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2-4 新しい朝

 誰が最初に言ったのか、その部屋は、電子レンジと呼ばれていた。

 中央塔の内部の、ある一室。無機質なコンクリートの塔の中にあって、その部屋の床には美麗な文様入りの絨毯が敷かれ、ウッド調柄の壁紙が全面に貼りつけられ、最初の地球(オールド・アース)時代の水棲哺乳類が幻想的な筆致で描かれた絵画が飾られていた。

 そして立派なオーディオ・ビジュアルシステム。

 冷凍睡眠室から一台のカプセルが運び込まれ、数日前から覚醒処置が施されていた。これの中に眠る人物が目覚めるときに、それぞれの好みの音楽、すなわち重厚なクラシック音楽やらジャズナンバーやらが自動再生されることになっている。

 そのメロディーが鳴り始めたならば、人間ひとりの解凍終了というわけだ。いかにも昔の電子レンジのアラーム音のようだ、と誰かがよく言っていた。


――誰か。そうだ、誰だったか?


 部屋に鳴り響く音楽を聴きながら、伊吹(いぶき)雄介(ゆうすけ)は記憶を掘り起こしていた。

 金縛りに遭ったときのように、横たわったまま体が動かない。もう何度目になるかわからないが、この覚醒のときの感覚は慣れないものだった。理屈がわかっていても不安になるもので、油断すると悪霊が自分を取り囲んで襲ってくるような錯覚に陥ってしまう。

 それくらいなら、くだらない考え事でもしていたほうがまだ楽だった。


 この部屋を電子レンジだと呼んだものは誰だったか。

 やがて、伊吹雄介の脳裏に、ひとりの男の姿が浮かんだ。


――ああ、飛島(とびしま)海渡(かいと)だ。


 民間会社の一社員にすぎないのに、外の世界に強い興味とこだわりを示し続けた奇妙な男。癖のある真っ黒い髪の毛と、裏表のない気さくな笑顔が思い出される。誰とでもすぐに打ち解けるその男は、屋内蹴球(フット・サル)で汗を流すのが好きで、伊吹雄介とは何度となく酒を飲んだりしたものだった。

 飛島海渡に関する出来事は、今では忌まわしき記憶の塊のようになっていて、伊吹雄介はその男のことをなるべく思い出さないようにしていたのだった。


――あれは、哀れな奴だった。相変わらず、阿呆鳥のままなのだろうか。


 ふと、指の一本が動いた。

 それを皮切りに、体の自由が利くようになった。

 伊吹雄介は、いまだ気怠い体を起こした。サイドテーブルに飲み物と軽食が用意されていることを横目で確認すると、次に壁掛けの大型ディスプレイに目をやった。ここには、解凍される者へ向けたメッセージ・ログが表示されている。

 まず、現在日時と時刻を見て驚いた。


――まさか! 眠ってから十五年ほどしか経っていない。


 自らの手で、六十年ほど眠るスケジュールに設定したはずなのだが。

 しかし、次の行のメッセージを読み、半分納得した。


――『予定変更、幹部権限による中途覚醒』だと?


 冷凍睡眠からいつ覚醒するのかは、基本的に本人の意志で決められる。

 しかし、例外的に外部から覚醒させることもできる。ひとつは近い親族による手続きで、もうひとつは複数幹部の同意による手続きである。その他に、非常事態宣言が発令されたとき覚醒するかどうか、をあらかじめ設定することができる。

 朝までゆっくり眠るはずだったのに、誰かが勝手に目覚ましのベルが鳴る時間を早めてしまった――そんな気持ちになりながら、いったい誰が何の用件で自分を叩き起こしたのかと、次のログを読んでいるとき、不可解な文字列が目に飛び込んできた。


《覚醒手続き執行者筆頭:凪美由紀 その他の執行者:     》


――(なぎ)美由紀(みゆき)が一人で覚醒手続きをした? そんなことが可能なのか?


 伊吹雄介の知る限りでは、それはできないはずだった。

 しかし、現に目覚めてしまったのだから、いつまでも訝しんでいても仕方がない。おそらく凪美由紀は活動中であるだろうから、本人に訊ねてみれば良いことだ。あまり気乗りはしないが。

 残りのメッセージ・ログを読み終えたあと、ケーブル放送受信画面に切り替えた。生放送の番組はひとつもなく、録画コンテンツばかりだ。伊吹雄介は、周辺各塔へ向けた代表者メッセージのうち、直近のものを選び再生した。

 音楽が止まり、代わりに、ディスプレイに初老の男の姿が映し出された。

 伊吹のよく知る人物で、実の伯父でもある。中央塔幹部の代表者、八坂銀次郎。スキンヘッドと口髭が印象的な、体格の大きな男だ。

 気のせいか、伊吹には少し老けたように思えた。映像の中の八坂銀次郎は、厳格そうな顔つきで、住民向けの定例演説を始めた。


《――こんばんは、塔で暮らす者たちよ。本日はうれしい知らせがある。東塔住人より、晴れて中央塔入りとなった若者が現れた。長月三十日という勇敢な騎士見習いである。この若い戦力に、我々は期待している。諸君も、日頃から技能の鍛錬を怠らずに毎日を過ごしてほしい。我ら人類の発展のために皆が尽力すれば、必ずや希望の道が開けるであろう》


――さて、この伯父は本物かな。それとも自動生成された合成演説か。


 話の内容には大して興味も湧かなかった。また画面を切り替えて、眠っていた十五年の間の主だったニュースを呼び出してみる。幹部外秘密の情報として、本来東塔から迎えるべきだった少女が行方不明になるという不祥事が、ついさきほど起こっていた。

 サイドテーブルの軽食に手を伸ばしながら、伊吹は予感した。

 なんだか、いつもの『朝』と違って、周りがざわめいている。こんど目覚めている間には、何かが大きく変わるのではないか。

 そんな気がした。電子レンジの中でとるブレックファーストは、食べ慣れた味だったけれども。




「――やべっ! すっかり陽が昇ってるじゃねーか! ネーロ!」

 そんな怒鳴り声と、やかましい鳥の羽音で目を覚ました。


 バーディーは、自分が塔から出て一夜を過ごしたことを思い出した。

 ロフトを仕切るカーテンのすき間からダイニングのほうを覗き込むと、寝起きの半裸状態でキッチンに立つアルバトロスが見えた。どうやら朝食の支度をしているようだ。

 まだ束ねられていない長い銀髪は、振り乱されてぼさぼさだ。豊かな胸の谷間も太腿も丸見えである。わずかに纏っている下着――布きれと言ったほうがよろしい――は、かろうじて重要な部分を隠しているにすぎなかった。

 バーディーは、自分自身のほうは人前に出られる恰好なのを確認したのち、はしごを降りた。


「――おう、おはようバーディー!」

「お、おはよう」


 バーディーと朝の挨拶を交わしながらも、アルバトロスは服を着ようとはまったくしなかった。よほど慌てているのか――とも思ったが、どうやら、そもそも隠す気がないらしい。これが本物の女性だったら、まことにはしなたい光景なのだが。

 

「いやー参ったよ。日の出とともに出発するつもりだったのにさ。ネーロの奴、今日に限って起こさないもんだから」


 そう言うアルバトロスの頭上では、興奮気味のネーロがばたばたと飛び回っている。狭い建物内でこうも羽ばたかれては音がうるさいし、翼が起こす風も結構なものだ。


「ひどいよ母ちゃん! 自分が起きられないからって僕のせいにするなんて!」

「あーもう! 埃が舞う! とにかく落ち着け!」


 ネーロはしばらく鳴きながら羽ばたいていたが、新しいお気に入りの場所――バーディーの結んだ髪の付け根、に着地すると、ようやく静かになった。


「朝食っていっても、お粗末なもんだけどな。いつもこの通りだ」

 焼いて乾燥した硬いパンと、粉末を水に溶かしたミルクがテーブルに乗せられた。バーディーにとっては東塔で見慣れている食事なので、何の不満もない。昨晩の鍋が豪華すぎたというだけだ。

 二人と一羽はテーブルについた。簡単な食事をしながら、アルバトロスが話し始めた。


「俺はこれから、ちょっと用事を足してくる。留守の間、バーディーは『庭』の巡回を頼む」

「『庭』って?」

「それは、ネーロが案内してくれる。この隠れ家にいる間はバーディーの仕事だ」

「あたしにできそう?」

「昨日の歩きっぷりから推測するに、問題ない。ひと月も続ければ、たぶん俺より稼げるようになる。――まあ、そんなに長く潜伏していられるかどうかは、また別の話だけどな」


 昨夜のようにのんびりとしてもいられない。手早く食事を済ませると、それぞれが外出の用意をはじめた。アルバトロスもさすがに服を着た。バーディーは、東塔から持ち出した簡素な服と、愛用のスリングショットだけを持ってロフトから降りてきた。

 それを見たアルバトロスが怪訝そうな顔で言った。


「……あれ? 木箱の中に新しい服があったろ? 気に入らなかったか?」

「あの服は立派過ぎて、もったいないから。まるで、中央塔の人たちが着る服みたい」


 下級民として育ったバーディーにとって、衣服とは、大きな布を雑に縫い合わせたものに首を通し、腰のあたりを紐で結んだ程度の、単純なものであった。

 丈夫な布地を使って丁寧に縫製され、ボタンやファスナーで着脱するような体にぴったりとする衣服は、中央塔の上級市民でもなければ着られない。東塔の中では、皐月五郎が一着持っているかどうかも怪しいところだった。

 そんな上等な衣服が、箱のなかにぎっしり入っていても、まさか普段着とは思わない。てっきり、式典用か、何か特別なものだと思っていたのだ。


「いや、ちゃんとした服装で出かけなきゃだめだ。そんな腕も足もまる出しの寝間着みたいな服じゃあ、虫や蛭に噛まれたり、草にかぶれたりするぞ。それに、物置にある山刀と、この『虫除け』も持っていけ」


 アルバトロスの指示で、バーディーは箱の中の服を身に着けた。肘は長袖のシャツで、脛は丈夫そうなタイツですっかり覆われた。これなら藪の中を通り抜けてもすり傷を作らずに済みそうだ。

 腰にスカートを巻き付け、その上のベルトに山刀を取り付けた。このような殺傷用の刃物は、訓練でも持ったことがない。革製の小物入れにはスリング用の金属弾と、『虫除け』を入れた。

 外に出る用意が終わるか終らないかのうちに、待ちきれない様子でネーロが飛びついてきた。


「お嬢、似合ってるじゃん!」

「そうかな?」

「早く、早く行こうよ!」


 頭の上に乗ったネーロが興奮気味に羽をばたつかせるので、バーディは急かされるように靴を履き、これも用意されてあった木の杖を手にして、扉から外に出た。『庭』の外には出るなよ、とアルバトロスが叫んでいた。


「さてと……」


 バーディーは、あたりを見渡した。

 庭というからには、自分の領地を柵で囲って、芝生やら花やらを植えて楽しむために整備した区画のことを指すのであろう、とバーディーは考えていた。まるで大昔のお金持ちのように。

 しかし、隠れ家の前は小さな草地があるばかりで、雑草が茂り荒れ放題。両隣は自然のままの雑木林で、裏手には斜面が迫っている。どこからどこまでが『庭』なのだろう?

 物干し台らしきものだけは見つけた。竹竿に、手ごろな太さの小枝がくくりつけられていた。


「ネーロがきのう言ってた止まり木って、これのこと?」

「そうみたい。でも、邪魔になるから後で回収したほうがいいよ。ひとまず行こう」

「行くって……どこに?」

「庭の巡回だよ。僕のあとをついてきて! ――大丈夫、庭の中に黒い獣は滅多に現れないから!」


 そう言うとネーロは飛び立った。

 すこし羽ばたいては、適当な木の枝にとまってバーディーを待っている。それを追いかけるように、バーディーは林の中へと足を踏み入れた。


「待ってよ、ネーロ! 黒い獣って、きのうの熊みたいなインビジブルのこと?」


 木の根に足をとられないよう注意しながら、バーディーはネーロを追いかけた。枝から枝へ、ひらりと飛び移りながらネーロは言う。


「そう。一口にインビジブルっていっても、実は派閥に分かれているんだ。凶暴な奴らもいるけど、むしろ人間に好意的なグループもある。見分け方は簡単。色の黒く見えるのが、人間を敵視している奴らさ」


 そういえば、とバーディーは思った。

 インビジブルの中でも、白っぽい色や虹色に輝いてみえるようなものと、むしろ光を吸い込んでいるかのような漆黒のものがいることは知っていた。でも、人が見えないものには変わりない。今までにその違いを考えたことはなかった。


「明るくきらきらして、ふわふわ浮いてるようなのは、大抵は僕らの味方か、悪くても無関心。元々はおなじインビジブルであるせいか、白いのと黒いのとが接触すると急激に反応を起こして、消滅しちゃうんだ」


 ネーロに言わせると、空を泳ぐウミヘビやカゼクラゲなどは、敵意のない者たちということになる。

 バーディーは、昨日アルバトロスが投げた石が、黒毛の熊の一部を吹き飛ばしたことを思い出した。あの小石は白のインビジブルを核としてできた化石だったのだろう。

 そのようなことを考えていたとき、大木の枝にとまったネーロがガアガア鳴いた。


「どうしたの?」

「お嬢、この木のまたにある石を見て」

「……石?」


 小鳥の巣の名残りだろうか、木のまたにたくさんの小枝が敷き詰められ、粗雑ではあるが籠のようになっている。その中に、小さくて平たい薄紅色の石があった。

 バーディーは念のため、胸に下げてあったレンズを通してみた。石は見えなくなった。


「この小石は、インビジブルの化石?」

「まあ、そうだね。そこいらに落っこちてる小さな死骸とかが核になっているんだ。こういうのが、庭の中にたくさん仕込んである」

「わざわざ置いているってこと? どうして?」

「それは、ほら。――お嬢だって、塔の中で同じことをやってたんじゃない?」


 バーディーは、あることに思い当たった。塔の中での秘密の遊びである。

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