3-5 首謀者
「……でも、おかしいよね。誰かがインビジブルを塔の中に入れているのなら、蜘蛛玉か哨戒機に見つかってるんじゃないの?」
崩れかけたブロック塀にもたれ、双眼鏡を手にしながらバーディーは言った。
真夜中というより明け方に近い。まだ暗い空を背景にそびえ立つ北塔はどこか不気味だ。コンクリートの外壁を照らす照明は頼りなく、仮に誰かが動いたとしても、注意していなければ視認できない。
隣に腰かけていた長月三十日が答える。
「それが妙なとこだ。虫に見つからずに塔へ侵入するのは無理だと俺も思う。住人が窓や扉を開けることも不可能だ」
「……ってことは、やっぱり?」
「ああ。伊吹団長は、凪美由紀を監視するって言ってたろ。つまり、怪しいのは中央幹部の誰か。彼らなら監視を黙らせることができる」
「あっ……そういえば! 三十日、伊吹って人に会った? 顔は見た?」
「気になるのか? 自分の婚約者が美男子かどうかが」
「まぁ、ちょっとはね」
眠気と疲労で集中力も低下している中で、この幼馴染の二人組は持ち前の気楽さを発揮していた。
鼠一匹見逃すまいとしていたアルバトロスが知ったら嘆き悲しむかもしれないが、神経をすり減らすくらいなら、肩の力を抜いてただ眺めているくらいでいいじゃないか、というあたりで合意が成された。それこそ、雑談でもしながらというわけだ。
「俺の感覚で言うと、悪くないんじゃないか。歳上でいいならな」
「あー……。歳の差ね。そういえば、三十過ぎてるって楓さんが言ってたっけ……」
まだ十六歳であるバーディーには不満である。
三十路といったら、あまりにも大人すぎる。それに、恋に恋する乙女としては、もっと運命的な出会いだとか、心ときめく物語が欲しい。中央の偉い誰かさんに決められた結婚など面白くない。それが例え、騎士団長の嫁という文句のない玉の輿であったとしても。
「あたしやっぱり騎士団がいいな……。三十日、騎士団ってどう? 厳しいの?」
「そりゃ、鍛錬は塔の頃よりもつらい。俺の上官と先輩はいい人だけど、運が良かったんだ。もっと厳しい人たちもいるし、インビジブルだって凶暴なやつは本当に危ないんだ」
三十日は巨大なヘビのようなインビジブルと遭遇した。
バーディーも熊のような獣と戦って、危ないところで仕留めたことがある。しかし、三十日の話から考えると、あんなのはまだ可愛いものだ。山刀一本で大蛇に立ち向かえるものか。一人で戦うのには限界がある。
もしも、自分がおとなしく伊吹という男に嫁いだとしたら?
バーディは考えてみた。伊吹が騎士団長だというなら、頼めば自分も騎士団に入れてくれるかもしれない。長月三十日や皐月五郎の身が危険に晒されなくて済む。アルバトロスやネーロにも、無理を強いなくていい。
――悪く……ないんじゃないかな?
今更ながらそういう気がした。
自分ひとりの自由のために誰かに迷惑をかけている。人が言うように、中央塔で暮らせるというだけで幸せだと思うべきなのかもしれない。塔から降り、土に足をつけて歩いてみると地上は美しい。下級民はそれすら知らない者がほとんどだ。これ以上は、我儘でしかないのではないか。おそるおそる三十日に声をかけてみる。
「ねえ、三十日。もしも……もしもだけど、あたしが伊吹団長と結婚したら……」
「しいっ! バーディー、あれを見ろ」
長月三十日は、格納庫へ続く扉のほうを指した。
バーディーは双眼鏡を覗く。月の光と、ちょうどシャッターの周囲を照らす青白い灯りの下、一人の男の姿が浮かび上がった。それは、二人ともが見覚えのある人物。三十日は端末で呼び出し操作をする。
報せを受け、アルバトロスはすぐに駆けてきた。
少年少女が顔を見合わせる中、助走をつけて鳥になり舞い上がる。遅れてネーロも後に続いた。羽音もたてず、北塔を旋回しながら真相を目にした。
塔の格納庫シャッターの前。数名の部下を従え、大型のトカゲのような獣――いや、小さいがドラゴンと言うべきか。そのようなインビジブルを車の荷台に乗せ、塔の中へと運び込んでいる。監視の虫は沈黙したままだ。
――まさか。いや、やはりあの男が……!
人影が北塔の中へ消え、シャッターが下り静寂が訪れる。
アルバトロスはバーディーたちのもとへ戻り着陸した。すぐに人に戻り、通信端末を操作する。直ちに伊吹へと連絡するためだ。文字通信ももどかしく、直接通話も不能なため、音声データに声を放り込む。
「伊吹、起きろ。たった今、北塔にドラゴン級のトカゲを入れた奴がいる。すぐに対処しろ。下層階を閉鎖するんだ。この騒動の首謀者は――八坂銀次郎だ!」
白みかけた黎明の空、塔の屋上へ着陸した鳥は人の形となる。
蜘蛛玉のアラームを黙らせ、内部へと通じる扉を力任せに開く。飛び降りるような勢いで最上階へ滑り込むと、一羽のカラスがそのあとを追った。
展望台を降り、下の階ですぐに睦月十四郎と出くわした。
部下らしい若い騎士をひとり連れている。おそらく如月という男だろうか。若い部下は、アルバトロスがいきなり現れたことに驚きを隠せない様子だ。あるいは、女性にしては俊敏で鋭い身のこなしに驚嘆しているのか。
「加勢して頂けるのですか、アルバトロス殿!」
「っつうかよ睦っちゃん! 戦力はこれだけか、手薄すぎる!」
「致し方ありません。どんな条件であれ、我々は任務を全うするのみです」
「――死んじまうぞ、ほんとに!」
まずは武器倉庫へ駆け込み、着色用の高圧噴射器を手にした。
他を捜すが、ろくな装備が見当たらない。アルバトロスは戦慄する。旧式の機関銃、拳銃、ボウガン。この程度の、まるで玩具のようなものであれに立ち向かえというのか。自分は鳥になって飛んできたがために、ほとんど何も持ってこられなかった。
「睦っちゃん、例の手榴弾はあるか」
「二宮博士の炸裂弾のことですか。それなら、先日の件で使ってしまい、もう……」
「畜生……お手上げかよ」
それならいっそのこと、騎士団の本隊に任せるか。伊吹ならなんとかできるかもしれない。下層階はシャッターで隔絶したはずで、劣勢で無理に対応することもない。
睦月に提案しようとしたその時だった。
≪下層シャッター閉鎖不能。管理者権限により作動を中止。下層シャッター閉鎖不能……≫
アラームとともに蜘蛛玉が告げる。
睦月十四郎とアルバトロスは顔を見合わせた。誰かが妨害している。管理者といえば自分や伊吹もそうで、更に上の権限を持つ者となると限られる。月光の下で目撃した八坂銀次郎の姿が脳裏をよぎった。
「アルバトロス殿……」
「行くしかないだろ。せめて、本隊が来るまで持ちこたえるんだ」
それぞれが、頼りない中でもましな武器を手にとり、下層階へ向けて駆け出していった。
アルバトロスは同じ疑問を反復していた。八坂銀次郎の仕業だとしたら、何故。最悪の考えに至っているのだとしても、やり方が極端すぎる。これでは何も産み出さない、彼にはわかっているはずなのに――。
チィン、と音がして、昇降機の扉が開く。
最下層に近いフロアは不気味に静まり返っていた。警戒態勢に入った蜘蛛玉が、時々色付きの霧を吹いている。アルバトロスが先頭を行き、検知用に張られた網を薙ぎ払いながら慎重に進んだ。肩にとまったネーロは態勢を低く保ち、いつでも飛び立てる準備をしていた。
いま、インビジブルが見えるのはアルバトロス一人だけである。斥候でありながら、倒れるわけにはいかなかった。背中をいやな汗が伝う。
――先程はあんなことを言ったが、幹部の誰かが仕組んだことだとしたら、援軍は来るのか。この北塔は、見殺しにされるのではないか……。
柄にもなく弱気な思考が頭の中を巡っていた。
「近いよ、母ちゃん。大きくて手ごわい野郎だ……」
ネーロが低い声で警告する。高圧噴射器のボンベを抱えたまま、アルバトロスは足音をたてずに進んだ。
出所のわからない異様な圧迫感がたちこめていて、思わず足がすくむようだ。睦月と如月の二人はしっかりあとをついてきている。彼らは何も感じないのだろうか。だとしたらそれは、共生体ではない普通の人間だからなのか。しかし妙だと思う。依然として、通路には何も見えない。あれだけの巨体なのに、蜘蛛玉の霧にも引っかからないとは……。
おかしい、何か忘れている。気づきかけたとき、ネーロの爪が肩を蹴った。
「下がれ、早く!」
背後も見ずにアルバトロスは叫ぶ。ガァガァと威嚇する声と羽音が響き、黒い鳥影が前方へ飛び出していった。噴射器を抱え、上に向けて思い切り噴射する。巨大なトカゲの後ろ足と尻尾が、黄色く塗られて闇に浮かび上がった。それは天井に張り付いていたのだ。
あまりの近さに、さすがのアルバトロスも鳥肌が立つ。
反射的にネーロを追って駆け出した。おかげで後退した睦月と如月とは分断されてしまった。状況はよくない。若い如月が機関銃を構え、天井へ向けて撃つ。
――だめだ、下手に刺激したら……!
止める暇もない。しかも嫌な予感は的中した。興奮した大トカゲは身を翻し飛び降りて、止まらずに如月たちのほうへ駆け出していく。
――まずい、あいつらにトカゲの頭は見えてねえ!
自分もネーロも、とても間に合わない。
最悪の結果をも覚悟しかけたとき、天井から鉄格子が落ちてきた。睦月が機転をきかせてシャッターを降ろしたのだ。トカゲの巨体は、背中を挟まれて動きが止まった。しかし、四肢をばたつかせてもがきながら、徐々に前へと進み始める。長くは持ちそうにない。
「睦っちゃん、とにかく頭を潰せ! ――これを!」
目の粗い鉄格子の隙間から、愛用の山刀を投げ渡す。
だが、すぐにそれを後悔する羽目になった。もしもアルバトロスがその役だったなら、確実にトカゲの頭を仕留めただろう。だが今、睦月には目標が見えていない。下手に近寄れば逆にその牙の餌食になってしまう。
さすがに怯んだ睦月の手から、若い如月が山刀を奪い取った。
「睦月隊長、自分が行きます!」
「よせ、如月……!」
アルバトロスは自分を呪った。明らかに判断を誤った。
如月は見えていない怪物の頭部をめがけて駆け寄る。トカゲの体は鉄格子から抜け出しかけていた。尾が切れたら終わりだ。切り返して戻ってきたネーロが叫ぶ。
「母ちゃん、僕が行って誘導する、結晶を――」
「すまん、頼む!」
ポケットから石をひとつ取り出すも、大トカゲは如月を狙って身を乗り出し口を開けていた。とても間に合わない、目を逸らしたくなったその時だ。
いつのまにか、三機の蜘蛛玉が壁をつたい這い寄っていた。
一斉に霧を噴射し、トカゲの頭部が浮かび上がる。如月は寸前で身をかわし逃れた。
その右手の山刀を、すいっと奪った者がいる。背後から颯爽と現れたその男は、コンクリートの床を踏むと前方へ跳び、トカゲの眉間に刃を突き立てた。暴れようとする頭をブーツで踏みつけ、情け容赦なく刃を叩き付ける。光結晶の力で傷めつけられた頭部は、再生も追いつかないまま崩壊し、ついには完全に動きを止めた。
三人とも、何を言葉を発することができなかった。立ち尽くすアルバトロスに、その男が呼びかける。
「久しぶりだな、阿呆鳥。相変わらず、そんなふざけた姿のままか」
男は深緑色の戦闘服を身に着けてはいたが、時間がなかったのだろうか、丸鉄兜は装着していなかった。なかなか長身で鍛えられた体つきは、まだ二十代の青年なのかとさえ思わせる。そして、短く切りそろえた茶髪に整った顔立ち。
アルバトロスには見覚えがある。この男の名は――。
「……伊吹雄介……!」
「裏切者が。いい加減に投降しろ。貴様にとり憑いている化け物を引き渡せ」
「相変わらず、頭の固い奴め――」
拳銃を握った伊吹が、ゆっくりと銃口をこちらに向ける。足元へ威嚇射撃を一発。
これでは取りつく島もない。アルバトロスは踵を返し、鉄格子を背にして駆け出した。幸い、追ってくる気配はない。振り返ると、息絶えた大トカゲが無数の黒い羽虫になり、舞い上がって換気口へと吸い上げられていた。
あとはただ上の階へと走り、また鳥になり、北塔の屋上から飛び立った。
奇妙なことに、警報も鳴らなければ、哨戒機のひとつも追ってはこなかった。
〈 第三話・おわり 〉
閲覧ありがとうございました。【第4話】の準備のため、しばらく更新をお休みします。