第二章「アルデュイナ魔術学院」 4
アルデュイナ魔術学院の東塔一階。
時間帯はすっかり午後を過ぎ、眼前では実技の講義が始まろうとしていた。
この学院は、それぞれ東西南北の方角に建つ学院塔と先程まで時雨たちが居た食堂などの共同施設が主に設置された中央塔を中心に成り立っている。
連絡通路で繋がれた四方の学院塔はどれも四階フロアまでの高さを持ち、塔内の造りも各塔によって異なっている。
例えば、ここ東塔は【実技】に特化した学院塔であり、どれだけ派手な魔術を展開しても損傷することのない強靭な防護壁で築かれている。そのため、術者が魔術を扱いきれず講義中に力が暴走したとしても塔ごと倒壊して大惨事を引き起こす心配はなく、盛大に己の魔術を振るって実技に取り組むことができるように配慮が為されている。
野外での実技練習だと周囲の街や森に甚大な被害をもたらしてしまい兼ねないという悲惨な可能性を考慮したアルデュイナの徹底した室内設備は他の特区でも高く評価されているようで、まさかあの悪趣味な思考を持った学院長が考案したとは到底信じられない話である。
ともあれ、本日の実技講義の内容は二人一ペアの簡単な模擬戦を行うようだ。
己の力量を生徒同士で計り合うことで多くの系統の魔術について触れ、そこからどう対処をして、また自己の欠点をどう見極めるか、など色々な意を持つ模擬戦だが。
時雨は今まさに模擬戦が始まろうとしているペアの一角に目を凝らしていた
紺碧色のサイドテールに真っ赤なルビーのように輝く瞳が特徴的な少女。
きりっとした顔立ちは風紀委員ひいては委員長に適任といった凛としていて真面目そうな印象を受ける。
だが、服装は学院の制服姿とは違い、海賊を彷彿とさせる船長服を模したようなものを着用し、頭にはちょこんと乗せるように二角帽を被っていた。
一見、風紀的問題になりそうな格好ではあるが、彼女は本学院の騎士団に加入しており、時雨と同年代ながらも【魔弾騎士団・団長】に就任するほどの実力者で、服装はその団長としての聖装のようなものらしく咎められることはないらしい。
――――三日月椎名。
彼女は両手に二丁の拳銃を構えて眼前の生徒を見据えている。
対面する生徒は細見で美形な顔立ちの少年。
椎名の力量を十分に理解しているようで少しばかり緊張で顔が強張っているのがわかる。
時雨も彼女とは模擬戦を何度か交えたことがあるが、結果は五分五分といったところだった。
ただ、それは模擬戦による時間制限下での話であり、実際の対抗試合ならば持ち堪えることができずにこちらが負けていたかもしれない。
それほどに彼女の戦術は鮮やかで無駄がなく遠慮がない。
騎士団長を任されるだけの判断力と身体能力の高さは計り知れないものだ。
講義担当の講師が模擬戦開始の合図を出してから数秒後――――
案の定、気付けば相手の少年は秒殺されて美形な顔立ちには似合わず盛大に泡を吹きながら地面に倒れていた。
おそらく目にも止まらぬスピードで二丁拳銃に魔術式を装填して、腹部に強烈な打撃にも似た衝撃を打ち込んだのだろう。
二丁拳銃の役割は単純に魔術式で構築した魔力の塊をエネルギー弾つまりは【魔弾】として打ち出すための媒介道具に過ぎない。
騎士団に所属する術者は大抵【魔道具】と呼ばれる個人の魔術の性質を最大限に活かすことのできる媒介―――武具を所有しているが、騎士団長クラスともなると装填に要する魔術式の処理時間が桁外れで中級魔術程のものなら瞬時に発動することが可能になる。
椎名にとって早打ちは手慣れた技術の一つで、並大抵の相手でなければ模擬戦であろうとも瞬殺で鎮められてしまうだろう。
時雨は相手の生徒が救護班(教師からの依頼任務により講義の助っ人に来た人たち)によって運ばれていく姿を少し可哀そうに思いながらも、必死に立ち向かおうと覚悟を決めていたであろう美形な彼の勇士を称えて見送った。
時雨の横でリンネは先程の椎名が見せた魔術式の短縮処理能力にとても感心している様子で、眼をきらきらと輝かせて「なんかあの人、物凄くかっこいいです」と若干興奮気味に見惚れていた。
「彼女威厳といいますか、ただ者ではないオーラがひしひしと伝わってきますね」
「まぁ、あいつは他の騎士団と比べても服装からして異質な雰囲気は人一倍だが、実力は本物で学院長が騎士団長に推薦しただけのことはあるな。それと、ちなみにあいつは俺たちと同じクラスだ」
「え、そうでしたか? まだクラスの方々の顔をきちんと把握したわけではありませんが、まったく気付きませんでした。ですが、あれほど目立った格好をしていればさすがに目に留まりそうなものですが……」
「あいつは教室内では普段の制服を着用しているからな。団長服は騎士団の誇りでこそあるけど、やっぱりクラスの中で一人だけあの格好っていうのには本人も思うところがあるんじゃないか」
「う~ん。そういうものなのでしょうか?」
時雨はそれと、と付け加えて―――
「あいつは普段の格好だと、どうも影が薄いと言うかなんというか、団長服が印象的過ぎて他人に認知されにくいみたいでな。あいつも結構このこと気にしてるみたいだから本人の前では絶対に言うなよ?」
「なるほど。あの方も相応に特殊な体質をお持ちなのですね。例えるなら、時雨が女の子のような容姿をしていることに悩んでいるような感じですね」
「……なぁ、俺ってそんなに女顔に見えるか?」
「え? 顔以前に声色とか思考も若干女子っぽいところありますよね」
純真無垢というのは、ここまでストレートに他人の急所を突いてくるものなのか……。
悪気がないのはなんとなく分かるが男らしくありたいと思う自分に対して少々へこむ発言である。
エレナに度々そのことを指摘されることは日常茶飯事だが、彼女はからかっているところもあって多少の慣れはあれど、出会って間もないリンネにそう言われてしまうと精神的に堪えるところがある。
「いや、そうか……あぁ、わかった。俺の傷口が浅いうちにこの話はもう止めにしよう」
「あはは。時雨は気にしすぎだよ。順応性を持とうよ。折角可愛い容姿してるんだし、もういっそのこと受け入れちゃった方が楽かもだよ? それに、私はそんな時雨を受け止める準備はいつでもできてるからね! 私にデレちゃいなよ、時雨ちゃん!」
「ちゃ、ちゃん付けとか止めてくれ! それ完全に性転換しちゃってるからな? 何度も言うが俺は男だからな? それと、ついでに言うとエレナには全面的にデレるつもりはない。今回の件も含めて百パーセントのツンで対応させてもらうとしよう」
「いやぁああああ、ごめんなさい、ごめんなさい! 今回は度が過ぎたよ。だから嫌わないで許して! 適度なデレがないとエレナさん生きていけないので、どうかお慈悲を!」
エレナはすがりつくように時雨の腕にしがみつき、若干半泣き状態で必死に懇願してくる。
からかわれた仕返しにと思い、何気なく返した言葉にここまで過剰な反応を見せるエレナを見て時雨は思わず顔が綻ぶ。
「冗談だ。俺がこんなことくらいでエレナのこと嫌いになるわけないだろ?」
「……本当?」
エレナの不意な上目遣いに時雨は思わずドキッと脈を打つ。
時雨はそれを悟られまいと顔を背けるようにして答える。
「ほ、本当だ。だからいい加減離れてくれ、身動きが取れない」
「……シグレ」
時雨は呆れながらも優しく呟いて、エレナの頭を仕方ないといった様子で軽めに撫でた。
すると、エレナは静かに時雨の腕から離れて、自分の制服のポケットの中をがさごそと弄り始め、何やら小さな端末を取り出した。それをエレナは手早く操作し端末の音量を最大にして―――――
【俺がこんなことくらいでエレナのこと嫌いになるわけないだろ?】
先程時雨がエレナに対して投げかけた言葉が一言一句たがわず流れた。
時雨は状況を瞬時に理解すること能わずその場で硬直した。
エレナが手に握って操作していた端末は他でもない録音端末だ。
「お、お前まさか……」
「ふふ……ふふふふふ。時雨の貴重なデレは頂いたよ♪」
「抜け目ないな……って、それどころじゃない! エレナ、それこっちに渡せ」
【オレハエレナノコトヲホンキデアイシテル。ケッコンシテクレ】
「止めろぉおおおお! 勝手に合成するな! てか、編集するの早すぎっていうか、お前もう目が怖いことになってるから! 今度は何言ってもらおうっかなぁ、みたいな狂気じみた顔になってるから! 早くその端末をこっちに渡してくれ!」
「え? そんなことないよ。時雨ったら心配性なんだから」
「心配してんのは主に俺の身の安全なんだけどな!」
先程まで優勢に立って居たはずの時雨だったが、今度は形勢が逆転して時雨がエレナに必死になって懇願するという様になっていた。
リンネは側で少し遠目に傍観しているだけで全く助けてくれる様子はない。
むしろ「よくやるわね」と言った感じでジト目を向けながら、事の終始を見守っていた。
時雨がエレナの持つ端末に手が届きそうになったところで―――――
「相変わらず賑やかなやつらだな」
一同が声のした方に振り向くと、そこには二丁の拳銃を手元で弄び、海賊を思わせる青を基調とした二角帽を深々とかぶった少女。先程模擬戦を終えたばかりの椎名の姿があった。
「おう。椎名、さっきの模擬戦見てたぞ。相変わらず容赦ないな」
「当たり前だ。私は一応この学院の騎士団長としての威厳もあるからな。相手の生徒には悪いが一切の手加減はしなかったつもりだ。さすがに、大事の無いように術式は少し弱めの衝撃弾を使用させてもらったが」
「……それであの威力か。本当に恐れ入るよ」
「いや、何お前ならきっと簡単に相殺して見せただろうさ。私の実力とてまだまだ神童には程遠いものさ」
椎名は自分の今の実力に溺れた様子もなく、今後とも精進が必要だと前進的な意思を込めて呟いた。さすがは騎士団長。向上心は人一倍強いことが窺える。
時雨の側に居たリンネの存在に気付いた椎名は、にこりと表情を崩してリンネに優しく手を伸ばした。
「君はたしか今日うちのクラスに転入してきたリンネさんだね。私は三日月椎名。椎名と呼び捨てにしてくれて構わない。アルデュイナにようこそ、これからよろしく頼む」
リンネは差し出された手を取って――――
「はい。こちらこそよろしくお願いします。私のことも気軽にリンネと呼んでくださいね、椎名」
「了解した。リンネだな。もし困ったことがあれば何でも私に言ってくれ。大抵のことなら力になってやれるぞ」
「ありがとうございます。椎名はかっこいいだけでなく、とても優しいんですね」
「や、優しいっ!? そ、そんなことはないさ。私はこの学院の秩序を守る騎士団長として当然の事を言ったまでであって……ふむ、まぁなんというか悪い気はしないな」
「シーナ、実は物凄く喜んでるでしょ? 僅かながら顔がにやけてるよ?」
「なっ! う、五月蠅いな! 私とて照れる時くらいある、悪いか?」
「いやいやそんなことはないよ。むしろギャップ萌え的な可愛らしさがあってすごく良いと思うよ! グッジョブシーナ! エレナさんは大満足だよ?」
「ぐっ……君はほんとうに相変わらずだな」
椎名は呆れた様子でそう答えると、ちらっと時雨の方を一瞥する。
それは「お前も色々大変だろうな」と言わんばかりの同情に満ちた視線であることを時雨は悲しいことながらに悟って「……もう慣れたよ」と視線での意思疎通を交わす。
すると、椎名は突如何を思いついたのかポンッと手を打って口を開いた。
「そうだ、天枷時雨。私は今何分暇を要している。他の生徒の模擬戦が終わるまでで良い。私とあの時の決着をつけないか?」
「え?」
「それはいいですね。時雨と椎名の模擬戦、私すごく見てみたいです!」
「時雨と椎名の模擬戦はたしかに見応えあるもんね。私も大賛成だよ!」
椎名がそう話を提案すると、リンネは目を輝かせながら期待に胸を膨らませるような様子で、エレナも面白くなりそうだと言わんばかりの笑みを浮かべている。
一方時雨はというと、そんなリンネたちの食い付きのいい反応とは対照的に少しばかり渋った表情を浮かべていた。
「唐突だな。俺はこれでも一応病み上がりなんだぞ?」
「そうなのか? 少し手を出してみてくれ」
時雨は言われるがままに手を前に差し出すと、椎名は自分の右手を重ねて状態異常を確認するための術を展開する。
「ふむ。だが、君の核力は十分に回復しているように感じる。まさか負けた時の言い訳などするつもりではないだろうな? それとも先程の模擬戦の様子を見て怖気づいたかな?」
椎名は時雨の状態を確認するや否や、少しばかり挑発的な物言いで時雨の闘争心を駆り立てようとする。
時雨もそんな椎名の挑戦的な態度に笑みを浮かべて拳を強く握った。
「そこまで言われたら話に乗るしかないな。俺もあの頃よりか魔術の腕は随分上達しているはずだ。決着を付けようじゃないか」
「うむ! 良い意気込みだな! 私も存分に力を発揮させてもらうぞ」
二人は模擬戦の定位置まで移動すると、お互いが向き合うようにして立ちそれぞれに構えを取り姿勢を整える。
時雨は、腕に巻きつけた赤色の護法鎖を握り強引に引き剥がすと、《紅焔の思想》を展開するために詠唱を行い、紅焔の精霊であるアグニを呼び出して予め手中に炎刀を収めた。
椎名は曲がりなりにも騎士団長クラス。しかも、《魔弾》を得意とする彼女の速攻型の戦闘スタイルにおいて慢心や油断は大きなミスを招く。
時雨もそれがわかっているからこそ早い段階から《五行思想》を用いて万全の準備を整える。
一方、椎名は二丁拳銃を両手にどっしりと構えて、気合に満ちた瞳でこちらを見据えている。
「天枷時雨、準備はいいか? 私はいつでも一向に構わないぞ」
「あぁ、俺の方も準備は万全だ。悪いが手加減なしでやらせてもらう」
「私とて、手加減をするつもりはない。存分に力を出し合おう」
「では、私が模擬戦開始の合図をさせていただきます。私が小爆発の術式を編み込んだ一枚の護符を投擲しますので、その護符が弾けたら試合開始ということでよろしいですね?」
「うむ。問題ない」
「あぁ。よろしく頼む」
リンネは両者の同意を得ると、袖口から一枚の護符を取り出して二人が向かい合う丁度中央にその護符を投擲した。
護符は勢いよく定位置まで加速すると、ぴたりと勢いを失い、ふわりと風に揺られるように虚空を舞い始める。
護符がいついかなるタイミングで弾けるのか、という緊張感が辺りの空気を包み込み、時雨と椎名も真剣な趣で額に微量の汗を滲ませる。
そして、しばらくの沈黙が流れた後、緩やかに虚空を浮遊していた護符は大きな破裂音とともに弾け飛び、両者はその合図を確認したと同時に瞬時に動き出した。