3-3 再会
森に夕闇が訪れようとしていた。
隠れ家で、バーディーとネーロはアルバトロスの帰宅を待っていた。しかし、夕陽が地平線に没してしまっても、彼らの主人は姿を現さなかった。
バーディーは、頭の上のネーロと話しながら、台所で夕食の下ごしらえをしていた。
「アルバトロス、遅いね」
「心配いらないと思うよ。南塔に行くと、あそこの女塔長につかまって、なかなか帰してくれないことがあるんだ。南塔って、昔から女系権力なんだよ。――はぁ、オスにとっては地獄だね」
「そこまでひどいって話は聞いたことがないけど。ネーロが大袈裟なんじゃない?」
「お嬢はメスだからそう思うんだって」
そうこうしているうちに、あたりはすっかり暗くなってしまった。西の空にわずかな明かりが残っているだけで、東からは大きな満月が昇ってきていた。
食事の用意もあらかた終わってしまうと、いよいよ心配になってくる。頭にネーロを乗せたバーディーは、そっと扉を開けて、表へ出た。
いつも離着陸に使っている道のほうを覗きこんでみたが、アルバトロスの気配はなかった。
「まだ来ないみたいだね」
「待って、お嬢――あっちに何かいる」
ネーロが示したのは、アルバトロスがいつも使っている道ではない。
バーディーは目を凝らして林の奥を見た。しかし、特に変わった様子はない。いかに『第二次環境適応者』で特別な目を持つといっても、視力そのものは平均的なものである。鳥類であるネーロに敵うはずもない。
ちなみに、鳥は鳥目であり夜は見えない、という説は正確ではない。事実、夜間に餌を採ったり、渡りをする鳥類は多く存在するのだから。
「何が見えるの、ネーロ」
「灯りが揺れてる。 ――たぶん、蛍飛球だ。中央塔の幹部か、一部の騎士団員くらいしか持ってない高級品だよ。誰かいるんだ」
「誰かって? ――もしかして、あたしを探しに来てるとか?」
「僕が行って見てくる。お嬢はここで待ってて」
ネーロは飛び立ち、すいっと林の奥へ消えていった。
まもなく、バーディーにもネーロの言う灯りが見えてきた。こちらへ近づいてきているのだろう。待っていろと言われても、じっと立っていると余計に心細いものだ。
――あの灯りのところに誰かいるとしても、近づき過ぎなきゃ大丈夫かな?
バーディーは杖とスリングを持つと、灯りの揺れるほうへ駆けだしていった。月は満月。森を歩き慣れてきたバーディーにとって、それは夜の散歩のようなものに過ぎなかった。
ガアガア、と、ずっと前のほうからネーロの声がする。
それに続き男の声。
「――痛っ、なんだこの鳥! やめろ、あっち行けって!」
蛍飛球が飛び回っているため、おぼろげながら様子が見える。ネーロが侵入者の男に蹴りを食らわせているようだ。その出で立ちを見るに、どうやら騎士団員のようである。男は頭を守るようにしながらも、こちらへ向かって歩いてきた。
それにしても、男はなんだか見覚えのある体躯で、その声も聞いたことがあるような気が――。
「――あっ! ネーロ、ストップ、ストップ!」
「え? お嬢、きちゃったの!?」
「いいの、その人は! ねえ、三十日なんでしょ?」
迷彩服に丸鉄兜、腰には銃剣といった物々しい装備を身に着けてはいたが、よく見るとまだ少年である。そして、兜の下から覗いているのは、珍しいほど赤さの目立つ髪の毛。
互いの顔がわかるまで近寄ってみると、それは確信に変わった。
「まさか……十子か?」
「三十日! やっぱり!」
「どうしてここにいるんだ!? ――いや、もしかして……」
事情のわからないネーロは、釈然としないまま、バーディーの頭の上に戻った。
「こいつ、お嬢の知り合い?」
「うん。前に話したでしょ、長月三十日! 東塔で一緒に訓練を受けた、もう一人の環境適合者」
「ふーん、こいつがね……」
ネーロは長月三十日に攻撃をするのをやめたが、威嚇するかのように、常にくちばしを三十日の側へ向けて警戒を続けていた。
周囲の気配も探ってみたが、他に侵入者はいないようである。
幼なじみとの久しぶりの対面となったバーディーであったが、ここは夜の森の中。長々とお喋りをしている場合でもない。
「三十日、どうしてここにいるの」
「ああ、その――任務だよ。十子に言っていいのか分からないけど……」
「あたしは、もう『バーディー』なの! もしかして、あたしを呼び戻しにきたの?」
「違う。ある地点へ行って、ある人物に接触しろと言われている。上官の命令さ」
「ある地点?」
「すぐそこなんだ。位置情報付き磁石によると……あっちだ」
長月三十日は、左腕につけた小型端末を見ながら指さした。それは、バーディーがやってきた方向――アルバトロスの隠れ家のほうだった。
何が何だかわからないまま、二人と一羽は、森の中を歩いた。蛍飛球が、付きまとうように飛びながら足元を照らしている。
隠れ家にはすぐに到着した。
「間違いない……ここが目的地だ」
「ここまで来たら、もう言っちゃえば? 誰に会いにきたの?」
「アルバトロスだよ」
バーディーとネーロは、心の中で「やっぱり」とつぶやいた。
外で待っていても仕方がないからと、バーディーは三十日を隠れ家の中に招くと言い出した。ネーロは不服そうな様子だったが、しぶしぶ承知した。
それでも、玄関先では口うるさく三十日に注文を出していた。
「ここで靴を脱いで! それと、武器はぜんぶ置いて!」
「えっ……仕方ないな」
「まだ完全に信用したわけじゃないからね」
長月三十日はネーロの指示に従い、銃剣と護身棒をその場に置いた。ベルトに差してあった強化スリングショットを出して置くと、バーディーが興味ありげにじいっと見ていた。
「――ああ、これか? 騎士団から配布されたんだ」
「強そうだね」
「試しに引いてみるか?」
バーディーは三十日からスリングを受け取った。
幼少の頃から、バーディーはそれの扱いに長けていた。東塔を出るまでの間、長月三十日にその技術が抜かれることはついになかった。
弾を挟んでゴム紐を引いてみた。やたらと重い。長月三十日は、にやにやと笑みを浮かべながらバーディーの苦戦する様子を眺めていた。
「やっと、スリングで十子に勝ったかもな、俺」
「三十日は引けるっていうの? ちゃんと的に当てられるんでしょうね」
「まあ、それなりだな。とにかく、飛距離は申し分ないよ」
騎士団にいれば、スリングよりも立派な武器がたくさんある。
これはあくまでも、インビジブルにマーキング弾を放ったりするためのもので、殺傷力は求められていない。そもそも、見習い同然の新入り騎士などは幹部に信用されず、まともな武器を支給されない。強力に改造されているとはいえ、スリングはスリングだ。
むしろ、銃剣などというものを携帯していることに、ネーロは驚いた。新人騎士としては異例といっていいだろう。しかも、左腕には小型情報端末まで装着している。ふつうは小隊長級でもないと持つことのないものだ。
ネーロは三十日に疑いの目を向けていた。
「えっと、三十日とかいう奴! 他にも何か持ってるんじゃないの」
「武器はそれだけだ」
「服の下は? お嬢、調べてみて! 爆弾とか持たされていたら大変だ」
「ええー!?」
中央の奴らのやることだ、信用ならない、などと、ネーロはぶつぶつ言っていた。
長月三十日は、呆れた様子で両手を頭上に上げていた。バーディーは三十日の迷彩服の前を開いて、怪しいものを身に着けていないかどうか調べはじめた。
そこで、いきなり玄関の扉が開いた。主のご帰宅である。
「あっ、アルバトロス、おかえ……」
「き――貴様、何者だ!」
バーディーとネーロが制止する間もない。
束ねられた長い銀髪、日焼けして引き締まった腕、凛々しい顔つきをしたその女性は、いきなり短い刃物を取り出すと、玄関先にいた見知らぬ男――長月三十日の胸ぐらをつかみ、電光石火のごとき素早さで喉元に刃を突きつけた。
驚いたバーディーは、やっとのことで声を絞り出した。
「ち、違うのアルバトロス! 長月三十日なの!」
「――なんだと」
確かに、バーディーの話の中に、その名で呼ばれる少年は何度も登場していた。我に返ったアルバトロスだったが、なぜかその刃物を引っ込めることをしなかった。
「その長月三十日が、どうしてここにいる? しっ……しかも、こんな遅い時間に、胸元をはだけて嫁入り前の娘と接近密着しているなどとは……!」
アルバトロスの言うとおり、長月三十日の迷彩ジャケットは、前のボタンが外されていた。それは勿論、ネーロが調べろと言ったためにバーディーが外したもので、別にやましいことなど何もない。
「母ちゃん、違うって! これは――」
「――ま、まさか夜這いか! このけしからん馬の骨め!」
烈火のごとく逆上したアルバトロスには、ネーロの言葉も耳に入っていないようだ。バーディーが割って入り止めようとしたものの、怒りが収まる気配がない。
「畜生が! どうせ東塔時代から人の娘に粉かけてたんだろうが! 白状しやがれ!」
――なにか大変な誤解をされている気がする。
刃物を持ったまま長月三十日を引きずり回しているアルバトロスを、なんとかなだめようとするバーディー。そして、混乱してガアガア言いながら飛び回るネーロ。
なんとか窮地から逃れようと、長月三十日が、左腕の端末をかざしながらうめくように言った。
「ぜ……全部正直に話します! こ、ここに全てがあります」
「この野郎め、やっと観念しやがったか! ――って、ん?」
長月三十日は気を失っていた。
真っ青になったバーディーの悲鳴が響く。
アルバトロスが無意識に襟元を絞め、技を決めてしまっていたらしい。すぐに解放したので意識は回復したものの、バーディーのほうが心配しすぎて昏倒しそうなほどだった。