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7-2 これは誓いだ

 話は長月三十日が北塔へ降りる少し前へとさかのぼる。

 飛行速度が速いクイーンと動きを合わせるため、アルバトロスとネーロは先に丘から飛び立った。ネーロはバーディーをその足に抱え、鳥に変化したアルバトロスは単独で飛んでいた。新たな借金をして携帯端末をもうひとつ調達できたので、三方向へ分かれたそれぞれが、連絡用の端末を一台ずつ持つことができた。夕闇に包まれた空の下で翼たちは塔を目指した。

 狙いは、皐月(さつき)|五郎と師走(しわす)一子(いちこ)を助け出すこと。

 そのためには塔の警備システムが邪魔だ。一時的に警備を無効にするのは可能だが、周辺塔がトラブル復旧用の電波を出してしまうので効果は短い。そこで、三人が同時刻に塔の屋上に着陸し、システムを混乱させる必要があった。




「でもさ、母ちゃん。塔は五本あるけど、僕らは三方向にしか分かれられないよ。二個余っちゃうんじゃない」

 隠れ家での打ち合わせのとき、真っ先に疑問を述べたのはネーロだった。西塔は廃墟同然であるから、そこは機能していないと考えても、残りの電波塔は四本なのでひとつ余る。

「ああ、南塔は考えなくていい。あそこに五郎(ゴロ)ちゃんたちがいないのは分かってるし、出入り自由だから電波塔はどうにでもなる」

 アルバトロスは余裕の表情で答える。もっとも、楽天家のようであるからどこまであてになるかは分からない。少なくともネーロは懐疑的だ。

「どうにでもって、どうすんの? 騎士の人に頼むとかじゃないよね」

「いや、()っちゃんたちに迷惑はかけられん。俺がタイマーを仕掛けておく。塔へ侵入する時刻あたりになったら、屋上に仕掛けた時限装置でこう、ボン、っと」

「ボン、って……?」

「時限装置でボンっていったら、その……な。電波そのものに干渉するには機材が足りなくて……。わかるだろ、バーディーにやった携帯端末で精一杯なんだ、だから」

「爆発するの?」

「電波塔が簡単に倒れるように仕掛けしてあってだな。あそこには誰も近寄らないように話をしてあるし、修理用のパーツもさりげなく置いてきたからなんでもないの!」

「爆発するの? 爆発するの?」

「あーうるさいな! ちょっとだけだ! これについては質問おわり!」

 なるほど爆発するのだなと、傍らで聞いていたバーディーたちは黙って理解した。

「警備システムをダウンさせるついでに、蜘蛛玉(スパイダー)たちを働かせるプログラムも入れておいた。俺たちに代わって虫どもが人質を見つけてくれるだろう。あとは、警備が復活する前に脱出する。東塔の担当はバーディー。ネーロが運んでくれ。北塔は内部を知っている三十日。運搬はクイーンに頼む。そして、中央塔は俺が行く」

 いちおう、作戦は整った。

 全てが予定どおりに進んだなら、師走一子と皐月五郎を連れ帰ることができる。計画がどこかで失敗した場合でも、目を持ったバーディーと長月三十日が処刑されることはないだろう。アルバトロスや鳥たちは共生体だ。インビジブルによる治療が間に合わないほどの身体的損傷がない限りは生きていられる。

 それでも、アルバトロスは皆の前で念を押した。

「はじめに言ったとおり、俺たちは簡単に死んだりしない……とは思う。だが、もしもだ。難敵に遭遇したなら、迷わず撤退か投降すべし、だからな! 誰ひとり命を粗末にするな。絶対だ」

 勇敢な女性の姿をした、しかし精神は男性そのものである男は毅然と言い放つ。

「これはお願いではなく誓いだ。守る自信がない奴は勇気をもって行くのをやめろ。危ないと思った奴がいるならば、その場で翼を切り落としてでも俺が飛び立たせないからな!」




 巨大なカラスが飛んでゆく。肢に少女をぶら下げて、夕焼けの色が消えかけた森を越える。箒星のようなウミヘビが宙を泳ぐ。コウモリの集団が地上から湧き出してくる。見えるものたちの群れと、見えないものたちの群れが交錯し、だれも衝突することなく器用にすれ違う。

 命綱でネーロとつながれたバーディーは前方を見据えていた。いつも賑やかなお喋りカラスは出発からずっと黙っていて、しばらくしてからようやく口を開いた。

「近づいてきたよ、東塔。お嬢の生まれ育ったところ」

「うん。なんだか、あれからすごく長い時間がたった気がする」

「結婚式のこと?」

「そう。ネーロとアルバトロスが迎えにきてくれて……」

 バーディーは屋上からネーロと飛んだ日のことを思い出す。あのときからおよそ二か月ほどしか過ぎていなかった。

「僕たちについてきたこと、後悔してない?」

「ちょっと後悔したかな。あたしひとりだけがわがままを言って、こんなに大騒ぎになって、みんなに迷惑をかけているんだって」

「誘ったのは母ちゃんだよ。僕、お嬢は言わないだけで本当は悲しいのかなって思ってた」

「ほんの少しは悲しいのかも。でも、あたしは塔を降りてみて良かった。自分の足で森や庭を歩いて見て回れたし、アルバトロスや楓さん、それにクイーンにも会えた。誰かがいつもあたしの話を聞いてくれたし……それに、ネーロと友達になれたから!」

「うん。僕もお嬢とたくさん話せてうれしいよ!」

 わずかに明るさの残る視界に東塔が迫る。屋上には赤い光を点滅させた電波塔が立っている。あれを混乱させるのが第一の目標だ。プログラムがうまく作動しなければ、力技で破壊することまで計画のうちだ。

「着陸するよ、お嬢!」

「うん!」

 ネーロはいっぱいに減速する。バーディーは腕だけで肢にぶら下がり、命綱を外すと、着地の勢いで前方に一回転した。まあまあ上手に着陸できた。あとは一刻を争う。バーディーは腕につけた情報端末を操作し、あらかじめ用意してあった妨害プログラムを起動した。

「これで……いいはずだよね?」

 電波を介して干渉するだけなので、見た目にはなにも変化がない。電波塔の赤い光は変わらずに点滅を続けている。壁にいる蜘蛛玉たちは青いランプを静かに灯していて、襲い掛かってくる気配はない。ネーロが風を巻き起こしながら大きな体で着陸する。

「たぶん、成功したよ。蜘蛛玉たちがじっとしてるから」

「あとは待っていればいいんだよね?」

「そう。塔の中にいる蜘蛛玉たちが人質を探してくれるはずだよ。僕らは見つからないように大人しく屋上にいれば……」

 ネーロの話が終わらないうちにバーディーは振り返る。

 首筋にいやな寒気を感じたのだ。そこに彼女が立っていたなんて気がつかなかった。電波塔の礎に寄り添うように、宵闇のさらに深い闇に潜むように。冷たく湿った視線と目が合うと彼女は笑う。

「やっとお気づきかしら。お久しぶりね、待っていたのよ、環境適応者(エボリューション)のお姫さま」

 夜に沈みそうな濃紺のスーツ姿で、黒髪の女性が物陰から現れる。

「凪……美由紀……さん」

「あら、憶えていてくれたなんて嬉しいわ。勿論、おとなしく男のものになるために来たんでしょうね?」

 凪美由紀は拳銃を構え、バーディーの額へ狙いをつけた。

 彼女の背後には巨大な動く影があった。悪寒の正体はこれだと思った。凪美由紀が背負っている黒い闇。それはネーロたちのような光のインビジブルと似ているが、その対極にあり、地を這う暗いものたちが融合した姿だった。

「あなたに選ぶ権利なんてないわよ。自分が何者かも知らないくせに」

 凪美由紀はポケットから小さな硝子瓶を取り出した。




 アルバトロスは夕暮れの空をひとり駆けていた。

 白く長い翼が風を切った。手筈どおりにいけば、長月三十日とバーディーが二つの塔の警備システムを麻痺させてくれる。南塔には仕掛けを施した。あとは、自分が中央塔に乗り込めば、必ずどこかの塔に人質が見つかるはずだった。

 仮に、上手くいったとしても全てが解決するわけではない。皐月五郎と師走一子を取り戻したとして、彼らが地上へ降りることに賛同するかは分からないし、中央塔側がバーディーを呼び戻そうとするなら他にも手段がある。

 それでも、少しずつでも何かが変わることが希望につながるとアルバトロスは信じていた。自分の想像が最悪の方向をたどってしまったら恐ろしいことになる。まずはじめに犠牲になるのは北塔だ。あそこは見捨てられかけている。

 流れをどこかで変える必要がある。そのために、アルバトロスは自ら中央塔へ乗り込むことを選んだ。本当の理由は誰にも告げなかった。

 いま、アルバトロスの隣を飛ぶものはいない。

 ネーロを連れないで一人で空を行くとき、いつも思い描く女性の姿があった。彼女はオールドアースから来た仲間たちの一人ではなく、周辺の塔で育った娘だった。飛島海渡たちとはまったく異質の者たちのなかの一人。あきらめの悪い愚か者だと言われても、幻想だとしても、それを捨てることはできない。

 ――瑠璃、まだ俺はきみに会えるって気がしてるんだ。

 中央塔の上空に到達し、高度を下げながらぐるりと旋回する。

 あの日、逃避行に失敗して転落した場所。そして、自分を追ってきたという瑠璃の脱いだ靴が置いてあったところ。彼女に翼はないというのに、履物を揃えてから宙へ飛んでしまったのだと聞いた。だが、彼女の姿どころか、亡骸さえもみつからなかった。

「よし、虫ども……いい子にしてな」

 足環のようにはめていた小型端末に、警備解除プログラムの実行を知らせる文字が浮かび上がっている。三十日やバーディーたちと同時に作動するようにセットしてあった。そして、同じように警備解除に成功したという意味の合図をふたつ受信した。これでしばらくの間は蜘蛛玉たちを黙らせることができそうだ。

 アルバトロスは誰もいない屋上へ着陸した。

 そうして人の女性の姿になる。日焼けした肌と長い銀髪。膨らみのある胸とか、いくら鍛えても細くてしなやかな腕とか脚などには慣れてしまった。鳥の足環だった端末は手首に装着されている。その他に持ってこられたのは短剣とスリングショットくらいだった。扱い方はバーディーから習った。

 あちこちに転がっている蜘蛛玉は球体のままじっとしていた。アルバトロスは手動で操作プログラムを呼び出し、人質捜索の指示を出した。

”対象の人物は塔に入った記録がありません”

 という応答がある。想定のうちなので、システムの回答がどうであろうと蜘蛛玉に捜索させるように段取りをしていた。アルバトロスが再度指示をすると、屋上にいた蜘蛛たちは足を生やして階段から塔を下っていった。

 もう日が暮れて、空にはほとんど光が残っていない。

 アルバトロスは下り階段に足を踏み入れた。相棒のネーロも連れずにひとりきりで、今度こそは大切な者たちを守るために。

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