sideクロトビ
朝。
目覚ましのベルでイシキが戻る。
カーテンを開けば暖かな光を感じた。
今日も天気は快晴だ。
制服に着替えてから洗面所で髪を整える。
リビングに戻るとタイミングよく向こうのドアが開かれた。
レモンイエロウの髪はまだ垂れたまま。
アイスブルウの瞳が定まっていない。
彼は同室者のキハク。
「…はよ。お前いつも早いな」
「おはよう」
洗面所へ消える後ろ姿を見送ってからカフェとトーストを二人分用意した。
この作業は俺の役目になっている。
キハクは朝が弱いので起こしてやることもしばしばだ。
今日のようにきちんと目覚めても朝は大抵夢現の様子。
どさりと椅子に座ると、億劫そうに上げ下げされるレモンイエロウの睫毛。
目付きの悪さも少しは和らいで見える。
舟を漕ぎながらもカフェは溢さない。
食後に食器を洗うのも俺の担当。
キハクに任せたら皿が勿体ない。
「早く着替えろよ」
「おー…」
のっそり自室に入って行く姿はベアみたいだ。
髪を後ろに撫でつけたキハクはようやく頭が起きたらしく、シャッキリした顔で部屋から出てきた。
「はよー、行こうぜ」
イシキがさ迷っていた間の記憶はあるのか気になるところだ。
「ああ」
部屋を出れば自動的にロックがかかる。
こうして今日もいつも通りの一日が始まった。
すれ違う生徒は誰も彼も整った顔をして、躯の部品はどこまでオリジナルか分からない。
生まれつき欠落があったり、戦争や事故や病気で失ったり理由は人それぞれだけれど。
顔に関しては進んでオリジナルを手放すなんてよく聞く話。
今では完全体の人がとても貴重なくらいだ。
講義は淡々と進む。
そういえば、好んで頭の中を弄る人はあまりいないらしい。
100%の安全が保証されていないからだ。
知識は頭に詰め込まなくても簡単に端末から手に入るから、レポートなどで重視されるのは個人の思考力や情緒といった方面だ。
今ではそれらの能力さえ人と同じように造ることができるため、人にまみれてアンドロイドが生活していても違和感の欠片もなかった。
昼飯は食堂で。
クラスも同じなキハクがよく一緒に着いてくる。
空いている長テーブルに腰掛け、センサに左手首を近付けて注文する。
程なくしてテーブルが開いて料理が現れた。
全ての存在が産まれた時につけられる手首のマーキングのお陰で、一昔前のカネやカードを持ち運ぶ必要は今やない。
目に触れる部分では数字でしか確認できないのに、カネはしっかり存在していた。
サラダをつつきながらキハクが口を開く。
「明日は雨だってな。雨は気分がスカッとしねぇから嫌いだ」
天候はコンピュータで完全に管理されているため、天気予報が外れることはない。
「俺は曇りよりいい」
どんよりした曇り空の方が気が滅入るというものだ。
「曇りも嫌だけどよ」
つまりは晴れがいいんだろう。
キハクはドリンクを煽ってから顎に肘をつき、辺りを見回す。
「ったく、どいつもこいつも小綺麗な顔しやがって」
彼は人工物があまり好きではないらしい。
眉根を寄せて益々狂暴に見えるその顔は自前だと聞いた。
「いつか世界はアンドロイドに乗っ取られるんじゃね?既に人かアンドロイドか分からなくなっちまってるヤツも多いし、アンドロイドは見た目じゃ分かんねぇしな」
そういう自分だって完全体じゃないのだ。
「科学の力はスゲーよ。けど、行き過ぎだと思うだろ」
「…このマーキングは管理されてるみたいで嫌だな」
これのお陰で全ての存在はマザーシステムと繋がっている。
マザーには全てお見通しなのだ。…行動から思考まで。
頷いてからキハクは続ける。
「俺はアンドロイドも好かねぇ。魂のない造り物が人のフリして暮らしてるなんて薄気味わりぃぜ」
胸がヒヤリとした。
「…アンドロイドにも心はある」
「所詮、造り物だろ」
造り物。
けれど確かに感じるのだ。
痛いとか苦しいとか悲しいとか辛いとか。
「ああ、お前はヤツらに同情的だったな。…悪い」
「…いや…」
いっそ、心なんてなければ良かった。
そうすればこんな気持ちになんてならなかったのに。
ああ、心がなかったら気持ちもないのか…?
「…そろそろ出ようぜ」
バツの悪そうな顔をしたキハクが入り口を顎でしゃくった。
頷いてから彼に続いて席を立つ。
「…アンドロイドの話さ、本当は恐れてんだ。俺は生まれつき両足が欠落してたけど、この先いつ何を失うか分かんねぇ。…どこをなくしても替えがきくだろ?だから、いつか俺も人間だって胸張って言えなくなるかもしれねぇんだ」
替えのきく躯。
完全に機能の回復する見込みがない場合、人工物に取り替えられるのが当たり前の処置。
「魂も目には見えねぇしな」
キハクは人には魂があるという。
彼にとって、それが人間とアンドロイドの違いなんだろう。
けれどそれは何処にある?
心臓も脳も取り替え可能だ。
アンドロイドにも心はある。
魂とは一体…?
「キハク、魂って何だと思う?」
「そりゃお前、人に宿るもんだろ」
「精魂尽くして作った物には魂が宿るって言うじゃないか」
「…人の魂は神様が入れるんだ」
苦しげに答えた彼を見詰める。
「それは人が入れたものとどう違う」
「―――…だーッ!とにかく、天然もんは別格なんだよ!!」
足早に去った後ろ姿をぼんやり眺める。
俺には人とアンドロイドの明確な違いが分からない。
分からないのに、人間ではないと自覚していることが哀しかった。
ффф
放課後、煮え切らない頭で敷地内をさ迷った。
気付けば初めて見る景色。
緑ばかりで木洩れ日が美しい。
「こんな所までお散歩かィ?」
振り返れば淡くウィスタリアの色に色付く長髪をさらりと流した青年の姿。
鮮やかなヘリオトロープのつり目は意思が強そうだ。同じ色の尻尾が揺れる。
初めて見る。
キメラ―――…
「悩み事かな?アンドロイド」
目を見開いてしまった。
動揺する。
言い当てられたのは初めてだった。
細められるヘリオトロープの瞳。
「…僕らは気で分かるんだ。人間は簡単には気付きやしないよ。安心するといい」
近付いてきた彼はそっと頬へ触れてきた。
「本当によくできてるよ。温かいし滑らかだけど固すぎない。…ちゃんと生きているように見える」
「…俺は、生きてる」
彼は肩をすくめて見せた。
「それで、何を悩んでいたのさ?」
そんな顔をして
彼の眼差しはとても優しくて、つい、口を開いていた。
「心もあるのに、俺は人間じゃない。それが苦しいんだ」
造り物という言葉は嫌いだ。
まやかしの物みたいに感じるから。
偽りみたいに、思えるから。
視線の先で彼が笑う。
「何故それが苦しいんだィ?君はアンドロイドなんだから人間である必要はないし、人間になれやしないだろう」
事実を突き付けてくる彼が直視できなかった。
「アンドロイドなのがそんなに嫌なんだ」
「…あんたは、キメラであることが嫌じゃないのか…?」
「そんなこと考えもしないよ。僕はキメラなんだから」
確かに考えてその事実が変わるわけではない。
いっそ清々しいくらいサラリと言ってのけた彼が少し羨ましかった。
「君はさっき生きてるって言ったね。それでいいんじゃないかな?僕はキメラだ。人間じゃない。それが何だっていうのさ。何だって構わないだろう。生きてることに変わりないんだ」
その強かな姿勢が眩しい。
「僕はアンドロイドが好きだよ。綺麗だし、完璧だしね。人間よりよっぽどいい」
彼は心からそう思っているらしかった。
俺も今一度考えてみる。
何故、人間が羨ましいんだろう。
何故、人間じゃないのが苦しいんだろう。
何故、アンドロイドなのが哀しいのか?
俺はアンドロイドなのに。
…アンドロイドだから。
「造られた物、なのに?」
「全てのものは創られたものだろう?創ったものが異なるだけさ」
彼にとっては、そんなことどうでもいいらしい。
「遅くなった!」
その時、突如やって来た少年。
ジョンブリアンの髪と同じ色の尻尾…彼もキメラなのか。
大きなヘリオトロープのつり目に捉えられる。
「…ショーブの友達?」
「悩めるアンドロイドさ」
少年は適当に相槌をうってから口角を上げて見せた。
「オレ、ツヅミ。よろしくな」
「…クロトビだ」
「僕はショーブだよ」
「なんだ、自己紹介もまだだったのか」
「忘れてた」
ツヅミとショーブはとても親しそうに会話をする。やはり同じキメラだからだろうか。
俺はアンドロイドだからって親しくしたいとは思わないが。
長居は不要と感じ、踵を返す。
「クロトビ!またな」
背中にかかった明るい声に小さく頷いた。
俺は考えすぎなのかもしれない。
考えても変わらないのだから、ショーブのように開き直るのが楽だろう。
アンドロイドで何が悪い。
人間との境界は酷く曖昧だ。
いいじゃないか。
いいじゃないか、アンドロイドで。
だって俺はアンドロイドなんだから…
(仕方ないじゃないか。もう、受け入れるしか)
目頭が熱くなる。
認めたくない。
でも事実だ。
本当はちゃんと分かってる。
ああ…苦しかったのは、認めていなかった部分の叫びだったのかもしれない。
きっとこの熱が冷めたら、晴れやかな気持ちになれるから。
今だけ