sideツキシロ
我々がアンドロイドであることを伏せもせず過ごす内に、同じ様に人間に合わせることを止めたアンドロイドも少数でてきた。
最初は奇異な目で見られていたのだが、それもだいぶ落ち着いたように思う。
しかしながら相変わらず視線は感じる。けれど不思議なことに、直接話しかけてくる者はいなかった。
隣にいるのが当たり前となった同室者のカイセイは随分大らかな性格らしく、第三者の視線や態度について一言も話したことはないし、気にした様子もなかった。
人間に合わせるのが面倒で早々に諦めた私にも笑って賛同し、行動を共にしている。
目付きは鋭いが、片側だけ垂らしたシルヴァグレイの前髪から覗くスモーキイクォーツの瞳はいつも穏やかに凪いでいるのを知っている。
アイヴォリイの肌はアンドロイドの中では珍しい部類だろう。
野性味のある雰囲気の彼にはよく似合っている。
夜に戯れるようになったのは、そういったことに縁がなかったと彼が言ったからだ。
人間の三大欲求により得られる快楽をアンドロイドにも設えたのは実に彼ららしい。
どうせ遊戯の相手にでも使おうと思ったのだろう。
しかしアンドロイド同士でそれを愉しむことなんて想像されていなかったに違いない。
歪む顔も跳ねる躯も喘ぐ声も官能を引き出すものと認識しているし、満たされる感覚すら覚える。
アイを解さない存在なのに。
それはひょっとして、人間さえもプログラムできるほど理解できていないということだろうか。
ффф
舌を絡める。
必死に応えようとする様にジワリと頭が痺れた。いつも全身で私を知ろうとする姿が好ましい。
「ツキシロ、」
汗をかいたりなんてしないから、シーツに散ったシルヴァグレイの髪は指通りの良いまま。額も頬も滑らかなまま。
口付けを落として眠りに就く。
抱き締めてくる腕を感じながら…。
ффф
学舎に通っていても研究所からのアクセスは途絶えない。
アンドロイドということを考慮され、その内容も容赦のないものだった。
ソファで資料を読む傍らには、ぼうっとこちらを眺めるカイセイがいる。見ているだけでいいと言うので放っている。
研究計画を読んでいたところ、書かれていた思わぬ事態に目を瞬いてしまった。
「どうした?」
首を傾げたカイセイに視線を遣る。
「…クリスタルを護る原初の民がいて、手が出せないらしい」
「原初の民…?」
彼が眉根を寄せるのも無理はない。
クリスタルの存在と同じく、人々の知らぬ存在なのだ。
勿論、端末で調べてもそんな項目はでてこないようになっている。
「我々の社会システムに参加せず、昔ながらの生き方をしている者たちだ。彼らはクリスタルを崇め、自然と共に生活していると聞く」
「へぇー…俺らに知らされてないことって案外あるんだな。情報はいつでも自由に得られると思ってたけど、全てが公開されてるわけじゃないんだ」
「ああ。一部の者しか知り得ない情報は多分にある」
するとカイセイはスモーキイクォーツの瞳を悪戯に輝かせた。
「いいのか?俺に教えちゃって」
「構わない。お前は妙な行動に走ったりしないだろうからな」
「それ、信頼されてるってこと?」
「好きに解釈すればいい」
そこでふと、いい笑顔を浮かべたカイセイが顔を寄せてくる。
これはキスをしたいという意思表示。
スモーキイクォーツの瞳を見詰め返せばそっと唇が重なった。
睫毛を下ろして舌を誘い込む。
だいぶ上達した舌使いに応えてやるのは最初だけ。
後は思いのままに彼を味わう。
「…何でこんなに巧いんだよ」
涙目で睨み付けてくるカイセイに片方だけ口角を上げて見せる。
「人生経験の差だ」
アンドロイドは変わらぬ外見で思いもよらぬ程、生きていたりするものだ。
「起動して何年経つ?」
「今年で42年目だな」
「…うわー…もうオッサンじゃないか」
何故だ、その言葉はとてもイラッとする。
「…お前はどうなのだ」
「俺は3年」
「経験値は幼児レベルだな」
「内容が違うだろ。そりゃ、オッサンには敵わないけど」
しばし微妙な空気が流れる。
その時、それを打ち破るようにカイセイが突然吹き出した。
「ツキシロにオッサンて…似合わないっ」
自分で言っておきながらツボにハマったらしい。腹を抱えてくつくつ笑う彼に呆れてしまう。
こうして表情をよく変えるのを見ていると若いなと思ってしまう辺り、やはり精神年齢は人間でいうオッサンなのだろうか。
…気付きたくなかった。
「大丈夫、見た目じゃ全然わかんないから」
笑顔でそんなことを言われても全く嬉しくない。
「アンドロイドなんだ。当然だろう」
「ホント、ツキシロがアンドロイドでよかった。その美しさが損なわれるなんて勿体ないもんな」
「…今では人間も容姿を保つことが可能ではないか」
「でも色々面倒だろ。何もしないままで保てるところがいいんだよ」
カイセイは私の容姿をいたく気に入っているらしい。
この長い髪に指を通したりしてたまに遊んでいる。
「そうだな」
お喋りな口を封じて暴れる舌を絡めとる。息もできない程に貪りついてやった。
私たちはそれで機能が止まったりしない。
胸板を押してきた腕はいつの間にか縋るように弱々しくシャツを掴んでいる。
苦しそうに眉根を寄せて固く閉じられた瞳。
アイヴォリイの頬を生理的に考慮された涙が伝った。
唇を噛んでから解放してやると、彼は呼吸を求めて息を吸いすぎ、げほげほ咳づく。
ぐったりソファに沈む姿に少し気が晴れた。
「…死ぬかと思った…」
「アンドロイドはこれしきでは死なん」
「…そうだけど」
彼に背を向けて脚を組んでいたところ、おもむろに甘えるようにぐったりと抱き着いてきた。
「ごめん」
カイセイは感情を察するのに長けている。
しかし如何せん、その感情の起因を導き出すのがヘタだった。
つまり、感情を読み取れても理由までは分からないのだ。
アンドロイドは今やそうした個性すら持ち合わせていた。
同じくらいの背丈の、自身より逞しく見える相手に抱き着かれるというのも妙な図だが、彼の場合は大型犬のようで悪い気はしない。
シルヴァグレイの髪を撫でてやれば、ようやく肩の力が抜けたらしかった。
普段は冷静で冷徹にすら見える彼だから、このしおらしい姿はなかなか見られるものではない。
「…ツキシロって、ちょっと苛虐趣味があるよな」
「否定はしない」
泣き顔や苦しむ様を見たいと思うときは確かにある。
私の個性は二世紀前に栄華を誇った皇帝から発想を得たのだといつか創製主に言われたことがあった。
つまり、人間のイメージで皇帝とはこんな風なんだろう。…何故そんな個体を造ろうと思ったかは謎だが。
「迷惑か?」
相手の気持ちを考えたことはなかった。
カイセイは私の腰に腕を回して肩口に顔を埋める。
「そんなこと、ないけど…。怒りながらされると怖い」
「…善処する」
そういう時は八つ当たりのようにうっかり手が出てしまうのだ。
そうプログラムされているからなどと言う気はない。環境により性格は多少変化するようになっているのだから。
そのため、同じ型のプログラムを保持していても全く同じ個にはならない。
カイセイは諦めたかのように力を抜いた。
ふと窓の方を見ればカーテンから光が漏れている。
「そろそろ支度をせねば」
「…おー」
一日の区切りがひどく曖昧だ。
時間という尺度すら必要ない気がする。
クリスタルという禁忌に触れる近い将来、我々は今と全く同じ生活をしているだろうか。
きっと何かが変わるだろう
そんな予感があった。