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5-4 アルバトロスのこと

 インビジブルによる傷の修復はあっという間だった。

 骨折も脱臼も、いや、肺や内臓も損傷していたのかもしれない。それがすっかり治癒してしまった。気づくと、ここは森の中だった。清らかな月光が木漏れ日のように降り注ぐ。塔の上でのもめごとも、どこか遠い世界の話のように感じられた。

 見上げると巨大な輝く蛇が泳ぐ姿がみえる。そうか、これが――。

「初めてだよ。あれが空を飛ぶ蛇ってやつか……」

 飛島海渡は茫然とつぶやいた。信じられないことだが、インビジブルは自分の体をすっかり治してくれたばかりか、見えないものを見えるようにしてくれたらしい。

「そうだ、瑠璃は……」

 我に返り、塔に残してきた瑠璃のことを思い出す。凪美由紀の話が本当ならば、今ごろ彼女はほかの男の手に渡っているかもしれない。戻って助け出さなければならない。携帯端末は壊れており、位置情報はわからないが、中央塔はすぐそこだ。インビジブルが見えるようになったいまなら自分の足で行けるはずだ。

「ネーロ、行こう。瑠璃とつばさを取り戻すんだ!」

「待って母ちゃん! いま正面から行ったら捕まっちゃうよ。僕らはもう反逆者なんだ!」

「そんなこと構っていられるか!」

「いい方法があるんだって。インビジブルが言ってる。飛べるんだよ、母ちゃんは! 空を飛んで屋上から行くんだ」

「……は? なんだって?」

 飛べる、とは。鳥のような翼があれば飛べるだろうが。

 海渡は鳥類の骨格を思い浮かべる。鳥は太古の恐竜に近い。二本足で立つ脚部、体躯のわりには大きな肺と胸の筋肉、それを包み込む器のような肋骨。すらりと伸びた頸部の骨とするどい嘴。そして彼らの象徴である、空を駆ける自由の翼。だが、もしも自分のような図体の大きなものが飛ぶなら、ひらりと舞うような飛び方はできまい。あるとすればアホウドリ。自力で飛ぶには長い助走や上昇気流を必要とする。

「そうか、アルバトロスだね。母ちゃん、わかったって。インビジブルが言ってる、母ちゃんはアルバトロスになれるって」

「おい、ネーロ。お前なにを言ってるんだ」

「姿を変えられるんだよ! 走って飛んでみようよ。その先が開けて道になってる、滑走路みたいだしさ。ほら、ほら!」

 頭に乗ったネーロが急かすようにつついてくる。

 どういうことか分からないが、急いで戻らなくてはならないし、平たんな道でなにか失敗しても死んだりはしないだろう。だまされた気分で海渡は地を蹴りつけた。道にそって走ってみる。速く、速く。風に乗って飛べるくらいに。

「母ちゃん、行こう! 僕が先導するから――」

 言葉も耳に入らないくらいに思考が真っ白になった。静止画のような鳥のイメージがあらわれて、自らの身体イメージが融合して作り変えられていく。腕と脚は反転し、力強く駆けていた運動は羽ばたきに代わる。

 傍らを一羽のカラスが飛んでいる。

 ――あれだ、あれについていけば。

 足が大地を離れる。広げた両翼が風をとらえてふわりと浮き上がる。樹海が視界の下を流れていった。海渡は飛んでいたのだ。鳥の姿になっていた。

「いい調子だよ、母ちゃん! すごいや、立派なアルバトロスだ!」

「ネーロ、どうすりゃいい? 塔はうしろか?」

「ゆっくり旋回するんだ。僕が先を行くから!」

 空を行く魚の群れを割って海渡は飛翔した。夜の闇の中でぼんやりと浮かび上がる塔は中央塔だ。視界の中で急速に近づいてくる。あれの上に着陸しなくてはならない。

「僕が合図したら減速して! 羽と尾羽をいっぱいに開くんだよ」

「お、尾羽だと? そんなものは俺になかったし、どうやって……」

「もう気持ちだよね! ここでなんとしても止まるって思えば止まるよたぶん!」

「くそっ、根性論かよ」

 ネーロが鋭く鳴いて羽を開いた。海渡はとにかく翼を広げて足を踏ん張ってみた。駆けているときの人が止まるイメージだった。すると尾羽が開いたようである。

 屋上には知っている人影があった。驚いた様子でこちらを見ている。

「人に戻れるか、ネーロ?」

「戻れるよ。そうなりたいって思えばそうなるよ」

 屋上のコンクリートに足をつけたとき、海渡はもとの男の姿になっていた。宙返りしたネーロが肩に戻ってきて止まる。呆然と立ち尽くしていたのは伊吹雄介だ。蒼白な顔をして銃口を向けていた。

「これは……どういうことなんだ! 飛島、きさまは一体……」

 伊吹がうろたえるのも無理はない。巨大な白い鳥がやってきたと思ったら、それはかつての同胞の姿に変身したのだから。

「瑠璃を取り戻しにきた。おれの妻をどこにやった!」

「いや……待て。きさまは本当に飛島か? いま、怪しげな姿をしていただろう!」

 警報は鳴っていない。飛島は中央幹部なのだから当然だ。だが、いま起こったことを伊吹に説明して納得させる自信もなかった。

「俺は俺だ。瑠璃を返してくれ。おれたちはただ静かに暮らしたいだけなんだ!」

「信用できない。それに、遅かったようだな。瑠璃は……残念だが、いま、そこから――」

 伊吹はコンクリートの面を指でさした。屋上のふちの柵のところに、女性ものの靴が並べておいてある。いま、そこで脱ぎ捨てたように。だとすると、飛び立った先は塔の外側で、空中を落ちたあとは三百メートル下の地面があるだけだった。

「おい、嘘だろ。瑠璃を返せ、つばさは何処に……」

「彼女は議会の決定に絶望していた。お前が塔から落ちたと知ると、娘を冷凍庫に入れて、彼女はそこから身を投げてしまった」

「ふざけるな! 畜生、ふざけるな……!」

 飛島が駆け寄って伊吹の胸倉をつかんだときだった。

 警報音が鳴り響いた。海渡が反逆者リストに登録されたのだ。蜘蛛玉が転がってきて展開する。いまに銃をもった兵士もやってくるだろう。

「まずいよ、母ちゃん。離脱しよう」

「ちくしょう、これまでか……!」

 海渡は駆け出すと、ふたたび鳥になり舞い上がった。背後からはアラーム音と銃声が追ってきていたが、空にいる海渡には届かない。どこへ向かうか迷っているとき、視界の先に周辺塔のひとつが見えた。あれは南塔だ。

「母ちゃん、どうするの?」

「ひとまず南塔へ着陸する。そこから滑空して、落ちた瑠璃を探す。おれだって生きているんだから無事かもしれない。そうだ、ネーロ。インビジブルに聞いてみてくれ。変身する能力を使って別の人間になれるか?」

「姿を変えるってこと? えーと、できるって。でも、変身のパターンはたくさん増やせないって。記憶容量の負担が大きいから」

「鳥の形と、あともうひとつだけでいい。絶対に俺だとわからないような……そうだ、女がいいかもしれん。南塔を覚えているか、ネーロ。あれは女性が支配する塔だぞ!」

 南塔の四角い屋上が迫る。覚えたばかりの減速のやり方で、海渡はコンクリートに足をつけた。勢い余って転がり落ちたが、そのときには人の姿になっていた。

 臀部も胸もやけに丸みを帯びていて、やわらかい。

 気づくと女性の姿になっていた。長い銀の髪にしなやかな身体だった。飛島海渡だった男はそれっきり、男に戻ることができなくなった。




「それから二人して、中央塔の近くで瑠璃をさがしたんだ。でも、みつからなかった。行き場のなくなった母ちゃんは住民票をごまかして、しばらく南塔の世話になってた。だから、あそこの女塔長には頭が上がらないってわけ。メスの形になったのは幸運だったのかもしれないね」

 バーディーは眠気でまどろみながら、小さな声で答えた。

「だから、アルバトロスは女の人の姿なんだね。ちょっとわかるような気がする」

 隣で丸まっているクイーンはひそかに聞き耳を立てていた。それを知りながらネーロもたずねる。

「お嬢、わかるんだ。僕にはわからないんだよね。もとの姿は記憶しているはずで、戻れないはずないんだけど……」

「アルバトロスは、きっと、待っているんだよ」

「待ってる?」

「大事な人がそばに帰ってくるのを、待っているの。その人に会えたとき、本当の自分に戻るんだと思う」

「本当の母ちゃん? じゃあ、いまは本当の母ちゃんじゃないのかなあ。ずっと我慢しているのかな、苦しいのかなあ。僕たちと一緒にいて笑っていても、幸せじゃないのかなあ?」

「ううん。アルバトロスはネーロのこと大好きだし、笑っているときは楽しいんだよ」

「それならいいんだ、けど、さ」

 アルバトロスは、なくした瑠璃の代わりをしたいのかもしれなかった。伊吹の話によると、血のつながった娘は冷凍庫の中で生きている。いつか取り戻す日がきたら、半分は父親、半分は母親として迎えるために。そして、新たな伴侶と出会うことを自らに禁じるかのように。だから男にはならない。

 それらはバーディーの推測にしかすぎないのだが。

 枝の上からじっとのぞき込んでいるネーロの頭を指で撫でてやった。嘴のまわりもかりかりと掻いてやる。こうしてやると羽毛を膨らませて喜ぶのだ。

「お話をしてくれてありがとう。もう寝ようか」

「うん。僕はね。お嬢のこと大好きだよ」

「私もネーロが大好きよ」

 あとは、だれもなにも言わなくなった。一人と二羽は静かな眠りに引き込まれていった。


 長月三十日が帰宅したのは真夜中だった。

 テーブルの上の小さな灯りの中に、自分あての小さな袋をみつけた。バーディーの手で書かれたらしい伝言によると、アルバトロスが届けてくれたもので、送り主は騎士団の如月閏らしかった。

 紙がこすれる音さえ気にしながら包みを開けてみる。

 中身にはインピジブルの弾が入っていた。小さなものが数個だけだが、スリングの弾に使えるので貴重だった。如月からは手紙すら添えられていなかったが、きっとあの時の分け前なのだろうと思った。

 黒結晶の核を小瓶につめて、それを眺めていた如月の横顔をいまでも思い出す。彼だって自分たちと変わらない。渦の内側になり、外側になったりしながら、誰かの意図に翻弄されつづける人間のひとりだった。

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