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7-6 清算済み

 飛びかかってきた巨大なカエルは物理法則に反している。

 クイーンは狩人だからこその誤算をしていた。ふつう、カエルは図体が大きいほど動きが鈍くなる。巨大化したいまの自分も普段どおりの俊敏な反応はできていないが、相手もおなじ条件だろうと予想していた。

 それが、視界にあらわれた巨大カエルの跳躍は予想よりもはるかに速い。体の半分が口なのかと思うくらいに相手は大口を開いて突っ込んできた。翼で飛び立って逃げることはできない。間に合わない。クイーンはとっさに倒れこみ、横転しながら突進を躱した。

「わたしが――戦いながら、地に背をつける羽目になるなんて!」

 翼を使って体勢を立て直す。この大きな体に感覚が慣れていない。巨大カエルはすぐそこだ。起き上がりついでに、クイーンは両翼をいっぱいに開いて威嚇した。

「わぁお、びっくり!」

 二宮楓が子供のようにはしゃいだ声をあげる。言うほど驚いたわけではないだろう。躊躇せずコントローラーを操作し、おそらく攻撃の命令を出した。仮に戦いで敗れても、彼女が餌食になるわけではないから怖くないのだ。

 カエルはクイーンの威嚇に慄いたのか。一瞬だけ躊躇してから突撃してきた。二宮楓の指令が素直に通らなかったと言える。

 ――あの人間が操っている。そのぶん反応が遅い?

 クイーンは鳥としての本能で飛び立ちたい。だが、もしもカエルが、長月三十日と勝負している伊吹雄介に加勢したら……? 彼らの対決は拮抗しており、飛ぶにしても隙を与えられない。伊吹は片手にフラスコを持っているため、右腕一本でトンファーを操っている。それでいて棒術の三十日と対等以上だ。

 クイーンは地を蹴ってジャンブする。カエルの背後をとろうとするが、黒い目がくるりと回って追いかけてきた。

「行けっ、カエルちゃん!」

 二宮楓の操作に合わせてカエルは体を捻って伸ばした。おそるべき伸縮性だ。クイーンは翼で跳躍の軌道を変えながら、開いた口をひらりと躱した。

 ――やはり、操作されているせいで動作が遅い。これなら何とか……!

 カエルは軟体動物のように自在に伸び縮みするが、あれの武器は大きく開く口だけ。丸呑みが唯一の戦略だ。捕まったら終わりだが、クイーンは飛び退いて逃げながら機会を伺っていた。

「そっか、遅いのは人間のわたしなんだ。仕方ない!」

 楓は気がついてしまったらしい。コントローラーを握りしめ、なにやら思いついた顔をして呼びかけてくる。

「そこの鳥さん、降参するなら早く言ってよ! いま、自動捕食モードに切り替えちゃうから! えーっと、上・上・下・下……」

 二宮楓はコントローラーの方向キーとボタンをなにやら複雑な手順で操作した。するとカエルの眼球が鋭く動き、こちらを見たと思うと、次の瞬間には視界がカエルの口に閉ざされかけた。きわどいところで逃れたが、今までよりも素早い。あの柔軟さと速さでは、くちばしや爪の攻撃も通らないだろう。

「鳥さん聞いてる? いまのカエルちゃん、緊急停止コマンドしか受け付けなくなってるからー! すぐに止まれないから気をつけてー!」

 楓が叫んでいるうちに、クイーンは屋上の端まで追い込まれていた。飛び立ってしまうと判断したのか、カエルは後ろ足で伸びてクイーンの頭上に覆いかぶさってくる。飛び上がれない。だから――クイーンは翼をぴたりと体に寄せたまま、弾丸のように飛び降りた。

「逃げちゃったか。あの軌道だとすぐに戻ってこれないね。カエルちゃん、この隙に伊吹団長のお手伝いを……って、あー!」

 二宮楓は思い出した。いまのカエルは、モズを捕らえて食うことしか考えていない自動捕食モードだ。塔から落ちたクイーンを追って自分も飛び降りようとしている。しかも、緊急停止しか受け付けないのだと自分で言ったばかりだ。

「どうしよ。解除かな、解除ー!」

 楓はコントローラーの押せるボタンを全て押さえる。カエルが一瞬だけ硬直し、ふたたび制御が効くようになった。視界の中では、トンファーと蹴り技を使いこなす伊吹雄介が、長月三十日を追いつめている。

「伊吹団長、もう勘弁してあげなよー。優勢勝ちでいいよ!」

 間合いを詰められすぎているせいか、三十日の長い護身棒では戦いにくそうに見える。楓がカエルの向きをそちらに変え、怪我をさせない程度に三十日を取り押さえようとしたときだった。屋上から飛び降りたはずのクイーンが、軌道を切り返してこちらへと戻ってくる。いつのまに高度を上げたのか、彼女は見上げる高さにいて、滑空するようにどんどん加速していた。

「ビル風を使って急浮上したのかな? くるなら受けて立とうじゃない!」

 クイーンの速度、角度から考えて、その肢で蹴りを入れてくるつもりだろう。下手に避けるよりも防御だ。カエルの姿勢を低く保ち、極力地面にへばりつく。空から攻めるとき、翼あるものは地に衝突するのを嫌って減速するものだ。

「避けたりしないもんね。なぜならば――」

 読みどおり、クイーンはカエルに蹴りで一撃を見舞う。その勢いでカエルは転がり、一回転半して腹をみせた。そこへ間髪入れずのもう一撃。黒い巨体が浮き上がり、コンクリートの床へと叩きつけられた。クイーンは高く突き出た電波塔を枝に見立てて、しがみつくように止まった。

 ――いま入れた蹴りは手応えがあったけど?

 クイーンの爪は獲物の体液で汚れていた。腹側の薄い皮を突き破った証だ。ふつうはあれで手負いとなり、追撃すれば仕留められるのだが。カエルは体勢を戻すために手足をばたつかせている。見ているうちに腹の傷が異常な速さで塞がっていく。

 ――自己修復? インビジブルの核を入れているから!

 二宮楓は得意そうな笑顔で、電波塔の上のクイーンを見上げた。

「どう? 良く出来てるでしょー! どうしたら仕留められるのかって聞かれても、実は分かんないけど!」

 もしもカエルが純粋な黒のインビジブルだったら、長月三十日が所持している白い弾での攻撃が通る。だが、あれは二宮楓が強引に作った合成生物であり、共生体とも異なる。似ているとしたら、クイーンとネーロが白結晶を用いたときの不死状態だ。あれは急激な反応だが、これはもっと緩やかである。

「なるほど、それの正体がわかった気がします。黒結晶の力を少しずつ消費しながら、巨大な体と生命力を維持しているのでしょう」

「そそ! わたしの計算どおりならそんな感じ!」

「ならば、絶えず攻撃を続けたらどうなるでしょう。黒結晶の核は徐々に削られて消耗し、いずれは生命が尽きるのでは?」

 クイーンは電波塔からひらりと舞い降りた。

 腹を出して転がっているカエルを踏みつけ、鋭いくちばしで肉を切り裂く。カエルはそのはずみで起き上がり、口をあけて飛びかかってきた。クイーンは跳躍で躱し続けるが、ついに長い尾の先がつかまった。バランスを崩した体が屋上に叩きつけられ、褐色に透ける羽毛が散った。振り向いて見たカエルの腹の傷はもう治りかけている。

「結晶が消耗する、って言ったよね。確かに、理屈ではそうなんだけど……」

 二宮楓は申し訳なさそうな顔をしながら――だが、それはおそらく、友人とのゲームで自分がうっかり圧勝してしまったという程度の後ろめたさで――指先でコントローラーをはじく。

「あたしの計算だけど、黒結晶のエネルギーが尽きるには一年くらいかかるんじゃないかな。鳥さん、もしもあなたが飲まず食わずで、そのまま蹴ったりつついたりしても、って――ん?」

 クイーンは足に食いついたカエルと揉み合って、転げまわっていたが、勢いで屋上周囲の柵を突き破った。二つの巨体は塔の下へと転落し、視界から消えてしまう。

「えっ、ちょっと! 落ちちゃった?」

 二宮楓は駆け寄った。破壊された柵のところから地上を見下ろした。すると、両足でカエルをつかんだクイーンが風に乗り、羽ばたきながら塔を旋回している。カエルはそれなりに重いはずだ。しかし、ビルにぶつかった風の上昇気流をとらえたのか、その巨体ごと浮上してきた。

「あ、あああー! そうか、しまったぁ!」

 何かに気がついたように二宮楓は頭を抱える。コントローラーは紐で首から下がってぶらぶら揺れていた。

 目線よりも高く上がってきたクイーンはさらに上昇した。そして、真上にきたところで翼と尾羽でくるりと回転し、自らは急降下に転じた。足に絡みついていたカエルの腹を電波塔の鋭い尖端に引っかける。そしてクイーンは獲物に自重と落下の勢いを乗せた。巨体が引きずり落とされる。楓は空いた両手をあげて大きく振ってみせた。

「待って、だめだめ! 降参するから、ねえー!」

 楓が降伏したのと、カエルの悲鳴が響いたのが同時である。

 電波塔には、胴体を串刺しにされて身動きできなくなった黒いカエルの姿があった。これでは自己修復の力があっても抜け出せない。いずれは肉食のインビジブルたちに発見されて、その手足の末端から順に糧として貪られることだろう

 クイーンは自由になった翼で舞い上がり、電波塔のいちばん上に君臨し居場所を占めた。そして勝利宣言のような高鳴きをする。

「あーあ、せっかくの黒結晶だったのにー! 高かったのにー!」

 見事な手並みでつくられた特大の早贄(はやにえ)を見上げながら、二宮楓はがっくりと肩を落とした。

 その背後では、もうひとつの勝負も決していた。

 伊吹雄介は低い声で不満を表す。

「おい……楓。きみはさっき何を言った。降参すると聞こえたようだが?」

 その肩には護身棒の切っ先が突きを繰り出した形で止まっている。

 一本を取られかけた伊吹に対し、長月三十日も苦しい形だった。伊吹雄介のトンファーがその目と鼻の先にあった。額に汗が浮かび、寸前に迫った凶器で顔が蒼白になっている。殴打されていたら確実に倒れていたはずだ。

 二宮楓は気乗りしない様子でぼんやり返事をする。

「ありゃりゃ。そちらさまは相討ちって感じ?」

「そうだ、見た通りだ。勝手に降伏してもらっては困る。結局、こいつはどうするつもりなんだ?」

 伊吹雄介は病原菌入りのマウスを瓶ごと振ってみせた。

「一敗と一引き分けだからこっちの負けー。もうどうでもいいや。あんたからツケで買った黒結晶が回収困難で、いまそれどころじゃないし……」

 楓は恨めしそうに鉄塔を見上げている。モズのクイーンは警戒しているのか、塔の先端から降りてきていない。伊吹雄介はトンファーを握った拳を引き戻した。緊張が途切れた長月三十日は脱力し、地に座り込んでいる。

「あの黒結晶は元々、そこにいる長月三十日が採取した品物だ。きみが言うとおりの値で譲ったが、本当にそれほどの価値があったのか」

「そりゃそうよー! 白の買値の十倍出すからって、あのアルバトロスをいくらせっついても一個もくれた試しがないくらい。カエルを降ろすために鉄塔を倒すわけにもいかないし……。せめて、白の石ころの弾でもあればいいんだけど、わたしは在庫切れてるし」

「弾なんかで回収できるのか」

「いざってときに結晶を取り出せるポイントを作っといたの。ほら、カエルちゃんの両前肢の付け根にバツ印がついてるでしょ? あそこに白インビジブルの刃か弾を撃ちこめば、黒結晶を吐き出す仕掛けなんだけど……」

 長月三十日はふらつく足で立ち上がった。そして屋上と空との境界になっている柵へもたれかかる。腰に取り付けてあったスリングを出し、引くのがやたらと重いゴム紐を引き絞ってみせた。

「白の弾丸なら、ありますよ。ここに」

 二宮楓が振り返る。三十日はいまにも転落しそうなほどのきわどい端にいて、柵に片足をかけていた。その意図を察したのか、クイーンは飛びたつと旋回をはじめた。

「僕はいますぐに飛び降りてクイーンと逃げることもできる。蜘蛛玉たちに調べさせてみたけれど、この塔には皐月先生たちがいないようだし……」

「ちょっ、待ち待ち、待って!」

「それに僕はバーディーみたいにスリングが上手くないしな……」

「おーねーがーいー! ほんとに弾を持ってるんだったら、結晶を取り返して!」

 長月三十日は騎士団から配給された強力スリングで弾を撃ってみせた。左右ある的のうちのひとつに当たり、巨大カエルは奇妙な声を出してうめいた。

「弾が見えてないと思うけど、これで信じてくれるかな? もう片方を当てるには条件がある。そのネズミを……」

「わかった、ネズミは処分すればいいよね! 伊吹団長、それ返して! 病原菌ごと熱処理するからー!」

 二宮楓は疑わしそうな顔をした伊吹雄介からフラスコを受け取ると、慎重な手つきで運搬ケースにしまいこんだ。それに小さな鍵で施錠する。

「この鍵を渡したっていいよ! ほら、伊吹団長に預けておくから」

「なぜ俺なんだ」

「いいから持ってて! わたしよりは信用する気になるでしょ? だから早くお願いします!」

 二宮楓は懇願する。鉄塔の上を見ると、コウモリに似たインビジブルが大量に集まり始めていた。早くしないと核のエネルギーごと食べられてしまうかもしれない。

 長月三十日はふたつめの弾を撃った。目印に当たるとカエルは大きく痙攣し、口から黒結晶を吐き出した。降ってきた結晶は三十日が抱えるように両手でつかみ、鉄塔に残っていたカエルの体は黒い煙になって吹き飛んだ。その中から、握りこぶし大の自然にありふれたカエルが飛び出してくる。

「なんだ……これが正体か」

 どんな仕組みであんな生き物になっていたのか分からないが、訊ねる気も起らなかった。三十日はそっけない態度で黒結晶を楓に手渡した。

「もう変なものを作るのはやめてください」

「黒の使い道としては穏便なほうだったんだけどな……あっいえ何でもないです! 大事に使います! まだ借金も残ってるんだから……」

「二宮楓。その借金のことなんだが」

 伊吹雄介が口を挟んだ。この黒結晶は彼が二宮楓に売ったものらしいから、雄介には取り立てる権利があるはずだった。

清算済み(チャラ)にしてやってもいい」

「えっ……マジで言ってる?」

「その代わり、俺の要求を聞いてもらうぞ。まずはヘリを貸してくれ。俺は凪美由紀に警戒されていて使用権限がない」

 二宮楓はためらうことなく頷いた。

 やがて北塔の屋上には落ち着きが戻り、涼やかな風音だけが渡っていった。

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