5-5 海鷹を狩る
(※このエピソードには、登場人物である鳥たちが「生きた動物を狩って食事にする」描写が含まれます。残酷表現にあたる可能性があるので閲覧の際はご注意ください。)
「……と、いうのがわたしの推論です。それほど自信はありませんが」
「いや、僕もそうじゃないかと薄々感じてる。っていうかさ、おなじくらいの食事の分量なのに、きみのほうが体格が良くなってるのが動かぬ証拠だよね。僕らはただ生きた獲物を食べればいいってわけじゃない。獲物にも質があるってことだね」
夜明けからしばらく経っていた。
一羽のモズが森を飛んでいく。そのあとをついていくのはハシボソカラスだ。両者とも、その種類にしてはずいぶん体が大きくなっている。肩慣らしがてらにネズミを狩り、剥がした皮と尻尾を枝の上から投げ捨てながら、二羽は互いの見解を話し合っていた。
「どうですか?」
「うん、やっぱりそうだよ。おなじ肉を食べるにしても、ふだんから種や葉っぱをかじってる奴らより、小動物を採ってるやつらのほうがエネルギーを持ってるみたい」
「ならば、決まりですね。『あれ』を狩りましょう」
「ええっ……」
「食物連鎖の上位にある獲物のほうが上質な糧になる、というのは分かりました。ですから、わたしたちが狙う相手はおのずと絞られるというもの。さあ、向かいましょう。いい場所を知っています」
「ひええ……本当にやるのかい……」
梢から梢を渡るようにクイーンは飛んでいく。やや気後れしたようにネーロは追った。しばらく飛んで、アルバトロスの庭からも離れていった。やがて沢の流れる音が聞こえてくる。木立の向こう側には小さな滝があり、その下流には水が滞る深い淵があった。暗くて底までは見通せない。
「このあたりです。隠れて待ちましょう」
「あああ……ついに来ちゃったよ……」
クイーンはすぐに拠点を決めて、枝の上に陣取った。周囲がよく見えて、なおかつ上空からはわかりにくい場所だった。体重のある二羽はおなじ枝にとまれずに、ネーロは近くの枝を足場に選んだ。
「ここ、だいじょうぶ? 蛇とかいるんじゃないの?」
「並みの蛇なら返り討ちです。おいしく頂きましょう」
「思ってたけどさ……。きみ、けっこう過激だよねえ……」
声をひそめ、しばらく待ったあとだった。
体の小さなシジュウカラたちがするどい警戒音を出しはじめる。枝先で虫をさがしていた群れはいっせいに姿を消した。天候は曇りで、水面の反射はおさえられ、たとえば上空に影がさしても気が付く魚は少ないだろう。絶好のタイミングだ。
「来ています。見えませんが、います」
「あっちが仕掛けてくるかどうかだね……あっ」
「先輩、動かないで!」
ネーロが視線を向けた上空で見たものは、大きな翼だった。
ちょうど木立の切れ間にあたっていた。曇天を背景にして、悠々と飛翔する長い翼が見える。下から見上げる姿はタカ属のものに間違いない。腹と胸、頭にかけて白く目立つ姿の鳥はミサゴだ。彼らは上空から水面の魚をねらい、舞い降りて生け捕りにするのだ。
「あっちから僕が見えているかもしれないよ……」
「ミサゴは鳥を狩りません。わたしの知る限りは、ですが」
「で、でもさ。さっきカラ類の連中が逃げたよね?」
「慎重な群れなのでしょう。いずれにしろ、先輩よりも魚のほうがおいしそうに見えているはずですから、たぶん」
「そ、そうかい。たぶん平気だね……」
弧を描くように飛翔していたミサゴが空中で動きをとめた。小刻みにはばたき、一点にとどまりながら、首だけは眼下に向いている。水面に飛び込む機会を狙っているのだ。クイーンが小声でささやく。
「あちらは標的を定めました。おそらく来ます」
「僕らはいつ行くんだ」
「わたしが見極めます。わたしが出たら――」
そのとき、宙に止まっていたミサゴがよろめいた。
いや、急傾斜の落下姿勢に入ったのだ。無重力で舞うようにみえた翼は畳まれて、白く太い脚をのぞかせながら、あっというまに水面を蹴ってしぶきをあげた。彼の獲物は魚のはずだ。一体どうなったのか、淵の真ん中で翼をばたつかせている。ネーロは首を下げて腰を浮かせた。
(だめです、待って!)
飛び出しそうになっていたネーロは苛立たしく返した。
(どうして。あいつは魚を引き上げて行っちゃうよ)
(いいんです、行くなら行けば。そんな手練れをわたしは狙いません)
(じゃあ、いつ出るんだよ!)
ほんの一瞬が長く感じられる。時がじりじりと遅く流れた。
ミサゴは狩った魚を文字通り鷲掴みにする。水面で獲物をとらえ、鋭い爪にひっかけたまま、自らの羽ばたきにより上昇するはずだった。クイーンの狙いは、その隙をついて行うミサゴ狩りだ。カラスが海の鷹を狩る日がくるとは、ネーロも思っていなかった。
(ほら、飛び立っちゃうよ。どうすんの!)
(…………)
様子がおかしいらしいと気づいたのは、ミサゴがまだ浮き上がらないからだった。相変わらず水面でばたばたやっている。その爪はしっかりと魚に食い込んでいるはずなのに――。
「いけます!」
枝を蹴ってしならせながらクイーンが飛び出した。
天性のハンターだけあって初速はすごい。ネーロの反応が遅れたわけではなかったが、容易に追いつけなかった。先に淵についたクイーンは、その脚でミサゴの頭を押さえつけている。爪がしっかり食い込んでしまったミサゴは蹴って反撃することができない。
「沈めてください、先輩!」
勇ましい狩人であるクイーンは、激しい抵抗をするミサゴの頭をとらえている。クイーンが巻き添えで消耗しないよう、ネーロは交代で押さえつけに入る。水しぶきが舞い、行水のように羽が水を吸うのにも構っていられない。ミサゴの体が大きく沈む。まだ生きている魚に引き込まれているが、もがいているうちに爪が外れかけていた。
クイーンが勝負に出た。魚が逃げてしまったらこちらがあぶない。ミサゴの首をしっかりと掴み、増えた体重をかけて自分もろとも水面に没した。浮き沈みを繰り返し、クイーンはよろめきながら飛び上がる。頭を押さえる役を交代したときにネーロは感じた。もう、このミサゴは息絶えている。
「終わりました」
さすがに疲れきった様子でクイーンが宣言した。
爪にかかっていた魚は一命をとりとめ、淵の底へ消えていた。去っていく銀の背びれが見えたような気がした。あとは、このミサゴを岸に運ぶだけである。翼で水をかきながら、二羽で獲物を押した。
騒ぎに気付いて途中から観戦していた森のカラスたちは距離をとって静観していた。勝者の凱旋である。
「まさか、タカの仲間を狩る日がくるとは思わなかったよね……」
岸に獲物を引き上げるとネーロが言った。ここまでくれば一安心である。カラスたちに邪魔される様子もない。そもそも、本来の大きさの自分たちなら無理な仕事だったろう。
「このミサゴは狩人として未熟なのです。もとから、狙う獲物が大きすぎることは気になっていました。わたしたちが放っておいても、いずれは大物を狙いすぎて溺死したでしょうね」
彼らの爪は、いざというときにすぐ外すことができないらしかった。食い込んだ魚が手におえないと分かったときには、すでに手遅れなのである。
「さて……これを解体? きみがやる?」
「わたしがこれを捌いていいのですか。ああ……ほんとうに? 名誉なことです!」
「う、うん。そうか、嬉しいものなのか」
「ミサゴの腹を裂いて中身を引きずり出したモズなんてほかにいないでしょうから。では、いかせていただきます!」
海の鷹と呼ばれるミサゴの巨体から羽毛を軽々とむしり取り、腹部を足で踏みつけながら嘴を突き立てるクイーンは、確かに歴史に名を遺すべき鳥だろう。インビジブルの助けがあったとしてもだ。
その勇ましいメスの姿にやや気後れしながら見学していると、鮮やかな手並みでちぎり取ってくれた赤い臓物の一部が目の前に放り投げられた。ネーロの取り分ということらしい。
「たぶん、一番おいしいところです。邪魔がはいる前に、二人でいただきましょう」
「ひええ。こんなご馳走にお目にかかれるとはね。慣れないものでお腹こわさないかな」
嘴のまわりが汚れるのも構わずにかぶりついてみる。食物連鎖の上位にある猛禽の肉は、このうえない蓄えとなるはずだ。ついさっきまで空を駆けていた誇り高いものは糧になり血肉となる。クイーンは自分でも食べながら、次々とおかわりを千切っては投げてよこした。彼女は顔面から突っ込んで肉を切っているので、ネーロよりも顔の汚れがひどくなっていた。
「あああ、すごいね。きみは狩人の腕だけじゃなく、ごはんの用意のしかたも超一流だよ!」
「先輩にお褒めいただけるとは光栄です!」
そして、ネーロとクイーンは我を忘れて没頭するような食事を続けた。
体が必要とするものは、同時に極上に美味いものだった。こんなものを食べてしまったら後戻りができないんじゃないのかとか、自分がモズに生まれていたら彼女に求婚していたのに、とか、腹が満たされる幸福感のなかでネーロはそんなことを思っていた。
あらかた食べてしまったあとで、二人は川に入って食事の汚れを洗い清めた。
ミサゴの内臓はすっかり平らげてしまったが、筋肉などはまだ残してあった。これらは、自分たちの邪魔をしないでいてくれた観衆たちへの謝礼だった。二人は目配せをして、だまって立ち去った。すぐにカラスたちが舞い降りてきて、残された食事にありつこうと騒がしく席を奪い合っていた。
それから数日のあいだ、二羽は隠れ家に戻ることなく狩りを続けた。
バーディーたちがひさしぶりに見たのは、生きたものたちのエネルギーを貰って大きくなったネーロとクイーンの姿だった。その翼を広げると天が曇ったように覆う影ができて、羽ばたくたびに風が渦巻いた。
「すごいね、よくがんばったね! お帰りネーロ。お帰りクイーン!」
頬を紅潮させてバーディーが飛びついた。鳥たちの首は太くなり、バーディーが思い切り抱きしめてももびくともしなかった。
「これでわたしも、お嬢様を乗せて飛べるようになりましたね」
「だめだめ、お嬢を乗せるのは僕のほうだよ。ねえ、お嬢から母ちゃんに頼んでおいてよ」
それぞれの頭の羽を撫でて、笑顔でなだめているバーディーの後ろには、穏やかに見守るアルバトロスと長月三十日の姿があった。彼らは決戦に持ち込む装備を磨き、整えるのが終わったところだった。
もうすぐ日が暮れる。伊吹雄介が告げた二週間の期限がおとずれようとしていた。
中央塔の冷凍庫とよばれる一室で、八坂銀次郎はモニターを眺めていた。
それは長期睡眠者の様子をみるための画面である。眠る初老の男がひとり映っている。頭髪はなく立派な口ひげをたくわえていた。名前には八坂銀次郎という自分とおなじ名が記されている。
「これは誰なのかね、凪美由紀くん」
名を呼ばれた女は距離をとった背後で答えた。
「東塔をインビジブルから奪還した作戦がありましたでしょう。あのとき殉職した騎士団員です。名は……なんといったかしら。紙媒体のデータベースから検索すればよろしいかしら」
「わたしは、こんな顔をしているか。似ていると思うかね?」
「遺体をもとに整形処置をしたのですから、このくらいが妥当でしょう。名前にそう書いてあるというだけで人は見間違いをするものです。生きているかどうかなんて、開けて解凍してみなくては分からないわ」
凪美由紀の前で、体格の大きな背中がゆっくりと振り向いた。近ごろ、八坂銀次郎は老け込んできたように思える。中央塔の幹部たちは、眠ったり起きたりを繰り返しているために年月の感覚はそれぞれだが、それにしても老いた気がするのだ。
「指示の行き違いがあったようだね。わたしは眠る前に、わたし自身の、すぐに使えるクローンを用意するように命じたはずだが?」
「クローン……ですか? 予備臓器用のものなら、二宮博士の研究室に……」
「そうではない。自らの足で立って歩く、もうひとりの私自身のことだ。どうやらわたしの甥は勘違いをしたな。まあ、手段はほかにもある」
八坂銀次郎は軽い落胆の表情をした。そもそも、睡眠サイクルを破ってまで起きだしてきた理由を凪美由紀は知らない。途中で目覚める条件として、完全なる環境適応者の誕生をセットしていた可能性はある。だが、なぜそれを隠している必要があるのだろう。
銀次郎はふたたびモニターへ視線を移した。
「この偽物の私の顔をつくった医師はどこだ。眠っているのか?」
「いいえ。活動中です」
「その整形医師が、わたしの指示ですぐ動けるようにしておけ。きみには引き続き、わたしに次ぐ管理権限を預けておく」
あいかわらず、古い地球の古い人間のような振る舞いだと凪美由紀は思う。これだけ彼の期待どおりにやっているのに、ねぎらいの言葉がひとつもない。笑顔さえみたことがない。言わずとも伝わるだろうという、自己中心的な期待で生きている男の象徴的存在だ。自分のはたらきが報われる日など、おそらく来ないのだろう。
美由紀の反抗心にはまったく気づかない様子で、暗く沈んだ眼光をした銀次郎は無機質な声でたずねた。
「ところで、例の花嫁はいつ来るのだね」
「もう間もなくです。あちらから来るようにしてあります」
「そうか、ならば結構だ」
これにも喜んでいる様子はない。甥に嫁がくるように段取りをしたのは自分なのに、手柄を褒めてくれることもなかった。
冷凍庫のモニター群が青白い光を発している。ここは寒々しいところで、たくさんの人間が死んだように眠っている。格納されているデータは、いまや凪美由紀が自由に書き換えられた。死人を生きているように見せることも、眠っている人間の画像をすり替えることも簡単だった。
「もしも、花嫁を迎えることさえできたなら――」
凪美由紀は訝しむ。この男が老いを早めるほどに憂うのは、ただ一人の甥の将来のためだけなのだろうか?
「最終段階を急ぐ必要もないのかもしれんな」
冷凍庫の暗さのせいではない。この男の瞳は自分とおなじだ。
――生きる希望がないんだわ。似たもの同士ってことね。
凪美由紀は軽く礼をして、出ていく銀次郎を見送った。
【 第五話・終 】
次の【第六話】で物語は完結する見通しです。再開までにはお時間を頂くことをお許しください……。