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4-2 闘技場

 ふかふかの部屋は最下層に近かった。通路が無機質なコンクリートで、途中途中に蜘蛛玉(スパイダー)の目が光っているのは、東塔と同じだった。少し歩いてエレベータに乗り込む。二人とも無言のまま、昇降機の箱は数階ぶんだけ上昇し、停止して扉が開いた。

 また、似たような灰色の通路だ。足音が響く中、伊吹が低い声で言う。


「きみはあまりにも知らなさすぎる。だが、いずれ知ることになる」


 正面に現れた重い扉がスイッチひとつで開かれる。

 途端、人々の話し声や笑い、食器の擦れる音などがあふれてくる。広いフロアだ。たくさんのテーブルの上には食事、それに酒。濃い緑色の戦闘服をつけた男たちがそれを囲み、飲んだり食べたり、向かいの者と何やら話したりしていた。給仕らしき女が銀のトレイを片手に走り回っている。


「……騎士団員たちの慰安所だ」


 伊吹の声すらも周囲のざわめきにかき消されそうだ。

 フロアの端をさらに奥へと進んでいく。見渡すと、戦闘服の者たちは確かに男ばかりだ。どこかから下品な口笛が聞こえ、「ヒュー、団長のオンナっすか!?」……などという野次が飛んでくる。気づかないふりをしていると、声をあげた者は上官らしき男に頭を叩かれていた。

 大きなフロアからつながる細い通路へ入る。向こうにも部屋があるようだが、もっと薄暗い。

 抜けた先では、こちらでも騎士らしき者たちがテーブルを囲んでいる。フロアの中央にはさらに小部屋。それは壁の全部が硝子張りで、中の様子がすべて見えるようになっていた。


「これも慰安所のひとつ、闘技場(コロッセオ)だ」

「……決闘の様子を見られるってこと?」

「決闘。まあ、そういう言い方もできるが。とにかく座るとしよう。周囲の邪魔になる」


 伊吹に促されテーブルにつくと、コップの飲み物が運ばれてきた。伊吹にも同じものが出され、彼は飲んでいたので、バーディーも口をつけてみた。希釈果汁であり、アルコールは入っていない。

 そうこうしていると、チャイムのような音が響き、中央の表示板に文字が映し出された。周囲からどよめきがあがる。


《Lv.6:赤のタイガー vs Lv.5:青のシャーク》


 奇妙な生物が硝子部屋の中に放たれた。

 二足歩行で、一対の腕を持ち、体毛をほとんど持たない生き物。人に似ているが、身長はバーディーの膝丈程度しかないだろう。四肢と胴体部分に比べて頭部が異常に大きい。頭髪もなく禿げ頭だ。赤と青との色に肌が塗られたそんなものが二体。きっと、あれらが戦うのだとバーディーは思った。

 赤のタイガーとか青のシャークというのは、この生き物の名前なのだろう。だとしたら、赤のタイガーは左腕を失くしていて、青のシャークは片目を失い隻眼だった。お世辞にも知能が高いようには見えず、所在なくうろうろ歩きまわっている。


「あれは何? 資料映像でも見たことない」

「ホムンクルス。オールドアースに彼らはいなかった」

「じゃあ、この世界の独自の生物? インビジブルみたいな」

「……それも違う、彼らは……」


 憂えるような語尾は喧噪にかき消される。

 周囲の騎士たちは、六戦を生き抜いたタイガーだ、いや勢いのあるシャークだ、などと口々に騒ぎ立て、黒服の男に金を渡すと、引き換えに紙切れを受け取っていた。


「お金を賭けているの?」

「……下劣な娯楽だ。こういうのが鬱憤を晴らして犯罪を抑止するのだとか、戦意の向上につながると言う者たちもいる。実際のところ、収益は二宮楓の研究室へ流れているのだから、真の目的は推して知るべし、だ」


 伊吹は冷めた視線をテーブルに落としていた。

 興奮気味な周囲の男たちとは対照的だ。黒服のボーイがやってきて、「隊長はいかがなさいます?」と尋ねたが、伊吹が無言で首を横に振ると黙って去っていった。

 再び大きなチャイムが響く。

 全員の視線が中央の部屋へ集まった。床の一部が開き、剣、槍、ボウガンといった武器が投入される。いずれも玩具のように小さく、しかし精巧につくられていた。硝子の部屋の中に白い霧が噴射され、うろついていた二体のホムンクルスは互いを威嚇するように唸りはじめる。

 先に動いたのは青いシャーク。床から剣と盾を拾い上げ、丸腰のタイガーに向かって突進する。

 歓声があがり、隣のテーブルの男が「もらったぞ!」と拳を握りしめていた。初動が早いのに加え、赤のタイガーはまだ武器を手にしていない。隻腕という不利もある。


「あまり見ないほうがいい。あれらは狂戦士ガスを吸っていて加減をしない」


 伊吹の言葉を上の空で聞いていた。

 赤のタイガーはシャークの剣をぎこちなく躱し、それが幾度か続いた。偶然かと思ったが違うらしい。シャークの潰れた片目の死角へ入り込むように避けているのだ。いくら剣を振っても当たらず、優勢にみえていた青のシャークは動きが雑になり始める。

 屈みこんでから膝を抱えるよう踏み出し、タイガーは飛びかかった。その手には斧。

 シャークの盾が吹き飛ぶ。驚愕に見開かれた隻眼に、重さをのせた斧の一振りが命中した。

 青のシャークはよろめき、がくりと膝をつき倒れこむ。バーディーはついに目を逸らした。分厚い金属の刃は頭部にめり込んでいる。彼が、その足で立ち上がることは二度とないだろう。

 嵐のような歓声と怒号。紙屑となった掛け札が吹雪のように舞って散る。


《勝利:赤のタイガー Lv.6→(UP)Lv.7》


 戦いの結果がモニターに大きく映し出される中、黒服の男と、ウサギの耳をつけた女給仕が各テーブルを巡回していた。手にした専用端末で、掛け札を買った客のデータを読み込んでいる。


「顔色が悪い。大丈夫か」

「……平気です、このくらい……」


 騎士団に入団を希望しようという者が、この程度の場面に目を背けてはいけない。

 バーディーにはそれがわかっていた。しかし、胸にこみあげる嫌悪感と、頭から血が抜けるような眩暈に耐えられるものではない。訓練で狩ったインビジブル、自らの刃でその命を奪った黒毛の熊、死にかけて血まみれなモズのクイーン。そのいずれとも違い、忌まわしいものを見てしまった気がして、この場から逃げ出したい衝動にかられる。

 テーブルに肘をつき、ふらつく頭を支えていたが、ついに見かねた伊吹に腕をつかまれて席を立った。ろくに周りも見えないまま、引きずられるように歩きフロアを抜ける。


《次の対戦は、Lv.7:黄のリンクス vs Lv.8…………》


 ぼんやりとした意識の遠くでチャイムが響き、次の試合を告げるアナウンスが聞こえていた。

 背後で扉が閉まる気配がして、伊吹に肩を支えられながらコンクリートの通路を進んだ。不本意だが、足に力が入らない。伊吹はなぜ、あれを自分に見せたのか。騎士団に入ろうというなら、あの中に混じって楽しめなければいけないということか。

 思考が巡る中、伊吹がふと立ち止まった。

 通路の向こうから足音が近づいてくる。うつむいたバーディーには、相手の姿を確認することはできなかったが、細い足首と踵の高い靴が見えて、それが女性であろうことはわかった。

 どこか冷たく無感情な声色が響く。


「あら、伊吹団長。珍しいじゃないの、お連れ様がいるなんて」


 聞いたことがあるように思えた。その足元からゆっくり視線を上げていく。体のラインにぴったりと沿う紺色のスーツ、真っすぐで肩にかかる切りそろえられた黒髪。あの幼かった日、長月三十日とともに、一度だけ会ったことがある。


――凪美由紀だ……!


 おそらくは、伊吹よりも執拗に自分を狙っているかもしれない女性。

 思わず、その視線を避けるように目を伏せた。伊吹が黙って腕を引いたので、ただ従うようについて歩く。凪美由紀は何も言わない。スプレーで髪色を変えているので、気づかれていないのだろうか。あるいは、数年前に一度見ただけの姿は忘れられてしまったのか。

 目線を落としたままですれ違うとき、黒く艶のある革靴のあたりに動く影が見えた気がして、つい目で追ってしまう。美由紀の足を伝って上っていったようだ。小さな生き物なのか……しかし見失う。顔を上げるほどの勇気はない。

 数歩ぶん離れたときに美由紀が口を開いた。


「……そちらのお客さま、あなたの部下の番号を使って塔に入れたわね?」

「ああ」

「不審なレポートが上がっていたわ。女性のゲストを招きたいのなら、それ専用のコードを発行するからって前にも言ったじゃない」

「そうだったかな。では、次のときには頼む」


 凪美由紀は振り向きもしない。

 伊吹がどこへ向かおうとしているのか知らないが、ここにいるよりはましという気がする。凪美由紀の、品定めでもしているような視線に晒されていると、背筋の凍るような思いになる。すぐ突き当りに昇降機があり、伊吹がパネルを指で操作していた。


「……その子に、ホムンクルスを見せたのね。ひどい男だわ」


 箱が到着し扉が開く。やけに通る声を響かせてから、凪美由紀は通路の反対側へと遠ざかっていった。




 静寂と、喧噪の波が交互に訪れる。

 眠っているのか、覚醒しているのか。あるいは生きているのかどうかすら判然としない。時々、ふと意識が浮上して、己の黒い足がしっかりと枝をつかんでいることを目視で確認する。そしてまた眠りに飲み込まれる。

 遠いところで、馴染みのある声が言い合うのが聞こえた。大事な人のように思えるが、いくら考えようとしても、言葉がすり抜けていって意味を把握することができない。


『お前んとこにも行ってないだと? バーディーを最後に見たのはいつだ!』

『朝に、畑までは一緒でした。庭の巡回をしているものだと……』

『畜生が! 俺は飛んで捜すから、お前は庭の周辺をたのむ。獣に襲われて動けないのかもしれない』


 薄く目を開けてみる。

 長い銀髪の女と、赤毛の少年がなにやら騒いでいる。

 女性に見えるのはアルバトロス。もとの名前を飛島(とびしま)海渡(かいと)という。インビジブルとの共生体で、不老不死だ。父親であり母親であり、親友でもある存在。

 赤毛のほうは、最近になって情報が追加された。

 長月三十日。環境適応者(エボリューション)の一人。アルバトロスの客人、いまのところは。

 しかし、それらの情報はいま、処理する順番にない。いま見たものと聞いたものがくるりと梱包されて、遠いどこかへ持ち去られていく。不安になっていると、(ダイジョウブ、アトデカエス)という声が頭の中に響いた。


『すぐ出るぞ。端末の使い方はいいな? 何かあったらすぐに連絡しろ』

『ネーロはどうしました? 連れていけば役に立つんじゃ……』

『あいつはいま無理だ。記憶の整理作業中で、動けないんだ、とても――』

『そういえば、……庭の……新しい轍が……』

『……中央塔に……、……』


 二人ぶんの声はだんだん薄れていく。

 なにやら慌ただしく出ていって扉が閉められた。誰かがいない、そうだ、バーディー……。毛先が跳ね返った黒髪の少女。

 行かなくてはならない気がする。


(トビタイ。ツイテイク)

(サギョウチュウ、マダイケナイ。……ゴメンナサイ)


 無理矢理に身をかがめて飛び立たんとする一羽のカラスを引き留めるのは、彼よりも遥か大きなもの。

 今回ばかりは相当な事件らしいが、一度始まってしまったらどうしようもない。個体としての記憶をもったまま長い時を生き続けるためには、仕方がないことだった。

 再び、ネーロは夢をみる。枝にとまり、嘴を羽に差し込んだままで。

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