させる。まもなく人が駆けつけるはずだ。しかし応急処置が要る。アルバトロスは駆け寄り、八坂銀次郎の青白い顔をのぞきこんだ。

「くそっ……あんたの服の裾を借りるぞ。止血する」

 所持していた短刀で布を細長く切り出し、大腿に固く巻き付けた。これで少しはましになるはずだった。失った血液はまだ多くないはずだが、銀次郎は死の床についたような虚ろな目をしていた。

「しっかりしろ! 大きな血管は外れてる、助かるんだぞ!」

「塔の支配者はもはや私ではない。交代したのだ。飛島くん、それをよく見ろ」

 銀次郎の震える指が示すのは、もう一人の若い銀次郎だった。

 眠っていたはずのクローンのまぶたが動き始めている。寝返りをうつように頭が揺れ、手と足の先が痙攣をはじめた。白く乾いたようだった皮膚の色に生命のきざしが戻ってきている。

「これは……あんた、いつのまに覚醒手続きをしたんだ」

「覚醒を命じたのは私ではない……。本当の支配者がやったのだ。きみも見ていたはずだ」

「なんだって。支配者とは、まさか、あの糸くずのことか!」

 八坂銀次郎は黙って頷いた。彼はあきらめたように薄く笑っていた。

「それはまもなく覚醒する。動けるようになったら、まず、私の命を狙ってくるだろう。支配者はふたりも必要ない。そして、次にはきみが狙われる。正体を見られたと知っているのだ。始末されたくなかったら逃げろ。私を置いて、そこの扉を固く封じていくがいい。時間稼ぎにはなる」

 言い終わらないうちに、棺のふちにかかる指が見えた。若い銀次郎が起きだそうとしている。その目はまだ開いていない。

「なんだか知らんが、あんな針金みたいなのが俺たちのボスだと言われて誰が納得するか! これはどうせクローンなんだろ。目覚める前に棺を閉めてしまえば――」

 アルバトロスは強化ガラスの蓋を拾い上げた。それを元通りに合わせて蓋をしようというとき、腹に鈍い衝撃を受けた。みぞおちに蹴りが食い込んでいる。若い銀次郎が蹴ったのだ。

「ぐ……ッ、なんで、もう動ける……」

 よろめいたアルバトロスに代わり、銀次郎のクローンがむくりと起き上がった。そして空っぽの目をしながら腕を突き出し、アルバトロスの首に手をかけた。すでに形勢は逆転している。床に倒され、頸部を押さえる腕に体重をかけられ、意識が薄らぎかけてきたそのとき――

「飛島海渡!」

 開いた扉から滑り込んできた男が名を叫ぶ。

 一瞬遅れて、自分を苛んでいる重さが消えた。アルバトロスは咳き込みながら床を転がり、辛うじて顔を上げた。そこにいたのは伊吹雄介だ。銀次郎の複製を押さえこみ、腕をとって捻りあげている。

「これを止めるんだ、はやく!」

 あとから二宮楓が駆け込んでくる。彼女は注射器を取り出した。銀次郎のクローンの腹をめがけて針を突き刺し、手際よく薬液を注入した。まもなく、若い銀次郎の肉体はがっくりと弛緩して、伊吹雄介の手により棺の中へふたたび戻された。

「このクローンに苦痛を与えたり、体を損傷させたりするな。宿主の体に危険が迫ったとき、『針金虫』はより若い別の肉体へと移動しようとする。俺やお前でも乗っ取られるぞ」

 言いながら伊吹は棺桶の蓋を閉めた。

 傍らでは、二宮楓が八坂銀次郎の具合を診ていた。彼女は端末を使って緊急処置室の手配をしていた。

「大丈夫、輸血もあるって。たぶん心配ないよ」

 楓がそう声をかけた相手は、意識朦朧としている銀次郎ではなく、伊吹雄介のほうだった。アルバトロスは蹴られて痛む腹を押さえながら起き上がる。

「『針金虫』だと? 小さな糸くずみたいなやつか」

「伯父はあれを埋め込まれていた。もとの地球にいた頃からだ。政府に忠誠を誓うために、伯父が自ら望んで虫を飼ったんだ。立てるか、飛島。こいつを冷凍するのを手伝ってくれ」

「なんてこった。少し待て、パレットを出す」

 アルバトロスはまだ青ざめた顔で、踏ん張りながら立ち上がった。

 壁の操作パネルを指で叩くと、パレットが壁面から床を滑って出てきた。それは細長い寝台ほどの大きさで、頑丈な滑車付きの板だ。アルバトロスは若い銀次郎が眠る棺を伊吹と二人ががりで持ち上げ、パレットの上へ乗せた。同じころ、二宮楓と救命士たちは、自動走行で現れたストレッチャーに八坂銀次郎を担いで横たわらせていた。

「扉を閉鎖するぞ。冷凍処理をはじめる」

 楓たちが立ち去っていくと即座に扉が閉められた。

 アルバトロスは凍結のための機器を手動で操作する。本来、冷凍睡眠は当事者の意思により行われるもので、バイタルチェックなどは自動測定の自動制御だ。そこを自力でぜんぶ入力し手続きをするには知識と権限が必要になる。例外的に、本人の意思表示が困難な場合があるとすれば、重篤な傷病人であったり、対象が乳幼児であったりする場合だ。

 アルバトロスは、凍結手続きの最終段階まで淀みなく事を進めていたが、もう一息というところでぴたりと手を止めた。

「権限エラーだ。さすがに俺のパスワードは通らねえな」

「俺のを使え。生体認証もあるのか」

「これだ。虹彩と指の静脈で認証だ」

 操作卓から蛇の頭のような形をしたスキャナが突き出てくる。伊吹雄介は指をあげて示し、自分の目を間近で観察させた。それでアルバトロスが要求した手続きは全て通り、ガラスの棺はあっさり受け付けられた。

「さすがは元セールスマンだな」

「アナログな手続きで面倒だろ。いざってときのために、瑠璃にもこれを教えていたんだが……。俺には、あいつがこの手順をすべて理解していたとは信じられん。乳幼児の処置は、いまやったよりも複雑なはずなんだ。つまり、瑠璃がとっさの判断で、つばさを冷凍庫に入れたという話は不自然なんだよ」

 アルバトロスは振り向いて伊吹雄介をにらみつけた。ガラスの棺がリフトで引き上げられ、目の高さのところで止まり、冷凍庫の壁がぱっくりと開いた。その冷えた四角い穴が棺に眠る銀次郎を飲み込んでいく。

 伊吹は気が抜けたようにため息を吐いてから言った。

「上出来、と言うべきだな。俺の下手くそな作り話が十五年も持ったのだから」

 アルバトロスは額に手をかざしながら天井を仰いだ。

 そして腰が抜けたように床へ座り込んだ。ガラスの棺が壁に飲み込まれる。そして澄んだチャイムの音が鳴り響いた。

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