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3-4 疑惑と取引

「なんだ、夜這いじゃなかったのかよ……。それならそうと、早く言えってんだ」

「母ちゃんが聞く耳持たなかったんじゃん」


 アルバトロスは、長月三十日の小型端末を借りると、なにやら指で操作を始めた。

 バーディーはネーロを頭に乗せたまま、一体何が始まるのかと覗きこんでいた。やっとのことで解放され、疑いの晴れた三十日は、ぐったりと椅子に座り込んでいた。


「――あれ? このデータ、パスワードロックがかかってら。おい三十日、何か聞いてるか」

「『鍵』のことでしょうか? 『昔の名前』だ――と言っていました」

「そういや、お前は誰に言われて来たんだ」

「直接の上官は睦月十四郎隊長ですが、これを俺に命じたのは、伊吹雄介団長です」

「……ちっ」


 しかめっ面をしながら、アルバトロスは指で端末に文字を打ち込んでいた。バーディーの目には、「Tobishima_Kaito」と見えたが、その文字列をどう発音するのかは知らなかった。

 まもなく、小型端末から男性の声のメッセージが再生された。


《――久しぶりだな、阿呆鳥(アルバトロス)。貴様が花嫁をさらってくれたおかげで、目覚めの気分は最悪だったよ》


「これ、伊吹って人の声? あたしが逃げたこと怒ってるのかな」

「しいっ。再生が終わるまで待とうよ」


《まあ、それについては気長に待とう。せっかちな男は嫌われるからな。――ところで、取引をしないか。貴様の居場所を凪美由紀に黙っていてやる代わりに、情報が欲しい。北塔で相次いでいる、インビジブル侵入の件だ。詳細はそこにいる俺の部下に聞いてくれ》


「北塔が――なんだって?」

 アルバトロスは思わず声を漏らし、長月三十日を横目で見た。先日、睦月十四郎は何も言っていなかった。メッセージの再生が終わってからゆっくり聞き出すこととして、あとは黙った。


《俺は、この件にどうも人為的なものを感じる。誰かが、意図的にインビジブルを塔の中に入れているように思えるんだ。俺は凪美由紀をマークしていて余裕がないし、見張りの人員も割けない。できたらそっちで首謀者を特定してもらえれば有難い》


――凪美由紀、か……。


 バーディーが中央塔を出奔してからも、何度となく耳にしている名前。アルバトロスは、過去の彼女の姿を思い出していた。昔からプライドが高くて、誰にも気を許さないくせに、どこか寂し気な女性だった。


《こちらからも情報をやろう。東塔の塔長、皐月五郎は無事らしい。だが、もうじき人質にとって、逃げた花嫁のあぶり出しにかかるだろう。断っておくが、俺が急かしているわけではないからな。

 何もかも、凪美由紀の気分次第ってところだ。いまはあいつが実質的な権力中枢で、覚醒予定の幹部の目覚めを遅らせたり、逆に早めたり。――まったく、一人してやりたい放題だ》


――睡眠と目覚めをコントロールしているだと? あれは、一人ではできないはずだったが。


 アルバトロスは思わず唸った。自分がいた頃の中央塔とは、様子が変わっているのだ。何か奇妙なことが起こっている。おそらく、凪美由紀の周辺で。


《そこにやった俺の部下は、しばらくのあいだ貸してやる。調査が終わったら返却してくれ。まあ、新入りとはいえ環境適応者(エボリューション)だ、使いみちはあるだろう。何かあったら、このアドレスあてに連絡をよこせ。以上だ》


 そこで、メッセージは終わりだった。ダイニングは静寂に包まれた。

 アルバトロスは目を閉じ、大きく息をついて黙り込んでいる。長月三十日は、メッセージの内容を知らなかったのか、落ち着きのない様子だ。バーディーには話の半分程度しか理解できなかったので、二人の様子を伺うしかなかった。

 結局、最初に口を開いたのはアルバトロスだった。


「おい、三十日とやら。北塔の事件って何だ」

「ええと――塔の中に、インビジブルが現れるんです。前の月あたりから散発していたようですが、いつも決まって、窓や壁が破壊された形跡がないんです。きょうの未明にも、数十メートル級の大ヘビが……」

「でかいな。――色は? 黒っぽい奴だったか?」

「黒と灰褐色の縞模様でした」


 色が黒に近いインビジブルは危険だ。人間に対して敵意を抱えている連中なのだ。


「――で、仕留めたのか?」

「ええ、確か二宮博士――と言いましたか。博士から特別に支給されていた手投げ弾で。機関銃では歯が立たなかったものですから」

「銃が効かないような大物(デカブツ)が、塔の中に忽然と、か……」


 騎士団連中がどこまで知らされているかは分からないが、楓の特製手榴弾となれば、おそらく白結晶の砕片が仕込まれていたのだろう。黒いインビジブルは驚異的な生命力を持つ。並み大抵の銃火器で駆除するのは困難かもしれない。

 その砕片手榴弾とて、大量生産できるものではないだろう。結晶が必要なはずだ。


「確かに、そんなものがたびたび侵入するんじゃあ、騎士団もたまったもんじゃないな……」


 独り言のようにつぶやきながら、アルバトロスは考えた。

 伊吹雄介は、北塔の一連の騒動を人為的なものだと考えている。しかも、その調査のために、わざわざ環境適応者(エボリューション)を一人派遣してくれたくらいだ。外部の者を頼らざるを得ないほどの、かなりの大事ということなのか。


――いや、違うな。三十日をよこしたのは、俺を見張らせるためか。


 この新人騎士が、ほんとうはどこまで指示を受けているのかは分からない。

 伊吹の疑いの眼差しが、こちらにも向けられていて当然だ。何しろアルバトロスは、過去に中央塔から離反した異端児なのである。三十日にスパイとしての自覚があるかどうかはともかくとして、おそらく適当な頃合いを見計らって回収し、情報を聞き出すつもりだろう。


「そうか、伊吹め……。本当は俺を疑ってるってわけか」


――誰がそんな汚い真似をするか。

 侮辱された気がして、だんだん腹が立ってきた。アルバトロスは立ち上がると、さきほど脱いだばかりのジャケットに袖を通し、山刀とボウガンを手に取った。


「アルバトロス? まさか、これから出かけるの?」


 バーディーが心配そうに声をかける。もう陽も落ちて、外は真っ暗なのだ。それに、アルバトロスはほとんど一日中出かけていて、夕食もとっていないのである。


「ここまで馬鹿にされて、黙ってメシ食ってる場合じゃねえよ」

「母ちゃん、いまから北塔に行くつもり?」

「当然だ。ネーロ、お前も来い!」


 ネーロを肩に乗せ、まさに扉から外に出ようとしたとき、背後から頼りなさげな声がした。


「あ、あの。――俺はどうしたら。徒歩で追いかけたらいいのかな……」


 ばつの悪そうな様子で長月三十日が立ち尽くしていた。

 アルバトロスとネーロだけなら、丘からひとっ飛びで北塔に到達するだろう。しかし、両者には長月三十日を運搬できるほどの力はない。

 ネーロの巨大化には準備が必要だし、アルバトロスは幼い頃のバーディーをぶら下げて滑空するのが精一杯だったのだから、もっと重たい男性を抱えて飛ぶことなどできないだろう。

 伊吹雄介には悪いが、上空からの偵察に長月三十日はお荷物である。それでも念のため、本人の意志を確認することにした。


「……お前、単独で北塔に接近し、周囲の監視ができるか?」

「いえ、それは流石に危険だと思います。でも、二人なら可能かと」

「二人って……まさか」


 長月三十日とアルバトロスの視線は、バーディーのほうに向いていた。


「――えっ、あたし?」


 突然の指名にバーディーは驚いていたが、満更でもない様子だ。しかし、アルバトロスは面白くない。年頃の少年少女を、夜間に二人っきりで行動させて良いものだろうか。

 彼らの腕が未熟だということもある。

 しかし、目下の心配はもっと別のことだった。二人の間になにかの間違いが起こっては困るのだ。


「母ちゃん、何を迷ってんの? 空からは母ちゃんと僕、地上からはお嬢と三十日が見張れば、完璧じゃん」


 アルバトロスの心中を察しているのかいないのか、ネーロが冷たく正論を言った。

 バーディーはすっかりやる気になって、意気揚々と外出の用意を始めている。長月三十日も、一度は剥がされた装備をふたたび身に着けていた。

 どうやら、ここに味方はいないらしい。アルバトロスは半分やけになって叫んだ。


「あー、わかったわかった! しかしだ三十日、バーディーになんかあったらてめえ、ミンチにしてネーロの飯にしてやるからな、憶えとけ!」




 北塔の近く、かつては小さな倉庫だった廃屋に彼らはいた。

 そこは屋根も窓も破損している、もはや何の用も成さないただの廃墟だ。満月の光が差し、防虫香の匂いが漂っている。床の片隅には、食料をつめたプラスチック容器と水筒が無造作に積まれていた。

 虫の声がやんだ。大きな羽音がして、降り立った巨大な鳥の影は人の姿に変わる。

 肩にお喋りカラスを乗せた長身の女性は、指で額を掻きながらひび割れたタイルを踏みつけ、屋根の下へ入った。簡易天幕をそっと覗き込み、眠っている少女と少年の姿を確認する。年頃の娘に、万が一にも過ちがあっては困るが――おそらく大丈夫だ。二人とも、昼間の仕事もこなしているから疲れ切っているようだ。もちろん、アルバトロス自身も疲労が蓄積している。

 このまま寝かせておいてやりたいが――それはできない。二日前に起こさずにおいたら、バーディーは頭から湯気が出るほど怒ってしまい、その迫力にネーロも近寄れないくらいだった。仕事は仕事だ。

 肩からひょいと飛び降りてネーロが声をかける。


「お嬢、起きて。交代の時間」

「……ん、わかった……」


 バーディーは明らかに気怠そうな身体を起こし、ほつれかけた髪の毛を束ね直す。顔色は冴えない。この北塔の見張りを始めてから十日が経つ。三人と一羽は、上空偵察組と地上組の二手に分かれて、交代で徹夜の張り込みを続けていた。

 物音に気付いた長月三十日も起き上がり、無言で装備を整える。


「……じゃあ、行ってくるね」

「用心しろよ。三十日、わかっていると思うが、何かあったら……」

「はい。この端末ですぐ知らせます」


 バーディーと三十日、かつての幼馴染同士は、連れ立って廃屋を後にした。

 アルバトロスは思う。これも、いつまでも続けていられない。伊吹雄介とのほぼ一方的な取引により、引き受けるほかなかったのだが――皆、疲れていた。昼は結晶の管理のため庭を巡回したり、食料の調達に走らなくてはならなかったから、交代制とはいえ休息は不充分だ。

 そもそも、インビジブル侵入の件は、本当に人為的なものなのか。

 アルバトロスが知る伊吹雄介という男は、冗談もろくに通じないくらいの堅物だった。彼にしてみれば自分も容疑者の一人になっているらしいから、もしも首謀者を挙げることができなければこちらの身が危うい。

 自分はともかく、バーディーは渡したくない。そして……。


 まもなく、アルバトロスは眠りに引き込まれてしまう。ほぼ休みなく飛び回っていたのだから無理もなかった。ネーロは月光のあたる窓際に丸まって寝てしまった。

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